モデル・erinco、両親が54歳のときに誕生。幼いころから自分の容姿に違和感も。20歳で知った自分の生まれの背景は…?
神奈川県在住のerincoさんは、ジムインストラクターを中心に、アパレルスタッフやモデルなど、マルチに活躍する28歳。そんな彼女が、2025年3月にある内容をSNSに投稿したところ、大きな注目を集めました。つづられていたのは、自身が“生まれた経緯”のことです。
ある家の一人娘として生まれたerincoさん。当時のご両親の年齢は共に54歳。海外で卵子提供をうけ、お父さんの精子と合わせてできた受精卵を、お母さんの子宮に宿し、誕生しました。小さいころから、自分の“海外っぽい”容姿に違和感を抱きながらも、その出生の秘密を知ったのは大人になってからのこと。葛藤を抱きつつも、今は天国にいるご両親から「たっぷりの愛情を受けて育ってきた」そうです。今回は、そんな彼女にじっくりとお話を聞くことに。全2回のインタビュー、まずは前編をお届けします。
両親にひた隠しにされていた自分の出生の背景。幼いころから容姿への疑問は止まらず…
――erincoさんは2025年3月に、SNSで自分の生まれた経緯について投稿し、話題となりましたね。20歳のときに事実を知ることになったそうですが、子ども時代に自分の容姿などに疑問を抱いたことはありましたか?
erincoさん(以下敬称略) 小学生になったくらいから「人と違うな」と感じていました。まわりから「ハーフ」と言われ続けたり、「なんでみんなと違う顔なの?」と言われたりして、コンプレックスを抱いてきたからです。
――そのことをご両親に尋ねたことはありましたか?
erinco 周囲と違うということが怖くて、しょっちゅう聞いていましたね。「私はハーフなの?」と。 そのたびに両親は否定して。「人とどこが違うって言うの! あなたはどこからどう見ても日本人にしか見えないよ。単にかわいいだけ!」なんて言われていました(笑)。
――「かわいいだけ!」って返しがいいですね!
erinco 両親には小さいころから「エリはかわいい!」と言われ続け、育てられてきたんです(笑)。すごく愛されていて、怒られることもほとんどないような環境でした。
母は私に、とにかくなんでも挑戦させたいタイプ。おかげで自分がやりたいことはなんでも否定せずに応援してくれましたね。習い事もたくさんしました。
――本当に大切な宝物と思って育てられてきたのでしょうね。
話は戻りますが、「ハーフではない!」と言われて、どう思われましたか?
erinco 子ども心に「そっか…」と一応、納得して。もともと父親には似ているんですよ。また、私の髪はくるくるしていますが、母も一応くせっ毛なので、そこが似たのかな…と解釈したり。実はかなり昔に外国の祖先がいて、超隔世遺伝でこの外見になったのかなと想像してみたり。なんとか自分の中で理由をこじつけて、理解しようとしていましたね。
ただ、当時は周囲にハーフの子がほとんどおらず、自分だけ見た目が違うことが嫌で。小学生のころには、男子同級生からいじめを受けたこともあり、それがきっかけで長いあいだ男性と話すのが怖くなってしまいました。今ではトレードマークのくるくるの髪も大きなコンプレックスで、小学生のころは毎朝ヘアアイロンで必死にストレートに伸ばしていましたし、中学生になってからは縮毛矯正をかけるようになりました。
母の本当の年齢は知らずに成長。母は周囲に「おばあちゃん」と言われても、気の利いた冗談で返していた!
――ご両親の年齢についてはどう思われていましたか?
erinco 父の年齢は知っていましたが、母の年齢はずっと隠されていました。隠していたというより、私には20歳ぐらい若く伝えていたんですね。なので、お父さんとお母さんは年の差婚をしたんだと思っていたんです。
私が中学生のときかな。母の妹である叔母が九州から来たんですよ。そのときに、ふと「おばちゃんってさ、何歳なの?」と聞いたんです。すると、返ってきた回答が予想以上に高齢でびっくり! 叔母は母よりも年下のはず…ということは…?みたいな。そのとき、私は母の本当の年齢を初めて知ったんです!
