異常なほど飲み物を欲しがり、おねしょをするようになった6歳の長女。ホルモン剤の使用が一生必要と言われて・・・【小児脳腫瘍・体験談】
山崎宴子さんの長女の理咲子さん(24歳)は、小学校1年生のとき小児脳腫瘍と診断されました。宴子さん夫妻が「何かおかしい」と感じたのは、理咲子さんが6歳のとき。そのころ理咲子さんは、異常なほど飲み物を欲しがるようになり、おねしょをするようになりました。
現在、小児がんの子どもとその家族を支える活動を行う公益財団法人ゴールドリボン・ネットワークに勤めている宴子さんに、理咲子さんの病気が発覚したときのことなどについて聞きました。
全3回のインタビューの1回目です。
おねしょが急にひどくなり近所の病院で相談。大きな病院で検査を受けることに
北海道紋別市出身で、札幌で仕事をしていた宴子さんは、NHK札幌局に務めていた真一さんと、友人を介して知り合いました。
「夫が報道局社会部に異動し、東京へ転居することになったタイミングで結婚。翌年の2000年に理咲子が生まれました。当時の私は専業主婦。夫はとんでもない激務で、ほとんど家にいない状態だったので、完璧なワンオペ育児でした。同じ社宅に住むママたちと、協力し合って慣れない育児を乗りきっていました。
2004年には2人目の子ども、長男も生まれました」(宴子さん)
2005年8月、真一さんが転勤になり、宴子さん家族は神戸に引っ越します。
「理咲子は9月から新しい幼稚園への登園が始まりました。その数日後、私の父が急逝。12月には息子が鼠径(そけい)ヘルニアの手術を受けたり、急性気管支炎で入院を繰り返したりするなど、私にとっても理咲子にとっても落ち着かない日々が続きました。でも理咲子はとても元気でいてくれ、それが救いでした」(宴子さん)
そんな理咲子さんに変化が現れたのは2006年の夏。理咲子さんは6歳、幼稚園の年長クラスのときでした。
「飲んでも飲んでも飲み物を欲しがり、トイレに行く回数が極端に増えました。しかも、急におねしょをするようになったんです。弟に手がかかっていて寂しい思いをさせてしまったのが影響しているのかなと思い、理咲子と触れ合う時間を増やすとともに、寝る前は水分をとらないようにして、少し様子を見ていました。
ところが、幼稚園のお泊まり会のときもおねしょをしたそうなんです。また、家族で出かけたとき、車の中で寝ている間におしっこが出てしまったのを見て、『これは何かおかしい』と思いました。そこで自宅近くの小児科クリニックで相談することにしたんです。これがすべての始まりでした」(宴子さん)
理咲子さんの診察をした先生は、「こんなにしっかりしている子がおねしょをするのはおかしい」と言ったそうです。
「内分泌系が専門の先生だったからかもしれませんが、『大きな病院で多飲多尿の原因を調べたほうがいい』と、総合病院に紹介状を書いてくれました。
すぐにその病院へ行き、脳の検査を受けました。CTだったかMRIだったかは覚えていないのですが、翌日、検査の結果を聞きに行くと、『専門病院で調べるように』と言われ、兵庫県内にある小児の専門病院を紹介されました。このとき、検査結果の説明などはなかったように記憶しています」(宴子さん)
尿崩症とわかり治療を始める中、小学校に入学。入学式で身長がいちばん小さかった
理咲子さんは専門病院で改めて脳のMRI検査を受け、「尿崩症(にょうほうしょう)」と診断されました。
尿崩症は体内の水分量をうまく調節できなくなる病気。抗利尿ホルモンのバソプレシンの分泌や作用が低下してしまうことで起こります。
「多飲多尿でおねしょをする原因が尿崩症であることはわかったのですが、尿崩症の原因が脳にあるのか、副腎にあるのかはわからないと説明されました。
尿崩症は、軽症のうちなら治せることもあるけれど、重症になると治せない病気です。症状をコントロールしないと命にかかわることもあること、抗利尿ホルモンを補充することで症状はコントロールできることなどの説明もありました。夫は簡単に仕事を休むことができないので、私1人で説明を聞きました。
娘が一生治らないかもしれない病気になるなんて、予想もしていなかったので大きなショックを受けました。でもそれ以上に、『原因はわからないけれど、とにかく治療が必要』という説明がふに落ちず、すごくモヤモヤしました。このときの感情は今でもはっきり覚えています」(宴子さん)
尿崩症をコントロールする薬を使用するために、入院して薬の量を調節することになりました。
「デスモプレシン点鼻薬という薬で、抗利尿ホルモンを補充するのですが、理咲子にとっての薬の適量を調べるために、1滴から始めて少しずつ量を増やしていきました。適量を調べるとともに、理咲子が薬の使い方に慣れるための入院です。理咲子は薬を嫌がることもなく、上手に点鼻していました。
薬の効果はすぐに現れ、のどのかわきもおねしょも、入院してすぐに解消。薬をきちんと使えば、理咲子は今までどおりの生活が送れるとほっとしました」(宴子さん)
退院後は、月1回の通院と検査を続けることに。2007年4月に理咲子さんは小学校に入学します。
