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男女の双子を妊娠した『ヘラヘラ三銃士」のありしゃん。過強陣痛、腎臓がダメージを受け輸血を2回行う壮絶な出産・産後を経験して・・・

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お宮参りでの家族写真。
お宮参りでの家族写真。優しいママの顔のありしゃんさん。

2025年6月、男の子と女の子の双子を出産したことを公表した、女性3人組YouTuber『ヘラヘラ三銃士』のありしゃんさん。現在、子どもたちは5カ月になり、YouTube動画にもたびたび登場し、愛くるしい姿を視聴者に見せてくれています。ありしゃんさん自身は、いつも明るく大胆なキャラクターだからこそ、妊娠中や出産したころは、周囲には話せないことがある苦しい時期もあったのだとか。
そこで今回は、双子の妊娠や、壮絶だったという出産について、また双子をでき愛しているという夫との関係性について聞きました。全2回インタビューの前編です。

「片方の子はどうなるかわからない・・・」。妊娠の喜びと不安な気持ちが入り混ざった時期も

安定期ごろから急に大きくなったおなか。妊娠7カ月ごろ。
安定期ごろから急に大きくなったおなか。妊娠7カ月ごろ。

――妊娠が判明し、さらに双子だとわかったときはどんな気持ちでしたか?

ありしゃんさん(以下敬称略) 若いころから、妊娠しにくいかもしれないと医師から言われてきたので、まずは、気軽な気持ちで妊活を始めたんです。もし、「絶対にできる!」と思って取り組んでしまうと、できなかったときにすごくショックを受けてしまうと思ったので。それで、妊活はゆっくりのペースでいいかなと思っていたら、自分たちが想像していたよりも早く授かることができました。わかったときはうれしかったです。

夫はほとんど泣かない人なんですが、双子を妊娠していると伝えたときは、うれしくて涙を流していました。まさか夫が泣くとは思っていなくて、私も若干プチパニックに(笑)。そのとき、記念にと動画を回していたので、「あそこで動画を撮ってるよ」と伝えたら、急に涙が引っ込んじゃって(笑)。恥ずかしかったみたいで、グッとたえたようでした。

ただ、妊娠判明の段階で、片方の卵が小さいということがわかったんです。バニシングツイン(双子のうち1人がおなかの中から消えてしまう現象のこと)になってしまうのではないか・・・と。妊娠したことはすごく喜ばしいことだったんですが、片方の子は大丈夫だけれど、片方の子がこの先どうなるかは先生にもわからないという状況でした。本当は、夫へのサプライズ報告にとケーキも予約していたんですが、ちょっとそんな状況ではなくなってしまって。うれしい報告ではありつつも、ちょっとシビアな雰囲気でもありました。

その後先生から、「一緒に成長してくれてるから、もう大丈夫だよ」と言われたときは、本当にほっとしました。

――どのような妊娠生活でしたか?

ありしゃん 初めての経験なので、つわりって、気持ち悪いとか吐きけがするという認識しかなかったんです。もちろん、そういった症状もありましたが、それよりも精神面でけっこうなダメージがきました。私は常に、元気でバリバリ仕事をやってきた人間なので、何もないのに気持ちが下がるという経験がこれまでなかったんです。でもやっぱり、ホルモンのバランスでそうなってしまうんでしょうね。妊娠がわかってすぐに、気持ちが下がってしまうなどの症状が出ました。

あとは、おなかがとんでもなく大きかったです。当時の私は、自分にそのおなかがついているものだから、「うわ、すごい大きいな」という感覚はなかったんです。でも今、あらためて写真を見てみると、これでよく動けていたなと思います。

とくに急激に大きくなってきたのは、安定期に入ってから。あきらかに、1人の赤ちゃんを妊娠している妊婦さんよりも、だいぶ大きいなと感じました。でも、突然その重みがのしかかるわけではなく、じわじわのってくるものなので、そこまでは「重たい」という感覚はなかったです。

発表まではおなかを隠して動画撮影。メンバーは心地いい距離感で見守ってくれた

妊娠中もありしゃんさんをずっと支えてくれた、メンバーのまりなさん(左)とさおりんさん(右)
妊娠中もありしゃんさんをずっと支えてくれた、メンバーのまりなさん(左)とさおりんさん(右)

――妊娠中も仕事は続けていたんですか?

