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「うちの子がダウン症なはずがない」。生後2カ月に見せたエンジェルスマイルで世界が変わった【ダウン症モデル菜桜さんのママ・齊藤由美さん】

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齊藤由美さんは、2004年に第3子の菜桜さんを出産。菜桜さんはすぐにダウン症と診断され、命にかかわる合併症とたたかいながら成長してきました。わが子の病気をすぐに受け入れられなかったという由美さん。当時の葛藤や転機、進学先の選択経緯などを聞きました。全2回インタビューの前編。菜桜さんが「ダウン症モデル」として注目される前のストーリーと、成長記録を紹介します。

ミルクが飲めず生後3日目にこども病院に搬送

菜桜さんは、生後すぐにダウン症と告げられ、3日目に食道と胃がつながっていないことが判明した

――菜桜さんは3人目のお子さんですね。もともと計画していたタイミングの妊娠だったのでしょうか?また、妊娠経過は順調でしたか?

齊藤由美さん(以下敬省略) 当時10歳の長女と、2歳の長男がいたんですが、もう1人女の子がほしくて、妊活した末に授かりました。

妊娠経過は順調で、おなかの子に障害がある兆候はみられませんでした。
ただ、妊娠38週4日で破水してお産入院になったとき、羊水(ようすい)過多と診断され、リスク出産の懸念はありました。

――菜桜さんが生まれたときの状況を教えてください。

齊藤 結局、お産は安産で、出生体重は2275g。オギャーと元気な産声(うぶごえ)が聞こえたときは、ただただうれしかったです。ところが、やはり羊水はベテラン助産師さんも驚くほど多くて、その日のうちに医師にダウン症の可能性があると告げられました。さらに、保育器の中の菜桜ちゃんは、ミルクを1mlあげただけでも吐いたり、体温調整ができなかったため、生後3日目にこども病院へ搬送されました。

搬送先のこども病院で、食道閉鎖症(しょくどうへいさしょう)と診断され、食道が胃につながっていないことがわかりました。そこで、生後6日目に、おなかに穴を開けて体外から胃に栄養を投与するチューブを取り付ける「胃ろう」手術を受けました。さらに、心臓の、誕生したら閉じるはずの血管が閉じない「動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)」であることもわかり、生後2週間後にその心臓の血管を閉鎖する手術も行いました。

その後、生後3週間で保育器から出ましたが、生後1カ月後に食道からつないだチューブを体外に出す「食道ろう」手術をしたり、目やのどなど、手術は17回以上。食道を広げる手術は今でも定期的に行っていて、それも合わせると現在まで40回以上の手術を行ってきました。

わが子のダウン症を受け入れられず、毎日泣いてばかり

由美さんは、わが子が病気であることを受け入れられず、最初は看護師さんに抱っこを促されても断り続けていた

――ダウン症と診断されたとき、ママはどのような気持ちでしたか?

齊藤 「そんなはずはない」と毎日泣いてばかりでした。菜桜ちゃんを見るのが怖くて、面会はパパと行ける日に数日に1度行くのが精いっぱい。行っても見るのがつらくて5分くらいで病室を出ちゃうし、保育器の中の菜桜ちゃんをさわることもできませんでした。

というのが本当の姿なんですが、当時のブログには「早く抱っこしたい」「かわいい顔!」などとポジティブな表現をたくさん書いています。今思えば、これらは、「早く抱っこしたい(と思う親になりたい)」「かわいい顔!(と思う親になりたい)」と、理想の自分を描いていたんだと思います。実際は、理想の自分と、病気を受け入れられない現実の自分とのギャップに苦しみ、泣きながらブログを書いていたのを覚えています。

――パパはどのような様子でしたか?

齊藤 パパは、私が「羊水過多」と診断されたときにリスクを自分で調べていて、ダウン症の子が生まれる覚悟を決めていたようです。さらに、産後は私が泣いてばかりいたので、「自分がしっかりしなきゃ」と思っていたそうです。面会に行くと、パパは私の分も積極的に菜桜ちゃんにさわって「頑張れ~」と声をかけていました。

――由美さんが菜桜さんの病気を受け入れられた転機はあったのでしょうか?

齊藤 生後2カ月に菜桜ちゃんを抱っこしたとき、菜桜ちゃんがニコッと笑ったんです。そのエンジェルスマイルを見たとき、「いとおしい」という感情が心の底からわいてきて、「この子と一緒に生きていこう」と決めました。

その日から、「ダウン症の菜桜ちゃんを愛せるか」ではなく、「わが子がいとおしい。これでいいや」と思えるようになりました。だから、あの笑顔に会いたくて面会が楽しみになったし、面会時間が長くなり、菜桜ちゃんをたくさん抱っこするようになりました。

孤独な自宅育児の支えはブログ。年中から地元の幼稚園と小学校へ

菜桜さんは生後3カ月半で退院。由美さんのほぼワンオペで当時2歳の長男と0歳の菜桜さんを自宅で育児した

――菜桜さんの退院後、自宅育児がスタートして、どのようなことが大変でしたか?

