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ニッチェ・江上、29歳で卵巣の片方を摘出し、34歳で不妊治療をスタート。コロナ感染や大量出血を乗り越え、1男1女のママに

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家族4人でお出かけ中の1枚。
家族4人でお出かけ中の1枚。

お笑い芸人として忙しい日々を送る、ニッチェの江上敬子さん。4歳の長男・とっちゃんと、2歳の長女・さっちゃんのママとして、日々の子育てに奮闘している様子が、本人のブログで赤裸々に語られています。今だからこそ話せる不妊治療中の自身の思いや、8歳年上の夫との気持ちのすれ違い、また波乱だらけの妊娠・出産について話を聞きました。

番組の企画で卵巣腫瘍が見つかり、それをきっかけに、子どもや結婚について考え始めた

ロケ先での、ニッチェ江上さんと近藤さん。
ロケ先での、ニッチェ江上さんと近藤さん。

――20代のときに卵巣腫瘍が見つかって、卵巣を片方取る手術をしたそうですね。

江上さん(以下敬称略) 29歳のときに、番組の企画で人間ドックを受けさせてもらったのですが、それがきっかけで卵巣腫瘍が見つかりました。番組収録が終わったあとに、出演されていた先生が楽屋まで来てくださり、「これは病院に行ったほうがいいかもしれない」とのことで、あらためて受診しました。見つかった病気が深刻だったこともあり、このことは放送されなかったんです。

病院では、卵巣腫瘍を実際に手術で取り出してみないと、良性か悪性かはわからないと言われました。腫瘍のサイズが小さければ、腹腔鏡手術で取ることもできるそうですが、私の腫瘍はグレープフルーツ大のサイズだったこともあり、開腹手術をすることになりました。しかも、腫瘍がこれだけ大きいと、破裂してしまう恐れもあるそうで、一刻を争う状況だったんです。

手術中、私が麻酔で寝ている間に腫瘍の検査をして、もし悪性だった場合は、もう片方の卵巣や子宮も寝ている間に摘出する可能性があるとも言われました。当日は、その際にサインをしてもらうために、実家の両親にも来てもらっての大がかりな手術になりました。

――手術の結果はどうでしたか?

江上 卵巣の腫瘍は良性で、片方の摘出だけとなりました。ただこの病気は、片方に腫瘍ができてしまうと、もう片方にも腫瘍ができる可能性が高いと言われたんです。そして先生からは、もし子どもを望まないということであれば、両方の卵巣を摘出する方もいますよと言われました。

それがきっかけで、「私は子どもが欲しいのかな」と真剣に考え始めたんです。そしてそれと同時に、結婚についても考えるようになりました。当時私は29歳で、芸人として軌道に乗ってきて2年ぐらいたったころ。仕事がすごく楽しくて、夜遊びも楽しくて、そういう時期だったから、あまり結婚や出産について考えてこなかったんです。

でも、真剣に考え始めたら、「ここで卵巣を取ってしまったら、もう子どもは産めないんだ」と思うようになりました。そんなふうに自問自答する中で、「やっぱり子どもは欲しい」という気持ちが強くなってきました。

つき合ってすぐに「絶対に子どもが欲しい」と、夫からのいきなりの告白!

江上さんと長女、おそろいの服を着て。
江上さんと長女、おそろいの服を着て。

――夫さんとは、そのあとに知り合ったんですか?

江上 そうです。行きつけの飲み屋さんで顔見知りだった夫とおつき合いをすることに。夫は、これまでつき合った人たちとは真逆のタイプ。超がつくほど真面目な人でした。

もし、この病気になっていなかったら、子どもや結婚について真剣に考える機会もなく、今の夫とも結婚していなかったかもしれないです。

――つき合ってすぐに「僕、絶対に子どもが欲しいんです」と、ストレートに言われたそうですね。

江上 そう言われたとき、最初はビビりましたよ。でも、普通だったらそんなことをいきなり言われたら引いちゃうと思うんですけど、私としても子どものことが頭に浮かんでいる上でのおつき合いだったので、同じような気持ちでした。

だから夫には、「私もそのように思っていますが、体の問題で望めるかどうかわからないです」という話をしました。そのとき夫は、「もし、子どもを望めなかったとしても、養子縁組をしたいと思っているのですが、どうですか」と言ってくれたんです。私自身も、卵巣腫瘍を摘出していろいろ考えていたときに、そういう選択肢もありだなとは思っていました。

――結婚して、妊活はいつから始めたんですか?

