徐々に手足が動かなくなり、意志が通じなくなる娘の姿がつらかった。難病「ミトコンドリア病」とともに生きる【体験談】
板橋区で活動するママバンド「音ごはん」のキーボード担当である坂井真希子さん(42歳)は、夫と一男二女、実母の6人暮らし。長女の美音(みおん)ちゃん(13歳)は1歳5カ月のころに「ミトコンドリア病リー脳症」という難病と診断され、1歳10カ月のころに病状が急激に進行してしまったそうです。真希子さんが当時心配だったことや、今在宅医療ケアをしながら過ごす美音ちゃんとの生活について話を聞きました。
病気の進行とともに、意思が感じられなくなる娘の姿がつらかった
ミトコンドリア病は、全身の細胞の中にあってエネルギーを産出するはたらきをもつミトコンドリアの働きが、低下することが原因で起こる病気です。先天性のDNAの変異が主な原因とされていますが、現在では治す薬も治療法もない難病に指定されています。美音ちゃんが1歳5カ月のころに診断された「リー脳症」は乳幼児期に発症する特徴があり、運動発達の遅れがあったり、それまでできていたことができなくなったりする進行性の病気です。
美音ちゃんは1歳10カ月のころに呼吸不全が起こってしまったことから、気管切開手術を行い、入院して人工呼吸器で24時間の呼吸のサポートを開始することに。真希子さんも病院に寝泊まりして平日の24時間を美音ちゃんに付き添う生活が始まりました。このときから2歳ころまでの美音ちゃんの変化は、真希子さんにとってとてもつらいことでした。
「病気が急激に進行し、美音がいつまで生きられるのかわからない状況になってしまいました。動いていた手や足が徐々に動かなくなり、呼びかけても目が合わなくなったり、目線もどこを見ているのかわからないようになったり・・・日に日に美音の意思が感じられなくなっていったことがいちばんつらかったです。暑いのも寒いのもかゆいのも気づいてあげたいのに、気づいてあげられない。美音にとって苦しいことだらけなのに生かしてしまっているのではないかと、後悔もしました」(真希子さん)
毎日が今日1日を生きられるかどうかの、命と向き合う日々。病室で美音ちゃんにつき添う生活を送りながら、真希子さんの心にさまざまな思いが去来しました。
「病室で寝ている美音の顔を眺めているうちに、もし命の期限が短いのだとしたら、病院ではなく家に帰らせてあげたいな、と思ったんです。そのためには私が覚悟を決めるしかない、と。美音と家族と一緒に家で過ごすために、在宅ケアに必要なすべての処置を自分で行えるように、看護師さんに教えてもらって覚えることにしました。
そして、美音と一緒の時間を過ごせるなら、ママがメソメソしているより笑顔のほうがいいに決まってる、とも思うようになりました。もし美音が最後に見るママの顔が泣き顔だったらどう思うかなって。これからどんな状況になるかわからないけど、美音との大切な時間を過ごすのだから、笑って過ごそうと決めました」(真希子さん)
美音ちゃんはその後3歳ころまで入院し、状態が安定してきたことから、退院して在宅生活を送ることになりました。美音ちゃんが退院したころには、真希子さんは第3子の女の子を出産。真希子さんの実母が同居をして生活をサポートしてくれることになり、6人家族での生活がスタートしました。
みんなで支え合う家族のかたち
美音ちゃんは3歳で在宅医療ケアを始めてから現在まで、何度も手術や入院などはあったものの病状は安定した日々を過ごしているそうです。真希子さんは日中は基本的に美音ちゃんにつきっきりでケアをし、夜間は夫に交代。家事の主なことは真希子さんの実母が行っています。
「1日のスケジュールは次のような感じです。2時間ごとの体温計測、体位交換、4時間ごとのおむつ交換、3時間ごとに経管栄養の注入と6時間ごとのチューブの洗浄、気管・鼻口腔吸引は多いときは30分に1回ほど。1日4回の投薬と、1日1〜3回の導尿と浣腸(かんちょう)、1日1回体をふく、といったケアをしています。夜間の体温計測・体位交換・おむつ交換は夫がやってくれています。夫は日中には仕事もしながら、夜中はアラームで起きてやってくれいて、感謝しています。最近は実母も美音のケアをやってくれて、私が少しだけお仕事することができるようになりました。
家族以外にも、訪問看護師さん、訪問リハビリや訪問入浴、医師の往診、支援学校の訪問学級の先生など、たくさんの人に支えてもらっています」(真希子さん)
家族みんなで美音ちゃんをサポートしているのかと思いきや、「美音がいてくれるから家族がみんなで支え合えて、まとまりがあるんだと思う」と真希子さん。美音ちゃんの弟や妹も、お姉ちゃんのことが大好きなのだそうです。
「長男はお姉ちゃんの美音に話しかけるときに『かわいいねぇ』とワントーン声が高くなって話しかけたり、変顔を見せて笑わせようとしたりしています。二女にとって美音は遊び相手で、美音の体の向きを変えようとしたら背中の下からおままごとで遊んだおもちゃのウインナーが出てきたり、つめに汚れがついてると思ったらネイルシールが貼ってあったりすることも(笑)。
長男と二女は小さいころから家族が美音のケアをしているのを見ているので、12歳と9歳になった今は、絶妙なタイミングで手助けしてくれるようになりました。長男は人工呼吸器の加湿の水がたまるウオータートラップの水を捨ててくれたり、二女はおむつ替えのときにカーテンをそっと閉めてくれたり。モニターを見て心拍が上がっていると『美音、暑いんじゃない?』と2人で会話をしています。美音は家族みんなで守っていかないといけない存在だと思ってくれているようで、2人の優しさがとてもうれしいです」(真希子さん)
