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長男を1歳2カ月で亡くし、二女は先天性の医療的ケア児。「なんで自分ばかりが」と絶望した日々【先天性ミオパチー・体験談】

更新

生後2カ月、入院中の陽和子ちゃん。人工呼吸器やミルクを飲むためのチューブなどがつけられています。

沖縄県で暮らす楠田瑛子さんは、7歳と4歳の女の子、1歳の男の子を育てる母親です。瑛子さんは第1子を事故で亡くした経験があり、第3子の陽和子(ひなこ)ちゃんは先天性ミオパチーの一種のネマリンミオパチーと診断された医療的ケア児です。第1子の出産から、陽和子ちゃんの育児が始まるまでのことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。

待望の赤ちゃんを突然事故で亡くし・・・

和隆くん1歳の誕生日の記念写真。

瑛子さんは、友人の紹介で夫と出会い、2008年から交際を始め、2011年に結婚しました。

「夫は3人きょうだいの長男で私も姉がいるので、結婚当初から子どもは何人か欲しいね、と話していました。ただ私は多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)があり、排卵が安定しなかったため、排卵誘発剤を服用するなどの不妊治療をして、2014年に初めての赤ちゃんを授かりました」(瑛子さん)

当時、2人は静岡県に住んでいましたが、転勤の多い夫が青森県に赴任することになり、瑛子さんも一緒に引っ越しました。

「青森に引っ越した2日後、妊娠5カ月で切迫早産となってしまい、長期入院することに。その後妊娠32週で緊急帝王切開で長男・和隆が誕生しました。早産でしたが体重は2832gの赤ちゃんでした。医師が『32週にしては大きい』と染色体検査したところ、ベックウィズ・ヴィーデマン症候群(※1)という先天異常があることがわかりました。舌が大きく、半身が肥大する、という症状です。

舌が長いことでミルクを飲むときにむせやすかったりすることはありましたが、それ以外、子育ては普通の赤ちゃんとほとんど変わりませんでした。とってもかわいくすくすく育っていましたが、1歳2カ月を過ぎたある日、突然事故で亡くなってしまったんです」(瑛子さん)

その日職場にいた瑛子さんは連絡を受けてすぐに病院に駆けつけましたが、すでに和隆くんの意識はなく、心停止していました。

「あの日のことは忘れられません。1月の青森の肌を刺すような寒さの日。私が病院に到着したとき和隆は心臓マッサージを受けていましたが、息を吹き返すことはありませんでした。

和隆を失い、生きがいと希望を失いました。太陽を奪われたようで、毎日がただただ悲しくて苦しくて寂しい日々でした。生きていたくないとすら思ったけれど、自分の親には子を失う悲しみを味わわせたくありません。しっかり生きていかなきゃいけない、そんな思いで過ごしていました」(瑛子さん)

2人目を妊娠。「どんな子でも無事に生まれてほしい」

紗和子ちゃん4歳、陽和子ちゃん1歳。姉妹おそろいコーデがかわいいです。

長男を失った悲しみにくれながら、しばらくして瑛子さんはまた親になりたい、子どもが欲しいという思いを強くします。

「また生きがいや希望を持ちたくて、夫とたくさん話し合い不妊治療を再開しました。2人目の妊娠がわかったときには、『どんな子でも無事に生まれてきてくれればいい』と思いましたが、同時に不安もありました。生まれてくる赤ちゃんの成長を、和隆と比べて『あの子が生きていたらこれくらいかな』と重ねて見てしまうんじゃないか、と」(瑛子さん)

瑛子さんは2017年5月に長女・紗和子(さわこ)ちゃんを出産。「不安もあったけれど、その分しっかり子育てに向き合えた」と言います。

「紗和子との時間をなにより大事にしよう、もしきょうだいのことを考えるとしても、1歳を過ぎてからにしようと夫婦で決めました。紗和子が生まれるころ、夫の転勤で沖縄に引っ越すことに。あたたかくのんびりとして町の人もおだやかなこの場所がすっかり気に入って。私の実家は福岡、夫の実家は岐阜なんですが、いいところだからここに定住しよう、ということになり沖縄に家を購入しました」(瑛子さん)

