骨の病気で医療的ケアが必要な娘。約2年間の入院を経て、自宅で暮らせるように。いつでも近くにいられることがうれしくて【骨形成不全の赤ちゃん、家族との生活とこれから】
2020年の夏、恵愛(えま)ちゃんは誕生しました。妊娠中から、おなかの中の赤ちゃんはほぼ間違いなく「骨形成不全症」であるといわれ、覚悟の出産をしました。無事出産したあと、NICUなどを経て一般病棟、そしていよいよ自宅で家族一緒に暮らすことに。
後編では、退院後の今の生活の様子、そしてママ・のんさんの現在の活動などについてお話を聞きました。
※骨形成不全症…骨がもろく弱いことから、骨折しやすくなり、骨の変形を来たす生まれながらの病気。2〜3万人に1人くらいの割合で生まれるとされる。なお、恵愛ちゃんはその中でも重いタイプのII型。(公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターのHPを参照してまとめたもの)
一般病棟で24時間、近くにいられることがうれしくて
――恵愛ちゃんがNICU(新生児集中治療室)、GCU(新生児回復室)を経て一般病棟に移ったときの様子を教えてください。
のんさん(以下敬称略) NICUに約1年、そのあとGCUで9カ月間過ごし、一般病棟に移りました。当初、2、3歳までは退院できないと言われていたので「退院をめざして行きましょう」と言われたときはびっくりしました。
――一般病棟に移ると、24時間付き添いが必要になるんですよね。不安やとまどいはありましたか。
のん 一般病棟に移るということは、母子同室といって、「そのあと、家で一緒に過ごす生活に慣れましょう」という意味なんです。10日以上過ごすと言われたので、不安やとまどいよりもやりくりが大変でしたね。家にはお兄ちゃんが2人いましたし、私か夫のどちらかは必ず恵愛と一緒にいなければならなかったので。自宅には、私の母に来てもらいました。
――初めて恵愛ちゃんと24時間一緒に過ごしたときは、どんなお気持ちでしたか。
のん すごく不安もあったのですが、一緒に過ごしてみたら、とてもうれしくって。
それまでコロナ下だったこともあり、面会時間も限られて、恵愛はフェイスシールドのようなものをつけていて顔もよく見えないし、ほとんど触ることもできなかったので、至近距離にいられるだけで本当にうれしかったです。恵愛もうれしそうでした。
――退院前に、医療的ケアのための技術の習得が必要だったそうですが、どんなことをしたのですか。
のん 一般病棟に移る前から、3カ月ほどかけて医療的ケアの技術習得のための練習を少しずつしていました。まずは浣腸(かんちょう)、そのあとに吸引をしました。コロナ禍だったので、すだれのようなビニールシート越しにいる恵愛をケアするのは大変でした。吸引がいちばん怖かったです。恵愛は現在も、吸引の回数はそれほど多くないのですが、一般病棟に移って母子同室になってから、ようやく不安なくできるようになった気がします。
――退院に向けて、グッズの用意が大変だったとか?
