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体重356gで生まれた赤ちゃん。脳室内出血、水頭症、腸閉塞・・・いくつもの病気を手術で乗り越えてきた奇跡【体験談・医師監修】

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永愛ちゃん生後4カ月のころ。貴之さんが面会時に抱っこしている様子。

岡山県に住む草野永愛(えま)ちゃん(5歳)は5人きょうだいの末っ子。2017年10月に体重356g、身長27cmの小ささで生まれた超低出生体重児でした。生後すぐからさまざまな合併症に見舞われながら、手術を繰り返してきた永愛ちゃん。入院中から生後9カ月で退院できたころのことについて、母親の和美さん(39歳)に話を聞きました。全3回のインタビューの2回目です。

「永愛は絶対大丈夫!」夫の言葉に救われた

生後100日の永愛ちゃん。おでこの上のほうにリザーバーが入っているふくらみが。和美さんはこの日のために小さなベビー服をネット注文して着せました。

永愛ちゃんが生まれたのは、和美さんが妊娠22週2日のこと。生後直後には仮死状態になるも、奇跡的に蘇生してくれました。しかし、生まれてまもなくから次々と合併症が起こってしまいます。

「産後すぐの医師からの説明で、小さく生まれた赤ちゃんは体の機能が未熟なためにいろんな合併症が起こる可能性があると聞いていましたが、実際に永愛は生後3日のときに脳の血管が出血し、脳室内出血を起こしました。

さらにその後、水頭症(すいとうしょう)といって、脳室内に髄液(ずいえき)が停滞して脳室が拡大し脳を圧迫してしまう症状にもなってしまったため、生後20日でリザーバー留置術という手術を受けることに。この手術は、脳室内にたまった髄液を外に出すため、おでこの上のほうにリザーバーという髄液をためておく器具を設置して、そこに針を刺すことで定期的に髄液を排出するものです。生後半年ごろの2018年4月には、脳室腹腔(のうしつふくくう)シャント手術を受けています。これは、頭からおなかまでの皮下にシリコン製チューブを通し、脳にたまっている髄液をおなかのほうに流して排出するための手術でした。

そのほかに永愛は、胎便関連性腸閉塞(たいべんかんれんせいちょうへいそく)で人工肛門を増設する手術と、その人工肛門を閉じる手術、さらに未熟児網膜症でレーザー手術を4回受けました。生後9カ月で退院するまでに手術は全部で8回ほど。そのほかにも感染症を繰り返すなど、心配なことは数えきれないほどありました」(和美さん)

病院からの電話を着信するだけでパニックになるほど毎日不安でいっぱいだった和美さん、支えたのは夫の貴之さんのポジティブさでした。

「夫はひたすら『強く願えば奇跡が起きる』と言い続けていました。仮死状態で生まれた永愛が、夫と私と手をつないだときに心臓が動き出した、その奇跡を目にしたからこそ『親の自分たちが永愛を信じれんでどうする』と。

夫はもともとポジティブな人ですが、永愛が何度も手術を繰り返すたびに『絶対大丈夫だから』と私に言ってくれました。絶対なんてないかもしれないけど、でもそう言ってくれる夫の言葉があったから、不安につぶされそうな気持ちもなんとか持ちこたえられたと思います」(和美さん)

命の重さを感じ、前を向けるように

生後すぐの永愛ちゃん。顔にはまぶたもまだほとんどできていないように見えたそう。

和美さんは夫の貴之さんと一緒に、毎日往復2時間をかけてNICU(新生児集中治療管理室)に入院する永愛ちゃんの面会に通いました。永愛ちゃんは少しずつ成長し、生後2カ月のころから健康状態が落ち着いてきます。

「永愛は、生まれた直後はまぶたもまだできていない状態でしたが、少しずつまぶたの薄い線ができて、まぶたが開いて、手足が少しずつ動くようになって・・・そんな成長を奇跡のように感じていました。
永愛は肺が未熟なために気管内挿管をして呼吸管理をしていたのですが、生後2カ月を過ぎるころにその管も抜くことができ、鼻からの酸素投与になりました。

このころには体重も744gになり、初めて抱っこすることができました。まだまだ手のひらサイズの小ささだけれど、永愛を抱っこした腕にずっしりとした命の重さを感じました。
永愛はこんなに小さな体で、家族と離れて1人でずっと頑張っている。それなのに私が『ダメかもしれん』なんて思っちゃいけない、頑張らないといけない、という気持ちがわいてきました。面会のたびに『今日も1日を生きてくれてありがとう。また明日も生きてね』と願っていました。毎日永愛に会うたびにいとしさが増し、早く家族のもとに連れて帰りたい、という思いでした」(和美さん)

何も言わずにいてくれたきょうだいたちの優しさ

永愛ちゃん、生後3カ月のとき。初めての家族写真。

2カ月の間永愛ちゃんにかかりきりだったため、上の子たちのお世話などをずっと和美さんの母にお願いし、子どもたちにいろいろと我慢をさせてしまっていたことも和美さんの気がかりでした。

