平野ノラ。20代は汚部屋に住み、うつ病寸前。物を手放すことで生き方が変わり、40代で1児の母になった今思うこと
バブリーネタでおなじみの、お笑いタレント・平野ノラさん。プライベートでは、4歳になる娘さんのママであり、ノラさんらしい笑いにあふれた子育てを実践しています。娘さんとの日々の生活について、また、汚部屋に住んでいた20代から、今では片づけの達人になったノラさんのこれまでの生き方についてお聞きしました。
全2回インタビューの後編です。
娘との毎日には、ユーモアや笑いがいっぱい!40代だからこそ、気持ちに余裕のある子育てを
――4歳になった娘さんとの日常を教えてください。
ノラさん(以下敬称略) 娘は3歳になったばかりの去年の4月から、少人数制の保育園に通っています。3歳になってからの入園だったので、慣れるまでは本当に大変でしたね。園の先生から、保育の様子が動画や写真で送られてくるのですが、みんなで自己紹介をしている後ろのほうに、先生に抱っこされながら窓の外を見ている娘が映っていたんです。「ママがいない!一緒に探しに行こう〜」と先生に言っていたそうで・・・。それを聞いて私もすごくせつなくなったし、このまま園に通えなくなったらどうしようとすごく心配でしたね。
実はそれまでの3年間は、娘をどこにも預けずに、夫と母と3人で自宅育児をしていました。私が仕事のときは、家族のだれかが娘と一緒にいてくれていたので、娘も家族と離れて過ごすのは初めての経験でした。
それでも、園にいる時間を少しずつ延ばしていって、だんだんと慣れさせていきました。結局、1カ月ぐらいで慣れていきましたね。
今となっては、お迎えに行くと、「早い!あと5分!」と言われてしまうぐらい(笑)。毎日楽しく通っています。
――ノラさんから見て、娘さんはどんなお子さんですか?
ノラ 何事にも堂々としていて、活発な子ですね。クラスでも、運動会や発表会などの行事でも、だれよりも大きな声で返事をしたり、歌を歌ったりしています。あとは、親や先生に向かって、「ちゃんと見ててね!」というように、必ずみんなの注目を集めるんですよ。「だれか、〇〇やってくれる子!」と先生に言われると、必ず手を挙げるような子です。
最近ではノリツッコミまで覚えてきて(笑)。「どっちやねん」とか「やるんかい!」とか、よく言っています。私と夫が、普段から会話の中でツッコミ合ったりしているので、それをまねしているのかもしれないです。そういう娘の様子を見ているのもおもしろいんですよ。
ちょっと自分がイライラしてしまったときは、どうこの場を楽しめるかを考えるようにしています。子育てをしていれば、苦しいことやしんどいことはもちろんあると思うんですが、どうせ育児はやらなきゃいけないんだから、だったら、いかに楽しめるかですよね。
娘は、愛情表現もすごく豊か。私の母は「スーミー」と呼ばれているんですけど、娘の口ぐせが、「ママ、パパ、スーミー、大好き!みんな大好き! 地球、大好き〜!」なんです。おったまげ〜な愛情スケール!深すぎる!(笑)
朝は、基本的に夫が保育園に送って行くんですが、私との別れ際は、まるでドラマのようで(笑)。娘と何度もハグ&キス、引き離されるときは「アイラブユー!」、「アイラブユートゥー!」と投げキッスし合うというコントのような私たちと、遅刻しないように急ぐ夫とのやり取りが、玄関先で毎日繰り広げられています。
――ノラさんの子育ては、笑いが絶えないですね!お母さまの影響を受けているんでしょうか?
