妊娠7カ月で突然破水、790gと786gで誕生した双子の男の子。「小さかったけれど、たくましい生命力を感じた」【超低出生体重児】
小学4年生の長女と、1歳の双子の男の子を育てる越智友理さん。双子の男の子は妊娠25週(妊娠7カ月)で、緊急帝王切開で誕生しました。出生体重は、長男の朗久(あきひさ)くんが790g、二男の朋久(ともひさ)くんが786gでした。
母親の友理さんに、双子妊娠・出産のことについて聞きました。全2回のインタビューの前編です。
子宮頸管無力症のため、双子妊娠がわかったときは不安に
友理さんが、双子を妊娠したとわかったのは36歳のとき。自然妊娠でしたが、妊娠がわかったときはかなり驚いたそうです。
「実は、双子妊娠の前に、妊娠9週での流産を経験していました。産院でエコー検査を受けたら、医師から『赤ちゃんの心臓が動いてない』と言われて・・・。そのころ長女は8歳。ずっと下の子が欲しいと思っていたので、夫婦でかなり落ち込みました。
双子妊娠がわかったのは、それから数カ月後です。夫にLINEで伝えると『双子なんて急なことで、頭がついていかない』と返信がありました。私も、同じ気持ちでした。
振り返ると、双子妊娠がわかる少し前に行った北海道旅行で、夫が六つ葉のクローバーと四つ葉のクローバーをひとつずつ見つけていたんです。双子と言われて、幸せを運んでくれるクローバーだったのかな!?と思いました」(友理さん)
双子妊娠がわかって、夫婦で喜び合ったものの、友理さんには不安もありました。
「長女のときは、妊娠24週(妊娠7カ月)に入ってから、医師に『子宮頸管長(しきゅうけいけんちょう)が短くて、切迫早産の危険がある』と言われ、大きな病院に救急搬送されて3カ月ほど入院しました。子宮頸管が短くなった原因はわからなかったのですが、長女はなんとか妊娠10カ月に入って出産できました。
出産後の検査で、臨月を迎える前に子宮頸管(子宮の出口)が開いてきてしまう子宮頸管無力症(しきゅうけいかんむりょくしょう)だったと診断されたんです。
そのため双子妊娠がわかったときは『双子だし大丈夫かな・・・』と不安でいっぱいでした」(友理さん)
原因不明の出血が続き、子宮頸管縫縮術ができない
友理さんは、子宮頸管無力症のことを知人に相談しました。
「知人に相談したところ、子宮頸管を糸で縫い縮める子宮頸管縫縮術が受けられる産科クリニックを紹介してもらいました。しかしクリニックの医師に『双子だから、大きな病院に行ったほうがいい』と言われたんです。
自宅から通いやすくて評判がいい、都立墨東病院(以下、墨東病院)に行こうと思ったのですが、予約が取れたのがだいぶ先で・・・。
不安だったので、先に予約が取れた別の大きな病院で子宮頸管縫縮術のことを相談しました。そのころは1週間に1回ぐらい血のかたまりが出ていました。もしかしたら、また流産してしまうかも・・・とかなり不安でした。
その病院の医師からは『原因不明の出血がある現状では手術はできない』と言われてしまいました。
そのため妊婦健診で様子を見てもらいながらながら、墨東病院の予約日を待ちました。
墨東病院の初診のときは、妊娠19週(妊娠5カ月)でしたが『子宮頸管長が20mmで、早産の危険性があるから、すぐに入院してください』と言われて、急きょ入院することに。急な入院にあわてました」(友理さん)
友理さんは、墨東病院で子宮頸管縫縮術のことを相談しました。
「医師に相談したところ、長女のときは子宮頸管縫縮術を受けずに正期産までもったことや、すでに縫縮術に最適な時期を過ぎてしまっていることなどからペッサリーというリング状の器具(※)を挿入して様子を見ることになりました。
入院は約2週間でした。長女には、双子妊娠がわかってから『急に入院することもあるかもしれない・・・』とは伝えてはいたのですが、現実となるとやっぱり心細かったようです。入院中は、スマホのビデオ通話で長女とよくおしゃべりをしていました」(友理さん)
※子宮頸管が短い、開きやすい妊婦に対して、早産を予防するために膣内に入れる医療器具。
妊娠25週になり、夜中に破水。緊急帝王切開で双子が誕生
退院後は、自宅で安静にしていた友理さん。しかし退院から1カ月が過ぎた夜中、破水してしまいます。
「退院後は、無理しないように必要最小限の家事をしながら、ゆっくり自宅で過ごしていました。ですが2025年3月、夜中に寝ていたらじんわりとぬれる感じがして目が覚めたんです。『あっ!』と思った瞬間にジャバッと破水。『このままでは、まずい!」と思って、夫を起こして、すぐに車で墨東病院に連れて行ってもらいました。