赤ちゃんの泣き声が聞こえない

生まれてすぐ、こども病院のNICUに搬送された陽和子ちゃん。

紗和子ちゃんが1歳を過ぎ「もう1人子どもが欲しいね」と夫婦で話し合いました。そして瑛子さんは再び不妊治療を開始し、二女を妊娠します。

「3人目の妊娠ということと、子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)もあり、シロッカー手術(早産予防のため子宮頸管を縫う手術)を行っておなかの張りには細心の注意を払いながら過ごしました。そして妊娠36週の妊婦健診で羊水(ようすい)が多いとわかり、予定されていた帝王切開での出産を1週間早めることが決まりました。私は2回帝王切開をしていたので、羊水が多いままだと子宮が裂けてしまうリスクもあったからです」(瑛子さん)

2020年6月、第3子の二女・陽和子ちゃんが体重2694gで誕生します。しかし瑛子さんは、生まれたばかりの赤ちゃんと周囲の様子の異変に気づきます。

「取り上げられた赤ちゃんが泣かないんです。スタッフたちも、ものものしい雰囲気でバタバタしていました。手術台から見えた赤ちゃんは、じっとして動かず酸素マスクをつけられて何か処置をされていました。

先生から『赤ちゃんの状態がよくないから呼吸器を挿管して搬送しますね』と言われました。私は麻酔が効いてもうろうとしながら『生きてるんだ、よかった』と思った気がします。でも、もしかしたら生まれた日が亡くなる日になってしまうのかな・・・そんなことも一瞬脳裏をよぎりました」(瑛子さん)

陽和子ちゃんは、瑛子さんが出産した病院から車で10分ほどの場所にある、こども病院のNICU(新生児集中治療室)に搬送されました。

「出産のときには、夫が紗和子を連れて手術室の外で待っていたんです。生まれてすぐの妹を紗和子と一緒に迎えたかったけれど、かないませんでした。夫は紗和子を急きょ保育園に預け、二女が搬送された病院へ行って入院手続きをしたり、医師から話を聞いたりしてくれました。

私が、麻酔から意識が戻ったのはその日の午後。当たり前のように元気な子が生まれてくると思っていたから、どういうことかもさっぱり理解ができませんでした。とにかく搬送された二女が助かってほしい、その一心でした。二女の病院にいた夫と電話をして『もしかすると何かあるかもしれない、できるだけ早く生きている証しを残したい』と話し合い、夫はその日のうちに出生届を出しに行ってくれました。妊娠中に考えていたいくつかの候補から、“もし病気があっても明るく乗り越えてほしい”と、“陽和子”と名づけました」(瑛子さん)

再び感じた大きな絶望

NICUに入院中、生後1カ月を過ぎた陽和子ちゃんを抱っこする瑛子さん。

瑛子さんは産後3日目に、産後入院中の病院から、陽和子ちゃんが入院している病院へタクシーで面会に行きました。

「陽和子がどういう状態でいるかはっきりとはわからず、一刻も早く会いたくてたまりませんでした。おなかの傷の痛みを感じないくらい必死で、搾乳した母乳を持って会いに行きました。NICUの小さなベッドにいた陽和子は、いろんな管やコードにつながれた状態。『これはただ事じゃないな』と思いました。その日は気管内挿管をしていなかったので、抱っこをして陽和子が泣く声を聞くことができました。弱々しく小さいけれど、とってもかわいらしい声です。

長男も早産で同じように呼吸器などがついていたことを思い出し『そのうちはずれるだろう』と思っていました。でも陽和子は自発呼吸が難しく、生後1週間後くらいからはずっと呼吸器を挿管したままになりました」(瑛子さん)

陽和子ちゃんが生後2週間になったころ、瑛子さん夫婦は医師から説明を受けました。

「医師の話では、陽和子の状態は『心臓や脳、腹部はエコーでみても異常なし。筋緊張が低いこと、自発呼吸が弱いこと、えん下ができないことから筋肉の疾患の可能性がある』とのことでした」(瑛子さん)