ノラ 私の母、スーミーは、22歳で私のことを産みました。当時、父は育児にはあまり参加できなかったみたいで、母は1人で必死に子育てをしてくれたようでした。そんな母ですが、「人には絶対に迷惑をかけちゃいけないよ」というのが信条だったので、私に対してはとても厳しかったんです。
だから、私が42歳で子どもを産んで、比較的ゆとりをもって子育てしていると、母はすごくびっくりします。自分のときとはずいぶん違うと言っています。母は、自分自身もまだ大人になりきれていなかったからか、私に対してすごく怒ることもあったし、ときには手が出てしまうことも。まわりにも頼る人がいなかったみたいで、すごく必死に生きていたと思うんですよね。
だから、私が娘に対して、なるべく怒らずに、どうしてダメなのかをじっくり説明する姿を見て、自分のときとの違いにすごく驚いているようでした。
――42歳で娘さんを産んで子育てをするなかで、高齢出産だったことがプラスになっているなと思うことはありますか?
ノラ これまで、子育てをしてこなかったこともあって、どうやって子育てをしたらいいのかなとか、感情的にならずにどうやったら娘にちゃんと伝わるのかなといったことを、まわりと比べずに自分の中で問いを立てて、育児本を読んだりして学んで実践するようにしています。人生経験を積んだ40代だからできる育児だし、自分が20代や30代だったらもっと余裕を持てなかったんじゃないかと思います。
2カ月で仕事復帰の予定が、産後の回復の悪さと、娘のかわいさで仕事をセーブ!
――仕事と子育ての両立についてはどうですか?
ノラ 出産する前は、産後2カ月ぐらいたてば、体も回復してきて、復帰もできるだろうなと勝手に思っていたんです。それで、事前に「2カ月ぐらいで復帰します」と事務所には伝えていました。でも実際に出産して2カ月たってみると、まあ、体力は全然戻っていなかったですね。
娘も思いのほかかわいくて(笑)。それまでは、復帰して働く気マンマンだったんですが、「これはまばたき禁止だな、仕事している場合じゃない」と思いました。
母は千葉に住んでいて、実家からうちまで1時間以上かかるのですが、週に3~4回は泊まりで来てくれていました。母親の部屋も用意して、それぞれの自由時間もしっかり確保しながら、みんなでストレスをためないようにしようという感じでやっていましたね。
――ご主人は育休を取られたんですか?
ノラ 出産する前から、「育休は必ず取ってね。私は2カ月から復帰をするから、あなたも一緒に子育てをするという感覚じゃないと無理だよ」と伝えていて、産後1カ月は育休を取ってもらいました。
その育休の間に、私が仕事でいなくても、ワンオペでも娘の面倒をみられるようになるという目標を掲げたんです。最初は、夜中の授乳も、産院の助産師さんに言われたとおりにしっかりきっちりやりました。2〜3時間に一度、寝ている娘を起こしてまで授乳をして、それをメモに残したり。でも、だんだんと娘の様子を見ながら、オリジナルのやり方でできるようになっていきました。
――夫さんは、ノラさんから見てどんなパパですか?
ノラ 娘が3歳になるぐらいまでは、私に毎日怒られながら、育児をしていましたね。ただ、私に怒られるのに慣れてしまったようで、言ったことが右耳から左耳に抜けていっちゃうので、全然響いていないんですよ(笑)。率先して何かをするタイプではないので、基本指示待ちですが、言われたことはしっかりやってくれます。
あとは、すごく不器用なんです。娘を着替えさせようとすると、ズボンの片方に両足を入れさせちゃうような人で。それで、娘が「ママ〜」と私のところに娘が助けを求めてくる、みたいな。
まあ、でも明るいし、なんでも笑い飛ばしてくれるような夫です。これまでは、なかなかパパの出番も少なかったんですけど、娘が3歳を過ぎてかなり活発に動き回るようになってくると、ここからはパパが大活躍ですよね。毎週土曜日は、必ず2人で公園や施設に行って、たくさん遊んで帰ってきます。
うつ病の1歩手前だった暗黒の20代。救ってくれたのは、1冊の片づけ本!
