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「じゃあ特別養子縁組、行こか!」夫が脳腫瘍の後遺症で子どもがつくれない体に。それでも諦めなかった夫婦が築いた家族のカタチ【体験談】

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生みの親との法的な親子関係を解消し、養親と養子となる子どもが、実の子と同じ親子関係を結ぶ特別養子縁組制度。兵庫県に住む谷口さん夫妻は、3人の子どもと特別養子縁組を行って暮らす5人家族です。11歳・6歳・4歳の母として日々奮闘しつつ、現在は養子縁組をあっせんする事業者のお手伝いの活動もしている妻・奈都子さんに、特別養子縁組を行ったきっかけやお子さんたちへの思い、特別養子縁組について思うことなどを聞きました。全2回インタビューの前編です。

入籍直前、婚約者だった夫が5年生存率50%未満の脳腫瘍に

長男・朝陽くんを迎えたころ。谷口さん夫婦が31歳と32歳のときだった

2007年秋、当時27歳の奈都子さんは、1歳年下の婚約者・孝英さんとの入籍を予定していました。しかし、年明けに結婚式を控え、入籍まで3カ月となったころ、孝英さんの脳腫瘍が判明したのです。

「最初は、あまり悪性度が高くない脳腫瘍で3カ月くらいの治療になると聞かされていたんです。だから予定していた入籍にも間に合いそうだな、という感じでした。

でも、1回目の抗がん剤をしたあとの検査で状態があまりよくないと言われて。詳しく検査してみたら、思っていたより悪性度が高かったことがわかったんです。5年生存率が48%くらいしかないと。

そうなると、みんな結婚について『ちょっと考え直したほうが…』という状態になるんですよね。私の両親にも、夫の母からも言われましたし、当の夫にも、入院していた病院の廊下で『別れたほうがいいんじゃないか』と言われました。

でも、当時はもう夫と一緒に暮らしていましたし、私は結婚する日を待っていた状態だったので、夫にも、両親にも、夫の母にも『その考えはない』と伝えました。だけど私の両親はなかなか納得してくれなくて、結婚の条件として『退院すること』と言われたんです。

当時は入院自体もいつまで続くかわからないと言われていたので、取りあえず結婚式はキャンセルして、治療に臨んでもらいました。そのあと、夫は17時間かけて手術を受けたり、無菌室に入って、血液の大もとになる細胞を移植して血液細胞が新たにつくられるようにする「造血幹細胞移植」をしたり。

約7カ月間かかりましたが、無事に退院することができたんです」(谷口さん)

当初は結婚に反対していた奈都子さんの両親も、孝英さんが無事に退院したことを喜んでくれ、結婚にも納得してくれました。

「いろいろあって落ち着いたのが3月で、入籍をいつにしようかと考えていたとき、夫の両親もうちの両親も結婚記念日が3月だと知ったんです。だから、両家をつなげる意味も込めて、何の記念日でもありませんでしたが、3月に入籍をしました。

ある意味、この時期にしなさい!みたいな運命を感じましたね」(谷口さん)

こうして、奈都子さんと孝英さんは晴れて夫婦に。2009年のことでした。しかし、そのあと、結婚3年目の2012年、孝英さんの脳腫瘍が再発したのです。

「再発は、1回目の腫瘍とはまた違うもので。医師には『多分そんなに悪いタイプではないけれど、日本でまだ30 例ぐらいしか見つかっていないものです。予後は悪くないとは思うけれど、そもそも30 例ぐらいしかないので今は何とも言えません』と言われました。

再発した腫瘍は、約10時間の手術と、抗がん剤で治療することに。さらに、退院後も、服薬するタイプの抗がん剤を続けなければならないこともわかったんです。

抗がん剤を使うと、男性は子どもをつくる能力に影響が出る可能性があるんですね。それは、1度目の脳腫瘍のとき、そのときは婚約者という立場だったんですが、医師から『抗がん剤を使うので、将来、子どもができにくくなる可能性がある』と聞いていました。

抗がん剤治療を止めて5~6年後に、子どもをつくる能力が戻る場合もあるそうなんですが、退院しても2年は飲まないといけなくて、抗がん剤を止めて5~6年後から子どもをつくれるかもしれない、と言われても、そのころ私は何歳なの?って。

しかも、夫の場合、1度目の脳腫瘍の後遺症で、ありとあらゆるホルモンを作れなくなっていたので、再び精子をつくれるようになるかもわからない。やっぱり夫の子どもを望むことは難しいかな、と思いました」(谷口さん)

そのとき、奈都子さんはあることを思い描いていました。それが養子縁組です。

「私、学生のころから、早く子どもが欲しいと思っていたんですが、生理不順など婦人科系に不安があって。だから『もしかすると、将来子どもを授かるのは難しいかもしれない。そしたら、養子を迎えよ♪』とそのころから思っていたし、養子縁組についてもポジティブなイメージだったんです。だから、養子縁組のことは、夫の1度目の脳腫瘍入院中から、調べ始めていたんです。

