出産予定日は亡き母の誕生日!生まれた我が子を抱きながら、“ギフト”に感謝
4歳と2歳の姉妹を育てる、ママライターつぼいみきです。現在は週3日パートのお仕事をしながら、ドリームボード講師、コーチとして起業しています。長女と2学年差にしたいという思いがあり、長女が1歳を迎えた頃から妊活を開始しました。
「卵管が詰まり気味で自然妊娠は難しい」翌月に妊娠
長女の時、妊娠までに一年かかったこともあり、2人目は半年経っても妊娠に至らなかった時点で病院に相談にいきました。結果、“卵管通気検査”を行うことになりました。すると「卵管が詰まり気味で自然妊娠は難しい。あと数ヶ月待って自然妊娠がなければ、体外受精ができる病院を紹介します」と、衝撃的なことを医師から告げられました。
その時はショックでしたが、夫婦で話し合い、自然妊娠できなければ2人目は諦めようという結論に至りました。
そして翌月、自然妊娠したのです。
亡き母の誕生日が出産予定日?計画通り陣痛開始!
私の母は、今回の妊娠の半年前に空へ旅立ちました。そんな亡き母の誕生日がまさかの出産予定日。「生まれ変わり? 私たちに命というギフトを届けてくれたのかな?」と、母の存在を感じずにはいられませんでした。
妊娠中は長女の時と同様、つわりに悩まされることはなかったのですが、長女の妊娠中と違ったことは、自分の体調ばかりを優先できないことでした。
“おなかが張れば、すぐ横になりたい”が本音。しかし、まだ2歳の長女がそんな状況を理解するのは難しく「ママ抱っこ!」の声。長女を抱っこしてあげたい、だけど、おなかの子も心配。この葛藤が苦しかったです。
亡き母と同じ誕生日にしたいという思いが強かった私、できるだけ大人しく過ごし、ようやく散歩しだしたのも出産予定日2日前からでした。
そして、迎えた出産予定日。この日は、亡き母の誕生日ということもあり、「さぁこれからケーキを買いに行こう」という時に、陣痛が始まりだしたのです。
間に合わなかった…亡き母と1日違いの誕生日
しかし、一度陣痛を経験していた分、「まだこの痛みなら大丈夫!」というような気持ちの余裕もあり、やや痛みを感じながらもケーキ屋さんへ。そして仏壇にケーキをお供えしてから病院へ連絡する、案外冷静な自分がいました。
そして、18時に病院へ到着。長女の出産時には、陣痛はどんどん強くなるのに、子宮口が全然開いてこないという苦しさを経験しました。今回もそれを覚悟していたので、病院到着後から消灯時間まで、ひたすら階段昇降を行いました。
「あと何時間以内に産まなきゃ同じ誕生日にならない」。この想いが常に頭にあり、必死でした。
しかしこの努力も実らず、子宮口は全く開いてこないのです。陣痛と闘っているうちに、気づいたら深夜0時を過ぎていました。「亡き母と同じ誕生日に産めなかった…」。このショックが大きく、そこから産むことに対するモチベーションが一気に下がってしまったのです。「この痛みはいつまで続くの?」「もうやだ…」弱気な発言ばかり。
そして真夜中の2時頃破水。この破水をきっかけにここからはとんとん拍子。子宮口も一気に開き始め分娩室へ。陣痛とタイミングを合わせ必死にいきむ。すると頭がはまっている感覚はあるのですが、いきむのをやめると引っ込んでしまう。それを3回繰り返したところで元気に産声をあげてくれました。
長女の時より体重が700gも多かったので、頭のサイズが長女より大きかったのです。しかし分娩室へ行ってから20分後には我が子を胸に抱けました。とっても安産でした。
妊娠40週1日、身長50.5cm、体重3346gの女の子を無事に出産しました。亡き母とは、1日違いの誕生日になってしまいましたが、今思うと、娘がそう選んで生まれてきたんだろうなと思います。私自身が同じ誕生日にしたいと強く固執してしまっていましたが、娘は「私はわたしなんだよ!」ってメッセージを届けてくれたような気がしてならないのです。今では姉妹で仏壇に手を合わせ、亡き母に挨拶をすることが日課。私たちのもとへ生まれてきてくれたことに感謝の想いでいっぱいです。
[つぼいみき*プロフィール]
『ママの笑顔は家族の太陽』私が大好きな言葉であり、私のテーマにもなっている。家事、子育て、仕事に大忙しで、自分のことは後回しにしてしまうママ。私自身もこの状況に自分のことが分からなくなってしまったという経験を活かし、現在は、ママ向けにドリームボード講座や個人セッションを開催。ママになってからでも自分の好きなことはできる、夢は叶う、自分と向き合うこと、心を満たすことの大切さを伝えるべく活動している。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。