ありしゃん 仕事をストップさせることはできないので、なるべく調整はしてもらっていましたけど、やっぱり無理はしていたと思います。まわりの人にもかなりサポートをしてもらいながら、仕事をしていましたね。

YouTuberの仕事でいうと、生まれる瞬間から次の日までしっかり動画も撮っているので、休んではいないんです。病室でも、仕事の連絡には返信したりしていました。生まれる2日前にも、メンバーがお見舞いに来てくれていたので、そこでも動画を回していたり。YouTuberの仕事って、自分の私生活を出していく仕事だから、そこで撮らないのもおかしいなと思ったんです。

――妊娠については、メンバーにどのように伝えたんですか?

ありしゃん 妊活することは伝えていました。それで、もし授かったら、私たちはこれからどうするかというのも、実は以前から話し合っていたんです。

妊娠がわかってから、2人にはサプライズで妊娠発表をしましたけど、なんとなくいつかあるだろうとわかっていたようでした。「めっちゃすごい!」というよりは、「おめでとう!」という落ち着いたリアクションでしたね。妊娠のことを想定しながら計画は立てていたので、私が妊娠したことで、あわただしく大きな変化があったという感じではなかったです。

――2人は、どんな形でサポートをしてくれたんですか?

ありしゃん 私のメンタルのことを考えて、あまり干渉してこなかったんです。私の状況を見て、「無理しなくていいよ。いつでも私たちで動画を撮るから」と、ラフな感じで接してくれたのが、私の中ではすごく居心地がよかったです。「大丈夫なの?」「今、どんな感じ?」「いつ生まれるの?」などと、いちいち聞かれるよりも、2人は適度な距離で見守ってくれていました。

今まで、グループ内では私が先頭を切って決めていたことが多かったんですけど、2人に任せるということが、この妊娠期間ですごくできたんです。「あ、これは私じゃなくても、2人を信頼していいんだ」ということが増えましたね。

希望していた産院の方針で、「これも運命かも」と経腟分娩での双子出産にトライ

出産のために入院中のありしゃんさん。
出産のために入院中のありしゃんさん。計画分娩で入院してから7日目で、やっと本陣痛がきたそう。

――双子の出産では珍しい経腟分娩を選んだそうですね。何か思いがあったのでしょうか。

ありしゃん 私がここで産みたいなと思っていた産院が、そういう方針だったというのが大きいです。私も最初にそう聞いたときに、「えっ?」と思ったんです。双子を下から産むことってあるのかなと。母に伝えたときも、「双子は帝王切開でしょ?」という感じでした。

でも実は、その産院は双子でも経腟分娩にトライしたいという妊婦さんが集まる有名なところだったんです。さらに、妊娠週数もそこそこ進んでいたので、ここで決めないとということもありましたし。私もこの産院で産みたいと思って選んでいたので、これも運命なのかなと思いました。それで、トライしてみようと思ったんです。

――でも、途中で帝王切開に切り替えることになったんですね。

ありしゃん 妊娠39週に計画分娩で入院してから、7日目にやっと本陣痛がきたんです。陣痛がどんどん強まっていくなかで、「出産って、根性試しじゃないよね・・・」なんて思っていました(笑)。間隔がどんどん短くなっていく中で、吐いては陣痛が来るの繰り返しで、息をするタイミングがなくて苦しかったです。とにかく、子どもたちが無事に生まれて、私も安全に出産を終えられることが目的だよなと思い、気づいたら「早く帝王切開にしてください」と叫んでいました。

――夫さんは、立ち会いはされたのですか?

