生後3日でダウン症と診断された二女の子育て、加えて長男の不登校…当時のことは必死すぎて覚えていないほど【体験談】
イラストレーター・エッセイストであるガードナー瑞穂さんはアメリカ人の夫・ブルースさんと、3人の子どもとの5人家族です。二女のまりいちゃんは、生後3日でダウン症候群(以下ダウン症)の診断を受けました。瑞穂さんに、まりいちゃんが生まれたときのことについて聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
3回目の妊娠。出産入院を楽しみにしていた
瑞穂さんの家族は夫のブルースさん、小学6年生の長男エイデンくん、小学3年生の長女りりいちゃん、そして、支援学校小学部1年生の二女まりいちゃんです。
瑞穂さんがブルースさんと出会ったのは、テーマパークでフェースペイントをする仕事についた24歳のころでした。
「その会社の本社はアメリカにあって、同僚もアメリカ人が多かったんですが、当時私はほとんど英語を話せませんでした。アメリカ人の同僚に『ちょっとトイレに行ってくるから待っててね』ということすら伝えられないくらい。なんとかして英語を上達させようと、休みの日に会社のアメリカ人メンバーたちを、京都や奈良の歴史的な場所へ案内することにしました。その仲間の1人がブルースでした。私は友人のつもりでしたが、たまたま彼と私の2人だけで出かけた翌日に、オーストラリア人の同僚に「昨日のデートはどうだった?」って聞かれたんです。「えっ、デート?」ってドキッとして、そこから彼のことを意識し始め、おつき合いをすることに。
その後ブルースと結婚し、アメリカで4年ほど暮らしましたが、ブルースのお父さんが亡くなったことをきっかけに、日本で暮らしてみようか、ということになり、私が29歳のころに日本に戻ってきました」(瑞穂さん)
日本で暮らし始めた2人。ブルースさんは小学校の英語教師として働き、瑞穂さんはイラストレーターや英会話講師のエージェントの仕事をしながら、2012年には長男のエイデンくん、2015年には長女のりりいちゃんが生まれました。
「エイデンもりりいも妊娠中の経過は良好で、エイデンが帝王切開での出産だったので、りりいも帝王切開でした。やがてまりいの妊娠がわかり、上の2人もお世話になった産科クリニックで妊婦健診を受けました。そのクリニックは出産入院中の食事がとても豪華で、産後にはエステも受けられるので、入院をとても楽しみにしていました。
妊娠中の経過も良好で、私も赤ちゃんも健康状態について指摘されたことはなく、出産に1ミリの不安もありませんでした」(瑞穂さん)
出産した赤ちゃんは「検査のため転院する」と言われ・・・
2017年の秋、予定日より早く陣痛が来て、帝王切開でまりいちゃんを出産した瑞穂さん。生後すぐのまりいちゃんの様子に「違和感を覚えた」と言います。
「上の子2人も出産した産院でしたし、助産師さんたちも顔見知りで、リラックスした雰囲気の中で出産したんです。ただ、取り上げられて私の横に寝かされたまりいを見て『首が太いな・・・、お顔がむくんでない? 何かおかしい』と感じました。先生や助産師さんたちに『何かおかしくないですか?』と聞いたけれど、みんな『全然おかしくないよ』と。でもやっぱり上の2人が生まれたときとはどこか違う雰囲気でした。
産後、私の病室に来る看護師さんに何度も『何かおかしいんじゃないかな、みんな何か隠してないかな?』と聞いたら、その人は怒ったように『赤ちゃんはすごくかわいいし、新生児室でも元気で、何もおかしくないですよ!』と言いました。私はそのときダウン症についてほとんど何も知らなかったのですが、まりいの顔の雰囲気から、考えすぎかな、と思いながらもタブレットで『ダウン症』と検索しました」(瑞穂さん)
そして出産の翌日、瑞穂さんは医師から「検査のためにまりいちゃんだけが総合病院へ転院する」と告げられます。
「先生は『赤ちゃんに異常はないけれど、検査のために大きな病院へ転院します』と言うんです。助産師さんに『転院の前に一度抱っこしましょう』と言われて、まりいを抱っこして写真を撮ったらすぐに、まりいはそのまま救急車で搬送されていきました。
