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東日本大震災から10年、石巻の命と絆。ママたちが語るあのときと今の思い #あれから私は

石巻の眺め
※写真はイメージです
reflap/gettyimages

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市。2021年2月13日には震度6弱の余震に襲われました。10年前、小さい子どもを抱えて被災し復興の中で子育てをしてきたママたちは、この10年間をどのように感じているのでしょうか。ひよこクラブ2014年9月号の「防災」特集で、コメントを寄せてくれた石巻のママたち2人に、あらためて話を聞きました。

妊娠初期に被災。小さな命がみんなの生きる希望に(川村さん)

現在、東松島市で子ども2人(龍くん・11才/寧々ちゃん・9才)と夫と暮らす川村良美さん(37才)。2011年3月11日2時46分のそのときは、石巻市の自宅で、龍くんのお昼寝に合わせてこたつでうたたね中だったそうです。

活発な時期の長男との避難生活が大変だった

地鳴りとともに来た尋常じゃない揺れに驚いた川村さんは、こたつから飛び出して龍くんを抱え、はだしのまま庭に出たと言います。揺れが少しおさまってから室内に戻り、当時同居していた両親や夫に連絡を取ろうとしました。海近くの職場にいた夫が帰宅したのち、車で高台に避難をしようとしましたが、家の前の道が津波で水没したため動けず、自宅の2階に避難することになりました。

「震災直後は夜にサイレンや警報音が響いていたし、外遊びもできなかったからなかなか寝てくれなくて…。水が引いても、泥の土ぼこりが体に悪いと聞いて外に出られず、私と息子は1〜2カ月間ずっと自宅で過ごしました。公園はがれき置き場や仮設住宅になり、子どもが遊ぶ場所がなくて困りました」(川村さん)

おなかの命は地域のみんなの希望に

川村さんは震災の4日前に検査薬で妊娠に気づいたばかり、産婦人科を受診しようとしていた矢先の被災でした。ストレスでつわりもひどかったそうです。

「自宅避難中はカップラーメンのようなインスタント食ばかりで、おなかの子に栄養がちゃんといっているかどうか不安で…。4月中旬にやっと受診できたとき、エコーで手足をバタバタさせている赤ちゃんを確認できたときは、思わず泣きました。『あぁ、生きていた』と…」(川村さん)

その後は近所の人と助け合いながら少しずつ生活を立て直します。おにぎりを差し入れてもらったりお散歩中の龍くんをかわいがってもらったりと、復興の中地域の人たちとの絆(きずな)が深まっていったそうです。そして2011年10月に無事3464gの女の子を出産。

「上の子とは違う感動がありました。被災して大変な中無事に生まれてくれた喜びと、この子の誕生を心待ちにしていた地域のみんなが笑顔になるという喜び。この命は家族だけでなく、みんなの希望だと強く感じました」(川村さん)

2021年2月13日の大きな余震で備えを再確認

2月13日に起こった震度6弱の余震は、震災から10年たって防災を見直すきっかけになったと言います。

「日常に追われていると、どうしても防災意識は薄くなりますよね。今回の余震で、近所に住む両親とは、災害時の避難場所を再確認しましたし、家の備えもチェックしました。子どもたちは大きくなり行動範囲も広がったので、GPSつきスマートフォンを持たせようかと相談中です」(川村さん)

現在乳幼児を子育て中の世帯への防災アドバイスを聞いてみました。

「災害時は命を守ることが最優先。小さい子を抱え重い荷物を持って逃げられません。避難バッグは最低限にして、まずは子どもと逃げられるように、おんぶひもや上着をすぐ取れる場所に置いておくといいですね。あとは、ママ友や地域のネットワークは大事。頼れる場所、相談できる場所があるだけでかなり違うと思います。私もそのつながりにとても助けられました」(川村さん)

津波で流されながら命を取り留めた夫と息子。命を強く感じた10年(鈴木さん)

