何度も断った昇進オファー。部下を残して退社する時短管理職ママの苦悩
共働き家庭が多数派となった今、多くのママやパパが仕事と育児の両立に試行錯誤しています。
その一方で、「育児との両立のために、どうすればよいかを考えたことで、より効率的で自分らしい働き方を見つけた」という声も聞こえるようになりました。
この連載「わたしと子育てと仕事」では、家庭を大切にしながら前向きに仕事に取り組んでいるママ・パパの“ここだけの話”を紹介します。
今回登場するのは、男性社会といわれる建築業界で、社内初の女性管理職に起用された園部雅子さん。9歳と5歳の子がいる2児の母です。「管理職への打診を受けた時のとまどい」や「家事と育児の両立の工夫」について、お聞きしました。
「私には無理!」何度も断った部長昇進の打診
園部さんが勤めるのは、住宅事業を展開するポラスグループの、ポラテック株式会社。「プレカット事業部」の部長として、12名の部員を率い、会社でトップの成績を収めています。プレカットとは、住宅建築の木材を、工場で事前にカット・加工する工法のこと。柱から細かいパーツまで、コンピューター制御のもと加工を済ませて建築現場に届けることで、大工さんは現場で大工仕事に集中することができます。園部さんが所属しているのは、ハウスメーカーや工務店、商社、建築問屋などへの法人営業を行う部署。
「学生時代から住宅営業を希望していました。でも入社時に管理職になりたいという願望は皆無。一人前の営業マンになりたい、営業マンとしてお客様の信頼を得たい、という思いはありましたが、管理職になって人を率いたいという上昇志向は一切ありませんでした。
この業界は男性が多く、弊社も8割が男性。これまでの上司も100%男性。私の直属上司も、強烈なリーダーシップで部下をひっぱるタイプ。夜も終業後にお客様と食事に行き、人脈をどんどん広げていました。そんな上司を見ていたので、出産後に管理職への昇進を打診されたときは『自分には絶対にできない』と思い、何度もお断りしました」
園部さんは3度、昇進オファーを受けています。
1度目は妊娠する前、2度目は第1子の育休復帰のタイミング、3度目は第2子の育休復帰の数か月後。3回とも、さまざまなモヤモヤを抱えていたと言います。
私の昇進は『女性活躍』という会社の方針のためなのでは?
最初に昇進の声がかかったのは、妊娠する前、30歳のころ。
「29歳のときに1年間の大阪転勤になったのですが、まったく結果を出せず。大きな挫折を味わいました。にも関わらず、1年後、東京に戻ってきたと同時にマネージャー職に任命されたのです」
大阪時代に実績を出せなかった負い目もあり、正直やりたくなかったそう。しかし部下とともに、ひとつひとつの仕事を誠実にこなし、1年後には計画比120%を達成。そのあとすぐに第1子出産で産休・育休に入ります。
そして育休復帰をするタイミングで、再びマネージャー職に任命されたそう。
「正直、当時の弊社では、同じぐらいの年齢と力量の営業マンなら、女性のほうがマネージャーに押し上げられる傾向がありました。『女性活躍』という会社の方針に乗せられているのではないか、実力が伴っていないのではないかと考えることが多くありました」と、園部さんは、自身の昇進を純粋に喜べなかったと言います。
管理職でのワーキングマザー1年目
ワーキングマザー1年目から、管理職となった園部さん。そのときの部下は5人だったそう。
「19時には保育園のお迎えに行かねばならず、9時〜17時の時短勤務をしていました。料理中も子どもに食事を食べさせているときも、仕事の電話をしながらで。夜はメール対応をして、翌朝5時半に起床。7時過ぎに家を出て仕事に向かいます」
毎日がこの繰り返しだったそう。
「当時、部下が夜遅くまで仕事をしているのに、自分だけ早く帰る状況。申し訳ない気持ちから、叱るべき時に叱れないなど、部下に対して遠慮しすぎていた面があったように思います。部下の一人が辞めると言い出したときに、自分の関わり方が悪かったと悔やみました。」
「リーダーらしさ」を求めるのではなく、「私らしさ」を武器にする