のん はい。骨の病気なので普通のベビーカーでは難しくて平らなものを探していたんです。でも日本製にはなくて、海外製だととても高価で困っていました。そうしたら、病院に寄付されたベビーカーがあって、そちらを使わせていただけることになったんです。
退院に向けては、ソーシャルワーカーさんにもとてもお世話になりました。訪問看護師さんの体制を整えること、小児慢性特定疾患の受給者証発行の手続きや、自宅で使う吸引器の購入など、こまかいことをいえばたくさんありました。恵愛が生まれるまではまったく知らなかったことばかりで、1つ1つ誘導していただいて、とても心強かったです。
嘔吐は多いけれど、それもひっくるめて恵愛だと受け入れる
――退院後、自宅での生活では、恵愛ちゃんに嘔吐(おうと)があって苦労したそうですね。
のん 実は入院中からとても嘔吐が多かったんです。恵愛は気管切開をしているので、嘔吐することで切開部分が汚れないようにガーゼをするなど、看護師さんが試行錯誤してくださった技(わざ)を家でも使っています。
いまだによく嘔吐はしています。原因ははっきりわかりませんが、主治医に「それも含めてすべて恵愛ちゃんだから、受け入れていくしかないよ」と言われ、私もそう思っています。まわりの人たちはとても気にかけてくれますが、私たち家族は嘔吐をなんとかしたいというよりも、すべてひっくるめてうまくつき合っていこうと思っています。
――退院して初抱っこしたときはどんな気持ちでしたか。
のん それまで病院では、「この日に抱っこします」と予約しないと抱っこできなかったんです。心拍を見て、看護師さんに見守られながら、恵愛をひざの上に乗せて、抱っこと言えないような抱っこをしていました。
でも家に帰ってきたら「そうか、もう勝手に抱っこしていいんだ。自分が抱っこしたいときにできるんだ」と思って。今なら大丈夫そうかなというときに、抱っこしました。抱っこしたときは、「なんか近いね。楽しいね、うれしいね」という感じ。恵愛もうれしそうにしていました。
――恵愛ちゃんは退院後に人見知りするようになったそうですね。
のん NICUではたくさんの病院のスタッフに囲まれていたので、それまでは人見知りはありませんでした。「だれを見ても一緒なのかな」とか、もっと言うと「私がお母さんだなんて認識していないかも」と思っていたんです。でも、退院して1カ月後あたりから、訪問看護師さんや訪問診療の先生が来ると泣くようになって、私が恵愛のそばに行くと泣きやむことがあって。お母さんという認識が進んできたのかなとうれしくなりました。
――恵愛ちゃんにとって、パパやお兄ちゃんたちはどんな存在なのでしょうか。
のん パパのことももちろん好きで、家族だという認識があるんだなと感じます。とても信頼している様子は見られるのですが、どうしても私じゃないとダメなときもあります。お兄ちゃんたちもよくかわいがってくれて、恵愛も大好きなようです。ただ、ニ男はまだ妹というよりも、ペットのように思っているみたいです(笑)
――今も通院はされているんですか。
のん 月に1回、通院しています。お薬が変わりないかとか、体重の増え具合などを見てもらっています。退院してから、検査入院以外で入院したことは1度もなくて、ずっと調子がいいので、看護師さんたちには「恵愛ちゃんは強いね。ご家族もよく頑張ってますね」とほめていただいています。
ただそこにいる一員として、普通に接してもらえたらうれしい
――のんさんは今、難病児・障害児・医療的ケア児家族の居場所づくりの活動をしていますが、どんな活動なのか教えてください。
のん 2022年12月から、岡山市を中心に「LeLien(ルリアン)」という名前で難病児や障害児、医療的ケア児とその家族を対象とした活動をしています。お子さんを14歳で亡くされたママと2人で立ち上げました。月に1回、訪問看護ステーションのフリースペースでお話し会をしていて、お話し会に参加できない方には、出張でもお話し会やイベントもしています。
活動の対象は、今お話しした障害児や医療的ケア児とそのご家族だけではなくて、子育て中の方や子育て経験のある方、その支援者や協力者の方、そしていちばん大事なのは、そういう方とご縁がない方にも、知っていただくために活動しています。幅広くいろいろな人に来ていただいて、1人でも多くの人の理解につながるようにと考えています。
「LeLien」は、フランス語で「縁、絆(きずな)、つながり」という意味です。この言葉のとおりに、出会ったお子さんやご家族とのつながりや縁、絆を大切にしていきたいと思っています。今頑張っているお子さんとその家族や、お空に旅立った天使たちもみんながつながっているというイメージで名づけました。なんでも話せて、情報共有できる居場所作りであるのはもちろん、どんな人でも参加できる場所になればいいと思っています。