江上 結婚後は仕事がすごく忙しくなり、妊活をする余裕がなくなってしまいました。結局、妊活をスタートさせたのが34歳。自分の年齢のことや、夫が8歳年上ということ、それから卵巣をひとつ摘出していることもあり、すぐに不妊治療を開始することにしました。

そのころにちょうど、卵巣腫瘍で通っていた病院の先生からも、「今日で定期検診は終わりで大丈夫ですよ」と言われて、ひと区切りがついたときでした。先生からも、「子どもを望むなら不妊治療を始めたほうがいいと思います」と言われて、不妊治療ができる病院を紹介してもらったんです。

夫との気持ちのすれ違いで、不妊治療中はけんかばかりの毎日だった

長男を妊娠中、大きなおなかで休憩する江上さん
長男を妊娠中、大きなおなかで休憩する江上さん。

――不妊治療は、どんなことをしていたんですか?

江上 最初の3カ月は、排卵日に合わせて直接腟内に精子を注入するシリンジ法を行いました。この方法であれば、仕事が忙しくても妊活がしやすいというメリットがあったんです。
ただ、それでは妊娠することができなかったので先生に相談したら、「人工授精のステップを踏むこともできるけれど、妊娠の確率のことを考えたら、体外受精のほうがいいんじゃないですか」とアドバイスをもらいました。それで、早い段階で体外受精に切り替えたんです。

そのころ、私は人生で一番体重が多かった時期でした。それもあってか、ホルモンバランスが崩れていて、さらに、「多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)」という病気にもなっていたんです。この病気は、卵胞の成長が途中で止まってしまい、たくさんの卵胞が卵巣内にとどまってしまうというものでした。

そこで、まずは体重を落として、体を整えましょうということに。パーソナルトレーナーさんにお願いして、8カ月かけて8キロぐらい体重を落としていきました。そこから1年半弱ぐらいで妊娠することができたんです。

――仕事も忙しい中での治療だったと思いますが、当時はどんな思いでしたか?

江上 不妊治療って、こんなにも女性のほうでやることが多いんだなと感じました。男性側は、できることがほとんどないんですよね。そう実感したのと、当時の忙しさやホルモンバランスの乱れも相まって、自分の中では夫に対してものすごいねたましさとかうらやましさという感情が生まれてしまったんです。

さらに、病院には夫婦で一緒に来ている方をたくさん目にするのですが、うちの夫は仕事が忙しくて・・・。そういうモヤモヤが当時はありました。夫から「ついていくよ」と言ってくれるまでは、私のほうからは来てほしいと言わなかったんです。女ってそういう面倒くさいところがあるじゃないですか。そっちから言ってこいよ、みたいな。私もちょっと、意地になっていたところもあったのかもしれないですけど。後から聞くと、夫は夫で、「来てほしいと言ってきたら、行っていたよ」と言うんですけどね。

そのあたりの気持ちのすれ違いが、当時はありました。もし、「送って行くよ」とか「今日はどんな治療をしたの?」とか、そういう言葉での気づかいができる人だったら、私の気持ちも違っていたかもしれないです。

――不妊治療は、夫婦関係にも影響があったんですね。

江上 不妊治療中の私は訳もわからずイライラしているし、夫としてはどう接していいかわからなかったのかもしれないです。夫なりに、私を盛り上げようとしていることはわかるんですが、それが裏目に出てしまうことが多くて・・・。

私はもともとお酒が大好きだったんですが、治療中は禁酒をしていました。だから、夫が酔っ払ってからんでくるそのノリが、当時はすごく嫌で。「お酒を飲んで酔っ払うのは、私がいないときにして」と伝えても、なかなか聞き入れてくれなかったんです。

夫婦行きつけのお店に一緒に行って、私はお酒が飲めないので先に帰ろうとすると、「なんで先に帰るんだよ〜!もっと楽しもうよ〜」という感じでからんでくるんです。夫はすごく単純な人で、私の気持ちを察することができないんですよ。「こんなにお酒が好きな人間ががまんしているのに、そのあたりの気持ちを考えられませんか?」と言うと、「言ってくれないとわからないよ」と。私としては、「そんなこと、言わなくてもわかるだろ〜!!」と、そのころはけんかばかりしていました。

――1人目ができたことで、夫婦関係が変わっていったんですか?

