「先天性ミオパチー」の長女の子育てに向き合う、元TBSアナ・高野貴裕。「妻と話していることは、謝らない育児をする」ということ
元TBSアナウンサーの高野貴裕さんは、2011年に妻で俳優の星野真理さんと結婚。現在9歳になる娘のふうかさんは、2歳のときに国指定難病「先天性ミオパチー」と診断されました。高野さん一家は2024年秋からふうかさんのInstagramを始め、日常の様子を発信しています。ふうかさんの成長の様子や、情報発信することへの思いなどについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。
言葉の発達が早かった!
――娘のふうかさんは2歳で「先天性ミオパチー」の一種「中心核ミオパチー」と診断されたそうです。病名がわかり、夫婦でどんなことを話し合いましたか?
高野 先天性ミオパチーは遺伝子の変異によって10万人あたり3.5〜5人に起きる障害だそうです。だれが悪いわけでもなく、どうしようもできないこと。障害児を育てる保護者は「障害のある子に産んでしまって申し訳ない」という気持ちをもつ人が少なくありません。自分を責めてしまう気持ちはとてもよくわかります。
とくに母親は、おなかの中で育てて、痛みを伴いながら産んだからこそ、父親よりも責任感やプレッシャーを感じると思います。だから、娘の病気がわかったとき、妻には「謝ることはやめよう」と伝えました。「障害児として産んでしまったと謝ることせずに堂々と子育てしよう。一緒に娘を愛しましょう」という気持ちでした。
だって、僕たちの娘は生きているのですから。むしろ障害があるからこそ、堂々と生きてほしい。生まれもった障害はある種の特性のようなものだととらえて、自信を持ってつき合っていってほしいし、僕も娘のためにできる限りのことはしたいと思いました。
――ふうかさんの発達の様子はどうでしたか?
高野さん(以下敬称略) 「先天性ミオパチー」は非常に筋力が弱い症状があり、医師から娘の場合は「成長速度は人より非常に遅い」と説明を受けました。現在も首がすわっておらず座位を確保できない状態なので、抱き上げる際には介助者による首のサポートが必要ですし、電動車いすに乗る際には首あてクッションや胸と腰のベルトをつける必要があります。
首がなかなかすわらなかった生後3~4カ月ごろから発達の遅れは感じていて、生後6カ月ごろに先天性ミオパチーが疑わしいと言われたことから、確定診断が出る前から療育施設に通い、寝返りや座位保持を保つ練習などを行いました。僕も妻も一緒にリハビリを見せてもらい、家庭ではどうやってサポートしたらいいかを学びました。
――言葉の発達はどうでしたか?
高野 療育施設で、言葉の発達のための知育遊びや音楽遊びも行っていました。娘は、言葉の発達は早かったです。親バカ発言ですが、すごく頭がいいんだと思います(笑)
親としては、娘は自分で動けない分、言葉でプレゼンテーションする力をつける必要があると思い、2〜3歳のころからいろんなことを説明して話しかけることを心がけてきました。娘の障害のことについても、そのころから「筋力が弱い障害があるんだよ。性格のようなものだから恥じることはないし、むしろあなたの強みなんだよ」と伝えてきました。そんなこともあってか、娘は早い時期から人の話をよく聞いて、自分の言葉で説明できるようになりました。
――今現在のふうかさんは、どのような医療的ケアが必要でしょうか。
高野 幼稚園に入る前くらいから、寝るときだけ人工呼吸器を使用していました。筋力が弱いために、呼吸をする力もアシストが必要になることがあるためです。8歳を過ぎてからは、就寝時のほかに、日中の息苦しさを感じるときなどにも使用しています。
また、風邪をひいたりすると急激に悪化してしまうので、酸素吸入をしたり、鼻水やたんの吸引が必要になることがあります。そういうときは、鼻からカテーテルを入れて吸引します。でも最近は体調がすこぶる良好。小学校に入ってからだいぶ体力もついてきました。電動車いすも自分で操作しています。
前例がなかった肢体不自由児の入園。娘が切りひらいた道
――幼稚園などの集団生活の状況はどうでしたか?
高野 たまたま縁があって、ある私立幼稚園の面接を受け、共同教育(※1)の一環として入園することができました。面接で娘が先生と直接話をしたところ、「ふうかさんは動けないけれどサポートの先生をつければ幼稚園で一緒に過ごせるね」と言ってくれたんです。それまで肢体不自由児が入園した前例はなかったそうで、そんなふうに娘が自分で道を切りひらいたことが、親としてはとても誇らしかったです。
その幼稚園は子ども主体の教育方針を取っていて、たとえばけんかをしたらまずは子どもたち自身に解決を任せることを大切にしていました。先生たちは距離感を取って見守ってくれ、サポートしてくれました。この幼稚園で過ごした3年間が、娘を強く成長させてくれたと思います。
――ふうかさんは現在小学校の支援学級に通っているそうです。通学の状況はどうですか?
