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子どもを授かることができなかった夫婦。夫の「お父さんになりたい」願いを叶えるために里親として子どもを育てることに【体験談】

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●写真はイメージです 写真提供/ピクスタ

不妊治療を経験したものの、子どもを授かることができず、里親になる道を選んだ鮫川景子さん(仮名)は、11年前に迎え入れた現在中学生のお子さんと一緒に暮らしています。お子さんを迎えたのは49歳のとき。大人だけの静かな暮らしから一転、2歳の子どもとの生活は戸惑いや苦労の連続だったと言います。それでも、毎月里親サロンに参加して先輩里親や仲間と繋がることで何とか乗り越えてきたそうです。そして現在は、“親と子どもの育ちをハッピーに!”という理念のもと、里親の普及啓発、研修、養育相談などを行う一般社団法人グローハッピーの一員として、全国の里親仲間と繋がっています。今回は、鮫川さんが歩んできた“親になる”までの道のりや、当時の生活についてじっくりお話を聞きました。2回にわたるインタビューの前編です。

夫の「お父さんになりたい」という願いを叶えるため、49歳で里親になることに

――里親になったきっかけを教えてください。

鮫川さん(以下敬称略) 5年ほど不妊治療をしていましたが、子どもを授かることはできませんでした。でも、夫が「お父さんになりたい」という思いの強い人で。義母が「里親や養子縁組という道もあるんじゃない?」と言ってくれたり、ちょうどそのころ「里親制度」のパンフレットがポストに入っていたりして、「そういう選択肢もあるのかも」と夫婦で考えるようになりました。

そのころは夫の希望で、里親ではなく、特別養子縁組を検討していました。ネットでいろいろな民間団体について調べてみましたが、養母の年齢は43歳までというところがほとんどで…。私はすでに43歳になっており、諦めるしかありませんでした。その後、不妊治療も止めて、夫婦2人で生きていこうと決めたんです。

そして私はフルタイムの仕事を始めたのですが、あまり楽しい職場でなくて。毎日のように愚痴っていたんです。
そしたら数年経ったある日、夫から「そんなに嫌なら仕事を辞めて、もう1度親になることを考えてみない?」と言われ…。びっくりしてショックで、部屋に閉じこもって2時間号泣です。2人きりじゃだめなの?約束したのに。でも、もしも夫が私より先に逝くことになって、最期に「お父さんになりたかった」と言われたら、私は自分の人生を呪うだろうなと。そう考えたら、これはもうやるしかないと。腹をくくりました!

――そこからはどのように行動されたのでしょうか?

鮫川 前回と同様、まずは特別養子縁組を検討しました。というのも、その数年の間に養母の年齢の上限が50歳まで引き上げられていたからです。ただ、私自身もさらに年を重ね、すでに48歳になっていて。2人で児童相談所を訪ねると「多くの方が待機されているので、今からでは間に合わないと思います」と言われてしまいました。

でも、そのあとで「里親ではだめですか?」と、子どもたちの現状についていろいろ説明してくださったんです。それを隣でずっと黙って聞いていた夫が「わかりました。では、里親になります」と。そこから私たちは里親としての道を歩み始めることになりました。

里子となった子どもとの初対面は1歳半。写真よりかわいい!と思った

――実際に里親として里子を迎えるまでには、どのような準備をされたのですか?

鮫川 まず座学研修を受けました。その後、児童養護施設での実習や、児童相談所の職員との面談、レポートの提出など、いくつかのステップを踏んで、正式に里親として認定されました。

――里子となるお子さんを迎えることになったのは、それからどのくらいたってからですか?

鮫川 うちは比較的早くて、里親としての認定を受けてから1カ月後くらいに「子どもと会ってみますか?」というお話をいただきました。

――そのとき、お子さんは何歳くらいでしたか?

鮫川 1歳半くらいでしたね。写真を見せてもらったのですが、「なんてかわいいんだろう!」と夫婦で盛り上がりました。

――初めて会ったときの様子を教えてください。

鮫川 初めて会ったのは乳児院です。関係者の皆さんと一緒に子どもがいるお部屋へ向かうと、施設の方が、こっちを見ている小さな子を紹介してくれました。写真で見ていたよりもずっとかわいくて…!保育士さんが抱っこして近くに連れて来てくれました。その日は短い顔合わせだけだったのですが、バイバイするときにタッチをしてくれて。その様子を見た保育士さんたちは、驚いていました。

――それからすぐに、一緒に暮らし始めたのですか?

鮫川 いえ、実際にうちで一緒に暮らすようになるまでには半年ほどかかりました。最初は、乳児院で保育士さんやほかの子どもたちと一緒に遊ぶことから始まり、徐々に私と2人きりで過ごしたり、夫の仕事が休みの日には夫を交えて3人で過ごしたり。後半には、わが家に日帰りで来る日があって、それから1泊2日、2泊3日と、少しずつステップアップし、最後は1カ月くらいの長期のお泊まり期間が設けられて、「問題ない」と判断され、正式委託となりました。

――お子さんとすぐに打ち解けることはできましたか?