音ごはんのバンド活動を通してミトコンドリア病を知ってほしい
真希子さんは2016年、美音ちゃんが6歳のころにあるイベントでママバンド「音ごはん」の演奏を聞いたことがきっかけで、自身もバンドに加入しキーボードを担当することになりました。
「音ごはんオリジナルの『寝顔にこもりうた』という、命の奇跡を歌った曲を聴いて、感動のあまり号泣してしまいました。それで、美音がお世話になった病院でコンサートをやってほしいとお願いしたことがきっかけでリーダーと連絡を取るようになり、ちょうどキーボードを探していたそうで、ピアノがひける私をメンバーに誘ってくれました」
音ごはんは地域の公共施設、園、小学校、病院などで、コロナ前には年間30本ほどのライブを行うほど活発に活動していました。誘われたときにはうれしい反面、参加への迷いもありました。
「なんとなく、病気の子どもを抱える私が楽しそうにしちゃいけないような気がして・・・参加を決めるまではすごく迷いました。だけど、私はもともと音楽が大好きです。病気の子どもを持つママでもあるけれど、自分の人生も大切にしたいと思ったんです。夫に相談したら、彼も昔バンドでギターをひいていたので、『いいじゃん、やりなよ!』と背中を押してくれました。ママがイキイキと楽しんでいるほうが家族も喜んでくれるんじゃないか、という思いもありました」(真希子さん)
2018年のあるとき、真希子さんは美音ちゃんと同じミトコンドリア病の子を持つ親が、治療薬を作るために立ち上げたミトコンドリア病創薬開発プロジェクト「7 SEAS PROJECT」をニュースで知りました。そこで、ミトコンドリア病応援ソング「七つの海の音」を製作し、そのCD販売の収益をプロジェクトに寄付することに。
「この曲には『美音の笑顔をもう一度見たい。ミトコンドリア病を治す薬ができてほしい』そんな思いを込めました。ちょうどそのころ長男も『友だちにお姉ちゃんの病気をなんて説明したらいいかわからない』と悩んでいたようで、『この歌でミトコンドリア病のことをもっとたくさんの人に知ってもらいたいね』と活動を応援してくれ、心強かったです」(真希子さん)
現在は創薬開発プロジェクトは終了していますが、音ごはんでは今後もミトコンドリア病の家族会への寄付や、「七つの海の音」を通してミトコンドリア病をたくさんの人に知ってもらう活動を続けるのだとか。
自分の趣味も楽しみながら、美音ちゃんの医療ケアに、長男や二女の子育てにと忙しい毎日を送る真希子さん。美音ちゃんがいるからこそ、日常の大切さを感じるそうです。
「私も普段の生活では小さな不平不満はあるし、子どもに『宿題やったの!』なんて怒ってしまうこともあります。だけど、子どもに怒れる日常もありがたいこと。美音を育てる中で『今日と同じ明日を迎えることは当たり前じゃない』と学びました。美音がいて、家族みんなで過ごす時間が幸せです。この幸せを実感しながら毎日を大切に過ごしたいと思います」(真希子さん)
【大橋先生より】家族一丸で美音ちゃんのケアを頑張る姿にいつも勇気をもらっています!
美音ちゃんのように、生きるためにさまざまな医療的サポートが必要なお子さんをご自宅でみることはご家族にとって大変な決断だったと思います。在宅人工呼吸器は24時間突然アラームが鳴るのでまともに睡眠も取れない日々が永遠に続くのです。さらに長期間人工呼吸器を装着しているとどんなにケアを頑張っていても肺炎になりやすくなってしまいます(人工呼吸器関連肺炎)。それでもご家族が一丸となって美音ちゃんのケアをしている姿にわれわれ医療者はいつも勇気をもらいます。病気のある子もない子もどんどん外に出て、さまざまな活動に一緒に参加できる日が少しずつ増えてきていると思います。「音ごはん」のライブには大人も子どもいろんな人たちがたくさん会場に来ていてとても多様性に満ちた理想的な世界です。音ごはんはどんどん人気バンドになって、お母さんもますます忙しくなると思いますが、無理しすぎず体調管理も気をつけてこれからも頑張ってください。応援しています!
お話・写真提供/坂井真希子さん 監修/大橋研介先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
音ごはんの活動を始めて「ママではない自分でいられる場所ができ、仲間といろんなことを話せて、大好きな音楽を演奏できることがすごく楽しい」と話す真希子さん。美音ちゃんの医療ケアで忙しいけれど、ママだからこそ明るくいたい、と笑顔で話してくれました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
大橋研介先生(おおはしけんすけ)
PROFILE
埼玉県立小児医療センター泌尿器科 科長。昭和48年生まれ。1999年日本大学医学研究科卒業。日本大学医学部小児外科などの勤務を経て2020年より現職。日本小児外科学会専門医・指導医、日本外科学会専門医・指導医、日本小児泌尿器科学会認定医。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。