高野 公立小学校の肢体不自由特別支援学級に通っています。支援学級は登下校の送迎サービスがあり、本当に助けられています。娘は学校で過ごす時間の半分は通常級で学び、体育などのときは支援学級で過ごしているようです。
通常学級で過ごす時間が短いので、娘もなんとなく通常級の授業に参加するときに遠慮があるようです。ほかのお友だちからしても、お客さん扱いの雰囲気があるようで、娘は少し寂しく感じているかもしれません。知的障害のない娘にとっては、通常級の子どもたちがわちゃわちゃと遊んでいるなかで会話することはとても大事だと思うのです。その価値観の中で学ぶこと、鍛えられることがたくさんあるはず。だから今後、もっと公立小学校のインクルーシブ教育が進むことを強く願っています。
自分の特性を発信したら、だれかの手助けになるかも
――高野さん夫妻は2024年秋にInstagramを開設し、ふうかさんの病気について公表しました。どのような思いがありましたか?
高野 ふうかが生まれ、先天性ミオパチーという珍しい障害があるとわかってから子育てをする中で、僕たち家族と同じような境遇で不安を抱えている人たちに出会ってきました。障害や難病のある子育てで不安を抱えるのは、情報が少ないからだと思ったんです。どうやったら不安を抱える人に必要な情報が届くのか、妻と一緒にずっと考えていました。
同時に、ふうかが小学校に入学したくらいのころから、夕食のときなどに「人にはなくてふうかにしかできないことって何だと思う?」といった話をすることが何度かありました。家族で話し合う中で「自分の特性や生活を人に伝えることで、同じような障害のある子たちの手助けになるんじゃないかな」と娘からの意見がありました。そこで、どんな方法から始めるのがいいかを考えて、Instagramで娘の日常を発信することにしたんです。
――情報発信する上で気をつけていることは?
高野 まず始めるにあたって、娘自身が文字が書けるようになり、理解できるようになり、ある程度のメディアリテラシーを理解してからにしよう、と。その上で発信したことがあれば親の僕たちが手伝う、というスタンスです。
基本的に文章を書いているのは妻と僕ですが、娘自身もコメントを入れるようにしています。そして、投稿をアップする前には必ず家族全員で内容を読み、公開していいかどうかを確認することも気をつけています。今後は、娘が自分ですべて発信できるようになってほしいですね。
――ふうかさんの情報発信によって、どのような声が届いていますか?
高野 応援してくださる声や、僕たちと同じような立場の方々からの共感の声を多くいただいています。私や妻のように人前に出る仕事をする人が発信をすることで、スペシャルニーズの人たちが暮らしやすい世界が広がるといいな、という期待もいただいています。
僕たちが発信する情報が必要な人に届いて、だれかの希望やヒントになっていたらとてもうれしいです。
夫婦で社会福祉士の資格を取得。これからめざす道は
――高野さん夫妻は2人とも社会福祉士の国会資格を取得したそうです。その理由について教えてください。
高野 娘に障害があるとわかって障害児の子育てが始まったころ、僕たちはさまざまな壁にぶつかりました。まず、行政に支援を求めたいとき、どの窓口で相談するのか、どんな申請が必要なのかなど、アプローチ方法を自分で探すことから始まりました。だれも教えてはくれないのです。
さらに支援を申請する際にも、窓口が一本化されていないため、あちこちの窓口で何人もの担当者に状況を説明する必要がある。必死で助けを求めても、なかなか支援を受けることができない壁にぶつかりました。
これまでの娘の子育てで医療的ケアや就学、地域からのサポートなど、助けてもらったことはたくさんあり、本当に感謝しています。一方で、私たち家族が初めのころにそうだったように、なかなか支援につながらず、取り残されてしまうことがあるということについてなんとかしたいという気持ちがありました。
社会福祉士(ソーシャルワーク)は福祉や医療の相談援助を行う専門職です。この資格を取ることによって、包括的にケアをするための資源をつなぎ合わせることができるのでは、と。その上で、必要な人に情報を届けたいと考えて、2024年に妻と一緒に資格を取得しました。
――1月でTBSを退社した高野さん。今後はどんな活動をする予定ですか?
高野 まずは、家族で立ち上げた「wappo」という任意団体の活動に取り組みたいです。“私たちの一歩”、略して「wappo」と名づけた活動です。僕たち家族と同じように、障害のある子の家族のための情報を発信していきたいですし、少しでも課題を改善していきたいと思っています。
――高野さんが家族に向き合うときに心がけていることはありますか?
高野 家族がいつも笑顔でいられるように、おもしろいことを見つけようとしています。生活にもエンターテインメント性を大事にして、家族との時間を思いっきり楽しみたいです。ただ、以前節分の鬼役をやったときには、張りきりすぎてズボンのおしりの部分が破れてしまったこともありました(笑)。それもいい思い出です。
お話・写真提供/高野貴裕さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
「夫婦げんかをすることは?」の質問に、「けんかはいっさいないけれど、妻から洗濯物のたたみ方やゴミ出しのしかたを注意されることはよくあります(笑)」と高野さん。高野さん夫妻がとても仲よしなことが想像できるインタビューでした。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
高野貴裕さん(たかのたかひろ)
PROFILE
1979年生まれ、福島県いわき市出身。青山学院大学文学部仏文科卒業後、2003年アナウンサーとしてTBSに入社。報道・情報・バラエティなど、幅広いジャンルのテレビ番組へ出演。2011年結婚、2015年第1子女児が誕生。2025年1月末でTBSを退社し、障害のある子どもと家族のために福祉情報を発信する団体「wappo」の代表を務める。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。