異常がないのに検査が必要って、一体どういうこと?と、ちっとも理解が追いつきませんでした。まりいのことが心配でたまらず食欲もわかないし、あんなに楽しみにしていた産院のごちそうを食べてもちっともおいしくありません。いったいまりいに何が起こっているのか知りたくて、医師に『私も転院させてほしい』とお願いしました」(瑞穂さん)
ダウン症と診断され、その場で泣きくずれ・・・
まりいちゃんを出産するまで、瑞穂さんはダウン症のことについてほとんど知識がありませんでした。
「そのころの私はダウン症について、IQが少し低くて、顔が似ていて、少し口が開いている特徴のある人たち、というくらいのことしか知りませんでした。
思い返すと、出産前に不思議なことがあったんです。出産の数時間前に陣痛室のようなところで待機しているときに、持ち込んだiPadを眺めていました。SNSを見ていたら、あるダウン症の男性が『I have a right to live.(僕は生きる権利がある)』とスピーチしている映像が流れてきました。
iPadが古くてバッテリーがなくなりかけていたせいなのかはわかりませんが、ほかの動画にスワイプしようとしてもできず、その男性のスピーチが繰り返し繰り返し流れていたんです。何も知らない私へ、天からの“heads-up(お知らせ)”だったのかもしれません」(瑞穂さん)
まりいちゃんと同じ病院に転院した瑞穂さんは、出産後3日目に、夫のブルースさんと共に医師たちから検査結果を知らされます。
「通された小さな会議室にはドクター2名と臨床心理士とNICUの看護師の4名がいて、検査結果について説明してくれました。検査の結果、まりいはダウン症であるとの診断でした。合併症は見つからなかったけれど、成長するにつれて甲状腺の病気を発症する可能性があること、知的障害があるだろうこと、成長とともにいろいろな検査が必要になること、などダウン症についてのたくさんの説明を受けました。
ダウン症について何も知らない段階で、次々に説明をされても、受け止めきれないというか・・・自分には荷が重すぎる、育てられないかもしれない、と思いました。ショックでその場で泣きくずれ、椅子から立ち上がる気力も起こらず、絶望の暗闇にいるようでした。
そして、まりいの出生前診断の申込用紙を捨てた瞬間がフラッシュバックしました。ゴミ箱にポイと捨てたときの映像がスローモーションのように眼の前に現れたんです。エイデンのときもりりいのときも、その書類をどうしたか覚えていないのに。不思議ですね」(瑞穂さん)
実はブルースさんは、夫婦で医師からの説明を受ける前に、まりいちゃんのダウン症のことを少し聞いていたそうです。
「後からブルースに聞いたところ、まりいがダウン症である可能性があると聞いて、彼もかなり動揺したそうです。そのころはハロウィーンの時期だったので、子どもたちと一緒にひたすら無心でかぼちゃをくりぬいた、と言っていました」(瑞穂さん)
「でもこの子、ダウン症なんです」
医師から診断を受けた日から10日ほどでまりいちゃんは退院し、自宅での生活が始まりました。
「ダウン症の子は心臓や内臓に合併症があることが多いらしいんですが、まりいの場合は幸い医療的に乗り越えないといけないものはありませんでした。退院時に、1年間は毎月RSウイルス予防のためのシナジス注射を受けること、それ以外に血液検査と甲状腺の検査のために3カ月に1回通院する必要があると聞きました」(瑞穂さん)
退院後のまりいちゃんの育児について聞くと、瑞穂さんは「育てやすい赤ちゃんだった」と言います。
「まりいはよく寝る赤ちゃんで、3人のうちでいちばん育てやすい子でした。でも、大変だったのはミルクを飲ませることとうんちをさせること。ダウン症の子は全身の筋肉の緊張が弱いために、ミルクを吸って飲むことや、いきんでうんちを出すことが難しいんだそうです。
口が閉じにくくて舌を出してるからおなかに空気が入りやすいんですけど、げっぷも出にくい、おならも出にくいからおなかに空気がたまってしまいます。さらにうんちも出にくいから便秘気味になりやすくて。ミルクを飲ませることと、うんちをさせること、この2つがすごく大変でした」(瑞穂さん)
