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ネプチューン・堀内健。ヤンチャな子ども時代を送り、テレビに出たくて上京。芸人として売れる前に借金まみれにも。17歳年下の妻との出会いは?

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海でのロケで、ついついはしゃいでしまう堀内さん。
海でのロケで、ついついはしゃいでしまう堀内さん。

お笑いトリオ・ネプチューンのボケ担当として、奇想天外な言動と天真爛漫な性格で、お茶の間に常に笑いを届けてくれる、ホリケンこと堀内健さん。家庭では、高校生と小学生の女の子のパパでもあります。今回は、堀内さん自身の子ども時代のこと、また、芸人になるまでの道のりや奥さまとの出会いについて聞きました。
全2回のインタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

一生懸命に遊んで過ごした子ども時代は、「無茶するのがかっこいい!?」

小学生のころは、遊びのほかに野球にも夢中に。
小学生のころは、遊びのほかに野球にも夢中に。

――堀内さんは小さいころ、どんなお子さんでしたか?

堀内さん(以下敬称略) とにかく遊ぶのが大好きで、無茶するのがかっこいいと思っていました。自転車ごと崖から降りたり、体育館の2階から下に落ちたり、港で寒〜い冬の海に飛び込んだり、資材置き場に侵入してバラ線(有刺鉄線)でけがをしたり・・・。40年前後も昔という、その時代もあるかもしれないですけど、かなりやんちゃでしたね。もう、けがばっかりしていましたよ。

野球もやっていました。近所に鬼のように怖いおじさんが住んでいて、その人が子どもたちを集めて野球を教えてくれていたんです。放課後に僕たちがローラースケートで遊んでいると、そのおじさんに「何やってんだ!」と突然怒られたりと厳しかったんです。でも、今考えると、野球以外に世間の厳しさも教わっていたんだなと感謝しています。

放課後も、校庭で遊んでいて下校の鐘がなると、今度はみんなで壁付き鬼(※)をしながら家に帰るんです。絶対に鬼のまま帰りたくないから、みんなすごい必死でしたよ。

みんなと壁付き鬼をして家に帰ってから、母に買い物を頼まれておつかいに出たことがありました。そうしたら、最後の鬼と狙われていた子が、まだ壁のところで戦っているんですよ(笑)。本当に、一生懸命に遊んでいたし、子どものころはとにかく楽しかったです。

※壁鬼のこと。逃げる側が壁に手を当てている間は、鬼はタッチをすることができない。

――堀内さんのお父さまやお母さまはどんな方でしたか?

堀内 父も母も学校の先生をしていたので、どちらかといえば厳しかったです。父は、パンチパーマにサングラスをかけて学校に行っていましたから(笑)。僕が言うことを聞かないと、母から「お父さんに言うよ!」と言われるので、「それだけはやめて〜!」と泣きついていました。

ただ父も、1から10まで、あれしろ、これしろという厳しさではなくて、「また健が何かしたの?そんなのほっとけ!」というタイプ。厳しいんだか、放任主義なんだかわからないような感じでした。でも、あまり調子に乗ると、ガツンとしかられるので、やっぱり父は怖いというイメージでしたね。

両親が教師でしたが、僕は「勉強しろ」とは言われなかったんです。好きなことを自由にさせてくれていました。

だれにも言わずに密かな夢を抱き、高校卒業後は専門学校を口実に上京!

原田泰造さん、名倉潤さんとともに、1993年にネプチューンを結成。
原田泰造さん、名倉潤さんとともに、1993年にネプチューンを結成。

――高校卒業後に専門学校に入学して、ツアーコンダクターを目指していたというのは本当ですか?

堀内 ドラマ『男女7人夏物語』で、さんまさんがツアーコンダクターの役をやっていたんですよ。それを見て、楽しそうだなと思って、ツアーコンダクターを目指せる観光の専門学校に行ったんです。でもそれは、東京に行くための手段でもあったんですよね。

高校2年生ぐらいから、テレビに出たいなとずっと思っていたんです。でもそれは、親にも友だちにも恥ずかしくて言えませんでした。だから、密かな夢であるテレビに出るために、とにかくまずは東京に出たかったんです。

専門学校はなんとか卒業し、洋菓子屋の準社員として渋谷の店舗で働いていました。当時の僕は何も考えていなくて、本当にバカだったから、チャンスはいつかやってきて、芸人になれるだろうと思っていたんです。でも、自分から動かないといけないということが、21、22歳のころにやっとわかって。そこから、本屋で雑誌を見て、お笑いライブに飛び入りで出てみたり、事務所のオーディションを受けたりしました。3社目に受けたのが今の事務所で、そこで泰造と潤ちゃんに出会えたんです。

当時は、とにかくお笑いがやりたいというだけじゃなくて、テレビタレントを目指していました。泰造と潤ちゃんも役者志望だったから、同じような感覚だったんじゃないかな。

――ご両親は芸人になると聞いたとき、どんな反応だったんですか?