江上 妊娠したことで、夫の中でも自分がやるべきことが明確になって、進んでやってくれるようになりました。私のことも赤ちゃんのことも守らないといけないんだと、買い物や家事、料理なども率先してやってくれるようになったんです。

妊活中って、夫からしたら、私の体はまだ通常通りの状態。でも私から言わせれば、薬もたくさん飲んでいたし、自己注射だってしているし、ホルモンバランスも乱れまくってるし。それを1から10まで言わないと、夫はわからないんですよね。

そういう時期を経たことで、「察して」とか「かまって」と心の中で思うことはやめるようになりました。言いたいこと、やってほしいことは、きちんと言葉で伝えるように。子どもができてからも、ずいぶんぶつかりましたよ。ただ、今の夫との関係性を考えると、そのときにぶつかってよかったなと思います。

――第1子の妊娠がわかったときはどうでしたか?

江上 私はうれしいが2割、残り8割は心配な気持ちが占めていました。というのも、この2年ちょっとは、何度も妊娠判定が出てはダメだったということを繰り返していたんです。

それで、妊娠が判明した日も夫と一緒に病院に行っていたんですが、夫は単純に「やった〜!」と。それに対して私は、「まだ喜ぶのは早いよ!!」と言うと、夫は「なんで?」という感じ。私の中で、あまり喜びすぎないほうが、ダメだったときのショックが軽減されると思っているんです。だから、いつも保険をかけちゃうんですよね。

そういう不安な気持ちでいるときに、ちょうど妊娠判明から2週間後、初めてテレビでコロナのニュースが流れてきたんです。豪華客船が画面に映って、その船内で、えたいの知れないウイルスがまん延しているというニュースでした。それを家で見ていて、「なんか、大変だね。マスクしたほうがいいみたいだよ」と夫婦で話していたら、あっという間にコロナが流行していったんです。

そんな状況で、マタニティライフが始まりました。仕事はリモートばかりになったので、妊娠している体としてはよかったかなとは思います。

第1子妊娠直後にコロナ禍に突入!第2子は大量出血とコロナ感染も乗り越えて

長男が赤ちゃんのころの親子写真。うれしそうな表情の江上さん。
長男が赤ちゃんのころの親子写真。うれしそうな表情の江上さん。

――コロナ禍での第1子出産はどうでしたか?

江上 立ち会い出産を希望していましたが、それもできなくなったし、実家から両親を病院に呼ぶことができない・・・。1人きりの出産ということがわかって、けっこうショックでした。思い描いていたバースプランも全部なくなってしまいましたから。

出産の始まりは、家でのおしるしでした。入院セットを持って病院に行ったのですが、内診すると、まだ陣痛は始まらないだろうということで、一度家に帰ることに。それで、ソファで昼寝をして、トイレに立ち上がったときに、バッチーンとおなかから大きな音がしたんです。「あれ?今、だれかが指パッチンしたような音が聞こえたな」と思ったら、それは破水した音でした。そうしたら、水がバーっと出てきてしまって。あわててタクシーで病院に向かいました。

破水をしてしまうと、赤ちゃんの感染リスクが高まってしまうので、できるだけ早く出産をしなくてはいけないそうなんです。私は無痛分娩を希望していたのですが、麻酔を入れると陣痛が進まなくなることがあるそうで、「もう限界というところまで、がまんしてもらっていいですか」と。でも、初めての経験だったので、「陣痛の限界ってどれだろう?」という感じでした(笑)

おなかの中で大きなものがぎゅーっとねじれるような感覚があったり、脂汗がどっと出てきたり、とにかく痛くて痛くて。その状態で8時間ぐらい耐えて、やっと内診をしてもらったのですが、助産師さんが手をぐ〜っと中に入れて赤ちゃんの頭の下り具合を見るんですよね。もう目の前に星がチカチカたくさん飛ぶぐらいに痛くて。そこでやっと、麻酔を入れてもらいました。

そんな中で、私が39度の熱を出してしまったんです。そうすると、赤ちゃんが苦しくなってしまうので、熱をなんとか下げながら陣痛に耐えました。その状態で朝を迎えたんですが、それでも赤ちゃんがまったく下りてこないので、そこから帝王切開に切り替えることに。ママ友に言われるのは、「それ、フルコースだね」って(笑)

2人目のほうは計画帝王切開だったので、第1子のときとは違って、驚くほどすごくスムーズに出産できましたね。

――2人目は、凍結胚で妊娠されたんですか?