確かに見た目的にも、ほかのクラスメイトのお母さんより上でした。実際、いろいろな人から「おばあちゃんですか?」と母は聞かれていましたね。そう言われるところを見るのは正直言うと、嫌でしたが…。ただ、本人は「母親ですけど、実はこの子は竹を切ったら生まれてきた子で〜!」なんて明るく笑いに変えていました。もちろん、年齢を隠していたわけですし、気にしている部分があったと思うんですけど、人に聞かれたときはそうして冗談にして、空気を悪くさせなかったのは、さすがだと思います。
20歳の誕生日。覚悟を決めて、父に自分のルーツについて、尋ねた。そうすると…
――20歳のときに初めて自分の生まれた背景について知ったとSNSで投稿されていましたが、それはご両親から切り出されたのですか?
erinco いいえ。私から父に質問したんです。その日は20歳の誕生日で、区切りがいいし、改めて聞いてみようと。母はかなり口のかたいタイプだったので、聞くなら父がいいと判断しました。ちょうど母が買い物に出て、父が1人で家にいるタイミングがあったんです。そのときに話しかけ、「20歳の誕生日だし、ちょっとさ、この顔の理由を言ってよ。ハーフでしょ、絶対」と聞きました。もちろん、最初は父も「いや、日本人にしか見えないでしょ」といつものように返してきたんです。
でも、私も一歩も引かずに「もう、うそは通じないよ。(この外見のことを)みんなに言われすぎているし、本当のことを話してくれないと!」と食い下がって。その姿に父も観念したのかな。「エリはハーフだよ」と、はっきり明かしてくれました。
――驚かれましたか?
erinco とても驚きました。え? やっぱりハーフ? それなら普通に考えると…「本当のお父さんは違う人なの?」と思いますよね。そう聞いたら、「いや、エリはお父さんに似ているでしょう」と。
そこでさらに動揺して「お母さんが違う人なの?」と尋ねると、「いいや、お母さんのおなかの中からちゃんと生まれているよ」と返されて。その時点でもう、訳がわかんないなと。
パニックになる私に、父はその理由を説明してくれました。「2人とも子どもが欲しいと思っていたけど、結婚も遅かったし、年齢的にお母さんの卵子で妊娠するのは難しかった。だから、アメリカに行って卵子提供を受けたんだよ」と。それも2回、海外の方の卵子提供を受けるも失敗し、“これが最後のチャンス”と言われた3回目で、受精卵となり、無事に妊娠。母は私を2220gで出産したそうです。
母と血がつながっていないことに大ショック! 母に問い詰めると…
――お父さんから話を聞いて、どんなお気持ちでしたか?
erinco 母と血がつながっていないと知った瞬間は、本当にショックで、思わず号泣してしまいました。ちょうどそのとき、母が買い物から帰ってきたんです。私は動揺し「お母さんって、本当のお母さんじゃないんだ!」と、言ってしまいました。
すると、母は「そんなわけないじゃない!」ときっぱり。そのときの表情が忘れられません。傷ついたような、すねたような…母のそんな顔を、初めて見たんです。そのまま母は自分の部屋にこもってしまって…。
その姿を見て、「ああ、母はこのことを私にどうしても言いたくなかったんだな」と気づきました。私自身、「本当のお母さんじゃない」なんて言ってしまったけど、ずっと愛情いっぱいに育ててくれた母です。まぎれもなく、目の前の母が本当の母だとすぐに思い直しました。
でも同時に、「これはもう、聞いてはいけないことなんだ」と感じて、それ以降この話題に触れることはしませんでした。なぜ、そこまでして私をこの世に送り出してくれたのか、本当は聞いてみたかったな。でも、母には聞けなかったですね。
――お母さんの心のうちはわかりませんが、本当に強い覚悟で妊娠・出産に臨まれたのでしょうね。
erinco はい。私は、最近まで体外受精がどんなプロセスを経るものなのか、よく知らなかったんです。母が亡くなったあとに初めて知って「こんなに大変なことだったんだ…」と驚きました。
今から30年近く前にわざわざアメリカまで行って卵子提供を受けて体外受精する――それだけでも、私には想像がつかないほどの決断です。しかも、母は54歳で自然分娩をしたと聞いています。本当にすごい人だったな、強いな…と、改めて感じますね。
お話・写真提供/erincoさん 取材・文/江原めぐみ たまひよONLINE編集部
心の内を明るくオープンに語ってくれたerincoさん。長年、自分の容姿に対する疑問や葛藤を抱えてきたことも事実ですが、それと同じくらい「両親からすごく愛されて育った」という確かな実感も、彼女の言葉から伝わってきました。
後編では、自身の出自をSNSで公表し、多くの反響を得た経緯や、逝去されたご両親への深い感謝、そしてこれから描いていきたい未来について、さらに詳しくお話を聞いています。
「たまひよ 家族を考える」では、すベての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
erincoさん
PROFILE
神奈川県在住、1997年生まれの28歳。両親が54歳のとき、海外で卵子提供を受けて誕生。現在はジムインストラクターを軸に、アパレルスタッフ、カフェ勤務、モデルなど多方面で活動中。くるくるのカーリーヘアがトレードマークで、明るく人懐っこいキャラクターが魅力。学生時代にはいじめを経験し、一時は男性と話すことができなくなるほど人間関係に悩んだ過去も。それでも“人が好き”という本来の自分を取り戻し、今では仕事も趣味も全力で楽しむ日々を送っている。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。