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「パパはもうすぐ天国に」母に聞かされ出かけた修学旅行、女優奈津子の異色の経歴、支える家族

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家電に関する豊富な知識で、今やテレビ出演のみにとどまらず、専門媒体や主婦誌などへの原稿執筆、取材とひっぱりだこの奈津子さん。15歳で女優としてデビュー後、アイドルグループSDN48のメンバー経験もある奈津子さんは、常に「自立」を求めて、自分の信じる道、目標に向かって挑戦し続けて来ました。そんな彼女を支えてきたのは、「家族」と何事も吸収しようとする「学ぶ力」。迷ったり悩んだりする姿は、働く女性そのもの。現在第一子妊娠中の奈津子さん。働くママとしてまた一歩踏み出そうとしています。

今回はそんな奈津子さんのこれまで、そしてこれからについて前後編で話を聞きました。

「パパはもうすぐ天国に」。母に聞かされて出かけた修学旅行

――― 奈津子さんは4人姉妹だそうですね。

奈津子さん(以下奈津子:敬称略)8歳、5歳上の姉、双子の妹の4人姉妹です。父が早くに亡くなってからは、母と4姉妹、女ばかりで必死に生きてきました。

歯科医だった父は、私が小5のときに突然、コンビニで倒れたんです。脳梗塞でした。意思疎通もできない日々が続いていましたが、中学3年生になって、私が修学旅行に出かける数日前に「パパねぇ。修学旅行中に逝っちゃうかもしれない」と母から聞かされました。

修学旅行は楽しかったのですが、父のことは誰にも言えず、キャンプファイヤーの火を見つめながら、「今、この瞬間に父親が死にそうなのはクラスメイトの中で私だけなんだな」と思ったことを鮮明に覚えています。

修学旅行が終わって迎えに来てくれた母が車の中で、「パパは天国に行ったよ」と教えてくれました。喪失感もあったけれど、父に対しては「長い間、お疲れさま」と心の中で語りかけました。


――― 心に残るお父さまとの思い出はありますか?

奈津子:元気な父の姿も記憶に残っているのですが、入院中の管がいっぱいつながれている父の姿は、小5だった私にはとてもショックでその日の夜、布団にお漏らしをしてしまったほど。

でも、あの体験は思い出したくないものということではなく、今の演じるお仕事やタレントして活動する際の”感情の引き出し”としてとても重要な経験になったと感じています。特に、緊張する仕事のときには、父が近くで見守ってくれている姿をイメージすると一人じゃない気がしてきて、伸び伸びとした気持ちになれるんですよ。

妊娠をして、親側の立場も想像できるようになった今では、子どもながらに大きな経験をしたな、とは思いますけどね。

「あなたは芸能界じゃなくても大丈夫」。つらいときに私を支えた母の言葉

――― 芸能界に入ったきっかけを教えてください。

奈津子:父が亡くなった翌年にスカウトしていただきました。当時は明確に芸能界に入りたいと思っていたわけではないのですが、母子家庭になってしまったこともあって、できるなら「自立したい」いう気持ちはありました。

当時の事務所が私のことをプッシュしてくれたり、ビギナーズラックもあり、最初の仕事からドキュメンタリー番組で唐沢寿明さんと一緒にストーリーテラーをやらせていただきました。そこから連ドラのメインキャストもやらせてもらうようになり、出席日数が足りなくなりそうだったので、高2のときに千葉県の公立高校から日の出高校の芸能コースに転校し、より本格的に芸能活動を始めました。

――― 家族は反対しませんでしたか?

奈津子:基本的には喜んでくれていました。とはいえ、仕事が少ない時期もあったので、心配はしていたと思いますが、「あなたは芸能界じゃなくても何かしらの形で食べていけるから大丈夫よ」と、うまくいっているときもいっていないときも、母はいつもフラットな視線で見守ってくれていました。内心は不安もあったかもしれませんが、決して私にはそういう素ぶりは見せないようにしてくれていました。

大学入学を目標に自分の生き方を見つめ直した

幼いころの奈津子さん(左)。右は双子の妹でライター・作家として活躍する大木亜希子さん。

――― 15歳で入った芸能界はいかがでしたか?

奈津子:芸能コースに転校したてのころに、日本テレビの『ギャルサー』というドラマに出演させていただいていたんです。もう10年以上も前ですが、今でも「『ギャルサー』に出ていましたよね」と声をかけられます。このドラマに出演できたことは、私自身にとってすごく大きいことだったし、顔を覚えてもらえるきっかけにもなりました。

芸能コースでは、ドラマで共演した一学年上の先輩の女優さんの方をはじめ、友達も先生も優しくて楽しい思い出ばかりです。でも、放課後に受けるオーディションではクラスメイトとライバル同士にならざるを得なかったり、他者と自分を比べてしまったり、親元を離れての生活もあったりで、急激な環境の変化に心が追いついていけずにストレスが溜まっていきました。

思春期だったので、太ったり痩せたりもして。当時は定期的に体重測定があったので、鶏のササミ蒸しをタッパーにいれて持ち歩いて食べていました。自身の実力不足を感じてつらく、頭の中が常に忙しくて、かなり疲れていたと思います。

――― そのつらさを周囲に相談することはなかったのですか?

