588gで生まれて44日目、「軽い。だけど重い」。命を感じた初抱っこ。【小さく生まれた赤ちゃん体験談】
医療の進歩で、小さな赤ちゃんも無事に生まれ、育つようになってきています。でも、NICUでいろいろなチューブなどにつながれたわが子を見るのは、ママやパパにとってとてもつらいこと・・・。自分を責めたり、「こんな小さな子を育てていけるのか」と不安になるママも多いといいます。1458gで長男雄崇(ゆたか)くんを出産した江口玉恵さんと、三女紡(つむぎ)ちゃんを588gで出産した小松彩さんに、お子さんが生まれてからNICUを退院するまでのことについて、聞きました。
(上の写真はNICUに入院中の江口雄崇くん。哺乳びんでミルクを飲む練習のため、乳首が置いてあります)
順調だったのに突然破水! 状況を理解できないまま早産に…(江口さん)
――出産が早めになりそうというのは、いつごろわかりましたか。
江口さん(以下、敬称略)ごく初期に切迫流産(せっぱくりゅうざん)になりかけたのですが、その後は順調だったんです。ところが、33週直前に突然破水して、緊急入院に。「感染のリスクがあるから、2~3日様子を見て赤ちゃんが苦しくなってきたら帝王切開をする」と説明されたのですが、翌日陣痛が来て、自然分娩で出産しました。
生まれた直後にカンガルーケアはできたけれど、息子はすぐNICUに運ばれて目の前からいなくなり、何が起きたのか把握できない状態でした。
小松さん(以下、敬称略) 8年前に子宮頸がんになり、医師に子宮全摘出をすすめられました。でも、どうしても子どもが欲しかったので、子宮頸部だけを切除するトラケレクトミーという手術をしました。そのおかげで、妊娠することはできたのですが、子宮頸部がないと胎児が感染症にかかるリスクが高くなるということで、妊娠がわかったときから計画的に早産(37週)で出産することになっていました。
出血の回数が増えてきたため、19週の時点で入院し、経過を観察。1日でも長くおなかの中で育てたいと願ったけれど、25週のころ破水し、26週のとき胎児の心拍数が下がってしまい、帝王切開で出産しました。出産時に産声(うぶごえ)を上げず、緊急処置が必要だったため、対面できないまま娘はNICUに入りました。
「ママのせいじゃない」という助産師さんの言葉に救われた(小松さん)
――NICUでお子さんに初めて対面したときのお気持ちを教えてください。
江口 午前11時に出産し、その日の夕方にNICUに会いに行き、少しだけ体に触れることができました。翌日から黄疸(おうだん)の光線治療が始まり、治療中はただひたすら見守るしかできませんでした。1人目の子なので、出産自体が未知の経験。ましてや、小さく生まれるとはどういうことなのか全然わかっていなかったんです。目にシールを貼られて治療を受けている息子に向かって「早くに産んじゃってごめんね…」と、泣きながらあやまっていました。
小松 初めて対面したのは出産の翌日でした。早くに生まれることはわかっていたのに、やっぱり涙がとまらなくて、江口さんと同じく「ごめんね」とあやまっていました。つき添ってくれた助産師さんも一緒に泣いてくれ、「ママのせいじゃないから自分を責めないで。赤ちゃんはママに早く会いたくて生まれてきたんですよ」と言ってくれたことで、すごく救われました。
――初めて抱っこできたのは何日目でしたか。
江口 10日目でした。抱っこするというより“両手ですくい上げる”といった感覚でした。わが子を抱けたことはもちろんすごくうれしかったけれど、「こんなに小さな子を育てられるのか…」という不安のほうが正直大きかったです。
でも、助産師さんに「ママが不安そうにしていると、その気持ちが赤ちゃんに伝わっちゃうのよ」と言われたんです。息子はこんな小さな体で頑張っているんだから、私が泣いてちゃダメだと思い、面会に行くときは、笑顔でいることを心がけました。
小松 初めて抱っこできたのは44日目。保育器の中での手のひら抱っこでしたが、そのとき感じたのは「軽い。だけど重い」でした。体重は軽いけれど、命の重さがずっしりと伝わってきたんです。「この命を大切に育てなければいけない」と強く思いました。
パパがいつも明るくポジティブでいてくれたのがうれしかった(小松さん)
――お子さんが小さく生まれたことを、パパはどのように受け止めていたでしょうか。
江口 破水して緊急入院した際、「死産の可能性があり、母体にも影響するかもしれない」と、パパは医師から説明されたそうなんです。でも一人で受け止めてくれ、私には何も話しませんでした。その話を聞いたのはつい最近です。