齊藤 思い出したくないほどつらかったのは、「食道ろう」を広げる処置です。菜桜ちゃんは生後3カ月半で退院しましたが、胃から栄養を投与するためのチューブ(胃ろう)、口から入れたミルクを食道から体外に出す穴(食道ろう)が体に開いている状態で、穴は何もしないと、かさぶたのように自然にふさがってしまうため、穴を広げる処置を毎日やる必要がありました。その処置が菜桜ちゃんにとって激痛で、毎日泣き叫ぶんです。私にはつらすぎる処置だったので、いつもパパにお願いしていました。

また、0歳の菜桜ちゃんと2歳の長男とずっと家にこもっていたため、私は世間から取り残されたような気持ちで、つらかったです。当時は、まわりの人にダウン症の子として見られることに抵抗があって、公園に行ったり、友だちを呼んだりできず、子連れで買い物すら行けなかったんです。
救いになったのはブログですね。自分の気持ちを吐き出せる唯一の居場所だったし、フォロワーが日に日に増えていくし、ダウン症の子を育てる先輩ママともつながれて、私は1人じゃないと思えました。

孤独とはいえ、子どもたちと過ごす時間は幸せでした。長男は菜桜ちゃんのことが大好きでよく笑っていたし、けなげにおむつ替えなどを手伝ってくれる姿がかわいくて。10歳の長女も学校から帰るとお世話を手伝ってくれました。菜桜ちゃんがうちに来てくれたことで、わが家は明るくなりましたね。

菜桜さんはこども病院を退院後も、週1回は通院、年2~3回は食道拡張などの手術を行った

――幼稚園は、年中から入園されていますね。幼稚園選択の経緯を教えてください。

齊藤 菜桜ちゃんには、定型発達の子からたくさんの刺激を受けて成長してほしかったので、長男が通っている幼稚園に入園を希望しました。でも、ダウン症を理由に断られてしまって、療育園に入園したんです。ところが、翌年、長男の幼稚園の園長が変わったため、「1日1時間でもいい。私が付き添う」と、もう1度お願いしたところ、入園が認められました。当時、菜桜ちゃんは歩けるようになったばかりで、おむつもしていて、園としても障害のある子を受け入れた経験がなかったそうですが、ありがたいことに、私の付き添いなしで預かる体制を作ってくれました。

うれしかったのは、卒園時に先生たちから「この園に来てくれてありがとう」と言われたことです。菜桜ちゃんが入園したことで、お友だちが優しい子に育ったそうなんです。菜桜ちゃんが靴をはくのをみんなで応援して、成功したら手をたたいてほめてあげたりと、お友だちも成長できたと言ってくれました。

幼稚園時代の菜桜さん。由美さんは、保護者の前で菜桜さんの障害について説明をしたり、お友だちには菜桜さんの成長記録を動画にして見せたりと、菜桜さんのことを理解してもらう工夫をした

――小学校以降の進学先は、何を基準に選択しましたか?

齊藤 小学校は、幼稚園のお友だちと同じ学校に通わせたいと思っていました。市の面談の結果、地元の小学校の支援学級に通えることに。入学時の菜桜ちゃんは身長97㎝で、学校の水道やトイレに届かないため、菜桜ちゃん専用の踏み台や台座まで用意してくれました。

中学校も地元の公立中への進学を検討して、模擬授業を受けました。ところが、中学校は教科ごとに担当教員が変わるため、すべての先生に菜桜ちゃんのことを理解してもらうのは難しいと感じて…。菜桜ちゃんも同じことを感じたようだったので、中高6年間は特別支援学校に通いました。
最初は新しい環境に戸惑っていた菜桜ちゃんでしたが、少しすると、菜桜ちゃんがお友だちのお世話をするようになったんです。お世話にやりがいを見いだして、楽しく通えるようになりました。

菜桜ちゃんは現在21歳。高校卒業後は、就労継続支援B型事業所で働きながら、モデル活動に打ち込んでいます。

お話・写真提供/齊藤由美さん 取材・文/大部陽子、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

幼稚園から菜桜さんと過ごしたお友だちの中には、現在、特別支援学校の先生を目指している人もいるそうです。インクルーシブ教育が、菜桜さんとお友だち双方にポジティブな結果をもたらしたステキな事例ですね。
後編では、菜桜さんが14歳から本格的に始めたモデル活動にフォーカスして話を聞きます。

齊藤由美さん(さいとうゆみ)

PROFILE
2004年に第3子の菜桜さんを出産。菜桜さんは生まれてすぐダウン症と診断される。胃と食道がつながっていない食道閉鎖症や心疾患などの合併症の手術は、現在までに40回以上。一方で、菜桜さんは14歳から本格的にモデル活動をスタート。2024年にパリコレ、2025年に東京ガールズコレクションに出演。由美さんは、「ダウン症モデル」として注目される菜桜さんを献身的に支え続けている。

菜桜さんのInstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年5月現在のものです。

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