5歳の長男に「ほんまの家に帰りたい」と言われたことも。3人の養子を迎え、さまざまなことを乗り越えて見つけた家族のカタチ【体験談】
生みの親との法的な親子関係を解消し、養親と養子となる子どもが、実の子と同じ親子関係を結ぶ特別養子縁組制度。兵庫県に住む谷口さん夫妻は、3人の子どもと特別養子縁組を行い、5人家族として暮らしています。11歳・6歳・4歳の母として日々奮闘しつつ、現在は養子縁組をあっせんする事業者のお手伝いの活動もしている妻・奈都子さんに、特別養子縁組を行ったきっかけやお子さんたちへの思い、特別養子縁組について思うことなどを聞きました。全2回インタビューの後編です。
特別養子縁組で2人目、3人目と迎えることになって
2度にわたる夫の脳腫瘍、そしてその後遺症から、実子を持つことを断念した谷口さん夫婦は、特別養子縁組で2013年に長男・朝陽(あさひ)くんを迎えました。しかし、朝陽くんが2歳のときに、夫・孝英さんは3度目の脳腫瘍を発症。一時は生死をさまよいますが、朝陽くんの励ましパワーもあって、無事に回復し、再び家族3人の生活を取り戻しました。
「わが家がお世話になっている、養子縁組のあっせん団体は、大病や大きな手術をして3年は、新しい養子縁組を行うことができない決まりになっているんです。わが家の事情は、団体の代表も知っていたし、私の心の中では『うちはもう2人目は無理やな』と思っていたんです。
でも、夫の3度目の脳腫瘍からちょうど3年がたつころ、団体のほうから『2人目は考えていますか?』という打診が何度かありまして。長男も、きょうだいができたお友だちも増えて『ぼくもきょうだいが欲しい』と言い出していたこともあり、夫とも話し合って『できることなら2人目を迎えたい』というお話をしたんです。
そうして迎えたのが長女・晴です。長男が4000g越えのしっかりした赤ちゃんだったんで、長女はサイズ感も全然違うし、抱っこしたらやわらかいし、女の子ってこんなぐにゃぐにゃなんや!って思いました。
長男はそのとき5歳。もうずっとニタニタしていて、ミルクをあげたり、お世話も一緒にしてくれていました。長男と長女、今は仲が悪いんですけどね(笑)。つくづくあのころの姿を2人に見せたいって思いますよ」(谷口さん)
谷口さんのように特別養子縁組で子どもを迎えた場合、養親はしなければならないことがあります。それが「真実告知」。養親は養子になった子に、その出生について伝えなければいけないとされています。これは、「児童の権利に関する条約」第7条第1項で「児童は『可能な限り親を知る』権利がある」と定められており、それを養親が奪ってはならないからです。
「長女を迎えたとき、長男にはすでに真実告知をしていました。当時どのくらい理解していたかはわかりませんが、産んでくれたお母さんは別にいること、遠くで暮らしていることは伝えていました。真実告知と言っても、改まった感じではないです。特別なものにしたいわけでもないし、隠さなければならないことでもないと思っているので。
そんなころ長女を迎えることになり、わが家の長男と同じころに特別養子縁組でお子さんを迎えたファミリー4家族で遊んでいるときに長女が翌日来ると決まったんです。その場で発表したら、全員がわぁ!って大騒ぎ(笑)。
普通だったら、ママのおなかが大きくなっていないのに、急に赤ちゃんが来るって聞いたらびっくりしますよね。でも、その子たちはそれが当たり前。長男もそうやって赤ちゃんを迎えるファミリーを何度も見ていたので、急なことでも驚くことはありませんでした。
ただ、ちゃんと理解できるまで、子どもたちって『みんな産んだお母さんと育ててくれたお母さんが別にいる』と思っているんです。だから『それは違うんやで』って教えて『団体のお友だちにはおるよ。でも、幼稚園のお友だちにはいないことがほとんどだよ』って伝えることも。じいじばあばについても、『ママを産んだお母さんはだれなん?』と聞いてきたりするので『それは、ばあばやん』って答えると、『えっ、ばあばなん!?』ってびっくりするんですよね。
そういういろんな過程を経て、真実告知を徐々に徐々に理解していくんだなと思います」(谷口さん)
実は谷口さん夫婦が長男を迎えたあと、奈都子さんは仲のいいファミリーと一緒に、あることを始めました。そしてそれは、子どもたちへの真実告知にもつながっていると言います。
「わが家がお世話になっている団体は、赤ちゃんをお迎えするときに空港や駅で初対面をするんですが、私も長男に初対面したときは、写真撮っていいのかな?最初の瞬間だから撮りたいけどいいのかな?と思いながらも、なかなか聞けなくて、控えめにしか写真を撮れなかったし、動画なんて一瞬しかないんですよ。
でも、『真実告知のときに、初対面のときお父さんとお母さんはこんな感じであなたを迎えたんだよっていうのを伝える写真や動画があったらよかったのに』とおっしゃっていた方がいて、確かになと。
そこで、特別養子縁組で子どもを迎えた仲のいいママ・パパと始めたのが、赤ちゃんを迎える家族がいたらその場に駆けつけて、初対面の動画を撮ったり、写真を撮ったりしてあげることです。