ありしゃん 夫は、陣痛中もそばにいてくれて、手術中も立ち会いをしてくれました。事前にYouTubeの動画を見て、立ち会いのシミュレーションをしていたみたいです。

ただ私が、陣痛促進剤の影響で、お産の途中で急に子宮の収縮が強くなりすぎてしまう過強陣痛(かきょうじんつう)になってしまって。夫がシミュレーションしてきた妊婦さんの様子とだいぶ違う状況が起きてしまったようなんです。夫の中でも、「こんなに大変だったんだっけ?」と思ったみたいで。でも、目の前で大変なことをしている人がいるから、「やらなきゃ」という気持ちもあったみたいですね。

これはあとから聞いた話ですが。夫は助産師さんと2人で私のサポートをしてくれていたんですが、助産師さんもずっと付いていてくれるわけではないので、けっこう1人の時間も多かったみたいで。それで、ずっと私の腰をさすり続けてくれていて、手も、そして精神的にも限界が来てしまったときに、「すみません!僕、ちょっとヤバすぎるので、来てもらえますか?死んじゃいそうです」と私の母にメッセージを送ったらしいんです。そうしたら母が、「手がもげるまでやり続けなさい!」と。私の母って、普段からものすごく優しいんですけど、そこは「しっかりしなさい!」と夫に喝を入れてくれたんだと思います。

私も、この壮絶すぎる姿は、母には見せられないなと思ったんです。それで私も、お母さんのことは呼ばないでと言っていたものだから、「俺1人でやるしかない!手がもげるまでやるしかない!」と覚悟を決めたようでした。次の日は、とんでもなく筋肉痛だったらしいですけど(笑)

夫は今回、立ち会いを経験したことで、夫婦の絆がより深まったと言ってくれました。命がけで子どもたちを産んでくれたことを目の当たりにして、より一層、私への感謝の気持ちが増したそうです。

――生まれてすぐの、双子たちの様子はどうでしたか?

ありしゃん お兄ちゃんが2600gぐらい、妹が2200gぐらいと、双子にしてはしっかり大きめに生まれてきてくれました。結局、妊娠初期に小さかった娘のほうは、やっぱり生まれたときも少し小さめでしたね。身長を測る余裕もないぐらいに、バタバタとNICU(新生児集中治療室)に運ばれていってしまったので、母子手帳に身長が書かれていなくて、わからないままなんですよ(笑)

――ありしゃんさんも、産後に集中治療室に運ばれそうですね。

ありしゃん 双子はどちらもNICUに入りましたが、とくに問題なく、1週間ほどで退院できました。ただ、子どもたちよりも、私の産後の回復のほうが遅れてしまって、それで入院が長引いてしまったんです。腎臓の機能がダメージを受けていて、産後すぐに輸血を2度行いました。

私としては、どこかがすごく痛いとか体調が悪いとかいうことではなかったのですが、血液検査をした数値があまりにもひどすぎて。それで、私が集中治療室に運ばれるということになってしまったんです。自分的には心も体も元気だったし、子どもが生まれてすごく幸せな気持ちだったから、「全然いける!」と思っていたんですけどね。体の中の見えない部分に不調が出てしまっていたようです。

退院の日は、「あ、家に帰れるんだ」と、不思議な気持ちになったし、もちろん、親や夫に感謝の気持ちもすごくありました。でも何より、サポートしてくださった医療関係者の皆さんへの感謝というのがすごく大きくて。子どもを産むという行為だけじゃなくて、そのあとも、家に帰ってから困らないように、母乳などのサポートをしてくれました。

――出産から3カ月たった今、振り返ってみてどうでしたか?

ありしゃん 結果的に私の出産は、陣痛促進剤による経腟分娩から、最終的には帝王切開というフルコースでした。陣痛の痛みも、帝王切開のつらさも経験して、入院から出産までが本当に大変だったなと振り返ってみて思います。妊娠中の10カ月間ももちろん大変でしたし。

だから、そのときの大変さと比べたら、今の双子の育児は全然大丈夫だなって思えるんです。比較することでもないですけど、あのときのことを思うと、今の寝不足な状況はあれほどしんどくないなと。

妊娠期間はずっと、早く子どもたちを迎えたいなと思って過ごしてきました。だから今、双子を育てられていることが、本当に幸せなことだなと、壮絶な経験をしたからこそよりかみしめられるんです。簡単に全部がうまくいっていたら、ここまでは思わなかったんじゃないかなと思います。大変な経験をしたからこそ、このありがたみがわかるのかなと。

双子ママの先輩である実母にアドバイスをもらうも、「大変すぎて何も覚えてない・・・」

双子ちゃんのお宮参り。泣くのも双子で一緒に。
双子ちゃんのお宮参り。泣くのも双子で一緒に。

――産後、体調はどうでしたか?

