息子の成長の節目で思い出す「たまひよ」は、30年つき合う幼なじみのような存在【30年の子育てhistory#5】
『たまごクラブ』『ひよこクラブ』は今年で創刊30周年を迎えます。30周年に向けて、1993年に創刊した『たまごクラブ』『ひよこクラブ』に登場してくれた赤ちゃんとその家族を募集したところ、50組を超える応募がありました!その中から、何組かの親子に登場してもらい、たまひよ30周年特別企画『30年の子育てhistory』をリポートします。今回登場するのは、『ひよこクラブ』創刊号から連載「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」の読者モデルとして約2年間登場していた鍛治さん親子。息子の佑樹さんはたまひよと同じ30歳です。30年前の「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」を見ながら、これまでの歩みを振り返ってもらいました。
友人から育児雑誌の創刊を聞いて、読者モデルに応募
――恵三子さん、佑樹さんは1993年の『ひよこクラブ』創刊号から「赤ちゃん12人のすくすく成長日記の読者モデルとして登場しています。その経緯を教えてください。
恵三子さん(以下敬称略)出産予定日が1993年の5月だったので、3月に、福岡へ里帰りしていました。そのとき学生時代の友人と会うことになったのですが、 その友人が当時の福武書店にいて、「今度新しく創刊する育児情報誌に出てくれる親子を募集しているから、応募してみたら?」とすすめてくれたのがきっかけです。
それぞれの赤ちゃんの成長を追っていき、毎月雑誌のなかで紹介するという企画だったので、面白そうでわくわくしましたし、家族の記念になると思って早速応募してみました。
5月に無事息子を出産したあと、編集部から採用の連絡がありました。とてもうれしかったです。
――「すくすく成長日記」の撮影、取材はいかがでしたか。
恵三子 福岡から東京に帰ってきたのは7月で、佑樹が生後2カ月のときに初めて取材がありました。カメラマンさんもライターさんも明るい方で毎月とても楽しみでしたね。生後4カ月くらいになると人見知りが始まって、笑顔を撮りたいのに泣いてしまって撮れない、というときも機嫌がよくなるまで待ってもらったことを覚えています。
結婚を機に東京に来て、最初のころはほとんど友だちがいなかったので、毎月の取材と佑樹が載っている『ひよこクラブ』を見るのが楽しみでした。あと、自分の子どものページだけでなく、同級生の赤ちゃんのページもとても楽しく、役立ちました。
読者参加型の育児雑誌は、当時は本当に画期的だったと思います。『たまごクラブ』も『ひよこクラブ』も、あっという間に人気が広がっていたように思います。
息子が巣立つ日に手渡されたのは「すくすく」の写真カードだった
――佑樹さんはどんな息子さんでしたか。
恵三子 佑樹はとにかく寝ない子で、布団に20分くらいで大泣きしていました。集合住宅に住んでいたので、とにかく泣かせてはいけないと1日中抱っこしていたのを覚えています。1歳くらいまではそんな生活でしたね。ただ、そのあとは本当に手がかからなくて。反抗期もありませんでした。29歳に結婚をして家を出るまでは一緒に旅行に行ったり、遊びに行ったりして、友人からはうらやましがられていました。
――佑樹さんは「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」に自分が掲載されているのはいつから知っていましたか。
佑樹さん(以下敬称略)「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」のアルバムは自分の部屋にあったので、小学生くらいのころからちょくちょく見ていました。子どものころは友だちが家に遊びに来たときは「コレ、おれ~」と自慢していましたね(笑)
もう少し大きくなってからも、「自分、赤ちゃんのときこんな表情していたんだ」と思えて興味深かったし、昔の母や父の様子が見られるのも面白かったです。
「すくすく成長日記」の写真をプリントしたカードを結婚式にプレゼント
――佑樹さんの結婚式のとき「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」の写真がプリントされたカードを受け取ったそうですね。