わが家も長女や二男のお迎えのときには、みんなが駆けつけてくれて、いろんな角度から写真とか動画を撮ってくれています。この写真や動画があると、あなたたちはこうやって迎えられたんだよっていうことを子どもたちにわかりやすく伝えられて、とてもいいなと思っています。
加えて、先輩家族の子たちにとっては、ほかの家族が赤ちゃんを迎える場を見るというのが、真実告知の1つにもなっているんです」(谷口さん)
自分の出生を知る権利を守ることはとても大事なこと。でも、そうやって自分の出生について、ちゃんと伝えているからこそ、起きる問題もあるといいます。
「長女が1歳のお誕生日のとき、長女を産んだお母さんからプレゼントが届いたんです。私たちの予想では、それを見た長男が『妹だけプレゼントが1個多くてずるい!』とか言うかなって想像していました。そうなったら、私たちで長男になんか買ってあげようかみたいな話をしてたんですけど…。
長女へのプレゼントを見た長男が『これ、だれから?』と聞いたので、『長女を産んだお母さんからだよ』って言ったら『ふーん』で終わったんです。私たちとしては予想外に何も起こらなかったと思ったんですが、私たちが思っていたより長男の心はもっとすごく複雑で、このことがずっと心に引っかかっていたみたいなんです。
そのころ、夫の聴力が落ちて、言っていることがうまくパパに伝わらないというイライラが重なったこともあってか、長男が荒れて、5歳で『ほんまの家に帰りたい』って言われました。
私の中では『いつか言われるやろうな』というセリフだったんですけど、それは中学生くらいの思春期でのことで、まさか5歳の幼稚園生に言われるとは思っていなくて。結構びっくりでした。
結局、長男といろいろと話をしたり、幼稚園の先生にも見守りをお願いしたら、彼の中でなんとか消化してくれて、1カ月くらいで荒れるのは収まりました。長男はそういう繊細な面もありましたし、夫と『私たち大人が思ってる以上に、いろいろわかってんねんな』っていう話をしましたね。
長女の誕生日や長男の誕生日になると、『俺を産んだお母さんからは何もないんだ』みたいな雰囲気になりますけどね。今なら、何でも聞いてくれると思っています。
そういうこともわが家では日常的にありますし、日常会話の中で『俺を産んだお母さん、どこにおるんやっけ?』とか『お母さんは別におんねんで』みたいなことを話しているので、下の2人に関しては改まった真実告知はしていなくて。
なんならお兄ちゃんが伝えている感じで、6歳の長女も4歳の二男も、産んでくれた人が別にいるということは理解しています」(谷口さん)
谷口さん夫妻が、3人目となる陽くんを迎えたのは2020年。晴ちゃんとの特別養子縁組から約2年後のことです。
「3人目については、正直あまり考えていなかったんです。ただ、あっせん団体の方から『3人目は考えてないの?』って言われたり、小さい子が大好きな長男にもう1人ほしいと言われたりして、夫とよくよく相談して『話があれば受け入れよう』ということにしたんですが…。
うちの親からストップがかかりました。夫も病気をしているし、『男の子と女の子1人ずつ来たんやから、もうええやん』みたいなことを言われて。だから、『もっと普通に考えてよ。私ら養子やから迎える前に報告っていうか受け入れようと思ってんねんって話をしているだけ。普通の妊娠やったら妊娠してから報告されるやろ?なんで普通の妊娠なら受け入れるのに、前もって言う私らの話は受け入れてもらわれへんの?』って。でも、父親はなかなか引いてくれなくて、最後は母親が説得してくれました。
そんなことがありつつ、『話があれば受け入れます』とあっせん団体に伝えたら、翌日には、赤ちゃん決まりましたと連絡があり、それから2週間くらいで二男を迎えました。
長女はまだ2歳になる直前くらいのことで、赤ちゃん返りをするかなと思っていたんですが、全然そんなことはなくて。元々マイペースな性格ということもあってか、すぐに赤ちゃんを受け入れたし、なぜかびっくりするくらい急におしゃべりを始めました。二男が来て、一気にお姉ちゃんになった感じでしたよ」(谷口さん)
不妊治療だけでなく、養子縁組にも年齢制限があることを知ってほしい
3人のお子さんを特別養子縁組で迎え、日々育児に奮闘する奈都子さんですが、最近は、自分がお世話になった養子縁組のあっせん団体のお手伝いもしているそうです。
「本部は茨城県なので、スタッフもほとんど関東。だから関西はもちろん、わが家から車で片道4時間の範囲であれば、私が出向いてサポートすることもあります。団体は養子縁組だけでなく、実親である妊婦さんの支援もしているので、主に、妊婦健診に一緒につき合うことが多いですね。
今、日本には思っている以上に、家がない、仕事がない、お金がないという人が本当に増えていて。そういう妊婦さんには、生活保護の手続きに行ったり、一緒に家を探したりすることもあります。
私の場合、実親になる妊婦さんのサポートのお手伝いをしているのは、使命感とかかっこいいものでも何でもなくて、団体にはお世話になったし、行ける範囲で動きますよっていうスタンスで動いているだけなんです。
