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脳症まひの長男の突然の死。「なぜ気づけなかったんだろう・・・」と自分を責める日々。母は新たな道を模索する【体験談】

更新

美園さんの長男竜吾くんと二男悠貴くん。

2022年、当時10歳だった脳性まひの長男・竜吾くんを亡くした美園環さん(40歳)。それでも3人の子と家族の暮らしは続きます。
美園さんは竜吾くんと過ごした日々を忘れないようにと、産後ドゥーラの仕事を始めます。
全3回のインタビューの3回目です。

▼<関連記事>第2回を読む

夜間、人工呼吸器がはずれたのにアラームが鳴らなくて

家でのんびりと過ごす時間も、かけがいのないものに。

――竜吾くんは夜間、人工呼吸器を付けていたと聞きました。2022年のある朝、人工呼吸器をつないでいた気管カニューレという器具が取れていたそうですが、そのときの様子を教えてください。

美園さん(以下敬称略) 前日は何か変わったことがあったわけでもなく、平日だったのでいつものように学校に行き、ルーティンの夜のお世話をしていつもどおり就寝しました。次の日は下の子2人の運動会の日だったので、みんなで行くのを楽しみにしていました。何かあったらすぐ気づけるよう、普段から私たち家族は竜吾と同じ部屋で、私は竜吾の隣で眠っていました。
でも、朝6時ごろ、私が起床して隣を見たら竜吾の顔は血の気が引いていたんです。竜吾は夜間、人工呼吸器を使っています。気管切開した部分に気管カニューレという器具を入れ、呼吸器とくっつけているのですが、その日は気管カニューレが抜けていたのに呼吸器は変わらず動いていたんです。通常であれば、気管カニューレが抜けるとアラームが鳴り、すぐに気づけます。ところがその日は何か不具合があったのか、カニューレが抜けたのに音がしなかったんです。

すぐに夫を起こし、カニューレを気管に入れ、救急に連絡しました。ビデオ通話で心臓マッサージの指導を受けながら夫と交代でマッサージを続け、救急車を待っていました。救急車には夫が付き添い、病院で処置をしてもらったのですが、呼吸は戻らなくて・・・。そのまま永眠しました。10歳でした。

――突然の出来事だったと思います。

美園 自宅での出来事だったため、警察による検視が行われました。解剖の必要があると言われたのがとてもつらかったです。呼吸器も調査してもらいましたが、アラームは鳴っていなかったとの結果でした。心拍数と血中酸素濃度をはかる機械も使用していましたが、体調がずっと安定していたこともあり、使用しなかったので、そちらのアラームもない状態でした。
人工呼吸器のアラームがなぜ鳴らなかったのか、原因はわからないままです。「どうして気づけなかったんだろう」と、どうしても考えてしまいます。

しばらく夫も私も毎日のように深夜3時に目が覚めるようなことが続きました。竜吾の亡くなった時間が推定で深夜3時から5時の間だと言われたんです。3時に目を覚まし、「どうして気づかなかったんだろう」と考えてしまうつらい日々でした。

竜吾は生まれてからずっと、たくさんの人のおかげで助けられ、つながってきた命でした。それを私が壊してしまったという感覚におちいりました。お世話になった皆さんに申し訳ないという気持ちがとても強かったです。

これまでつちかってきた人とのつながりもプツンと切れてしまった

ずっとお世話になっている訪問看護師さんと。

――竜吾くんが亡くなり、生活も一変したのでしょうか?

美園 生活スタイルは大きく変わりました。これまで竜吾はたくさんの人たちに支えられてきました。学校の先生、学校への通学バスの運転手さん、訪問診療の先生やスタッフ、訪問看護師さん、訪問リハビリの理学療法士さん、放課後デイサービスのスタッフなど、定期的に会う方がいたんです。それが、竜吾が亡くなったことで、こうした方々とのつながりがまったくなくなってしまいました。それでも竜吾の誕生日や月命日に学校の先生がお花を持ってきてくれるなどして、竜吾のことを思ってくれる方がいてすごくありがたかったです。

でも、これまで当たり前のように過ごしていたあわただしい日常が急に静まり返ったような気がしました。「今まで過ごした竜吾との時間は夢だったのかな?」と思うほどでした。しばらくは夫婦ともに何も手につかず、ぼう然としていました。

息子と過ごした日々を忘れたくない。産後ドゥーラとして働くことに

栄養注入中に、「こっちを見てー」と遊んでいるところです。

――竜吾くんが亡くなったあと「産後ドゥーラ」として働き始めたと聞きました。仕事に取り組むまでの経緯を教えてください。

美園 竜吾と過ごした日々を、何かにつなげたいと考えたのがきっかけです。これまでの経験をいかしたくて、自分に何ができるかを考えました。まず頭に浮かんだのは、障害を持つ子のサポートでした。でも、どうしても竜吾の思い出と重なり、私には難しい気がしました。

わが家は訪問看護師さんに長年お世話になっていました。竜吾のケアはもちろん、ちょっとしたことも相談できて、精神面でもとても助けられていて。私も似たようなことをして、だれかの役に立てたらいいなという思いもありました。そこで子どもが大好きだったので、産後ドゥーラとして働くことにしました。

竜吾がいなくなってから2カ月後くらいにはまずはベビーシッターとして動き始めました。ずっと同じ場所にとどまっているのがこわくて。ずっとずっと自分を責めてしまいそうだったし、じっとしていると、竜吾と過ごした時間が本当に夢になってしまうような感覚があったんです。その感覚があったからこそ、積極的になれたんだと思います。