第1子の和隆くんを事故で亡くした瑛子さん。陽和子ちゃんに病気がある可能性が高いとわかり、再び大きな絶望を感じたといいます。

「医師からの話を聞いて、率直に『嫌だ』と思ったんです。『うそであってほしい』という気持ちと『なんで自分ばっかり・・・』という気持ちもありました。どうしたらいいのか、どうやって育てていくのかもわかりません。もしかしてずっとこの子につきっきりで、自分のやりたいこともできずに私の人生も終わってしまうのかな、とも思いました。

夫はあまりくよくよ考え込むタイプじゃないので『それが現実なら受け入れるしかないよ』と言っていたと思います。でも、冷静に受け入れるしかないと言われても・・・。時間がかかる、と思いました。いまだに受け入れきれていないのかもしれません」(瑛子さん)

在宅医療をしながらの子育てがスタート

陽和子ちゃん生後4カ月。自宅で退院の記念撮影を。

陽和子ちゃんは心臓や脳、腹部には異常がありませんが、自分で呼吸がうまくできず、えん下もできないので口からミルクを飲めない状態でした。

「生後2カ月を過ぎた2020年8月、在宅医療に向けて、呼吸のための気管切開と、食事のための胃ろう造設と、胃から食道への逆流を防ぐための噴門形成術をまとめて行いました。たくさんの手術で大変でしたが、陽和子はとても頑張ってくれました。

その手術が終わったころから、病院で在宅医療に向けての練習を始めました。吸引器を使って鼻水とたんを吸引する練習と、胃ろうに栄養チューブをつないで食事を摂取する練習。あとは医療機器の使い方などです。退院時には、在宅用の人工呼吸器、吸引機、経管栄養セット、酸素濃縮器など持ち帰りました」(瑛子さん)

陽和子ちゃんが退院し、家族と一緒に過ごせることになりましたが、瑛子さんは24時間の医療的ケアが必要な生活に最初は戸惑ったといいます。

「初めは医療機器の使い方もよくわからないし、どうしてアラームが『ピーピー』と鳴るのかもわからず、アラームが鳴るたびにドキドキしていました。陽和子に対して何をしたらいいかもわからなかったから、ベッドの横にただ座ってじっと見たりしていました。

退院してからしばらくは、訪問看護と訪問介護を受けて、それ以外の時間は主に私がケアする形でした。訪問看護師さんに『今、たぶんたんがたまってるから吸引したほうがいいよ』などタイミングを教えてもらいながら少しずつ陽和子との生活に慣れていきました」(瑛子さん)

お話・写真提供/楠田瑛子さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編 

苦しい経験と向き合いながら子育てをしてきた瑛子さん。当時の思いを、涙ぐみながら少しずつ話してくれました。

後編の内容は陽和子ちゃんが先天性ミオパチーの一種のネマリンミオパチー(※2)と診断されたことや、きょうだいとのこと、瑛子さんの仕事への思いなどについてです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

※1/ベッグウィズ ヴィーデマン症候群は、巨舌、腹壁欠損(臍帯ヘルニア、腹直筋解離、臍ヘルニア)、過成長を三主徴とする先天奇形症候群である。約15%の症例で肝芽種、横紋筋肉腫、Wilms腫瘍など胎児性腫瘍が発生する。(難病情報センターHPより/2025年1月)

※2/先天性ミオパチーは、骨格筋の先天的な構造異常により、新生児期ないし乳児期から筋力、筋緊張低下を示し、また筋症状以外にも呼吸障害、心合併症、関節拘縮、側弯、発育・発達の遅れ等を認める疾患群である。骨格筋の筋病理像に基づき、特徴的な所見からネマリンミオパチー、セントラルコア病、マルチミニコア病、ミオチュブラーミオパチー、中心核病、先天性筋線維タイプ不均等症といった病型分類がなされる。(難病情報センターHPより/2025年1月)

難病情報センターHP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年1月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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