――以前は片づけが苦手で、汚部屋に住んでいた経験もあるそうです。
ノラ 片づけが苦手というか、なんなら、マイナスからのスタートでした。床が見えないぐらいの汚部屋に住んでいて、布団の上に脱いだ服がバーっと置いてあって、その上で寝ていたほどで。でも、おしゃれは好きだし、買い物も好きだし、物が捨てられない状態でした。
その汚部屋に住んでいた20代のころって、精神的にすごく不安定だったんですね。初めはミュージカルをやりたい思いがあって、いろいろやってみたけど、どれもうまくいかなくて、挫折して・・・。やっぱり働こうと思って働き始めたんですけど、それも自分のやりたいこととは違っていたり。ずっと模索し続けていて、20代は暗黒の時期でしたね。
そういう精神状態だと、物に執着してしまって、捨てられずどんどん増えていくんです。自分の中の不安感を、物で埋めていった感じです。
そして、汚部屋でも生活はできるんです。でも、家に帰っても、なんだか疲れるんですよ。自分を大事にするとか、部屋を整えるとか、そういう概念もなくなっていたんです。
――そこから、どうやって生活が変わっていたんですか?
ノラ そのころにできた彼氏と同せいを始めたんですけど、その人が「自分が働いているから、働かなくてもいいよ」と言うんです。ちょっとそんな生活を試してみたら、昼夜逆転してしまって。どんどん社会とかかわりがなくなっていって、気持ちもめいっていきましたね。
そんな生活で寝ていることが多くなって、腰が痛くなってしまって、はりを受けに行ったんです。そこの先生が私の足の冷たさにびっくりして、「あなた、心の病気かもしれない。病院に行ったほうがいいかも」と言ってくれて、それでハッと気づいたんです。
よく考えてみたら、ずっと不安でしんどいし、自然と涙が出てきちゃうんです。このとき、うつ病の1歩手前の状態でした。「そうなんだ、自分は病気なんだ」と自覚し、「じゃあ、病気なら治るんだ!」と思ったんですよ。
じゃあ、どうしたら治るんだろうと思ったときに、たまたま目にとまった片づけ本があって。『ガラクタ捨てれば自分が見える』(カレン・キングストン著)という全米でベストセラーになった書籍なんですが、それを読んだんです。それで、部屋の状態と自分の内側がリンクしているんだと気づいたんです。
――書籍との出合いが、ノラさんの人生を変えたんですね。どんなことから始めたんですか?
ノラ まずは物を捨ててみようと思いました。ゴミから捨てていって、それを続けていたら物が減っていきました。物を捨てるたびに、いろいろなことがクリアになっていって。片づけることで、新しいことが発見できていきました。
これから、自分が何をしたいのかと考えたときに、「ああ、私はやっぱり芸人さんになりたいんだ」と思えました。芸人は、25歳のときに、あきらめたひとつの夢が芸人だったんですね。そこから、家を整えて働き始めました。31歳のときにワタナベコメディスクールに入って、お笑い芸人をめざし、今がある感じですね。
バブリーのネタにしても、それまでのネタをすべて捨てて、バブリー1本でやってみようと言うことで、挑戦したんです。もし、物を捨ててなかったら、今はなかったですね。
使わなくなったものの行き先が決まっていると、片づけがグッと楽になる!
――子どもの服って、すぐにサイズアウトしてたまっていってしまいます。どんなふうに整理していますか?