江上 上の子のときに、5つ受精卵ができていたので、それを凍結していました。上の子は2つ目の凍結胚で妊娠することができて、下の子は、残っていた3つのうち2つ目で妊娠することができました。

2人目のときも、まだ心配な気持ちというのはありました。つわりのつらさに加えて、仕事もかなり忙しくて、さらにコロナの心配もあったしで、体がすごく疲れやすくなっていました。ある日、仕事でへとへとになって帰ってきて、上の子を寝かしつけしながら横になっていたら、ドバーッと血が出てきてしまったんです。これはもう、流産してしまったかもと覚悟しました。トイレに行ったら、大きなかたまりが流れてきて、「ああ、今のが赤ちゃんだったのかな」と。それで、すぐにネットで検索したら、流産のリスクが下がるのが12週ということが書いてあったのですが、その12週の1日前だったんですよ。

これは絶対に流産だろうなと思い、次の日の朝一番で受診することにしました。朝まで眠れなくて、「しょうがない、しょうがない」と自分に言い聞かせていました。

先生に、「あれだけ大きなかたまりが出たので、流産だと思うんですけど」と伝えて診てもらったら、「いや、全然元気ですけど」と言われて。「え〜〜〜〜!」とびっくり。血のかたまりは、前置胎盤になっていて、その一部が出てきてしまったんじゃないかと言われました。

流産でなくてホッとして、家に帰ってからすぐに横になりました。それで、昼寝から目が覚めたら、すごく熱っぽくて・・・。すぐに別の病院に行って検査をしてもらったら、コロナに感染していたんです。産院にも連絡をして、「もしかしたら病院にいたときにはすでに発症していたかもしれないです」と伝え、そこから10日間の隔離生活が始まりました。

――隔離中、お子さんはどうしていたんですか?

江上 そのとき、まだ上の子は1歳半だったんです。ただ、夫はその時点でパパとしてだいぶ成長していて、とにかくやらなきゃいけない、やるしかないという感じだったと思います。結局、子ども用の食事と私の分の食事、3食分を10日間全部作ってくれました。

濃厚接種者である夫も外に出かけられないので、それは大変だったと思います。夜中に、マスクをしてリビングに行ったら、YouTubeが流しっぱなしになっていて、その前で死んだように寝ている夫と息子の姿・・・。1日中、1歳半の子と家でべったりの10日間を過ごすんだから、それはYouTubeにも頼るしかないよな・・・と思いましたね。それまではあまり見せていなかったんですけど、そこから息子はどっぷりYouTubeにハマってしまいました(笑)

この経験で、夫もパパとして覚醒したみたいで、「俺、いけんじゃん!」とのこと。このことがきっかけで、私の泊まりの仕事もOKが出るようになりました。夫にとっては、この経験はプラスでしかなかったと思います。

私のほうはというと、コロナの後遺症によるひどいけんたい感と、吐きづわりが相まってしまい、これまで生きてきた中で一番つらい1カ月を過ごしました。唯一救いだったのは、赤ちゃんがおなかの中で元気だったことでした。

お話・写真提供/江上敬子さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

29歳で卵巣腫瘍が見つかったことがきっかけで、母親になるということ、そして結婚について真剣に考え始めたという江上さん。34歳でスタートした不妊治療は、卵巣がひとつない状態でしたが、女性に負担が大きくのしかかることでの気持ちのモヤモヤ感、そして夫婦間での気持ちのすれ違いを経験しました。そんな困難を乗り越えての妊娠・出産は、コロナ感染や大量出血などトラブル続き。今では、芸人として仕事をこなしながら、家に帰れば1男1女のママとして日々奮闘しています。

後編では、子どもたちとの日々の暮らしについて、また自身の母親との関係性について聞きました。

江上敬子さん(えのうえけいこ)

ニッチェ江上さんのプロフィール画像

PROFILE
1984年、島根県生まれ。2005年、日本映画学校で出会った近藤くみこさんとお笑いコンビ『ニッチェ』を結成。2011年、「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞を受賞。2015年、8歳年上の一般男性と結婚し、2020年に第1子となる男の子、2022年に第2子となる女の子を出産。

江上敬子さんの公式ブログ

江上敬子さんのX

●記事の内容は2025年6月の情報で、現在と異なる場合があります。

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