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「親ががんで苦しむ子どもたちを助けたい」、乳がん、夫の自死…経験したからこそわかる「支え」の大切さ

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「がんになった親をもつ子どもたちのためにできることを始めよう」と考えた有志(医療ソーシャルワーカー、臨床心理士、医師、チャイルド・ライフ・スペシャリスト、看護師など)が、2008年に立ち上げたNPO 法人 HopeTree(ホープツリー)。その発起人であり、代表理事を務める大沢かおりさんは、自身も乳がん治療の経験を持ちます。さらに、最愛の夫を自死で亡くし、その後、うつ病に陥るという過酷な体験も。
前回の記事「お母さんががん…「真実を告げてもらえずもがき苦しんだ日々」や「家族を支える」と決意した少女、それぞれの思い」に引き続き、今回は大沢さんが病気や家族の死を体験して見つめた現実と、それら全てがHopeTreeへとつながったその思いを聞きました。

特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。

36歳で乳房温存手術。ホルモン治療で更年期障害のような症状も

がんになった親を持つ子どもの支援をしているNPO 法人 HopeTree(ホープツリー)・代表理事の大沢かおりさんは、東京共済病院で働く医療ソーシャルワーカー。31歳の時、5つ下のやさしい男性、仁幸(まさゆき)さんと結婚し、やりがいのある仕事にパートナーが加わって、充実した日々を送っていました。

仁幸さんは仕事をしながら弁理士の資格取得を目指していましたが、結婚から2年たった頃にうつ病を発症。当時は現在よりもうつ病に対する理解が少なく、会社に迷惑をかけられないと考えた仁幸さんは、勤めていた会社を辞めて転職を繰り返すようになりました。
それでも変わらずやさしくて、大沢さんを大切にしてくれた仁幸さん。2人の仲はとても良く、出かけるときは常に一緒だったと言います。

ところが、35歳になったある日、大沢さんはふと胸に違和感を覚えました。

「着替えようとして何気なく胸を触った時に、小さなしこりがあったんです。エコー検査を受けたところ、乳腺症という診断でした。ホッとして放置していたのですが、次第にしこりが大きくなっていくように感じていました」(大沢さん)

1年後、自身が働く病院の乳腺科で針生検(細胞診)を受けたところ、乳がんであることが判明しました。その日はそのまま仕事を続け、夕方に帰宅。仁幸さんが心配しすぎないよう気をつけながら、乳がんが見つかったことを伝えました。

「やはりショックを受けていて、黙り込んでしまいました。翌日からはいつも通りの様子に戻ったので安心していたのですが、数日後、彼のブログに『僕は死にたくてたまらないのに生きていて、妻は死にたくないのに死ぬかもしれない病気になってしまった』と……。その言葉が妙に心に強く残りました」(大沢さん)

その後、大沢さんは乳房温存手術を受け、ホルモン療法と放射線療法を開始しました。治療を受けながら、仕事も通常通り続けました。働くことが気分転換にも、生活の張りにもなったと言います。
ただ、ホルモン剤の注射の副作用で更年期障害のような症状が出て、のぼせや寝汗に悩まされたのは辛かったそうです。

「ネットで見つけた乳がん患者の会に参加して、しんどい症状について話したり、治療の情報を共有したりしました。この時初めて『同じ状況の人と話ができる患者会は、さまざまな悩みを素直に話すことができて、安心できるし心が癒される』ということを実感しました」(大沢さん)

その後、治療は順調に進み、手術から2年たった2005年、「今後は飲み薬を続けるだけで良い」と医師から告げられました。その日は仁幸さんと2人で、ケーキを買ってお祝いをしたそうです。「もう大丈夫」と思っていた矢先、さらに辛い出来事が起こってしまいました。

乳がんを乗り越えたと思った数日後、突然の夫の死……

「ケーキでお祝いした数日後のことでした。仕事中に仁幸さんからメールが届き、見ると2つの会社の面接を受けたけれど両方とも落ちてしまったという内容でした」(大沢さん)

落ち込んでいるのではと心配した大沢さんが「勤務後にジムに行く予定だったけど、行かずに帰ろうか?」と聞くと「大丈夫。行ってきて」と強く言う仁幸さん。そこで、大沢さんがジムで汗を流してから帰宅し、玄関ドアを開けたところ……家の中が真っ暗でした。

「『もしかして……』と、すごく嫌な予感が……」(大沢さん)

急いで仁幸さんの部屋を開けると、やはり真っ暗。目を凝らすと、本棚にベルトをかけて首を吊っている仁幸さんのシルエットがありました。
混乱した状態で急いで救急車を呼び、電話口の人に言われるまま何度も心臓マッサージをした大沢さん。そのあたりから記憶が曖昧だと言います。

「乳がんがわかった時はもちろん驚きましたが、がんの性質が深刻なものではないことがわかっていたので、ショックではありませんでした。仕事も普通に続けることができましたし、治療すれば乗り越えられるとわかっていましたから。
でも、夫の死は……比べものにならないくらいの大きな衝撃でした。今でも気持ちを表す言葉は見つかりません」(大沢さん)

仁幸さんが亡くなった後は、体の半分を切られて、黒い底なし沼を歩いているような感覚が続いたと言う大沢さん。「私がもっと早く帰ってくれば死ななかった。私が寄り道しなきゃよかったんだ」と、自身を責め続けたこともあると言います。

