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2025年1月に愛娘・ワカチ子ちゃんが誕生したお笑い芸人・ゆってぃ。「嫁ってぃ」は2度の流産、不妊治療をへて体外受精1回目で妊娠

更新

年男ゆってぃさんの誕生日の日。ワカチ子ちゃんと一緒に。(ゆってぃさんInstagramより)

「スーパーアイドルゆってぃ」として活動している、お笑い芸人でタレントのゆってぃさん。お笑いの世界に飛び込んで30年。コンビやトリオをへて現在はピン芸人として活躍しています。2022年3月には45歳で、タレントで元グラビアアイドルの石川あんなさんと結婚。芸人を志したきっかけから、あんなさんとの出会いまでユーモアを交えて楽しく話してくれました。
全2回インタビューの前編です。

芸人になってすぐは、コンビやトリオで正統派芸人をめざしていた

静岡の青葉おでん横丁にて。(ゆってぃさんInstagramより)

――芸人さんとして活躍中のゆってぃさん。小さいころからお笑い芸人になることが夢だったのでしょうか?

ゆってぃさん(以下敬称略) 幼いころからとんねるずさんが好きで、テレビを見ては漠然としたあこがれを持っていまいした。小学生の卒業文集にも「とんねるずさんみたいになりたい」と書くくらい好きでした。お笑い芸人になりたいというよりも、“テレビに出る人になりたい”という感情を抱いていました。

――お笑いをめざしたのはいつごろからで、どのようなきっかけがありましたか?

ゆってぃ 高校のときの友人がお笑い好きで、一緒にお笑いをやろう誘ってくれました。その友人が見つけてきてくれたのが、今の所属事務所でもある人力舎のスクールです。そこから相方と2人で本格的にお笑いをめざすことにしましたが、そのコンビは僕が26歳のときに解散しました。その友人は現在、別の業界で働いていて、誘われたほうの僕が今もこうして人力舎でお笑い芸人をやっています。人生って不思議ですね。

――その友人とのコンビを解消してからはどうしていたのですか?

ゆってぃ ピン芸人として活動するという気がまったくなかったので、紹介してもらった人とコンビを組んだり、3年間、ひと笑いもとらないトリオをやったりしていました。その時期のことを振り返ると、よくメンタルをたもてていたなと感じます(笑)

――当時はなぜ、ピン芸人で活動することを視野に入れていなかったのでしょうか?

ゆってぃ 当時の心境としては、お笑いは好きだから続けたいけれど1人でやる勇気はなかったので、ピンで活動するという発想にもいたらなかったです。僕の中でお笑い芸人は、相方が隣にいて成立するものだと考えていました。

「人力舎のくせに本気で売れようとしているヤツがいる」とうわさに

「それ!ワカチコ!ワカチコ」というフレーズは一度聞くと忘れません。(ゆってぃさんInstagramより)

――そこからどういう経緯でピン芸人“ゆってぃ”が誕生したのでしょうか?

ゆってぃ 30歳でトリオを解散しました。当時は30歳まで芸人やって芽が出なかったら辞めたほうがいいという雰囲気があったので先代の社長に、「もう辞めます」と言いにいきました。すると社長に「ピンでやればいいじゃないか」と簡単に言われ、その社長命令のもと、1人で活動することになったんです。しかし、1人で漫談をしていてもなかなか芽が出ず、当時のマネージャーからも「そんなんじゃ売れない」と一蹴されました。そこからまわりの人たちに相談しながらキャラクターを作ることにしました。

――そこで「スーパーアイドルゆってぃ」というキャラクターが誕生したわけですね。そのころの気持ちも聞かせてください。

ゆってぃ 「ゆってぃ」という名前が誕生したのは31歳のときなので、今から17年前です。アンタッチャブルの山崎さんが名づけてくれました。当時人気だったお笑いの番組に初めて出演したときに自分の名前のクレジットを見て、「俺、“ひらがな”なんだ」と思いました(笑)。自分の中では「ユッティ」だと思っていたので驚きました。
自分がお笑いをめざしたころにやりたかったお笑いのスタイルとは180度違いますが(笑)、まわりの人の協力のもと、今の芸風が誕生したことはたしかです。

――当時、事務所の先輩に言われた言葉で印象に残っているものがあれば教えてください。

ゆってぃ 初めてネタを披露したときに、舞台袖で見てくれていた東京03の飯塚さんに「人力舎にいないタイプだから目立っていいよ。このまま続けたほうがいい」と言われた一声が、今も忘れられません。人力舎の芸人はネタをしっかり作り込むタイプの方が多いので、たしかに僕のスタイルは異質だったかも。でもそれを認めて「続けたほうがいい」と言ってくれたときはうれしかったです。飯塚さんの言葉がなかったら、ゆってぃというキャラクターはすぐに辞めていたと思います。
おぎやはぎの矢作さんも「人力舎のくせに本気で売れようとしているヤツがいる」と僕のことをいろんな現場で話してくれていました。それを聞いた番組のスタッフさんが面白がって声をかけてくれるようになりました。矢作さんにも感謝です。

妻の“嫁ってぃ”こと、あんなさんとは年齢差も感じず、趣味の話で意気投合!

