順調だったはずの妊娠生活が、妊娠23週で緊急帝王切開に。体重631gの小さな赤ちゃんはたくさんの問題を抱えて…~スウェーデンでの医療的ケア児ママの育児~
妊娠・出産では、ときに予測しない事態が起こることがあります。スウェーデン人と結婚し、2018年に長男を出産したゆきさんもその1人。順調と言われていた妊娠23週に突然出血し、緊急帝王切開で長男を出産しました。出産後、長男は脳出血、水頭症(すいとうしょう)などを発症し、医療的ケア児に。現在は、スウェーデンに移住し、夫と医療ケアが必要な長男、そしてスウェーデンで生まれた二男と暮らすゆきさんにお話を聞きました。全2回インタビューの前編です。
妊娠23週の早朝、まさかの出血。ドクターヘリで搬送され、緊急帝王切開に
長野県で生まれ、日本留学中のスウェーデン人と出会い、2016年に結婚したゆきさん(29歳)。結婚後1年と少したった2018年、妊娠が判明しました。ゆきさん夫婦にとって、初めての妊娠です。
「妊娠経過は順調で、とくに問題なく定期的に受診をしていました。初めての妊娠ということもあり、『順調』と言っていただけるのが本当にうれしかったです。
ただ、スウェーデン人の夫の帰国時期が迫っていて、出産予定日ごろは、夫はスウェーデンに帰っている時期だったんです。なので、出産を日本でしようか、夫のいるスウェーデンでしようかと迷っていた時期もありました。
ビザの関係もあり、夫は先に帰国。私は自分のビザの手続きを進めつつ、夏ごろからは実家に里帰りする形で、妊婦生活を送っていたんです」(ゆきさん)
夫と遠距離生活が始まり、さみしさはあったものの、順調だった妊娠生活。しかし、妊娠23週4日の早朝、驚くことが起きたのです。
「早朝5時くらいだったでしょうか、おなかの痛みで目が覚めました。そして、パッと見て、出血していることがわかったんです。受診していた産婦人科は個人産院だったので早朝の対応は難しいかなと思い、総合病院に電話をすると『取りあえず来てください』と。
母の運転する車に乗って病院へ向かったんですが、そこで言われたのは『妊娠23週だと、おなかの赤ちゃんはギリギリ助かるかどうかの瀬戸際。ここよりも、長野県立こども病院のほうが専門医も多いし、周産期医療もしっかりしています。ここからだと、車で行くには遠いので、ドクターヘリで行きましょう』と。
突然のことで驚きましたが、私はとにかく赤ちゃんを助けてもらわなくちゃ、という思いでした。ただ、その日は霧がすごくて、すぐに飛び立つことができないと言われ、『どうしよう、どうしよう』と思いながら、何時間かを過ごしました。
ようやく霧が晴れた一瞬をねらって、ドクターヘリに乗せてもらって、長野県立こども病院へ向かい、受診したところ、『少し陣痛が始まっている』と言われ、張り止めの注射を打ったり、点滴をしたりしていたのですが、医師から『もうこれは帝王切開をしたほうがいいと思います』と言われました。
私は不安と赤ちゃんへの申し訳なさから、『なんでこんなことが起きてしまったんだろう』と、自分自身を責めることしかできなくて。先生や看護師さんたちは『ママのせいではないからね』と言ってくれるんですけど、じゃあ、だれにこの気持ちをぶつけていいのかもわからないし、やっぱり自分のせいな気がして…。
そのころには、車で追いかけてきてくれた父と母も到着して、医師の話を一緒に聞いてくれていたんですが、私はただただ自分を責め、でもおなかの赤ちゃんを助けてほしいという気持ちでいっぱいで…頭の中はもうぐちゃぐちゃでした。
帝王切開を受けるのに、いくつもの書類にサインをしなくちゃいけないんですが、説明してくれている医師や看護師の言葉もほとんど入ってこないんです。なんか自分のことじゃなくて、他人の話を聞いているような感覚。でも、とにかくこの子を助けてもらわなくちゃという一心でサインをしていました。
サインをする手も震えていて、本当にミミズのはった跡のような字でしたが、必死に文字を書いたのを覚えています」(ゆきさん)
こうして、緊急帝王切開により、長男・マティアスくんが誕生。2018年の秋のことでした。出生時の体重は631g、生まれて3日後にようやく測ることができた身長は30cm。小さな小さな赤ちゃんでした。
脳出血、水頭症、未熟児網膜症…。次から次へと出てくる課題に、毎日が勝負