週5日、産前産後ママの支援を行う日々

家族でさまざまなことに取り組みました。

――産後ドゥーラの仕事を知ったのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

美園 わが家には長女、長男の竜吾、二女、二男の悠貴(ゆたか)と4人の子どもがいます。第4子の悠貴がダウン症候群(以下ダウン症)とわかったとき、わが家と同じような境遇の家庭はあるのかとネットで検索しました。そのときに知ったのが、3人の子どもがいる方で、第1子が脳性まひ、第2子が定型発達、3人目がダウン症とのことでした。その方が産後ドゥーラもしていました。そのことはずっと頭にあり、竜吾がなくなった今、私も「この仕事に取り組んでみよう」と考えるようになりました。

――産後ドゥーラはどんなお仕事ですか?

美園 産前産後のご家庭を支援しています。母親のサポート、育児と料理、洗濯、掃除、買い物といった家事全般を行っています。資格取得が必要なため、ベビーシッターとして働き始めたあと、2023年の春から資格を取る勉強を始め、9月に産後ドゥーラの資格を取得しました。そして10月から活動をしています。
水曜日の午前中は自分の通院などの予定を入れていますが、それ以外の平日はほぼ10時から18時まで産後ドゥーラのサポートが必要なだれかのご家庭を訪問しています。だいたい1日2軒です。

産後ドゥーラとしての仕事には、これまでのすべてがいかされている

産後ドゥーラとして訪問した家で、たくさんの料理を作り置きします。

――産後ドゥーラとして働くうえで、これまでの育児経験はいかされていますか?

美園 育児はもちろん、これまで経験したすべてのことが役に立っています。私は助産師や保育士などの資格を持っているわけではないので、ママに指導などをするわけではありません。でも、これまでの障害児を含む4人の子育て経験から、ママのちょっとした相談ごとに乗れたりします。
訪問先の家庭にある食材で作ることが多い料理も「これとこれを組み合わせたらおいしいものができる」と工夫しています。私の実家では家庭菜園でいろんな野菜を育ててきたので、幼少時から料理の下ごしらえの手伝いをすることがありました。だからどんな野菜でも大体調理方法がわかります。

結婚前に接客業をしていたことも、医療従事者をはじめ多くの方に力を借りて私自身が支えてもらう経験をしていたことも、何もかも点だった私の経験すべてが線でつながったんです。「全部をいかすことができるんだな」と思えるようになりました。

――産後ドゥーラの仕事にやりがいを感じながら取り組んでいるのが伝わります。

美園 お客さまから「美園さんに出会えてよかった、いやされます」とか、「美園さんが来てくれてからちゃんと食事がとれるようになりました」と感謝してもらえて、毎日とても充実しています。もともと私はすごくネガティブで自己否定が強いタイプだったんです。

たとえばママ友と会っても、何かと自分と比べてしまい「子育てしながら家事をきちんとしてすごいな、うちなんて散らかっていて・・・」と1人で反省会を開くような感じで。あまりにメンタルが弱くて、ずっと支えてくれている夫からも「昔は大変だったよ」と言われることがあります。
それが、産後ドゥーラの仕事を始めてから、私でもだれかに喜んでもらえるんだとすなおに感じられます。ようやく自分を認められるようになりました。

もし、私が強くなったのだとしたら、やっぱり竜吾や悠貴の存在が大きいです。定型発達の子だけを育てていると、ついほかの子と比べてしまう場合もあるかもしれません。でも竜吾や悠貴を見ていると、「この子のペースで育ってくれさえすればいい」と思えたんです。

「自分が好き」と思える人が増えるよう、仕事に取り組みたい

いちご狩りを楽しんだときの写真です。

――今後、どんな活動をしていきたいですか?

美園 子どもたちからもらった経験はすべて私の中にあります。竜吾と過ごした時間を、これから先にいかすために、私が今できることに精いっぱい取り組もうと思っています。漠然とですが、「自分が好き」と思える人が増えるよう、私にできることはないかなと思っています。

――これからどんな日々を送っていきたいですか?

美園 家族とはこれまでどおりたくさん話してたくさん笑い合える関係を築いていきたいです。家族と遊んだり話したりする時間が大好きで、何気ない日常のなかに幸せを感じます。
仕事も楽しく充実しているので、これから先も一生懸命取り組みたいです。仕事に向かうときや終わったあとに空を見上げながら「竜吾、ありがとう」と声をかけると、これまでのすべての経験がありがたく思え、満たされる気がしています。

お話・写真提供/美園環さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

▼<関連記事>第1回を読む

おだやかな笑顔からは想像もできないほどの強さを秘めている美園さん。竜吾くんが亡くなってから、産後ドゥーラとして働き始め、人から感謝されることで自分を認めることができたとのことです。自らの活動で、だれかが喜んでくれる姿を見ることで、自分自身も満たされると感じるそうです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

美園環さん(みそのたまき)

竜吾くんの2歳のお誕生日は病院でお祝いしました。

PROFILE 
1984年生まれ。4児の母。2012年生まれの長男・竜吾くんは妊娠22週と超早産で生まれ、4歳6カ月で急性脳症に。2020年生まれの二男・悠貴くんはダウン症候群。2022年、竜吾くんが永眠してから、これまでの経験をだれかのためにいかそうと産後ドゥーラの資格を取り、働き始める。

美園環さんのinstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年8月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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