恵三子 カードの裏には「たくさん迷惑をかけたけどこれからは精一杯お母さんを支えていくよ」と書いてあって。大好きな写真だったし、息子の気持ちが本当にうれしくて涙が出ました。カードは額に入れてリビングに飾っています。息子が家を出てから1年ほど経つのですが、まだ寂しくて、寂しくて(笑)。
佑樹 結婚式でメッセージを入れた写真を渡すと決まったとき、母に渡す写真は「赤ちゃん12人のすくすく成長日記」の写真がいい、と迷わず思いました。なかでも、「4~5カ月」の写真を選んだのは、自分も母も笑顔だったからです。
私と妻はブライダル系IT企業で知り合ったのですが、多くの結婚式をプランニングするなかで、家族への感謝の時間があまり多く取れないことを知っていました。
だから、自分たちの結婚式は家族への感謝を表す時間をしっかり取ろう、と2人で決めていました。母には、母に育てられたことへの感謝、これまで大切に育ててくれたからこそ今の自分があるということをちゃんと形にして伝えたかったんです。
――恵三子さんはどんなお母さんでしたか。
佑樹 小学生のころ、ストリートダンスを習い事でやっていたんですが、自分が中学校に入ったタイミングでやめたのと同時に母がダンスを始めました。それから15年以上、今でも継続しているタフさと熱量はすごいと思います。
母からは、ユニークであることに誇りを持つことを学びました。どうせやるなら人と違うことで輝くこと、個性的であることの大切さは今でも自分の価値観にもなっています。
息子の成長を感じるたびに、気になる存在が「たまひよ」
――今回の30周年のキャンペーンはどのように知りましたか。
恵三子 息子は「すくすく成長日記」を2歳で卒業しましたが、息子が10歳、20歳になったとき「たまひよも10歳、20歳だな」と思っていたんです。今回も、息子が結婚をして、30歳になったときに赤ちゃんのころを懐かしく思えてきて。そしてふと「たまひよも30周年だな」と思ってホームページを見たら今回の企画を見つけて!「これ、私のための企画だ」と思いました(笑)
たまひよが創刊したとき、息子は0歳でしたから10歳のとき10周年、20歳のときは20周年と同級生なんです。20歳になったときは、「すくすくメンバーの同窓会&成人式」という企画をしてくれないかな、と本当に思いました。
今でも、すくすくメンバーの〇〇ちゃんや〇〇くんも、もう30歳か、どうしているのかな…、会いたいな、みんなで集まりたいな、と思います。
佑樹 採用されたときは母がとてもうれしそうで、私もうれしくなりました。
今は夫婦ともに仕事が楽しくて、子どもはもう少し先になるかもしれませんが、将来子どもを授かったら母が読んでいたたまひよの雑誌を夫婦で読みたいです。そして、機会があればぜひわが子を読者モデルとしてお願いします!(笑)
恵三子さん・佑樹さんの30年の子育てアルバム
妊娠8カ月のころの恵三子さん。このころ、友人から新しい育児情報誌(=『ひよこクラブ』)の話を聞きました
産後1カ月のころ。陣痛もお産もあまり重くなく、安産だったとか
佑樹さんが2歳のころ。1歳までは抱っこしないと寝ない子でしたがそれ以降はおだやかで手がかからなかったそう
子育てが本当にひと段落したと感じた、大学の卒業式。佑樹さんはブライダル系IT企業に就職
結婚式で渡された写真の裏に書かれたメッセージ。手書きの文字に感謝の気持ちが込められています
お話・写真提供/鍛治恵三子さん、佑樹さん 撮影/矢部ひとみ 取材・文/岩﨑緑、たまひよONLINE編集部
佑樹さんが『ひよこクラブ』に登場していた、2カ月から2歳という時期は、親子にとって本当に濃密な時期。そんな大切な時間を『ひよこクラブ』とともに過ごせたことは「とてもいい思い出です」と恵三子さんは話してくれました。
●記事の内容は2023年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
「たまひよ」創刊30周年特別企画が続々!
『たまごクラブ』『ひよこクラブ』は、2023年10月に創刊30周年を迎えます。感謝の気持ちを込めて、豪華賞品が当たるプレゼント企画や、オリジナルキャラクターが作れる「たまひよのMYキャラメーカー」など楽しい企画が目白押しです!たまひよ30周年特設サイトをぜひチェックしてみてください。