――障害をもつ子や家族の方に、どう接していいかわからない人も多いようです。のんさんは、どのように接して、声をかけてもらえるとうれしいですか。
のん 本当に難しい質問です。人によって違うため、あくまでも“私が思う”こととしてしかお話しできないのですが、いちばん思うのは、ただそこにいる一員として、普通に接してほしいなということです。まったく存在しないかのように扱われたり、逆に好奇の目で見たり、腫れ物に触るかのように扱われるのは、やはりあまり気分がいいものではありません。
ただ、これは障害の有無にかかわらないと思いますが、困っている様子が見られたら「何か手伝うことはありますか」と声をかけていただけるとうれしいです。よく、「かわいい」って声かけてもいいですか、と聞かれることがあるのですが、私の場合は、気をつかわずに話しかけていただきたいです。
――大人よりも、意外と子どもの反応のほうが正直でいいかもしれませんね。
のん 本当にそうなんです。以前、小さいお子さんが恵愛を見て「怖い、お化けだー」って言ったことがあるんです。とても素直な反応で、不思議と嫌な気持ちにはなりませんでした。お母さんも「そんなこと言っちゃダメ」などと言わず、近くで見守っていらして。「お化けじゃないよ、人間だよ。見て、こうしたら笑うんだよ」と教えてあげたら、最後には「かわいい」と言ってくれました。
医療器具がついているので、お子さんが興味を持って恵愛のほうに来ると「(けがをさせたら悪いから)近づいちゃダメ」というお母さんもいます。でも、本当に危ないときはちゃんとお伝えするので、興味があれば、どんどん触れ合ってほしいです。いろいろな人がいて、いろいろな状況で生きている。それを知る貴重な機会を、大人が奪ってしまっているような気がします。
――これから、のんさんはどんな社会になっていってほしいと思われますか。何かメッセージがあればお願いします。
のん 不特定多数の方が見ているSNSでは、今までにも心ないコメントもたくさんもらいました。多様性の社会といっても、まだ障害児に対する根強い差別があるのだなと感じることもあります。それはやはり、人と人を「分ける」社会のあり方に問題があるんじゃないかなと思います。つまり、病気の人はこっち、健常の人はこっちというように、境界線を引いてしまっているのです。
一方で、配慮をしていただかないといけない部分もあるので、まったく境界線をなくしてしまうのも危険です。ただ、私たちのような障害児や医療的ケア児の家族は、決して特別扱いをしてほしいわけではないんです。
――特別扱いをしているのは、社会のほうかもしれませんね。
のん 特別扱いすることなく、こうした子どもたちが当たり前にそこにいて、ビクビクせずに普通に社会に出られるようになってほしいと思います。たとえばアニメやゲームに出てくるモブキャラにそういう子が普通に1人いるのでいいんです。変に優しくしなくてもいいから、同じ舞台にいることが当たり前であってほしい。
障害をもつ子のことを見て、マイナスの感情が出てきてしまうことがあったとしても、少なくとも否定をしないでいただけたらうれしいです。
「そういう子もいるんだな」と受け止めることができるようになるには、幼いころから「分ける」ことなく、そうした子と普通に触れ合って、当たり前に隣にいることではないでしょうか。
やはり人は、見たことがないものを珍しく思い、怖がってしまう面があると思います。いろいろな人がいて、1人1人が一生懸命生きている。やわらかい気持ちでそれを受け入れてもらえる社会になったらいいなと思っています。
お話・写真提供/のんさん 取材・文/樋口由夏、たまひよONLINE編集部
障害があってもなくても、みんな同じ舞台に立つ一員。主役であろうと脇役であろうとモブキャラであろうと、みんな1人1人大切な存在。だから当たり前に接してほしい。のんさんの強い気持ちが伝わってきました。「いろいろな人がいることを、やわらかく受け入れられる社会」という言葉が深く心に残り、そうありたいと強く感じました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
のんさん
PROFILE
2020年夏に生まれた第3子の恵愛ちゃんが骨形成不全症II型と判明し、その日々の成長の記録をSNSなどで積極的に発信。また、同じ志を持つママと岡山市を中心に「LeLien」という難病児・障害児・医療的ケア児家族が気軽に集える居場所づくりの活動をしている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2024年9月現在のものです。