現在は石巻市の復興住宅で、夫と子ども(啓斗くん・12才)と暮らす鈴木和恵さん(40代)。当時の自宅は海から1kmの場所にあり、地震発生時、夫と啓斗くんは自宅に、鈴木さんは親せきの子守のため10km離れた実家にいたそうです。

津波で流されながらも生きていてくれた夫と息子

鈴木さんの実家へ避難しようと夫と啓斗くんが車に乗り込んだとき、津波に遭遇したと言います。

「突然大きい波がきて、車ごと流されたそうです。夫は途中でぶつかったアパートの2階のベランダに、車の窓から息子を抱えて逃げ移りました。2人はそのベランダで1晩過ごし、啓斗はしばらく『ママ、ママ』と泣いていたと聞きました」(鈴木さん)

地震直後に自宅に向かおうとするも、道路はデコボコ、大渋滞で進めない状態。2人と連絡がつかず不安な夜を過ごし、3月12日の明け方に実家を出発して自宅をめざした鈴木さん。車で進めない地点から先は、腰まで水位がある中2時間ほど歩いて2人を探しました。

「電気が止まっていたのでニュースも見られず、実家では津波のことを知らなかったんです。車を降りて歩く途中で人に『津波が来た』と聞き、大変なことが起こった、と。やっと親せきの家で夫と息子に会えたときは、涙が止まらなかったです。本当に生きていてくれてよかった」(鈴木さん)

自宅は全壊。屋根のすぐ下まで津波に飲まれたあとがあったそうです。

津波のニュースを聞くと今も不安がる

震災後は1年ほど実家で過ごし、仮設住宅に4年住んだあと、現在の復興住宅に引っ越した鈴木さん。啓斗くんは小さいころは不安な様子はなかったけれど、成長するにつれ津波を不安がるようになったそうです。

「成長とともに理解も進み、津波の記憶がよみがえったのかもしれません。少し障害があるんですが、津波のニュースを耳にするとパニックを起こします。
今の住宅は5階建てなので『もし津波が来たら、ママやパパがいなくてもすぐ上の階に逃げるんだよ。まわりの大人に助けてくださいと言うんだよ』と教えています」(鈴木さん)

あの日、地震が来なかったら…

震災後、つらい気持ちをどうやって乗り越えたか聞くと「実は今でもつらかった気持ちをだれにも話せないでいる」と打ち明けてくれた鈴木さん。

「あのとき『子どものそばにいてやれなかった』という傷が深く心に残っています。震災前の生活にはもう戻れないし、先に進まなきゃいけないんだけど…あの日津波がなかったら、もっと違う生活をしていたのかな、とときどき考えてしまいます。だけどこの10年は、命の大切さや人のありがたみを強く感じる体験ができた。すごいときを生きたな、と思っています」(鈴木さん)

自分の命を守るのは自分

震災を経験して、防災の意識も大きく変わったと言います。

「子どもも自分も、命は自分で守らなければいけない。その上で、もちろん備えも大切。わが家では、飲料水を買い置きし、バッグに充電式ラジオを入れています。また、ガソリンは目盛りが半分になったらすぐ満タンに。石巻ではどこへ行くにも車が必要なので、車は大事なライフラインです。今は車でテレビが見られたり、情報が得られたりする面からも日ごろからの給油は防災の1つです。
あとは地域とコミュニケーションを取っておくこと。子どもの安否確認の面でも、災害時の心の支えとしても大事だと考えています」(鈴木さん)

お話/川村良美さん、鈴木和恵さん 写真提供/東日本大震災アーカイブ宮城(石巻市)、東北地方整備局、石巻市復興まちづくり情報交流館 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部

大変な経験を話してくれた川村さんと鈴木さん。2人とも災害時は「まず逃げることが大事」と言います。妊娠中や小さい赤ちゃんがいるママとパパは、命を守る行動をイメージし話し合っておきましょう。また「人とのつながり」を持っておくことも、心の支えになります。非常時に助け合える地域のコミュニティーを探しておきましょう。

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