「お母さんになりたい」2度の流産、死産を経て、ある夫婦が選んだ特別養子縁組の選択
10年以上にわたり不妊治療を続け、持病の子宮腺筋症が悪化。子宮全摘出の手術はしたものの、どうしても「子どもを育てたい!」という強い思いから、2019年特別養子縁組をした池田麻里奈さん。特別養子縁組を決めるまでのストーリーを聞きました。
(上の写真は、6カ月のハーフバースディの様子。まるまると元気に成長)
結婚から3年目に不妊治療を開始。人工授精で妊娠するも2度の流産を経験
池田さんが、不妊治療を開始してから、特別養子縁組の道を選ぶまでには14年かかりました。決断まで時間がかかったのは、つらい不妊治療をしながらも、時々見えるひと筋の光に希望を抱いたためでした。
――特別養子縁組をされましたが、理由やそれまでの経緯を教えてください。
池田さん(以下敬称略) 私は28歳で結婚しました。夫は2歳年上です。でもなかなか子どもができなくて…。30歳のときに不妊治療を始めたものの、いい結果が出ず、33歳のときに人工授精、34歳で体外受精を開始しました。2度妊娠しましたが、2度とも流産しています。赤ちゃんが入っている胎のうが小さかったりして、おなかの中で育たないんですよね。
――特別養子縁組を考えるようになったのは、そのころでしょうか。
池田 私も夫も、できることなら自分たちの子どもがほしいとずっと思っていました。夫は、私が40歳になるまでは不妊治療を頑張ってほしいと思っていたようです。そのためこの時期は、真剣に特別養子縁組のことは考えていませんでした。ただ以前、不妊で悩んでいたときに家族社会学者の先生とお話をする機会があり、そのとき「養子は考えていないの?」と聞かれて、「そういう選択もあるんだ…」と、特別養子縁組について調べたりはしました。なんとなく頭の片隅にあるという感じでした。
妊娠7カ月で死産。子宮腺筋症が悪化し、子宮全摘手術へ
不妊治療はやめどきが難しいと言われます。池田さんも次に、また次にと希望を託し、不妊治療は開始から7年が経過。そして36歳のとき、3回目の妊娠が!
――2回目の流産のあとも、不妊治療は続けたのでしょうか。
池田 2回妊娠していたので、希望が捨てられなくて続けていました。でも夫は「赤ちゃんはほしいけど、少し休みたい」というときもあり、夫婦の中ですれ違いを感じるときもありました。そんな中、人工授精で3回目の妊娠に成功しました。
でも残念ながら妊娠7カ月のときに死産しました。あのときの苦しみは言葉になりません。妊娠7カ月までは経過は順調。つわりは苦しいけど、赤ちゃんがおなかの中ですくすく育ってくれている喜びでいっぱいでした。胎動も感じていました。しかし事態は急変し、妊娠7カ月のとき「赤ちゃんが動いていない」と思い、産婦人科へ。そのときは「異常なし」と診断されたのですが、翌週の健診で「赤ちゃんが亡くなっている」と告げられました。
私はその場で気を失って倒れてしまい、そのときの記憶がありません。
――心のケアはどうしたのでしょうか。
池田 私は今、当事者として不妊、流産、死産の相談にあたるピア・カウンセラーをしています。死産を経験したときはピア・カウンセラーのスクールに通っていたのですが、スクール仲間から「つらいときは頼って!」と言われて、初めて「カウンセリングが必要な状態だ」と思いました。そのころ自分もピア・カウンセラーの資格を取っていたのに、カウンセリングのことを忘れるほど混乱していました。でも不妊、死産を専門とする先輩からカウンセリングを受けて、心が救われていきました。
夢は「子どもを産んでお母さんになること」と夫に手紙で伝える
――池田さんは、子宮内膜が子宮の筋肉の中に潜り込む子宮腺筋症という持病をお持ちだったんですよね。
池田 子宮腺筋症の主な症状は、ひどい月経痛です。私は30歳後半ぐらいから、月経痛がひどくなっていったのですが、ただ不妊治療中は子宮腺筋症の治療はできなくて…。治療を後回しにしていた結果、かなり悪化してしまい子宮の全摘手術しか方法がありませんでした。
――手術の日のことを教えてください。
池田 手術のための入院はクリスマスの日でした。