ただ、夫はそうじゃないのかなと思うことがあって。実は夫は、1歳のときに施設から今の両親に養子縁組で迎えられていて、きょうだいもみんな養子縁組なんです。だからこそ、子どもについて、夫は血のつながりにこだわっているようでした。周囲に自分と血のつながっている人がいないからこそ、血のつながった家族がほしいという気持ちは多分私より強かったのだと思います。

交際中に夫が、自分は養子だという話をしてくれたとき、夫の様子がすごく暗くて。『養子のことでなにかあったのかな。これは、自分たちが養子縁組をすることになったらあかんタイプなのかな?』と思っていたんですね。でも、実際に夫の両親に会ってみたら、夫は両親からすんごく溺愛されていたんですよ(笑)。『あんなに暗かったのに、なんや、めっちゃめちゃ愛されとるやん!』って。だから、私も養子縁組になっても大丈夫という気持ちを持っていられたのかもしれません」(谷口さん)

そうして、孝英さんは、退院後も、服薬の抗がん剤治療を行いました。と、同時に谷口さん夫婦は子どもについても積極的に行動を起こしていきます。

「退院後、やれることはやろうと不妊治療の専門外来にも行ってみましたが、夫の場合、少なくとも手術を伴うと。でも、脳腫瘍の後遺症のことや飲んでいる薬の影響もあって手術を伴う検査はショック死などのリスクが高い。そのことについて、医師から『その手術をして検査をしても1%の確率しかない。それなのにその1%に命をかけるんですか?』と言われて…。それで、不妊治療は諦めようということになりました。

ただ、私すごくポジティブなんですよ。だから、不妊治療は諦めると決めた病院の廊下で、夫に『じゃあ、養子縁組行こうや』って言ったんです。

夫からしたら、『え?今、俺そんな状態じゃない。すごくショックを受けているのに、こいつ、何言ってんねん!?』っていう(笑)。実際、夫から『ちょっと待って。今じゃない』って言われて、しばらく夫の気持ちを待っていたんですけれど、もう待ちきれなくて。1カ月でしびれを切らして『そろそろ養子縁組どう?』って夫に切り出しました。

そこであらかじめ調べておいた養子縁組のあっせん団体に資料を問い合わせてみたんですが、団体ごとに養親になるためには条件があるんです。そして、どこの団体も『心身ともに健康である』っていうのが条件に入っていて。抗がん剤治療中ということがどう判断されるかなと思いつつ、今お世話になっている団体に問い合わせたら、面接をしてもらえることになったんです。

養子縁組のあっせん団体との面接をするにあたって、脳腫瘍の治療中ですっていう話をしてあったので、面接には診断書を持ってくるように言われ、主治医が書いた診断書を持参。ちなみに、主治医は『子育ては問題ないです』と言ってくれていました」(谷口さん)

念願の長男を迎え、3人家族に!しかし2年後…

長男・朝陽くんが2歳になったころ、夫が3度目の脳腫瘍に

「面接から1週間後に、あっせん団体から連絡があり、無事に合格しましたと言われ、本当にうれしかったです。ただ、ここからが怒涛の展開で、連絡の1週間後に該当する赤ちゃんがいると連絡があり、バタバタと赤ちゃんグッズをそろえて、連絡から4日後には生後2週間の長男を迎えることになりました。

今は長男を迎えたときと法律が変わっているので、面接後に講義を受けないとだめだったり、家庭訪問や育児研修があったりするので、面接から赤ちゃんを待機する状態になるまで早くても3カ月ぐらいかかるんですが、長男のころにはそれがなかったので異例の早さ。6月頭に面接を受けて、6月末にはもう長男はわが家に来ていました」(谷口さん)

迎えた生後2週間の赤ちゃん、朝陽(あさひ)くん。それはとても元気な男の子でした。

「長男は4295gで生まれたそうです。あっせん団体からも『元気な子やから!』と言われていましたね。

迎える日までに、性別と誕生日を教えてもらって、あとは写真が送られてきて。それ以外の実母さんの詳しい状況などは、当日引き渡されたときに教えてもらえました。長男とは、新大阪で対面したんですけど、ずっと『大きい、大きい』って聞いていたので、どんな子なんだろうと思っていました。でも実際会ったら、やっぱりちっちゃくて、かわいい!って思いました。

当時は事前に講習がなかったので、引き渡し後には団体の代表が一緒に家に来てくれて、そこで初めての抱っこ。そのあとは、沐浴指導やミルクの作り方指導などをしてくれました」(谷口さん)

養子を迎えようと養子縁組あっせん団体のドアをたたいてから、わずか1カ月弱で始まった育児生活。その実情はどうだったのでしょうか。

「これが、急に始まったから大変とか、何も感じてないんですよね。すんなり受け入れてすんなり子育てが始まったという感じでしょうか。

ただ、私が当時マンツーマンの美容室をしていたので、1カ月くらい予約が入っていた分は、赤ちゃんの面倒を見ながらこなさないといけなくて。その時期はちょっとしんどかったですね。