辛すぎる心をどうにかしたくて、必死の思いで見つけた自死遺族の集いに参加。そこで止むことのない自責の念や寂しさ、辛い気持ちを、どうにか言葉にすることができ、大沢さんは初めて仁幸さんの死を泣くことができたと言います。仁幸さんの死から2週間がたっていました。

「その後も2年間くらいは、ふとしたときに涙が出てきて止まらなくなったり、突然死にたくなったりしました。家に帰っても誰もいないい現実はとても大きく、辛いものでした」(大沢さん)

乳がんの薬も飲む気になれず、仁幸さんの後を追いたい気持ちに駆られたことも一度や二度ではありませんでした。
「でも、自殺が周りの人に与える衝撃の大きさも身に染みていて、心配してくれる姉たちにそれを味合わせたくないという思いが、ストッパーになっていました」(大沢さん)

その後、友人たち皆が幸福そうに見えるのも辛くて、連絡を絶ったりしているうちに、自身もうつを発症。抗うつ薬を処方してもらいましたが、ソファからも起き上がれなくなり、1カ月ほど休職しなければなりませんでした。

「癒し」について学ぶセミナーが人生の大きな転機に

ホープグリーが開催したワークショップ「がんの親をもつ子どもをサポートする時に役立つ知識と、 子どもと家族に活用できるアクティビティーを経験しながら学ぶ」の様子。

「その頃、自死遺族の掲示板を通して、心のうちを遠慮なく見せ合うことができる友人ができました。その友だちと話すことで、少しずつ自分の心の中の重いものを出していくことができたように思います。同時に、死に関わるさまざまな本を読み、共感して泣いたり、瞑想したりしたことも心を整えることにつながりました」(大沢さん)

その後、東京共済病院に新設されたがん相談支援センターの専任を任されることに。同じ年、「癒し」について学ぶ米国でのワークショップに参加したことが、大沢さんに転機をもたらしました。

「ワークショップに参加している人たちが皆、本当にやさしくてあたたかくて、私の悲しみをそのまま受け止めてくれました。その中には、亡くなった人からのメッセージを届けることができる『ミディアム』と呼ばれる人たちも。その人たちと一緒に学び、語り合う中で、『夫はあの時、自分を捨てたのではなく、ああするしかなかったんだ」と自然に思うことができました。寂しい時や困った時『夫が味方になって助けてくれてる』と思えるようになってきて、少しずつ元気が出てきました。
振り返ると、夫の自死と共に私も死んでいて、その後、別の自分に生まれかわったようにも感じています」(大沢さん)

さらに同じ年に、テキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターの「がんになった親とその子どもを支援するプログラム」を作ったマーサ・アッシェンブレナーさんに話を聞く機会を得た大沢さん。「これを日本にも広めたい」と考え、2008年、アッシェンブレナーさんを日本に招いて講演会を開催しました。この講演会に来ていた医療関係者に大沢さんが声をかけ、「Hope Tree」を設立したのです。

活動開始から実に14年、多くの親子がHope Treeによって支えられてきました。現在はHope Treeの活動が、大沢さんの人生を支える大きな柱になっていると笑顔で語ります。

ホープツリーが行っているがんの親をもつ子どものためのプログラム「CLIMBⓇプログラム」に参加した子どもたちのために開催された英語を使って遊ぶイベント。

「自分の乳がんと夫のうつ、夫を自死で亡くしたことで、病気の家族を支えることの不安や大変さ、大好きな人が死んでしまった後の喪失感など、さまざまな経験をせざるを得ませんでした。また、患者会や遺族会などのサポートが、どれほどの力になるのかも、身をもって知ることができました。
自分の子どもをもつことはできなかったけれど、立ち上げたHope Treeを通して、がん患者さんとその家族をサポートしていきたいと思ってきました。まだまだですが、辛い時期をひとりで孤独に過ごす子どもや患者さんたちが、減っていくことを願っています」(大沢さん)


NPO法人Hope Treeでは多くの患者さん、がんの親を持つ子どもたち、ご家族へ必要な支援や情報をより広く届けるための寄付を受付中です
NPO法人Hope Tree 寄附ページ


写真提供/大沢かおり 取材・文/かきの木のりみ

大沢さんはHope Treeを運営する他に、勤めている病院内でも乳がん患者サロンを開いているそうです(新型コロナウイルス感染症による自粛が始まってからはオンラインにて開催)。1人で悩みを抱えると、治療療がスムーズ にいかなかったり 、誤った治療の選択をしたりするケースもあるとのこと。自分が納得できる治療を選択するためにも、こうした団体や患者会の存在は大きな支えとなっているのです。

大沢かおりさん

NPO法人Hope Tree
代表理事、医療ソーシャルワーカー、社会福祉士、精神保健福祉士
神奈川県鎌倉市生まれ。父の転勤に伴い、9歳から5年間ニューヨークで暮らす。
上智大学文学部社会福祉学科を卒業後、91年から東京共済病院にて医療ソーシャルワーカーとして勤務。
2003年、乳がんと診断され、乳房温存手術、ホルモン療法、放射線療法を受ける。
2007年、東京共済病院に新設されたがん相談支援センターの専任となり、現在に至る。
2008年、がんになった親とその子どもを支援する任意団体「Hope Tree」を設立。2015年にNPO法人化し、サポート活動を実施。

NPO法人Hope Tree Facebook :hopetree44

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