鮫川 いえいえ。できなかったです。ふて寝されたり、大泣きされたり…本当にいろいろありました。子どもは保育士さんのことが大好きだったので、「この子は乳児院にいたほうが幸せなんじゃないか」と思ってしまうこともありました。

家で子どもを育てることになり、大人だけの気楽な生活から一変!3カ月で7kg痩せた

――一緒に暮らし始めてから、自分自身にどのような変化がありましたか?

鮫川 近所の児童館や公園の存在を、子どもと一緒に暮らし始めてから初めて知り、「子どもがいることで、こんなにも世界が広がるんだな」と、しみじみ感じました。

――育児にはすぐ慣れましたか?

鮫川 いいえ。私は一人っ子で、小さい子の面倒を見たことも無くて、しかも初めての子育てだったので、おむつ替えも慣れていないし、抱っこするのも「落としちゃいそう」とこわごわと抱っこしていました。

仕事を退職して里子を迎えたのですが、それまでの生活が一変したわけです。大人との接触がほぼなくなり、日中は子どもと2人きり。常にその子から目が離せない緊張感にさらされて…。おかげでたったの3カ月で7キロのダイエットに成功しちゃいました。まあ、痩せたのは何か起きたときにすぐ対処できるよう、お酒を控えていたせいかもしれませんが(笑)。

――苦労されたんですね。お子さんを正式に委託されたのが2歳ころでしょうか?2歳って一般的にもイヤイヤ期と言われますし、パワフルに動いて本当に大変ですよね。 

鮫川 そうですね。毎朝ベビーカーでお散歩に出かけて、夕方帰ろうとすると「帰りたくない!」と言われたり、お昼寝させようとしてもなかなか寝てくれなかったり…。

あるときは、外出時に椅子から落ちて頭を打ってしまって。帰宅後に乳児院に連絡したら、「今日はお風呂に入れないでください」と言われたんですよ。ただ、時すでに遅しで。入浴したあとだったので、真っ青になりました(苦笑)。

――乳児院にその後も相談されていたんですね。

鮫川 はい。委託が始まった当初は、乳児院の里親支援専門相談員さんが月に1回、家庭訪問に来てくださっていましたし、発熱やケガなどは電話で相談に乗ってもらっていました。また、月に1回児童相談所で開かれている里親サロンに参加して、先輩に悩みや愚痴を聞いてもらったりしていました。

育児で無理をしないよう、幼稚園を頼ることに

――ほかに育児の外部サポートを利用することはありましたか?

鮫川 本当に大変だったので、日中ワンオペで育てるのは難しいと判断し、どこかに預けて、子育てを手伝ってもらおうと考えました。仕事は辞めていたので、保育園は条件的に利用できず、幼稚園を選ぶことに。児童相談所の職員さんに、3歳から長時間保育をしてもらえる幼稚園を一緒に探してもらい、無事に入園できたあとは自腹を切って延長保育も使いまくりました。

そんなふうに積極的に外部を頼りながら育児をし、心が折れそうなときは、家族や里親の先輩たちに話を聞いてもらいました。すると、みんなも同じような悩みがあることがわかり、自分だけじゃないと思えたことで、持ちこたえられたことも多かったです。

――お子さんと暮らすようになり、旦那さんにはどのような変化がありましたか?

鮫川 当時はいっぱいいっぱいで当たり前のことのように思っていましたが、仕事が忙しいはずなのに、寝かしつけの時間に間に合うように早く帰ってきてくれて、一緒にお布団に入れるようにしてくれていました。

また、疲れている私を気づかって、休日は夫と子どもが2人で出かけることも増えていきました。言い出しっぺは夫なのでむしろやりたくてやっていたとも思えるのですが…(笑)。本当にありがたかったなと思っています。

お話/鮫川景子さん(仮名)  取材・文/江原恵美、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

大人2人の静かな暮らしから、2歳児とのにぎやかな日々へ。初めての子育てに戸惑いながらも、少しずつ子どもとの距離を縮めてきた鮫川さん夫婦。ときにもがきながらも、周囲の手を借りながら、懸命に歩みを進め、里子であるお子さんと一生懸命「家族」になっていったんだと感じました。
後編では、里親子がぶつかった苦労、里子として育ったお子さんが小学校高学年のときに起こしたある行動について、お話を聞きました。そちらもぜひ読んでくださいね。

鮫川景子さん(仮名)
PROFILE
東京都在住。不妊治療を経て、1度は子を育てることを断念。その後、里親となり49歳で当時2歳だった子どもを迎える。現在、子どもは中学生に。“親と子どもの育ちをハッピーに!”を理念に掲げる一般社団法人グローハッピーの代表・齋藤直巨さんとは、同じ児童相談所管内の先輩・後輩で、児童相談所主催の里親サロンで知り合う。グローハッピーの前身団体の立ち上げ時に声がかかり、そこから一員として、主に齋藤さんを支える業務に従事している。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年8月現在のものです。

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