「当時中学2年、小学6年、小学3年、年少だった4人の子どもたち。休日もどこにも連れて行ってやれなかったのに、だれ1人として『遊びに行きたい』『ママたちなんでいつもおらんの』などと言いませんでした。子どもたちも状況を察して我慢してくれていたんでしょう。子どもたちのやさしさにとても感謝しています。

永愛が生後3カ月になるころには面会は週1〜2回だけ行くことにして、上の子どもたちとの時間を持つようにしました。それでも心配で毎日病院に電話をして、看護師さんに永愛の様子を聞いていました」(和美さん)

永愛ちゃんが生後3カ月のころには、ママとパパ以外の家族とも初めて面会をすることができました。

「病院のファミリー面会ルームで、夫と私の母、永愛のきょうだいたち4人で、永愛に会うことができました。子どもたちは『すごいちっちゃいね、かわいいね!』と喜んでいました。でも、酸素のチューブやモニターのケーブルなどがつながっている妹は、ちょっとまだ手を触れられない存在だったようです。遠慮しながらも『永愛ちゃん』『かわいいね〜』とたくさん声をかけてくれました。幸せなひとときでした」(和美さん)

その後、永愛ちゃんは生後9カ月で退院となります。体重4570g、身長51cmまで成長しました。

「退院後も、自宅で酸素投与と経管栄養の医療ケアが必要でした。いつ酸素チューブをはずすことができるのか、栄養チューブがはずれて口から飲んだり食べたりできるのかの見通しは立たず、もしかすると寝たきりかもしれない、とも言われました。目は、見えているのか見えていないのかわからない状態で、追視の様子もありません。でも手や足を動かす力は小さいながらも強くて、永愛の生きる強さを感じていました。

やっと家族と一緒に暮らせるようになりましたが、やはり小さく生まれた子は感染症にかかりやすいので、当時はコロナ前でしたが、家族も風邪などをひかないように手洗いやうがいなど本当に気をつけて生活していました」(和美さん)

産後うつに近い状態を支えてくれたのは地域の保健師さん

退院したばかりのころは永愛ちゃんが小さくて不安で抱っこできなかったきょうだいたちも、永愛ちゃんが1歳を過ぎたころから抱っこできるように。

たくさんの心配事がある永愛ちゃんの育児の中で、和美さんの心の頼りになったのは地域の保健師さんだったそうです。

「実は産後入院中に、産科の医師にうつ状態に近いと言われていたんです。永愛を小さく産んでしまったことや、母乳が出ないことで自分自身がいる意味がわからなくなり、ふさぎ込んでしまいました。退院後、そんな私に、地域の担当保健師さんが相談に乗ってくれたんです。
産後訪問だけでなく『何かあったらいつでも連絡しておいで』と言ってくれ、電話をするとすぐに来て話を聞いてくれました。何を話しても受け止めてくれ、不安な気持ちを吐き出すことができたので、心から信頼していました。

永愛が9カ月で退院してからも、週に1回くらいは訪問に来て体重を測ってくれたりして、4年間ほどお世話になっていました。そのほかにも、訪問看護師さんやリハビリの療法士さんたちなど、本当にたくさんの人たちにずっと支えてもらっています。いろんな人が一緒に永愛の成長を見守ってくれて、心強いし恵まれていると感じます」(和美さん)

【髙橋章仁先生より】小さな生命が羽ばたいた大きな世界

小さな赤ちゃんとして生まれてきた永愛ちゃんは大きな愛情と寛大な心を抱く家族に支えられて成長してきたのですね。今思うとそういった父母、きょうだいの存在に私たち医療者も背中を押され促されるままに、永愛ちゃんの治療に専心していたのでしょう。たいへん難しい時期にリザーバー留置術をお願いした脳外科の医師もその術後の安定ぶりには感心していました。その後も何度か生命にかかわるような合併症を経験した永愛ちゃんですが、その都度、医療者みんなが驚くような回復ぶりを見せて、幸せそうに中国山地の山間の小さな市へ帰っていきました。だって、そこには帰りを待ちこがれた大家族と地域の大きな支え、そして大きな青空があったのですから。

お話・写真提供/草野和美さん 監修/高橋章仁先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

和美さんは、永愛ちゃんの成長を知る近所の人たちに「永愛ちゃん頑張っているね」「永愛ちゃんを見ていると自分も力がわいてくる」と声をかけてもらうことにとても励まされるそうです。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

高橋章仁先生(たかはしあきひと)

PROFILE
小児科医。1969年岡山県倉敷市生まれ。倉敷中央病院小児科(NICU)勤務。ムツゴロウさんの動物王国に憧れて、夢は獣医師であった。子ども好きが高じて岡山大学小児科学教室へ。福山医療センター、松山赤十字病院、高知医療センターで小児科研修後、淀川キリスト教病院や大阪母子医療センターで新生児医療の勉強をし、2008年9月から現職。

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