ノラ 持っておく数はとくに決めていないんですけど、あまり服が増えすぎてしまうと、何があるのか把握できなくなってしまうんですね。保育園に通っているので、どのぐらいの服が必要かもわかっているし、たとえばワンピースは週末にたまに着る程度だから、そんなに持っていなくてもいいわけです。今の生活で必要な子ども服を管理するためには、適量じゃないといけないわけです。
たとえばわが家の場合は、ちょっと小さくなったなと思ったら、決まった紙袋に入れておくんです。整理をしようと思ったときではなくて、生活の中で、気づいたときにそれをするのがポイントです。それで、紙袋がいっぱいになったら、サイズアウトした子ども服をもらってくれる先が3人ぐらい決まっているので、お譲りするようにしています。
私が捨て上手になったのも、本だったらここ、おもちゃだったらここ、寄付するならここと、行く先を決めているからです。行き先が確保できると、あとは、回転させるだけなんです。
「このぐらいの金額で買ったんだから、最低でもこのぐらいでは売りたい・・・」みたいな執着があると、結局在庫を抱えているだけで、全然片づかないんですよ。そんな時代をへて今では、お金にならなくても、もらってくれる人がいればうれしいよねという境地になれたんです。そういう執着も、手ばなしていった感じですね。
寄付するにもお金がかかったりするんですけど、寄付をすることで、それがワクチンになったりとか、おもちゃが買えない子どもたちの手に渡ったら、それはうれしいんですよ。私の中では役目を終えたものが、また違う場所で使ってもらえるんですから。
そして、物はどうしても一生増えてしまうもの。だから、片づけは死ぬまで続きます。片づけって、生きていく手段で、本当に奥が深いんですよ。
――娘さんのものを整理するときはどうしていますか?
ノラ 娘と遊んでいるときに、一緒に物を整理するようにしています。一緒に絵本を並べて、「新しい絵本が欲しいよね。でも、新しい本を買うには、そのスペースがないから、もう読まないものは赤ちゃんにあげない?」と伝えます。娘も、だれかのお下がりをもらってうれしいという気持ちがわかっているので、自分がだれかに譲れば、相手もうれしいということがわかっているんです。そうすると「これ、あげる!」と決めることができます。それで、残したものは大事にしようねと話します。
――これから娘さんをどんなふうに育てていきたいと思っていますか?
ノラ いつか、私の手を離れていってしまうので、それまでは後悔なく、娘を愛できりたいなと思っています。あとは、SNSでいろいろな情報があふれている社会だからこそ、だれかと比べることなく、娘のオリジナルのペースを大事にしていきたいなと思いますね。
それから、私の母親がそうだったように、娘の一番の応援団でいたいです。私が母に、「芸人になります!」と言ったときに、「芸人の道に進んだら、たぶん子どもは産めないと思う。孫の顔を見せてあげられないけど、いいかな?」とも伝えたんです。そうしたら母は、「全然そんなのいいのよ。思いっきり、自分のことを生かしなさい」と、背中を押してくれたんです。そんな母親に、私もなりたいなと思っています。
あとは、もし娘が芸人になりたいと言ってきたら、「まずは、母親を倒してからいけ!」と言いますね(笑)。モノボケか一発ギャグで勝負しようと。反対はしません。きっと、おもしろい子には、すでになっていると思います。
お話・写真提供/平野ノラさん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
娘さんとの日々には、いつでも笑いとユーモアにあふれているそう。子育てにはつらいこともたくさんあるからこそ、できるだけ“楽しい時間”にするよう心がけているようです。
片づけの達人としての一面をもつノラさんですが、20代のころには物に執着しすぎていたことで、汚部屋に住み、うつ病の1歩手前だったとか。その後、1冊の片づけ本との出会いをきっかけに、自分自身の人生も見つめ直すことができ、お笑いタレントの今があると言います。
平野ノラさん(ひらののら)
PROFILE
1978年、東京都出身。お笑いタレント。31歳のとき、ワタナベコメディスクールに13期生として入学し、2010年12月にデビュー。2017年12月に一般男性と結婚し、2021年3月に第1子となる女の子を42歳で出産。日本バレーボール協会評議員や、芸能人バレーチーム「KANORA JAPAN」の代表もつとめる。片づけ本『部屋を片付けたら人生のミラーボールが輝きだした。』(KADOKAWA)が発売中。
●記事の内容は2025年5月の情報で、現在と異なる場合があります。