安全性が高まり、身近になった体外受精。保険適用も2年目【妊活 不妊治療の30年・前編】
「たまひよ」創刊30周年企画「生まれ育つ30年 今までとこれからと」シリーズでは、30年前から現在までの妊娠・出産・育児を振り返り、そして、これからの30年間を考えます。
不妊治療は、この間に大きな技術的進歩があり、今では、新生児の14.3人に1人は体外受精で生まれた子どもです(※1)。また、検査・診療を受けたことがあるカップルは4.4組に1組と増えてきています(※2)。
それにともなって、不妊治療に対する社会の受け止め方も変化してきました。不妊治療の専門医である菊地 盤先生に話を聞きました。
※1 日本産科婦人科学会ARTデータブック/厚生労働省人口動態統計
※2 国立社会保障・人口問題研究所
不妊治療の保険適用は、どこまで認めるか

――2020年、当時の菅内閣が不妊治療への保険適用の方針をかため、異例のスピードで、2022年4月に保険適用が人工授精・体外受精に拡大されました。
菊地先生(以下敬称略)基本的に、不妊治療の保険適用は、不妊治療が身近になり、大変いいことだったと思っています。経済的負担が軽減されたことをはじめ、ガイドラインができたことなど、いろいろな意味で不妊治療が受けやすくなりました。
しかし、求められている治療が十分に保険で認められていないという議論はあります。たとえば、受精卵(胚)の染色体を調べて子宮に戻すかどうかを決める「着床前検査(PGT-A)」を、保険で治療する人が受けられないのは一つの課題でしょう。
複数の胚ができたとき、今は見た目や分裂の早さで決めていますが、あまり正確ではありません。着床前検査はかなり正確なので、妊娠しない胚や、流産する胚を戻さずにすみます。
ただ、それは、保険適用それ自体がよくないということではなく、「適用範囲」の問題なのです。今後、データが蓄積され、必要な治療が広くカバーされるようになっていけば、保険診療の問題は落ち着くでしょう。
着床前検査も、最初は日本中のすべての施設で保険診療の人には使えませんでしたが、2023年、大阪大学と提携施設だけに、保険診療と併用できる「先進医療」として実施することが認められました。先進医療とは何かというと、保険診療と併用してもいい自費診療のことです。今後は、少しずつ、先進医療として着床前検査ができる施設が増えていくでしょう。
――保険適用が決定されたころ、国は、保険で認められないものは先進医療とすることで、治療の選択肢を拡大すると説明していました。
菊地 日本では保険診療と自費診療を併用する「混合診療」が禁止されているので、「その部分だけ自費診療を取り入れたい」ということができません。先進医療になっていない自費の治療を受けると、すべてが自費扱いになってしまうので大変な金額になります。
不妊治療の保険診療で、間口を広くしてもらえる部分は、早くそうなるといいと思います。
ただ、「どこまでやるか」は、医療にとって、昔から繰り返されてきた“永遠の課題”ではあります。
保険適用では、男性の同席が義務

――保険で治療する場合には、最初に男性もクリニックで説明を聞くことが義務になりました
菊地 以前は男性が一度も来ないまま不妊治療が進んでいくこともありましたが、今は「あなたが来なければ自費診療になってしまうのよ」と言えば、来ない男性はいません。もしかしたら、これが「保険適用になって、いちばんよかったこと」かもしれません。
カップルが婚姻関係にあるか、事実婚かは保険診療では問われませんが、2人で妊娠を望んでいるという意思表明をしてもらいます。そして、一緒に治療計画書を書いてもらう、それが保険診療の第一歩です。
しかも、初めの1回で終わりだと意識が薄れてしまうから、その後も、カップルで説明を聞いてもらう時間を設けることになっています。
――こうしたルールが始まって、男性はどのように変化しましたか。
菊地 男性にとっても不妊が「自分事」になってきたような気がします。不妊治療は、カップルを対象にした医療です。男性側が治療に「協力」するのではなく、一緒に取り組むのです。そこが、わかってもらえるようになってきました。
育児についても、男性の意識はこの10年くらいの間に大きく変わったように感じていますが、不妊治療については、この保険適用が背中を押しましたね。
――男性が変わってきた背景には何があると考えられるでしょうか。
菊地 働き方改革も大きな影響を与えているかもしれません。男性は、以前は、自分が体調をくずしたときも病院に行けないような働き方をしている人がたくさんいました。ですから、自分も一緒に受診したいと思う夫がいても来られなかったのだと思います。
女性も、不妊治療をするためには会社を辞めなくては続かないというような時代がありました。今でも、部署を変えてもらうといった工夫をするケースがあるという調査結果がありますが、仕事を続けながら治療することに対して、会社は寛容になってきています。
――夕方の診療時間が長いクリニックも増えてきたような気がします。
菊地 そうですね。今、僕のクリニックは夜7時までとしています。午前中で受付が終わる大学病院に勤務していたこともあるのですが、それでは会社を休まないと来られないですよね。
いろいろな面で、治療しやすい環境が整ってきているのではないでしょうか。
43歳以上の女性が、保険診療の対象から外れた理由