また、私は5日で退院したあと実家に帰ったのですが、病院までは遠いので、実家にいる間は、息子に会いに行けたのは週3回くらい。その間、パパは毎日病院に行き、息子の様子や先生の説明を毎日メールで教えてくれました。本当はパパ自身も心配なことがたくさんあったと思うのですが、常に冷静でいてくれたから、私も落ち着いていることができました。
息子の退院を待つ間に、おふろに入れる練習もしてくれたんです。そのおかげで、パパのほうがお世話が上手でした。
小松 娘はとても小さい状態で生まれたので、“24時間の壁”“72時間の壁”と、さまざまな困難を乗り越えなければいけませんでした。出産直後はパパが先生からの説明を聞いてくれ、「大丈夫だから心配しないで」と言ってくれました。でも、あとから聞いたら「本当に育つんだろうか」とすごく不安だったそう。
実は、上に19才と16才の娘がいるので、私自身は出産は初めてではありませんが、紡はパパと再婚してからできた子。パパにとっては初めての経験です。初めての子どもがこんなに小さく生まれたら、ショックが大きかったと思うのに、私には不安なそぶりを見せず、前向きな話しかしなかったんです。そんな対応をしてくれたパパに、今でもすごく感謝しています。
NICUのスタッフとコミュニケーションをとるには、あいさつから(江口さん)
――NICUに入院している間は、先生や看護師さんに聞きたいことがたくさんあるけれど、皆さん常に忙しそうだから声をかけにくい…という話をよく聞きます。お二人は、NICUのスタッフとどのようにコミュニケーションをとりましたか。
江口 私もそれは悩みました。説明してもらったときは理解したつもりでも、あとになって「あれはどういうことだったんだろう?」と疑問になることが出てくるんですよね。でも、皆さんとても忙しそうだから、質問しづらくて…。最初のうちは「聞きたくても聞けない」と、もやもやすることがよくありました。
でも、NICUに面会に行くたび、その場にいるスタッフの皆さんに必ずあいさつをするようにしたんです。そして顔見知りになるにつれ、「今日は〇〇をしたのよ」などと、あいさつがてら教えてくれる方が増え、そのとき質問もできるようになりました。あいさつはコミュニケーションの第一歩だなと実感しました。
小松 子宮頸がんの手術を受けた病院で出産したので、もともと事情を理解してもらっていたというのはあるんですが、出産前の入院中から、先生や看護師さんとできるだけコミュニケーションをとるようにしていました。そのかいもあって、娘がNICUに入ってからも、こまめに先生が説明をしてくれたと思います。スタッフが忙しそうにしていると声をかけづらいと思いますが、ママからコミュニケーションをとることが大切かなと思います。
――今、まさにお子さんがNICUに入院しているママへメッセージをお願いします。
江口 入院中に、助産師さんが言ってくれた「小さく生まれた赤ちゃんは、早くママやパパに会いたかったのよ」という言葉が今も心に残っています。わが子が小さく生まれたら、だれでもショックを受けますが、「私とパパに早く会いたいと思ってくれたんだ」と考えると、気持ちが少し前向きにならないでしょうか。赤ちゃんとの生活に向けて、ママが元気になることがとても大切だと思います。
小松 娘は肺の発達が不十分だったので、退院後も在宅酸素が必要でした。3人目の子なので、子育て自体の経験はありますが、こんなに小さな赤ちゃんのお世話を1人でするのは精神的に無理だと、紡が退院する前にパパに相談しました。パパはその気持ちを受け入れてくれ、なんでもやってくれました。赤ちゃんがNICUに入院している間に、赤ちゃんをお迎えしてからの生活について、夫婦でしっかり話しあっておくといいと思います。
お話/江口玉恵さん、小松彩さん 取材・文/東裕美、ひよこクラブ編集部
二人のママが出産に至るまでの事情は異なりますが、赤ちゃんが小さく生まれたことで抱く不安や心配は変わりません。そんなママを、パパがしっかりと支えてくれていたようです。また、NICUのスタッフとコミュニケーションをとるように努力したことで、不安や心配を解消していったとも。つながることが大切だと感じた江口さんと小松さんは、今小さく生まれた赤ちゃんのママたちのサークル「pian piano」で一緒に活動中です。
江口玉恵さん(39才)
雄崇(ゆたか)くん(9才)を、2012年2月9日に33週1458gで出産。
雄崇くんはNICUに1カ月入院し、1カ月と13日目に2550gで退院。
小松彩さん(39才)
紡(つむぎ)ちゃん(2才3カ月)を2018年11月1日に26週1日588gで出産。紡ちゃんはNICUに5カ月弱入院し、4カ月と22日目に2230gで退院。