ありしゃん 今思えば、もっと休んでおけばよかったなと思っています。これ、つわりのときからそうなんですけど、初めての経験なので、「大丈夫でしょ」と勝手に思っちゃってるんですよね。だって、心は元気なんですよ。

でも今思えば、絶対にもっと休んでおけばよかったなと思うし、無理する必要はなかったのかなと思います。初めてだから、過去の自分と比べることができないですし。

双子を産んだ後も、元の体調に自分では戻っていると思ったんです。でも、今のほうがやっぱりよくなっているので、「あ、あのとき、実は全然回復していなかったんだ」と。本来の自分を取り戻しながら、過去の自分が大変だったことを、今知っていっている感じです。

――産後は、お母さまのサポートはありましたか?

ありしゃん 母には、今も自宅に来てもらっていて、サポートしてもらえるのでとてもありがたいです。産後ケアホテルもおすすめされたんですけど、そのときは、「今しか、子どもたちのこの一瞬を見れないから」と思って、預けて休むのがもったいないなという気持ちになってしまったんです。でも今思えば、ちゃんと預けて、しっかり体を回復してから子育てをしたほうがよかったなと思います。

もし、次の出産の機会があったら、もっと自分自身をねぎらった産後を過ごしますね。自分が全部やらないと、愛情がたりないんじゃないかと思わずに。自分が健康でいることで子どもたちへ100%の力を注げるから、ママ自身が健康でいることが第1ですね。

実は、私の弟と妹は双子なので、母は双子ママの先輩なんです。母に双子育児のアドバイスを聞くと、「30年前以上も前の話だから、何も覚えていない」と言うんです(笑)。母は、シングルマザーで双子を育てたので、子育てが大変すぎて、その時期の記憶がすっぽりないらしく・・・。だから、今の双子の子育ては、全部、“私流”でやっています。

お話・写真提供/ありしゃんさん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

壮絶すぎた双子出産を経たことで、子どもたちを育てられることに大きな喜びを感じているというありしゃんさん。また、一時期は片方の子が育たないかもしれないと医師から伝えられたこともあり、兄妹が無事に生まれてきてくれたことにも、その命のありがたみを実感しているようです。

後編では、経営者としての思いや、女性の働き方についてどのように考えているのかなどを聞きます。

ありしゃんさん

ありしゃんさんプロフィール画像

PROFILE
1992年、宮城県生まれ。2015年、22歳のときに美容サロン『Raviy』のオーナー社長となり、現在は全国各地に店舗を拡大。さらに2017年には、まりなさんとさおりんさんとともにYouTuber『ヘラヘラ三銃士』をスタート。YouTuberでは、リーダー・企画・編集も務め、チャンネル登録者数は176万人の人気チャンネルに。2024年12月には、一般男性と結婚し、双子を妊娠していることを発表。2025年6月に双子を無事に出産したことを報告した。

ありしゃんさんのInstagram

『ヘラヘラ三銃士』のYouTubeチャンネル

●記事の内容は2025年10月の情報で、現在と異なる場合があります。

『成り上がれよオンナたち』

『成り上がれよオンナたち』の書影

今年の春に双子の母となったありしゃんさんの、初エッセイ本。テーマは”オンナの成り上がり”。栃木で貧乏な幼少期を送っていたありしゃんさんが、美容サロンのオーナー社長になり、人気YouTuberになり、そして母になるまでの山あり谷ありの人生を詰め込んだ1冊。だれよりもたくさん失敗を重ねてきたありしゃんさんだからこそ伝えられる、人生訓がたくさん収録されている。ありしゃん著/1600円(KODANSHA)

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