そして瑞穂さんが何よりも大変さを感じていたのは、まりいちゃんがダウン症だという事実を受け入れることでした。
「私は、まりいが1歳になるころまで、外出先などで『かわいいですね』と声をかけてくれた人に『でもこの子ダウン症なんです』と伝えていました。相手はみんなびっくりしていました。自分でもそんなことは言わなくていいとわかっているんですけど、きっと、自分が納得するために口にしていたんだと思います」(瑞穂さん)
小学1年生の長男が不登校に
まりいちゃんの育児についての不安がなかなかぬぐえない中で、まりいちゃんが1歳になるころに当時小学校1年生だった長男のエイデンくんが、学校に行けなくなってしまったそうです。
「エイデンは、学校が好きじゃなかったのもあるけれど、まりいのことで落ち込んでいる私のことが心配で一緒にいてあげなきゃ、と思ったのかもしれません。まりいのベビーカーを押して、自宅から徒歩で10分くらいの場所にある小学校まで、エイデンにつき添い登校をする日々が続きました。
エイデンは学校に着くのを1分でも遅くしようとして、私にいろんな質問をしてくるんです。ある日、エイデンが『僕の髪が青色でも僕のこと好きだった?』と聞いてきました。そのときは『大好きだよ、ママもエイデンと一緒の青色に染めようかな?』と答えたと思います。エイデンは『じゃあ、もしぼくが半分ねこだったら?』とか、次々におもしろい質問をしてきました。きっと遠まわしに『学校に行けなくても僕のことが好き?』と聞きたかったんだと思います。その質問は私にとって『ダウン症があってもまりいちゃんを愛してる?』とたずねられているようにも感じました」(瑞穂さん)
瑞穂さんはエイデンくんを登校させようとしましたが、日に日にエイデンくんは元気がなくなっていってしまったそうです。
「私がエイデンを学校に通わせようとするほど、彼はごはんを食べなくなって、どんどん元気がなくなっていきました。なかなか前進できない日々が続いていたとき、夫が勤めている私立の小学校に転校させることにしました。私立に転校してうまくいくかどうかはわからなかったけれど、やってみるしかない、と転校することに。エイデンにはその学校が合っていたようで、転校してからは人が変わったみたいに毎日登校するようになりました。少人数制だったこともよかったのかもしれないと思います」(瑞穂さん)
産後に突然ダウン症の告知を受け、ショックでしばらく落ち込んでいたという瑞穂さん。さらに長男の不登校もあり、「当時のことは大変すぎて必死だったのであまり覚えていない」そうです。
お話・画像提供/ガードナー瑞穂さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
瑞穂さんは当時のエイデンくんとの会話を忘れないようにと、手作りの絵本にして書き残しました。2023年、テレビ局の取材でその手作り絵本が取り上げられたことをきっかけに、2024年に絵本『もし ぼくのかみが あおいろ だったら』が出版されました。
後編は、瑞穂さんがダウン症について少しずつ受け入れ、立ち直る過程と現在に至るまでの内容です。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
ガードナー瑞穂さん(ガードナーみずほ)
PROFILE
大阪府生まれ。アメリカ人の夫と長男・長女・二女の3児を子育て中。イラストレーターとして活動するかたわら、英会話講師のエージェントを行う。2023年9月、読売テレビの報道番組「ウェークアップ」で家族が特集される。二女にダウン症があることから、子育てを中心に障害と向き合う発信を行っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
『もし ぼくのかみが あおいろ だったら』
長男との実際の会話をもとにした絵本。「どんなあなたでも大好き」という親からのメッセージや、目には見えない大切なことが描かれる。ガードナー瑞穂作・絵、H.B.Gardner 英語訳/1650円(発行:東京ニュース通信社 発売:講談社)