こうして生まれたマティアスくんですが、予断を許さない状況が続きます。
「とにかく毎日が勝負みたいな感じでした。1日生きて、3日生きて、1週間生きてっていう感じで、いっぱい山を乗り越えなくてはいけない。もう1日1日が本当に一生懸命で、1つ1つ出てくる課題を1つ1つこうしようと決心して…ということの連続でした。
まず、生後すぐに脳出血がわかりました。脳出血のレベルも心配でしたが、脳出血は水頭症(すいとうしょう)※1のリスクも高まると言われました。また、未熟児網膜症(みじゅくじもうまくしょう)※2の可能性もある。あとは、肺が未熟なので、慢性肺疾患もある…。もちろん1日1日成長しているんですが、そのたびにわかることも多かったです。
スウェーデンで働いていた夫も、出産の一報を聞き、急いで来日してくれました。これから起こる可能性のある疾患についての説明を一緒に聞けたのは、心強かったです」(ゆきさん)
※1 脳にある脳室内に髄液がたまり、脳室が拡大する病気。脳室が拡大すると、脳が圧迫され、さまざまな症状が現れるようになる。
※2 早産で生まれたことにより、成長途中だった網膜の血管が異常増殖する病気。進行程度によって、弱視、斜視(しゃし)、強い近視、白内障(はくないしょう)、緑内障(りょくないしょう)、網膜剥離(もうまくはくり)などいろいろな視力障害が起き、重症だと失明することもある。
マティアスくんは、毎日が闘いで、それを家族は必死の思いで見守るしかない――。そんな状況の中、ゆきさんは産後1週間で退院することになります。
「私が出産し、マティアスが入院していた長野県立こども病院は、自宅から車で約1時間半の場所。退院後は、毎日マティアスに会うため、往復3時間かけて病院に通いました。
退院後1週間は母が運転してくれる車でマティアスのところまで通いましたが、母も仕事をしていたし、夫も仕事のため滞在1週間でスウェーデンに帰らなくてはならなかったので、ドクターに運転の許可を取り、そこからは1人で。
悪露(おろ)も続いていたし、帝王切開の傷もまだズキズキ痛みがありましたが、マティアスのために自分ができることはそれぐらいしかないと思って。会いに行ってパワーをあげるというか、会いに行くことが私の役目で、それぐらいしかできることはないと思っていたので、必死でしたね。
マティアスの保育器のそばで過ごしながら、合間に搾乳したり、手を握ったり。ただ、最初のうちはなんだか話しかけることもできずにいました。自分を責めてばかりいて、自分の気持ちとして話しかけてあげられなかったんですよね。本当に、徐々にわが子に話しかけられるようになった、という感じでした」(ゆきさん)
そして、夫が日本にいる間に、「マティアス」というすてきな名前も決まりました。
「出産したのが妊娠23週で『そろそろ名前を考えようかな』くらいのとき。性別についても妊娠中は『多分、男の子だとは思うけど、はっきりしないね』という感じだったので、生まれたときにはあまり考えてなかったんです。
夫がいろいろ候補を考えてくれて、その中にあったのが、スウェーデン語で『神様からの贈り物』みたいな意味がある『マティアス』という名前でした。
実は私、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)※3で、妊娠できるかどうかわからないという状態だったんです。そんな中、マティアスが来てくれたので、本当に贈り物みたいだなって思っていて。だから、この意味がいいと感じて、『マティアス』という名前に決めました」(ゆきさん)
※3 卵巣に、液体で満たされた袋状の嚢胞(のうほう)が多数あり、卵巣が腫れて大きくなる病気。不妊の原因になると言われている。
そうやって、ママとパパからすてきな名前を授かったマティアスくん。体のほうは、さまざまな病と闘っていました。
「脳出血後しばらくしてからのことです。病院では、定期的に頭の大きさを医師が測ってくれていたんですが、医師に『脳が大きくなり始めている』と言われました。つまり水頭症の可能性が高いということです。検査をしてみたら、やっぱり頭に髄液がたまっていて、そのときは、『すぐに手術ということではないけれど、定期的に見なくてはいけない』というお話でした。
体が小さいので、最初はたまっている髄液の量は少なかったのですが、マティアスの体が成長していくにつれて、たまった髄液の量も増えていって…。結局、生後4カ月のときに、水頭症の VP シャント術※4という手術を受けました。
