「ある日突然、妻が家族から離れていった…」シングルファーザーの奮闘、助けとなったのは?
ワンオペ育児、孤育て、長時間労働、少子化…。長年、妊娠・育児雑誌を制作してきた「たまひよ」ですが、最近取材していると、どうしても日本の子育てが、厳しい問題に直面していると感じてしまいます。
本特集「たまひよ 家族を考える」では、赤ちゃんをとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも育てやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
第二弾の連載は「シングルファーザーを知る」。厚生労働省の「平成28年度 全国ひとり親世帯等調査」によると、父子世帯数は18.7万世帯(ひとり親世帯の13.2%)。シングルファーザー(シンパパ)であることをなかなか周囲に言えず孤立感を深めたり、会社との折り合いが悪くなったりするケースも多く、問題視されています。
連載1回目は、3人の子育てをしてきたシングルファーザー、吉田大樹さんのこれまでの日々についてお話を伺い、「シンパパの本音」に迫ります。
ある日突然、妻が家族から離れていった
「あの頃のことは大変すぎて、あまり記憶がないんです」
吉田さんは、妻と別居した当時を振り返って言いました。
吉田家に3人目となる次男が誕生したのは、2008年のことでした。当時住んでいた市の保育園は待機児童が多く、入園がとても厳しかったので、翌年暮れに都心からより離れた市にマンションを購入して、家族5人で転居しました。
2010年の春に、一番上の長男は小学校に入学。長女と次男も保育園に無事に入園でき、吉田さんは都心の会社へ片道1時間以上かけて出勤する毎日を送っていました。
ところがその年の夏、親子5人の生活は突然終わってしまいます。
「ある日、妻が突然家を出ていってしまったんです。妻は幼少期から難しい家庭環境にあり、自分の中にさまざまな課題を抱えていて、僕も彼女のためにどうすればいいのかを探る日々でした。それでも状況は改善せず、最終的には妻は家を出て、別の場所で新たな暮らしを始めることを選びました。絶対に起こらないと思っていたことが目の前に起きたことに絶望し、2週間ほど泣き続けました」
こうして7歳と4歳、2歳の子どもたちを1人で育てる吉田さんの怒涛の生活が始まりました。
脳みそをかき回されるような激動の日々
かつて、長女が生まれた時には育休を取得し、家にいる時は積極的に家事や育児をこなしていた吉田さんですが、それらを一人で背負う日々が続くのは非常に大変なことでした。
「それまで『世のママたちは大変だよね』とは思っていたのですが、いざ自分自身が子どもに100%向き合わなければいけなくなって、脳みそをかき回されるような大変さに直面しました。子どもたちを保育園に預けて、園から出た瞬間が一番ほっとする瞬間でした」
また、吉田さんにとって一番大きかったのは働き方の変化でした。
「隠しても仕方がないので、会社にも経緯を報告しました。幸い会社の理解が得られ、出社を1時間遅らせるなどの配慮をしてくれました。ただ、学童と保育園のお迎えがあるので残業が一切できなくなり、給与はぐっと下がりました。子どもが病気になれば仕事を休まざるを得ず、年休も使い切っていました。経済的なしんどさは今も解決しているわけではありませんが、当時はとてもこたえました」
まるで戦争のような激動の日々でしたが、それでも子どもたちは吉田さんに気を使ってくれていたのか、「ママがいい」などと言うことはありませんでした。しかし別居して2ヵ月後、家族でよく観ていたマイケル・ジャクソンの映像が目に入った瞬間、長女が「ママに会いたい!」と大泣きしたことがあったそうです。
「その時はハグしながら『大丈夫、大丈夫』と伝えるしかありませんでした。僕の目の前で子どもが泣いたのは、その1回だけです。長男は当時小学生で自分がしっかりしなきゃという思いがあったでしょうし、次男はまだ2歳。娘がいちばん気持ちを我慢していたのかもしれません。ずっと後になってから、長男が『トイレで妹が泣いていたことがあったよ』と自分の母に伝えていたことを知りました」
周囲のちょっとした声かけがありがたかった
別居から1年2ヵ月を経て、子どもたちは、運動会や誕生会などのイベントのたびに再びママに会えるようになりました。そして別居から3年後、数回の調停を経て協議離婚。正式に月1回以上、ママは子どもたちと会うことになりました。
「そもそも僕は、妻のことを嫌いになったわけではなく、妻が家を出ていった理由も納得しています。そう思うと、時が経つにつれて、婚姻という形にこだわらなくてもいいのかなと考えるようになりました。お互いそれぞれの場所で納得いく生き方ができていれば、子どもたちも大好きなママに会える。これでいいのかなと」
「現在、別居から10年、戸籍上もシングルファーザーになって7年が経過しました。当時は引っ越したばかりで知っている人が誰もいなかった地域でしたが、気が付けばたくさんのママ友やパパ友ができていました。子育ての話をしたり、子どもの制服のおさがりをいただいたり、地域のお祭りでお神輿を担ぐこともあります。そうした地域で子どもたちもすくすく成長しました」
「自分がお祭りで神輿を担ぐなんて、以前住んでいた市では考えられないことでした。保育園の保護者会や小学校のPTA役員をやっていたこともあり、神輿を担いでいる時に声をかけられたりするのは嬉しいですね。正直に我が家の事情をお話ししたら、『何か困ったことがあったら言って!』と声をかけてくださる人もいて、ちょっとした一言がとてもありがたかったです。実際に頼むことはそうそうないのですが、万が一何かあった時に頼める人がいるんだという安心感がありました」
取材中、過去のつらい思い出も、明るいトーンで話す吉田さん。持ち前のポジティブな性格や、離婚前から家事や育児をある程度こなしていた経験が、大変な中でも乗り越えることができた理由なのかもしれません。
一方でインターネット上には、戸惑いや悲しみ、大幅な収入源による困窮など、さまざまな事情を抱えるシングルファーザーの声が溢れています。慣れない家事育児に消耗してしまう人も…。シングルファーザーになった世の中のパパが、みんな吉田さんのように前向きに生活を送れる段階に至っているわけではありません。
吉田さんは、職場や保育園、学校などで積極的に自分たちの状況を伝え、周囲もそれに応えてくれたことが、風通しの良い子育てへとつながったといいます。「声をかけるのは迷惑では?」などと迷う人もいるかもしれませんが、たまひよ読者のささいな声かけが、今まさに孤独や悩みを抱えているシングルファーザーの大きな助けになるかもしれません。
次回は、吉田さんの体験談を元に、シングルファーザーが利用できる制度や、子どもが大きくなるにつれて直面する課題とその乗り越え方について紹介します。
吉田大樹さん(プロフィール)
NPO法人グリーンパパプロジェクト代表理事。労働・子育てジャーナリストとしてYahoo!ニュースなどでも発信をしている。現在、内閣府「地域少子化対策重点推進交付金」審査委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。3児のシングルファーザー。
(取材・文 武田純子)