妊娠しても実母は変わらず過干渉。でも出産を機に、親の愛と偉大さに気づけた
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男の子2人と女の子1人の3児の母親で、現在はフリーランスで講師、保育サポートなど複数の仕事を掛け持ちしているママライターのtaremayuです。19歳から付き合っていた彼と24歳の時に結婚、2年目から妊活開始。きっかけは実母の「赤ちゃんはまだ?」でした。
「へたくそなんじゃないの」と実母。さすがにへこむ
実母はお見合い結婚だったのですが、結婚後すぐに妊娠したそうで、続けざまに4回も妊娠・出産の経験があります。なので、「結婚して2年なのに赤ちゃんができないのはおかしい」と感じたようなのです。
当時、夫とは毎晩のように仲良し状態で、避妊もしていませんでした。それで、つい「避妊はしてないんだけどね」とぽろっと話してしまったところ、「なにそれ、へたくそなんじゃないの」と実母。
実の母娘で遠慮がないとはいえ、さすがにこの言い方にはへこみました。と同時に、避妊していないのに妊娠しないというのは、「もしかしたら妊娠しにくい体質なのでは」と不安な気持ちに。そこで、まずは毎朝、基礎体温をつけることから始めてみたのです。
過干渉な実母が大喜び。次の標的は孫ってこと!?
記録を付け始めて約1年後に妊娠。すぐ実母と義母に報告しました。2人とも大喜びでしたが、とくに“不妊では”と心配していた実母は、「里帰りするでしょ。私がお産した産婦人科がいいわ。猫を飼おうと思っていたけどやめとく」と大興奮。
実母は、私が幼い頃から何かとお膳立てしたがり、お稽古事も毎日ハシゴ状態。大学時代も、バイトやコンパで帰りがちょっと遅くなっただけで電話してくるような“過干渉ママ”でした。
そんな実母なだけに、赤ちゃんの性別もまだわからないというのに産着やベビー用品をどんどん送ってきました。結婚前までは私に対して「これが似合うから、これを着なさい」だったのですが、「今度は孫なんだな」と苦笑い。
実母の過干渉は“愛情の裏返し” 妊娠して理解できた
でも、実母が過干渉ママになったのには理由がありました。実母は37歳の時に夫を亡くして以降、1人で子育て奮闘してきたのですが、さらにつらい過去があったのです。初産は双子で一人は死産、もう一人も未熟児で亡くなり、さらに4人目も病気で亡くしたのです。
だからこそ、生き残った私と弟を「しっかり育てなくちゃ」という思いが強かったのでしょう。私も自分が母親になって初めて、そのことに気づくことができました。
実母からは妊娠中も「体を冷やさないよう気をつけて」「仕事をいつまで続けるの。無理しちゃダメ」と口うるさく言われましたが、それも実母の愛情なのだと素直に受け取ることができました。里帰り中のサポートも心強かったです。
気遣いたっぷりの義母からは、安産に役立つ贈り物が
一方、義母はというと、かつて、自分の親や義理の親と同居の経験で苦労したたこともあり、周りへの気遣いができる人です。なので、過度な干渉もなく、いまだに嫁姑トラブルもなく、気持ちよくやり取りできています。
妊娠中も孫が生まれた後も、肌着やベビー用品は「夫婦で好きなデザインのものを選んだらいいわ」とお祝い金を。妊娠中には安産のお守り、腹帯、貧血になって鉄剤を処方された時には、プルーンエキス、カルシウム剤、ビタミン剤などを送ってくれました。
当時、義母は病院内の薬局で仕事をしていて、産院で処方された鉄剤と一緒に飲んでも大丈夫なサプリメントだと確認の上で送ってくれたので、安心して飲めました。心遣いが嬉しかったです。
妊娠し、母親になる準備をしながら、実母と義母から妊娠・出産の体験談を聴かせてもらい、アドバイスをもらいました。ひと昔前の常識と今とでは異なる部分もありましたが、それはそれで興味深いことでした。実母の過干渉も、結婚前までは鬱陶しく感じた部分の方が大きかったのですが、親の苦労を知ったことで、親への感謝の気持ちが高まりました。妊娠・出産で親の偉大さを知り、自分自身も成長することができたなと感じています。
[ taremayu * プロフィール]
2男1女、三児の母。24歳で結婚、初産は27歳、1人目妊娠当時は楽器店で経理事務、フルート講師の仕事を掛け持ち。妊娠29週目までフルタイムで働き、現在はフリーランスで講師、保育サポートなどの仕事にも携わっている。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。