とはいえ、私は元々睡眠時間が短くても大丈夫なタイプなので、それこそ3時間睡眠で仕事して、夕方5時に夫が帰ってきたら、赤ちゃんのお世話を替わってもらって、1時間だけ寝かせてもらえば、その後はまた頑張れましたね。

お世話はおいっ子の面倒をみていたおかげか、これが大変ということもとくになく。長男は夕方にたそがれ泣きをする子でもなかったし、大きく生まれたこともあってか『赤ちゃんが小さくて怖い』みたいなこともありませんでした。寝かしつけには時間がかかるタイプでしたけどね。

夫はというと、小さい子には慣れていなかったので、最初はすごく緊張していました。ただ、育児には積極的にかかわってくれています。寝かしつけだけは私ですが(笑)」(谷口さん)

特別養子縁組の場合、赤ちゃんを引き渡してもらったら、すぐ法的な親子関係を結べるわけではありません。約1年にわたり、裁判が始まります。

「特別養子縁組のための裁判の申し立てをすると、調査官が自宅に調査に来て、私たち養親は半年間の養育期間の子育ての様子を見られるんです。
普段赤ちゃんとどのように過ごしているか等の質問をされ、家の中をくまなくチェックされます。

調査官は養親だけでなく、実母にも会いに行って、養子に出す経緯などを聞くそうです。養親と実母、両方の話を聞いて調査書を作り、そこで初めて裁判官が特別養子縁組を認めるか、認めないかを判断することになるんです。

最後に審判書をもらってOKが出たら、確定書が来て、そこでようやく養親縁組の入籍届を役所に出しに行くことができ、ようやく法的に家族として認めてもらえます。入籍届の提出後、私たちの住民票に長男の名前が入り、長男と書かれているのを見たときは、グッときました」(谷口さん)

そうして2年がたった谷口さんファミリー。夫が2度も大病をしたことで、「普通な毎日は決して普通ではない」と思い知り、生まれ育った場所を離れ、田舎暮らしができる場所に新居を建てました。しかし、引っ越しから1カ月後、またもや予想をしていなかったことが起こります。

「夫が3度目の脳腫瘍を発症したんです。1度目とも2度目とも違う脳腫瘍で、正直、3度目の脳腫瘍は危険な状態で、医師から『このままダメかもしれません』と言われました。ネットで調べても『判明してからだいたい1カ月くらいで亡くなる』と悪いことしか書いていない。

夫も本当に日に日に弱っていって、意識がもうろうとしていて寝たきり状態だったんですが、ある日劇的に薬が効いたらしくて。翌日お見舞いに行ったら、前日までの夫が嘘(うそ)みたいなハイテンションで迎えてくれて。私だけじゃなく、医師たちもすごくびっくりしていました。

ただ、意識がもうろうとしているときも、子どもの動画を耳元で流したりすると『薬、飲まな』と意識が戻ってきたり。子どもの存在って大きいなと思いました。小さな朝陽が、家庭の中でも、夫の中でもすごく大事な存在になってると実感しましたね。

体内の水分コントールができなくなる尿崩症、ものが二重に見える、聴力が落ちるなどの後遺症は残りましたが、何とか回復してくれました。夫は昔はよくキレるツッコミ担当だったんですけど、今や完全にボケ担当。でも、命があって本当に感謝しています」(谷口さん)

お話・写真提供/谷口奈都子さん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

結婚直前に夫に大きな病気が見つかり、夫の闘病を2度も支え、特別養子縁組で長男を迎え、さらに夫の病気が再再発。話を聞くだけでも、いろいろな決断の連続でハードな日々を過ごしていた奈都子さん。しかし、ときに笑いを交えながら話す奈都子さんの様子は、本当に肝のすわった、いい意味でたくましいすてきな女性です。きっと夫の孝英さんもこの奈都子さんの底抜けの明るさに、何度も励まされてきたのだろうと思います。後編では、2人目、3人目と迎えることになった経緯や子どもたちへそれぞれの出生について伝える真実告知のこと、特別養子縁組について思うことなどについて聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。

谷口奈都子さん

PROFILE
兵庫県在住。入籍直前に夫が脳腫瘍になり、結婚が延期に。翌年、無事に結婚を果たすも、結婚3年目に夫の脳腫瘍が再発。子どもを持つことは難しいとの医師による判断をされる。翌年、特別養子縁組にて、長男・朝陽くんを迎える。2年後、夫の脳腫瘍が再再発。3年の経過を経て、長女・晴ちゃんを迎えた。2020年には二男・陽くんを迎えて5人家族に。家族の時間を大切にするべく、田舎暮らしをしている。

谷口奈都子さんのInstagram  (@lucu615)

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年3月現在のものです。

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