ただ、実親さんをサポートしながらも、私は実際に養親ですから、子どもに対する気持ちのほうが強くて。例えば、実親ママは産後の退院のときに、赤ちゃんとの写真を撮るんですが、その写真って、将来子どもが産みのお母さんを知るときに見る写真なんですね。だから、私がその場に立ち会えていたら、動画も撮って、養親さんに渡すようにしています。子どものために残せるものとして、産みのお母さんとの思い出も残してあげたいから。
養子縁組は、世間ではまだまだネガティブなイメージです。でも、子どもたちにはそうじゃないんだよって伝えたいし、養子縁組をつらいイメージにしたくないって思うんです。だからこそ、私の経験をオープンに発信しているというところもあります。
実際に養子を迎えて思うのは、実母さんが産んでくれたからこそ、私たちも子どもたちも今の経験ができているし、産んでもらわなかったら子どもたちはいないんだから、産んでくれてありがとうっていう気持ちが強いですし、自分も養子で、最初は血縁にこだわっていた夫も同じ気持ちになってくれたようです。
だから、私が実母さんをサポートしていることは、家族にもいい影響があったかなと思っています」(谷口さん)
自身も養親として、3人の子を育てる奈都子さん。子どもと暮らす幸せを実感しているからこそ、伝えたいこともあると言います。
「とくに『幸せだな』とかみしめるような瞬間はあまりないんですけど(笑)、逆に『あのとき迎えてなかったら、今のこの生活はないねんな』と思うことはあります。それだけ、子どもたちがかけがえのない存在になっているっていうことですかね。
わが家の場合は、病気がきっかけで、30代初めに特別養子縁組を決めたので、養親としてはかなり若かったんです。3人の子と特別養子縁組をしてきたからこそ知ってほしいのは、養子縁組にも年齢制限があること。どの団体でも養親の条件になる年齢はだいたい40~45歳までだと思います。
今って、不妊治療に補助金が出ますよね。医療の発達もあって、不妊治療を終える年齢が遅くなっていますが、不妊治療で授かれなくて『じゃあ、養子を迎えようか』と思っても、こちらも間に合わなくなっちゃうんです。
不妊治療で心も体も疲れて、養子縁組を考えたときに、それももう無理でしたってなったら本当にダメージが大きい。養子縁組をするにしてもしないにしても、まずは子どもを持つための方法として養子縁組があること、そしてその養子縁組にも年齢制限があるということを知ってほしいと思います。
実際に、年齢制限を超えた方からの相談は多いんです。だからもっとうまく回ればいいなとは思います。
あと、皆さん思ってるより、特別養子縁組のハードルは高くないとも思います。『血がつながってへんから、ほんまに好きになれんのかな』と心配される方もいるかもしれませんが、正直赤ちゃんのときから迎えるので、たまたま血がつながってないだけという感覚。血のつながりにこだわりはないし、そんなこだわりは持たなくていいと思っています。あとね、育てていたら、なんだか似てくるんですよ。
だから、少しでも養子縁組に興味がある方がいたら、そんなに構えないで進んでもらえたらなって思います。うちは私がこんなんだからか(笑)、長男も養子であることを隠すっていう概念がなくて。
長男は柔道をやっていて、小5で体重が80㎏あるので、柔道クラブのお母さんたちからすごくうらやましがられるんです。そして、だれからの遺伝なの?って、すごく聞かれるんですよ。
だから長男に『体格がだれに似たのか聞かれまくるから、養子のこと、柔道クラブのお母さんたちに言っちゃおうかと思うんやけど、どう?』って聞いたら『え、なんで言わへんの?』って。それを聞いたとき、ああ、長男は養子のこともちゃんと受け入れられているし、いい育ち方をしたなと思えました」(谷口さん)
お話・写真提供/谷口奈都子さん 取材・文/酒井有美、たまひよONLINE編集部
特別養子縁組制度はもちろん子どもの未来のためにある制度ですが、養親である谷口さん夫妻は、養子縁組をした3人の子どもたちからたくさんの縁や幸せをもらいながら、家族として暮らしています。取材を通して、家族として幸せにあるためには、血のつながりは意外とちっぽけなものなのかもしれないと感じずにはいられませんでした。だれであっても、産んでもらい、育ててもらって成長できます。そんな感謝を日々忘れずにいたいなと感じました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指して様々な課題を取材し、発信していきます。
谷口奈都子さん
PROFILE
兵庫県在住。入籍直前に夫が脳腫瘍になり、結婚が延期に。翌年、無事に結婚を果たすも、結婚3年目に夫の脳腫瘍が再発。子どもを持つことは難しいとの医師による判断をされる。翌年、特別養子縁組にて、長男・朝陽くんを迎える。2年後、夫の脳腫瘍が再再発。3年の経過を経て、長女・晴ちゃんを迎えた。2020年には二男・陽くんを迎えて5人家族に。家族の時間を大切にするべく、田舎暮らしをしている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年3月現在のものです。