――保険適用では40歳未満の女性は6回、40歳以上~43歳未満では3回、そして43歳以上の女性は対象外とされました。
菊地 年齢が妊娠力に影響することは否めません。卵子は胎児期に作られ、生涯新しく作られることはなく、その女性とともに老化してしまいます。排卵するときは「減数分裂」といって、染色体を半分にするのですが、年齢が上がるとこの減数分裂がうまくいかない確率が上がり、染色体異常が起こりやすくなります。
卵子に染色体異常があると妊娠が成立しなかったり、流産してしまったりします。年齢が上がって子宮筋腫や子宮内膜症が進行してしまうと、これも妊娠しづらさにつながることがあります。
また、妊娠したあとも、妊娠高血圧症候群の増加などのハイリスク妊娠になりやすいことがわかっています。
女性の妊娠力には、タイムリミットがあるのです。それは、しょうがないことです。その事実を、社会は受け止めなくてはいけません。
それを、「早く産みなさいとおどしている」というふうに曲解する風潮があるのは残念なことです。これは、女性がそれを知って、自分で決めるために必要な知識ですよね。
――男性の妊娠力はどうでしょうか。
菊地 男性の精子を作る能力も、年齢とともに低下します。でも、染色体の異常は男性では起こりにくい傾向があります。
精子は毎日新しく作られるからです。この点では、男女間に違いがあることは否定できません。
生殖補助医療の年齢による変化
体外受精でも30代後半から妊娠・出産できる率は下がり、流産率は上がります。
30歳から高齢出産といわれた時代

――日本ではこの30年間、女性の出産年齢はどのように変化してきたのでしょうか。
菊地 僕が産婦人科医になったのは1994年で、ちょうど「たまひよ」が創刊したころです。当時は、産科に来る人も、不妊治療を受ける人も本当に若くて、20代女性が中心でした。
「高年妊娠(高齢出産を意味する医学用語)」という言葉も、当時は30歳からの妊娠をさしました。30歳を過ぎた妊婦さんは母子健康手帳に「マル高」のハンコを押されていました。
ただ、20代の患者さんが多かった理由の一つに、20代人口が多かったという人口構造上の事情もあったと思います。僕が医師になったころの20代は、今は50歳前後で、第二次ベビーブームの時期に生まれた団塊ジュニア世代です。
――団塊ジュニアというと、たくさんいるから子どももたくさん産んでくれるのではないかと、少子化ばん回の期待をかけられた世代でした。
菊地 そうです。ところがこの世代は、人数は多いけれど、結局、人口政策で期待されたほどは子どもを産みませんでした。
20代での出産が減り、35~39歳で産む人が増加
「たまひよ」が創刊した30年前の社会では、約6割の出産が20代でした。2020年では、20代の出産は約3割、子どもを産む女性の3人中2人は30~40代になっています。(厚生労働省人口動態2021年)
団塊ジュニア世代の女性が産まなかったのは、個人の問題?

――団塊ジュニア世代は、キャリアを追求する女性が増えた世代でもあると思います。
菊地 そこに日本社会の一つの大きな問題があると思います。女性が若いうちに産みたいと思っても、日本社会は、若いうちに出産したら、その女性がハンディキャップを負ってしまう社会システムになっています。
日本では、家事・育児の多くを女性にやってもらう男性の働き方が、労働のデフォルトになっています。ですから、子どもを産んで育てる人生を、当たり前のようにキャリア人生の中に埋め込むキャリアパスを想像できないのです。
しかも日本は性教育の不足から、年齢と出産に関する知識がみんなにちゃんと届いていないという問題もあります。そのために産みどきを逃してしまった人は多く、とくに団塊ジュニアの女性たちはその傾向が顕著だったのではないでしょうか。
2010年前後になると、不妊治療の待合室が、40歳くらいの年齢に達した団塊ジュニア女性たちでいっぱいになりました。
団塊ジュニアの女性たちがもっと妊娠について知識をもっていたら、そして、もっと早いうちに体外受精が保険適用になっていたら、少子化の状況は今とは違っていたのではないかと思います。
――子どもを産みたかったのに、いいタイミングで妊娠を決心できなかったため、子どもをもてなかったということでしょうか。
菊地 女性が妊娠しやすい年齢に産めないことを、個人の問題として片づけてしまうのは適切ではないかもしれません。
性教育の遅れや、「妊娠には口をはさまないようにする」という国の方針の影響もあると思います。年齢が高くなってから初めて子どもをもとうして、不妊治療に苦労しても子どもをもてなかった世代は、妊娠政策の犠牲になった世代といえるのではないでしょうか。
お話・監修/菊地 盤先生 取材・文/河合 蘭、たまひよONLINE編集部
●記事の内容は2023年9月25日の情報であり、現在と異なる場合があります。
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