奈津子:今なら、仕事相手の方へは自分の思っていることを明確に伝えられますけど、当時は未熟でそれを上手に説明できるスキルを持っていませんでした。

自分がどういう女優になりたいかもわからなくなって、19歳のときにお世話になっていた事務所を離れました。当時の事務所には、貴重な経験をさせてもらったことを今でも本当に感謝しています。

それ以降、改めて自分の生き方について考えたときに、勉強がしたいから大学に入学しようと決めて、その目標に向かって猛勉強して合格。その後は芸能界しか知らないことはよくないと思って、コンビニや工場でアルバイトをするなど、いろいろなことに挑戦しました。

大学に入学して少し経ったころ、制作会社から直接オファーの電話をいただき、NHKのドラマ『とめはねっ! 鈴里高校書道部』にメインキャストとして出演することが決まり、思わずうれし泣きをしたんですよ。そこで「そうだ。私はやっぱり芸能界で仕事をしたいんだ」という思いを新たにしました。

女優時代のことを忘れてアイドルを全うしようと決めたわけ

アイドル時代の奈津子さん。

――― その後、アイドル活動も始めましたね。

奈津子:NHKのドラマの撮影が終わってしばらくしてから、AKB48の姉妹グループである『SDN48』のオーディションがあることを仲の良いヘアメイクさんから教えてもらったんです。歌で世界観を表現する歌手と女優は通じるところがあると思い、活動の幅を広げるためにもオーディションを受けることにしました。

合格し、アイドルとして活動できたことには本当に感謝してるんですが、事前に歌やダンスの基礎的なレッスンはなく、与えられた楽曲に対しての振り入れや指導があるだけでついていけるかどうかは自分次第でした。私は歌とダンスに関してはほぼ素人でしたから、自主的にレッスンを受けて基礎を学ぶ必要がありました。

グループのコンセプトだった“セクシーさ”の醸し出し方もよく分からなくて、あまりの手探り状態に、人間って「頑張ることそのもの」よりも「努力を行うための方向性が見えないこと」のほうが何倍も辛いんだと、そのときに知りました。

双子の妹とアイドルに

ただ、パフォーマンス中の演技力は評価されていたようで、「上からナツコ」という楽曲を始めとして、MV撮影では芝居どころのある役を演じさせてもらう機会が多く嬉しかったですね。ドーム公演や紅白歌合戦への出場など、ありがたい経験もたくさんさせていただいき、運営と秋元康先生には感謝しています。

――― 『SDN48』の活動は奈津子さんの今にどんな影響を与えていますか?

奈津子:集団における“自身のキャラクターの魅せ方”という「個人プレー」のやり方を学べました。いかに埋もれずに、オリジナリティをだせるかということですね。

同時に、組織として勝っていくための「チームプレー」も学べました。特に、私は一般の会社に就職して勤めた経験はないのですが、バラエティ番組で難題を与えられたときや、ハードスケジュールをこなすときなどにメンバーみんなで乗り越えた経験は新鮮でした。同僚や戦友に近い感覚だと思います。

また、SDN48は人数が多くさまざまなキャラクターの女性がいたので、この役は「あの子みたい」、あの役は「彼女みたい」と、役を演じるときにもとても活かせています。

なにより「瞬発力」と「根性」は鍛えられましたね。突然楽曲を渡されたとしてもその瞬間に歌の世界観を表現しなくてはなりませんから。今でも現場がバタバタしたときに役に立っていると思います。

女優の場合は、他の女優さんとの明確な人気度合いが数値化されることはまずありませんが、SDN48では、実力だけでなく人気によって握手会の時間やポジションが違ってくるシビアな世界でした。

私がどうがんばっていいのかわからず悩んでいたときに、ある先輩が「女優時代のことは一旦、全部忘れて!」とアドバイスしてくれたことがありました。言葉だけだとちょっと怖く聞こえるかもしれませんけど、女優時代のことを忘れてアイドルを全うしないと私がつらいとわかったうえでの愛のある言葉だったんです。「女優をしていたことにとらわれないでちゃんとアイドルを全うしよう」と思えたきっかけです。

取材・文/米谷美恵 撮影/成田由香利 ヘア&メイク/田村直子(GiGGLE) スタイリング/梶本美代子

後編では、アイドルを卒業して家電女優として活躍するまでの奈津子さんの姿を伝えます。


奈津子(なつこ)
Profile
ドラマ「野ブタをプロデュース」で女優デビュー。以降様々な作品に出演。二十歳の頃にはSDN48のメンバーとなり、アイドル業も経験。その際、劇場近くの電気街を通じて家電の魅力に目覚める。卒業後は「家電アドバイザーGOLD等級」を取得し、現在は家電女優として多くのメディアへ出演。私生活ではエンジニアの夫と二人暮らし。テレビ東京系列「開運!なんでも鑑定団」東京FM「スカイロケットカンパニー」レギュラー出演中。公式Instagram natsuko_kaden 公式twitter @natsuko_twins 公式YouTube 奈津子の家電クリニック 

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