そんなモヤモヤを抱えながらも、2人目を授かり、再び産休に入ります。そして復帰し数カ月たったころ、3度目の昇進、シニアマネージャー(部長)のオファーが。
「当時、子どもたちは1歳と4歳。子育てに加えて、今以上に責任が重くなる部長職。考えるだけで気が遠くなり、まず断りました」
しかし、半年後に引き受けようと決意します。
きっかけは、入社当初からお世話になっていた上司に相談したこと。上司から「大した悩みではない。サラリーマンなら願ったり叶ったりの『上にあげる』という話を、やってもいないのにできないと言うな」と一喝されたといいます。
「勝手に自分の中で、『できない』と決めつけていたので、目を覚ますきっかけとなりました。やってみてできなければ、そのときに『できない』と言えばいいと、少し前向きになりました」
戸惑いと、自身の昇進を純粋に喜べなかった気持ちから覚悟を決めてチャレンジしてみようという思いに変わったと言います。
さらに、園部さんを後押ししたのは、社内会議で配られた「サーバントリーダーシップ(支援型リーダーシップ)」について書かれたA4の紙でした。
「従来のリーダーは、競争を勝ち抜くことが第一で、指示命令ができるマッチョタイプのリーダーでしたが、現在は、上司も部下もWin-Winで、部下に寄りそう傾聴型のリーダーが求められている、という内容でした」
これを見て、「『こういうリーダーなら私もできるかもしれない。私はここを目指そう。上司と同じタイプを目指すのではなく、自分らしくやろう』と、目の前が明るくなりました」と園部さん。今でも、その紙を大切に手帳に挟んでいるそう。
マネージャー職も時短勤務。金曜日は納豆ご飯で乗り切ったことも
「馬車馬のような毎日で、育休復帰したときの記憶は、全然ないんです(笑)」と語る園部さん。特に下の子が、上の子と違う保育園に決まったという通知を見た時は、ぼうぜんとなったとか。
「夫は同じ建築業界で働いており、私の仕事に理解がありました。私の会社は、マネージャーでも顧客を持つ“プレーイングマネージャー”なので、担当から外れたわけではありません。常時10社ぐらいのクライアントを持っていました。
そのため、仕事中に保育園からの着信があると、ドキドキでした。特に冬場は熱が出て迎えに行くのは日常茶飯事。上の子はおてんばで、保育園で転んで8針縫ったこともありました」
保育園からの急な呼びだしや子どもの病気とお客様のアポイントが重なった時は、「誰が迎えに行くかと、アポイントの調整が大変だった」と言います。
「2人とも病後児保育室に登録していました。熱が上がり切ってピークを過ぎれば預けられるので、1週間ずっとお世話になっていたことも。保育士と看護師さんがいて、食事も胃腸が弱ければやわらかくつくってくれたり小さく切ってくれたりするので、とても助かりました」
それでも月1回程度、どうしても夫婦でやり繰りできない場合は、現役で働いているお母さんに仕事を休んで来てもらったとか。けれど、基本は、夫婦で乗り切っていたそう。
「夫婦の家庭内分担は、夫は洗濯と子どもの入浴、私が食事づくりと子どもまわりのこと、保育園の送迎は2人でといった感じでした。
日曜日には、寸胴鍋に野菜をたっぷり入れたミネストローネをつくって、水曜日まで食べて、最後、木曜日はカレーにして出したり。金曜日は、どうせ次の日は休みだから納豆とご飯で、『朝食みたいだね(笑)』と夫に言われたこともあります」
しかし、どんなに忙しくても、「何か削ってゆっくりしたいかというと、そうではなかった」と園部さん。
「仕事が好きで、自分が選択して仕事を続け子育てもしているので、何かを言い訳にするのは違うと思ったのです。当時は1年後、2年後を見通すこともできず、目の前のことに必死でした」
そんな大変な毎日を送っていた園部さんですが、「管理職を引き受けてよかったと思っています。あの時に頑張ったからこそ、今、それが報われつつあるんです」と語ります。
後編では、管理職になったから気づいたことやできるようになったこと、仕事の進め方で変わったことなどをお伺いします。
(下関崇子/bizmom編集部)
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