嫁ってぃこと、妻の石川あんなさんと。(ゆってぃさんInstagramより)

――妻のあんなさんとの出会いのきっかけ、そして最初の印象を聞かせてください。

ゆってぃ 僕の『ゆってぃ食堂』というYouTubeの番組にゲストで来てくれたのがきっかけです。ゲストは毎回、番組のプロデユーサーさんが選んでいるので、僕は当日まで知りません。その日も番組が始まる前にあいさつしたのが初対面でした。あくまでも自分の番組に来てくれたゲストさんとしか考えていなかったので、グラビアアイドルをされている方なんだな・・・、くらいの印象しかありませんでした。

――そんなあんなさんが、ゆってぃさんの人生のパートナーになった経緯を教えてください。

ゆってぃ 番組の撮影が終わって帰るとき、プロデューサーさんが車で送ってくれることになりました。妻も一緒に渋谷まで乗せてもらうことになったのですが、プロデューサーさんが勘違いをして、新宿に車を走らせてしまったんです。そこで僕がプロデユーサーさんに突っ込みを入れたところ、車内の雰囲気が一気になごみ、そこからの移動時間はプライベートな話もするようになりました。

――どんな話をしたのですか?

ゆってぃ サッカー観戦が好きなことや、ランニングも好きで登録しているアプリも一緒だったことから距離がぐっと縮まりました。そこから連絡するようになりました。妻は僕がバラエティー番組に出演していたころ中学生でした。初めて会ったときは「あのゆってぃだ!」という感覚だったようです。

――あんなさんとはひと回り以上歳が離れているかと思いますが、つき合った当初は年齢差を感じることはありましたか?

ゆってぃ 年齢差は最初からまったく感じていません。それくらい趣味の話で盛り上がっていたので。つき合ってすぐに結婚も意識していました。自分の中で45歳までに結婚をしたいなと思っていたので。

――なぜ45歳だったんでしょうか?

ゆってぃ おぎやはぎの矢作さんや、事務所のほかの先輩も45歳で結婚した人がいて、なんとく自分も45歳までに結婚しないとヤバいなって感じていました(笑)。この話は妻にも話していたので妻も結婚を意識してくれていたかもしれません。

2度の流産、不妊治療をへて、「嫁ってぃ」あんなさんが妊娠。

「ゆってぃ衣装」でマタニティフォトを撮影。(ゆってぃさんInstagramより)

――すぐに赤ちゃんをほしいと思っていたのでしょうか?

ゆってぃ 子どもは早めにほしいなと思っていたので結婚後、早い段階で妻が妊娠したときはうれしかったです。妻からは何の前触れもなく突然、「ねぇ、ねぇ、できたよ」と妊娠検査薬を見せながら報告を受けたので、とにかくびっくりしました。でもそのときの赤ちゃんは妊娠初期で流産してしまいました。約1年後に再度、妊娠しましたが同じく妊娠初期で流産してしまいました。

――そこから夫婦で通院することにしたのでしょうか?

ゆってぃ 流産という悲しいことが2回続いたので、ここからはしっかり産婦人科の先生に相談しようということになり、通院をすることにしました。おたがいの体の状態を調べてもらったところ、とくに問題ないということでした。2回の妊娠は残念な結果だったけれど、だれが悪いわけではないということを先生に言ってもらえました。そこからしっかり不妊治療に向き合っていこうと話し合いました。タイミング法から始め、そこから人工授精をへて、体外受精の1回目で妊娠することができました。

――不妊治療に向き合った上での妊娠がわかったときは、どんな気持ちでしたか?

ゆってぃ すごくうれしかったですが、やはり安定期といわれる時期になるまでは心配でした。これまでは妊娠したらうれしくてまわりの人たちに報告していましたが、今回の妊娠は自分の親にも言わず、とにかく安定期まで慎重に過ごしていました。妻は妊娠初期からメンタルが落ち着いていましたし、ポジティブ思考だったのでそばにいる僕も救われていました。

――妊娠中の経過はどうでしたか?

ゆってぃ 妊娠初期はつわりがつらそうでした。食べ物の味覚が週単位で変わっていたので、先週まで食べられていたものが食べられなくなり、大変そうでした。自分で食べられるものを探して、一生懸命作って食べていた姿が印象に残っています。

――妊娠中期から後期の体調はいかがでしたか?

ゆってぃ 中期は安定していたのですが、35週で陣痛のようなものが来てしまい、このときはあわてました。すぐに病院に行って対応をしてもらったので大事にはいたりませんでしたが、出産まではこれまで以上に慎重に過ごしました。その後は落ち着いていたので出産直前にマタニティフォトを撮りました。

――あんなさんのInstagramに、そのときの楽しそうなお写真がたくさん載っていました。

ゆってぃ 僕としては出産後に初めてSNSで報告でもいいのでは?と思っていたのですが、そのマタニティフォトを載せることで妊娠を発表しました。2人で衣装を着たり、ポーズをとったり楽しい撮影でした。

――おなかの赤ちゃんが女の子と聞いたときはどんなふうに感じましたか?

ゆってぃ なんの根拠もなく、勝手に男の子が誕生すると思っていたので、先生から女の子と聞いたときはびっくりしました。でも女の子もかわいいなぁと思いました。結局、男の子でも女の子でもどちらでも楽しみなことには変わりないのでとにかく無事に生まれてほしいと思っていました。

お話・写真提供/ゆってぃさん 取材・文/安田ナナ、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

ゆってぃ誕生秘話から妻のあんなさんとの出会いまで、じっくり語ってくれたゆってぃさん。テレビで活躍されている姿とはまた違い、おしゃれでかっこいい印象。困ったことがあるとまわりの人に相談し、その都度だれかに背中を押してもらい好転しているようにも感じました。

ゆってぃさん

PROFILE
お笑い芸人・タレント。1977年1月生まれ。東京都出身。1995年にスクールJCAへ4期生として入学。コンビ、トリオを経て、現在は「スーパーアイドルゆってぃ」としてピンで活動をしている。2022年3月31日にタレントで元グラビアアイドルの石川あんなと結婚。2025年1月には第1子・女の子が誕生。

ゆってぃさんのInstagram

●記事の内容は2025年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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