深夜の0時50分ごろに病院に着くと『本当は1日でも長くおなかにいてほしいけれど、今日、産みましょう』と言われて、妊娠25週(妊娠7カ月)で緊急帝王切開をすることになりました。
夫は、長女を小学校に登校させるために、一度帰宅しました」(友理さん)
午前中に行われた緊急帝王切開は約1時間で終わり、長男は体重790g、身長33.4cm。2分後に生まれた二男は体重786g、身長33.8cmでした。
「手術を待っている間は、妊娠25週で出産することになった自分を責めました。『きっと鳥のひなみたいな姿で、弱々しい赤ちゃんなんだろうな・・・』と思い、不安だったのですが、誕生した双子を見たら、私が思っていた以上に生命力に満ちあふれていて、元気な産声も聞こえました。手に触れると小さな小さな手で私の指を握ろうとしたんです。直感的に『この子たちは大丈夫』と思いました」(友理さん)
急な出産で、双子の名前はまだ決まっていませんでした。双子は、すぐにNICU(新生児集中治療室)に運ばれましたが、NICUでは、長男は「1番ちゃん」、二男は「2番ちゃん」と呼ばれていました。
「看護師さんや医師からも、『名前を決めてあげたら?』と言われていて・・・。私は1週間で退院したのですが、退院した日に、すぐに家族で話し合いました。夫の希望は「強運の持ち主だった実父の“久”という字を入れたい」、私の希望は「長女の名前と共通点をもたせたい」ということでした。
いくつか候補が出る中で、家族で話し合い長男は朗久(あきひさ)、二男は朋久(ともひさ)と命名しました。
長女の名前は明希なので、きょうだいみんなに『月』という漢字が入っています。『ツキ』がつく=運がいいという意味もあり、気に入っています。
小さく生まれた赤ちゃんは、いろいろな不安がぬぐえませんが、朗久と朋久は、運が味方になってくれたらいいな・・・と願っています」(友理さん)
【近藤雅楽子先生より】越智さんも「チームあきくん・ともくん」の主要メンバーとしてスタッフとともに活躍
子宮頸管無力症とは、おなかの張りや痛みがあまりないまま、子宮の出口が開いてきてしまう状態です。治療は、安静、子宮の出口を縫う手術(子宮頸管縫縮術)、黄体ホルモン療法、ペッサリーを使う方法などがあります。
感染や破水を伴うと早産になることがあります。現在の日本では妊娠25週で生まれた赤ちゃんも、およそ9割が救命されていますが、生まれたあとも分娩予定日ごろまで入院が必要です。その間は医療スタッフと家族が力をあわせて赤ちゃんの成長を支えます。越智さんも毎日のように病院に来て、「チームあきくん・ともくん」の主要メンバーとしてスタッフとともに活躍してくださいました。
お話・写真提供/越智友理さん 医療監修/ 近藤雅楽子先生 取材・文/麻生珠恵 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部
日本では10人に1人が2500g未満で生まれる低出生体重児と言われています。朗久くん、朋久くんのように出生体重700g台は、超低出生体重児です。小さく生まれる赤ちゃんの医療は日々進歩しています。
インタビュー後編は、朗久くんと朋久くんの成長や、友理さんが墨東病院で受けたNIDCAP(ニドキャップ/早産児の成長発達と親子の関係性をはぐくむことなどを目的とした、新生児の神経行動発達理論と科学的根拠に基づいたケアプログラム)について聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
近藤雅楽子先生(こんどううたこ)
PROFILE
平成11年北海道大学医学部卒。都立墨東病院 新生児科部長。研修医指導医。専門分野は周産期・新生児医療。日本小児科学会小児科専門医・指導医、日本周産期・新生児医学会新生児専門医・指導医、新生児蘇生法専門コースインストラクター。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年4月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。


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