私は手術終了後、夫に手紙を渡しました。手紙には「子宮全摘の手術はしたけれど、やっぱり私の夢は“子どもを育てて、お母さんになること”。子宮全摘の手術をしても、その夢は変わらない。私は子育てがしたい!特別養子縁組を真剣に考えてほしい」ということを書きつづりました。
夫とは、時々特別養子縁組の話をしていましたが「血のつながらない子を本当に愛し続けられるのか…」というところで、2人とも足が止まっていました。しかし手紙を読んだ夫が「わかったよ」と言ってくれて、特別養子縁組の話が具体的なものになっていきました。
妻の特別養子縁組の決意に、夫が同意。民間のあっせん団体に登録
夫が池田さんの思いをくみ取ってから、夫婦のライフワークは一変。混沌(こんとん)とした不妊治療から新たな道を歩み出しました。
――特別養子縁組をするにあたり、どんなことをしましたか。
池田 まずは夫婦で地域の児童相談所などに問い合わせをしたりしました。特別養子縁組の養親を希望するときは、児童相談所の場合は里親研修を受講する必要があります。最終的に私たち夫婦が「ここに託そう」と決めたのは民間の養子縁組あっせん団体ですが、そこでもそれに値する研修を受けました。
――民間の養子縁組あっせん団体は、団体によっていろいろな特徴があるのでしょうか。
池田 登録料やサポート体制、スタッフのスキルなどに違いがあります。私が決めたポイントは養親だけでなく、子どもを託す女性のフォローもしっかりしていたからです。あっせん団体に登録する妊婦さんは、予期せぬ妊娠や、自分で育てたくても育てられないなど、さまざま事情を抱えています。私たち養親はそうした女性から、子どもを託されているということを、あっせん団体の研修で深く学びました。生みの親と直接、会ったりすることはないけれど、つながっているんです。
――赤ちゃんを迎えるのは計画的に進むのでしょうか。
池田 いいえ、突然です。赤ちゃんを迎えるまでにお世話のしかたなどは研修で学びますが、私の場合も突然、電話があり「紹介したいお子さんがいる」と言われました。
そのときわかっていたことは「近いうちに生まれる赤ちゃん」ということだけです。性別も健康状態もわかりません。でも、これから生まれる赤ちゃんの場合は、こうしたことが一般的なようです。
「明日の朝までにお返事をください」と言われてから、私たち夫婦の人生が音を立てて変わり始めました。赤ちゃんを迎え入れたのは、それから1週間もしないうちです。生後5日の赤ちゃんを迎え入れました。
――健康状態がわからない赤ちゃんを受け入れることに不安はなかったですか。
池田 多少の不安はありましたが、自分自身、妊娠したときも「また赤ちゃんが育たなかったらどうしよう…」と不安を抱えていたので、あまり動じませんでした。あっせん団体の研修に参加すると「障害のある子でも育てられますか?」など何度か確認されるので、私も夫も時間とともに覚悟ができたのだと思います。
お話・写真提供/池田麻里奈さん 取材・文/麻生珠恵、ひよこクラブ編集部
もし特別養子縁組を迷っている場合は、まずは動いてみることが大切だそう。「養子縁組の民間のあっせん団体の研修などを受けるうちに覚悟ができたり、やっぱり違う…と感じたりすることもあると思います。でも、違うと…と感じても、それはそれでいいと思います」と池田さんは言います。また養親になるには、年齢の問題もあります。池田さんは、今46歳。1人目の育児が落ちつき、下の子がほしくて最近、あっせん団体に相談したところ、年齢がネックになりあきらめたそうです。そのため少しでも特別養子縁組を考えているママ・パパは、年齢のことは意識しておいたほうがいいようです。
池田麻里奈さん(いけだ まりな)
Profile
不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」(http://kounotori.me/)主宰。NPO法人日本不妊カウンセリング学会認定 不妊カウンセラー、一般社団法人 家族心理士・家族相談士資格認定機構認定 家族相談士などの資格を持つ。
産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ
2度の流産、死産を経て、それでも子どもをあきらめなかった夫婦のエッセイ。発行/KADOKAWA