「入学式で新1年生が並んでいる様子を見てまず感じたのは、『いつのまにか身長がいちばん小さい子になっている』ということでした。2910g・52㎝で生まれた理咲子は、どちらかというとずっと大きめで、幼稚園のときも『小さい』と感じたことは一度もありませんでした。だからすごく違和感があったんです」(宴子さん)
手術で取りのぞけない小児脳腫瘍と診断。わが家はのろわれていると真剣に考えた
理咲子さんが小学校生活に慣れてきた6月ごろ、定期的に受けている血液検査で、甲状腺ホルモンが低下していることがわかりました。
「詳しい原因を調べるために、脳のMRI検査を受けました。その結果、医師から告げられたのは、『脳腫瘍が疑われる』という想像もしていない言葉。とても恐ろしい病名を聞いて、頭が真っ白になりました。
しかも、頭を切って腫瘍の組織を取り、腫瘍の種類を特定(生検)しないと、治療が始められないと言うんです。理咲子の頭を切るなんて、想像するだけでぞっとしますが、私がしっかりしていないと理咲子が不安になってしまうと思い、恐怖も不安も押し殺して普段どおりふるまい、淡々と入院準備をしました」(宴子さん)
生検はすぐに行われ、下垂体にできた腫瘍は「混合性胚細胞腫瘍(こんごうせいはいさいぼうしゅよう)であることがわかりました。
胚細胞腫瘍は、精子や卵子になる前の未熟な細胞が腫瘍になったものと考えられ、生殖器(女の子は卵巣、男の子は精巣)に多く発生しますが、頭蓋内や胸部、腹部などにも発生するものです。
「理咲子の腫瘍は、胚細胞腫瘍の成分が混合しているタイプで、ホルモンの分泌を行っている下垂体にできているから、抗利尿ホルモン、副腎皮質ホルモン、甲状腺ホルモン、成長ホルモンなどが十分に出ていなかったんです。
年長のときに診断された尿崩症の原因は、脳腫瘍だったんです。小学校の入学式で『ほかの子より小さい』と感じたのも、脳腫瘍の影響で成長ホルモンが十分に分泌されていなかったからでした。
腫瘍を取りのぞけばもとどおりになれるんでしょと考えた瞬間に、担当医から『腫瘍が下垂体に浸潤し広がっているため、手術はできない』って言われました。
信じられない!!なぜうちの娘がこんな目にあわないといけないの!?憤りで心がいっぱいになりました。
実は、理咲子が小学校に入学したころ、再び鼠径ヘルニアの手術を受けた息子の治りが悪く、検査をしたところ『血友病A』と診断されました。
息子は血友病で娘は小児脳腫瘍。自分たち家族はのろわれているのではないか・・・。そんなことを本気で考えてしまうほど、悲しみと絶望しか感じられませんでした」(宴子さん)
理咲子さんが飲み物を異常なほどほしがったのも、おねしょをしてしまうのも小児脳腫瘍が原因で、その腫瘍は手術で取りのぞくことができないものだとの診断。
山崎さん夫妻は理咲子さんの治療方法を探すことになります。
【澤村先生より】脳腫瘍を治すと同時に、下垂体ホルモンを守ることがとても大切
理咲子さんは、幼少児の脳胚細胞腫瘍の典型的な発症経過をたどっています。幼稚園や小学校低学年でだんだん身長の伸びがほかの子より悪くなるのもよくある症状ですが、これは何年も続いても症状だと気づかれません。尿崩症も発症してから1年以上たって初めて診断されることも多いでしょう。
でも大切なことは、診断がついた時点で下垂体機能の低下は止められるということです。治療の開始によって腫瘍の進行増大が止められれば、ホルモンは悪くならないし、逆に改善することがあるということです。このことを知っている医師は2025年現在でもほとんどいません。脳腫瘍を治すと同時に、残っている下垂体ホルモンを早期診断と適切な治療で守ることがとても大切です。
お話・写真提供/山崎宴子さん 監修/澤村豊先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
「娘が小児脳腫瘍なんていう重い病気になるなんて、想像もしていなかった」という宴子さん。夫の真一さんは仕事で多忙を極めるため、「私がなんとかするしかない」と思いつめていたそうです。
インタビューの2回目は、兵庫の病院での治療や、北海道大学病院でセカンドオピニオンを受けたことなどについて聞きます。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山崎宴子さん(やまざきうたこ)
PROFILE
小児脳腫瘍の会 理事。長女が小児がんの一種である脳腫瘍に罹患(りかん)した経験より、公益財団法人ゴールドリボン・ネットワークにて、おもに当事者や家族を対象とした支援事業を担当。2024年より厚生労働省がん対策推進協議会 委員。
澤村豊先生(さわむらゆたか)
PROFILE
さわむら脳神経クリニック院長。北海道大学医学部卒業。医学博士。1988年スイス・ローザンヌ・ボー州立大学助手として脳神経外科を学ぶ。1996年「頭蓋底外科技術に関する研究」にて欧米へ文部省在外研究派遣。ジュネーブ大学訪問教授にて渡欧。北海道大学大学院医学研究科脳神経外科講師を経て、2010年より現職。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年6月の情報であり、現在と異なる場合があります。