※4 たまった髄液を腹腔内に流すために、脳室に細いチューブを通し、体の中にチューブを埋め込む手術。
その手術までの間にも、未熟児網膜症のレーザー治療を受けたり、肺気胸(はいききょう)で生死をさまよったり…、日に日に成長はしていくのですが、安心できるまでには、時間がかかりました」(ゆきさん)
産後2週間目という産褥(さんじょく)期から、往復3時間の道のりを自ら運転して病院に通い、たくさんの病気と闘うわが子に寄り添い、励ましてきたゆきさん。支えになってくれるはずの夫は、仕事の都合上スウェーデンにいて、いつでもすぐに話をできる状態ではない…。どんなにか不安だったことでしょう。
「夫とは物理的な距離もあるし、時差もあるので、気軽に電話で相談もできない状況で、心細かったですね。実家にいたので両親に相談はするんですけど、ぐちゃぐちゃになった自分の気持ちをぶつけてしまいそうな感じがして、すべては打ち明けられなかったです。だれを頼っていいのか…みたいな感じで、悩んでいました。
マティアスのことで毎日精いっぱいだったんですが、やっぱり早くに出産してしまったということで、ずっと自分自身を責めてしまっていたんですよね。周囲からは『多分、産後うつじゃないかと思うから受診したほうがいい』と言われていたんですが、とにかく自分のことは後回しで、やっぱり入院しているマティアスに会いに行かなきゃ、会いに行かなきゃ!と、その思いばかりで過ごしていました」(ゆきさん)
こうしてマティアスくんが過ごした入院生活は約6カ月。経鼻経管栄養ではありましたが、体にちゃんと栄養を送ることができ、体重も3000gを超えていました。
「水頭症の手術も終わり、経鼻経管栄養でちゃんと栄養も取れているから、心配もなくなったね!と言われて、退院が決まりました。
ただ、退院はうれしい半面、不安も大きくて。病院にいたら、医師や看護師さん、保育士さんなど、たくさんの目がありました。そんな第2のパパやママのような人がいっぱいいたのに、これからは私1人。私の両親も一緒に住んではいるんですけど、2人とも現役で働いているし、ケアするのは私だけ。
入院中はモニターもたくさんついていて、モニターを見ながら『ああ、生きてる。大丈夫』みたいに思っていたのに、これからはそういうモニターもいっさいない。やっぱり不安ですよね。
だから退院してからは、ちゃんと呼吸しているか心配で心配で。夜も何度も起きて『あ、呼吸してる。大丈夫、寝てるだけ』って確認する日々が、何カ月も続きました」(ゆきさん)
お話・写真提供/ゆきさん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部
穏やかに妊婦生活を送っていたのに、妊娠23週で急な出産。小さな赤ちゃんが闘う様子に寄り添い、心配する日々。頼りにしたい夫は遠い外国にいて、何でも自分1人で頑張らなくちゃいけない――。どれほど心を痛め、どれほど不安で、そして追い詰められた日々だったのか、想像を絶します。それでも、赤ちゃんのためにと頑張り続けたゆきさんは、マティアスくんにとって、家族にとって、かけがえのない存在ですね。後編では、マティアスくんの退院後の成長や、スウェーデンでの生活と育児について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。
ゆきさん PROFILE
長野県生まれの29歳。留学中のスウェーデン人と日本で出会い、結婚。2018年に妊娠23週4日で緊急帝王切開にて長男を出産。産後、長男は脳出血、水頭症などを発症し、医療的ケア児に。2020年にスウェーデンに移住し、2021年にスウェーデンで二男を出産。現在はスウェーデン在住で、夫と6歳の長男、4歳の二男と暮らしながら特別支援学校で働くママ。
参考文献
日本小児神経外科学会「水頭症」
厚生労働省「低出生体重児保健指導マニュアル~小さく生まれた赤ちゃんの地域支援~」
日本産婦人科学会「多のう胞性卵巣と言われました。どのような病気ですか」
大阪母子医療センター 脳神経外科「VP(脳室・腹腔)シャント」
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年2月現在のものです。