堀内 芸人になったことは事後報告で、最初は勝手にやっていました。芸人になったばかりのころに、妹が僕の部屋でライブのチラシを見つけて、「お父さん、お母さん、健ちゃんがこんなライブに出てるよ」と言っちゃったんです。そのときは、「なんだこれは」と言われたぐらい。それからまたしばらくして、深夜番組でネタをやっているときに、妹が「健ちゃん、深夜番組に出てたよ」と報告していました。

父に当時のことを聞くと、「健は、何考えているかわからなかった」と言うんですよ。でも、「悪いことだけはしないでいてくれたら、好きなことをやればいいと思っていた」とも言ってくれていました。母のほうが僕のことを心配していたみたいですが、「30歳までは好きなことをやればいい」と思ってくれていたみたいです。

芸人として食べられるようになる直前に、実は借金まみれになった時期もあって。カードが限度額いっぱいになっちゃって、支払いができなくなったときに、親に頭を下げてお金を借りたんです。本当は200万円の借金があったのに、どうしても言えなくて、100万だけ借りて返済。残り100万はまだ返しきれてなくて、どうしよう・・・と頭を抱えていたときに、「ボキャブラブーム」がやって来たんですよ。あれで一気に営業が増えて、借金を返すことができました。当時、僕は24か25歳ぐらいだったころ。今思うと、やばい大人でした(笑)

出会った当時はギャルだった17歳年下の妻は、一緒にいて楽しくておもしろい

中央にいるのが、中学生のころの堀内さん。友だちと一緒に。
中央にいるのが、中学生のころの堀内さん。友だちと一緒に。

――17歳年下の奥さまとは、どのようなきっかけで知り合ったんですか?

堀内 出会いは、飲み会ですね。合コンではなかったんですけど。「次に好きになった人と結婚したいな」と思っていたタイミングでたまたま好きになった人が妻で、歳が17歳離れていただけって感じです。出会った当時、妻はギャルでしたけど、一緒にいておもしろくて楽しかったんですよね。

最初、同棲しようと思ったんですけど、同棲するなら結婚したほうがいいかなと思って、それで付き合ってから1年ぐらいで結婚しました。僕が39歳、妻は22歳ぐらいでしたね。むこうのご両親は、よく結婚を許してくれたなと思います。

年齢差は、今では感じないです。歳が近い人と結婚したことがないからわからないけど、これが当たり前という感じになっています。

――堀内さんのどんなところにひかれたとか、奥さまに聞いたことはありますか?

堀内 そういうことは言わない人なんです。「言ったら負け」みたいに思っていそうです(笑)。ちょっとクールなところが、娘たちと似ているなと思います。僕のほうも恥ずかしいから、言ったことはないです。でもきっと、そういうことって伝えたほうがいいんですよね。

妻に対して、僕がすごくありがたいなと思ったのが、まだ子どもたちが小さいころに、僕の実家に、妻と子どもたちだけでよく泊まりに行ってくれていたこと。僕が仕事で行けなくても、よく連れて行ってくれたんです。最近は、上の子の塾や学校で行けなくなっちゃったんですけどね。

――「“パパ嫌い!”といつか言われたらどうしよう…」などと考えたことはありますか?実際には言われたことはないですか?

堀内 そう言われたことはないですけど、言われないように努力はしています。体に触らないとか、しつこくしないとか。今のところは、意外に大丈夫そうです。

以前のように、一緒に出かける機会は減りましたけど、そこは僕自身も理解しているし。距離感は意識しています。

でも本当は、「うえ〜い」とか言ってちょっかい出したいし、一緒に寝たいし、“いい子いい子”もしたいな〜なんて思いますけどね。

子どもたちには、だれからもかわいがられる、やさしい大人になってほしい

高校生のころの、堀内さん。
高校生のころの、堀内さん。

――長く一緒に走り続けてきた、ネプチューンのみなさんもみなさんパパですね。3人で、お子さんの話や子育てについて話すことはあるんですか?

堀内 そんなに、子育ての話はしないですね。でも潤ちゃんは、「うちの子が野球をしていて〜」とか、そんな話はよくしてきてくれますよ。僕の勝手なイメージですけど、「わしの家族、最高や!」という感じで、幸せそうな家庭だな〜といつも思っています。泰造のところは、もう子どもも成人しているので、子どもも親もそれぞれ1人の人間として独立している感じ。親離れ、子離れもすごく早かったような印象でしたね。

――お子さんたちには、どんな大人になってほしいと思いますか?

堀内 今の世の中、理不尽なことだらけじゃないですか。家で大事に大事に育ててきたからこそ、もしこの先、理不尽なことに直面したときに、自分で解決方法を見つけられるかなと心配になることがあります。そういうときに、話を聞いてあげられるような父親でありたいです。

ただ僕自身、どちらかと言えば、人から悩みを相談されるタイプじゃないんですよね。それで、新聞の『人生案内』のコーナーをよく見ているんですけど、そこにはいつも、いいこと書いてあるな〜って。それを参考にして、子どもたちにもアドバイスができたらいいなと。でも、何かあったとき、僕に話してくれるのかな〜。

とにかく、みんなにかわいがられるような人になれるように、そしてやさしい人になってくれるように、子どもたちを育てていきたいなと思います。

お話・写真提供/堀内健さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

やんちゃでけがが絶えなかったという小学生時代を過ごしてきた堀内さん。厳しくも、いつも好きなことをやらせてくれていたご両親は、堀内さんが選んだ芸人という道も、陰ながら見守っていてくれたそうです。そして今は、堀内さん自身が2人の女の子のパパに。高校生と小学生になった姉妹との距離感をうまく取りながら、今度はお子さんたちを見守る立場として、芸人の仕事とパパ業を堀内さんらしく楽しんでいるようです。

堀内健さん(ほりうちけん)

堀内健さんの宣材写真

PROFILE
1969年、神奈川県生まれ。1993年、名倉潤さん、原田泰造さんとともに、お笑いグループ『ネプチューン』を結成。ボケ担当。『ネプリーグ』(フジテレビ系)、『しゃべくり007』(日本テレビ系)、『ホリケンのみんなともだち』(テレビ朝日系)などに出演中。プライベートでは、2009年に一般女性と結婚し、現在は高校生と小学生の2人の女の子のパパ。

堀内健さんのYouTubeチャンネル

堀内健さんのTikTokチャンネル

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