先天性難聴の息子と向き合い、悲しみを乗り越えた先に、人気料理家SHIORIさんがたどり着いた働き方
1000 人に1〜2人の赤ちゃんが、先天性難聴と言われています。人気料理家のSHIORIさんも、第1子を出産した3日後に息子さんに難聴の可能性があることがわかり、その後の精密検査で「高度ないしは重度の先天性難聴」と告げられました。悲しみを乗り越えて前を向けるようになったとき、「息子のそばにいるために働き方を変えよう」と決意したそうです。
前編では、先天性難聴という事実を受け止められるようになるまでの葛藤と「聴覚活用」という選択への思いを聞きました。後編では、初めての補聴器と療育、人工内耳とSHIORIさんが選んだ新たな仕事の仕方、そして難聴の息子さんと一緒に生きていくうえで大切にしていることなどを聞きしました。
初めての補聴器。少しでも音に触れさせなきゃと焦り、追い込まれた日々
生後5カ月を過ぎた時、息子が補聴器をつけられるようになりました。何度も病院で検査をし、役所での手続きなど長い道のりがあり、この日が来るのを待ちわびていました。
ネットには「難聴の赤ちゃんが初めて補聴器をつけて笑顔に!」などの感動動画が多く上がっています。私も見たことがあって、息子に同様の反応を期待してしまう自分もいました。
でも、重度の難聴の場合、そもそも「音」というものを知らないので、あのような反応はまず起こりません。医師からも「少しずつ霧が晴れていくようなイメージで、時間をかけて徐々に音を認識していきます」と説明がありました。
息子が初めて補聴器をつけた時も、音に反応することはありませんでした。頭では理解していたものの、やはりショックでした。
それでも、その日からは音に触れさせることに必死でした。当時撮った動画を見ると、私がすごい怖い顔で絶え間なく太鼓を叩いたり、声が枯れるまで歌ったり話しかけていたり。少しでも長い時間音に触れさせなくちゃと焦って、とにかく必死だったんですね。
でも息子は、補聴器をすぐに外してしまうんです。その度に装着し直し、また外されるということが1日何十回も。何度も心が折れました。
今なら、小さい子なんだから、うっとうしくて外すのは当然だと分かるのですが、当時は初めての育児と療育にいっぱいいっぱいで。焦りから自分で自分を精神的に追い込んでしまい、とても苦しい日々でした。
できるだけ息子の側にいてあげたい!アトリエを手放しオンラインを軸に
療育が本格的になる前に、仕事面では大きな方向転換を決意しました。
息子が生まれるまでは1日の大半を仕事をして過ごし、東京・代官山のアトリエでは料理教室を開いていました。大好きな料理の仕事は、私の生きがいでもあります。
しかし、息子が「重度の先天性難聴」と診断されたとき、この先の生き方を何度もイメージしました。そして「これからは極力家にいて、息子の側にいてあげたい。自宅にいながら自分のペースで、収益もあげられる、そんな働き方に変えなくちゃ」と思ったのです。
真っ先に思い浮かべたのがYouTubeでした。とはいえ、すでにYouTubeには多くの料理動画がアップされています。後発でやっていくには、新たな独自の個性を出さなければいけません。自分が納得できる、クオリティの高いものを作るために、3〜4カ月かけてじっくり準備を進め、YouTuberとしての活動をスタートしました。
最初は不安でいっぱいだったのですが、すぐに大きな反響をいただきました。その後、コロナの影響もあり、これまでやっていた料理教室をオンラインレッスンに変更。2021年6月現在、8,000名を超える生徒さんが集まってくださっています。
療育の世界では、ママは仕事を辞めて療育に専念されるケースがとても多いです。実際に私もそのようなアドバイスを受けたことがありました。正直、心の中がざわめき立ったのを、今でもよく覚えています。
わが家はそれまでも夫婦共働きでやってきて、療育も2人で助け合っていくつもりでいました。夫は子育てにとても積極的で、私の仕事のことも尊重し、応援してくれています。息子や夫の前でいつも元気に、笑顔を見せられる自分でいたい、私らしい姿でありたいと思い、大好きな仕事は辞めずに、療育とどちらも頑張ってみようと思いました。
その結果、この1年は無我夢中で、毎日を繋ぐのに必死な綱渡りのような日々でした。それでもこの決断をして心からよかったと思えます。
仕事に育児と療育……完璧な両立を目指すと、あまりのできなさに辛い思いをすることも知りました。ようやく今、自分の中での合格点を決める、家族の笑顔を優先する、そのために無理はしないなど、少しずつ目指すべきスタイルが見えてきたところです。
補聴器から人工内耳へ。息子の成長だけを見つめて1歩ずつ確実に前へ
現在、息子は両耳に人工内耳を装着しています。補聴器を半年以上ほど続けましたが、期待していた音への反応は見られず、再び深いショックを受けました。親としては、手術をせず補聴器で何とか……という願いがあったからです。
人工内耳の手術に踏み切る勇気があと一歩出ない……という時、来年小学生に上がる人工内耳を装着する女の子に出会いました。とても流暢に、きれいな発音でおしゃべりを楽しむ彼女に、息子の将来を重ねて大きな希望をもらいました。
その日をきっかけに決断に至り、息子は1歳2カ月と1歳6カ月の時に片耳ずつ人工内耳の手術をしました。
手術から半年が過ぎ、息子は名前を呼ぶと振り返り、私の歌にのせて踊ることもできるようになりました。当たり前ではないと気付かされたこの光景は、私たち家族にとってとても尊いものです。
この春からは、週1回だった療育が週3回に増え、息子の聴覚にとってより大切なフェーズに入ったと感じています。息子は療育の教室に行くのが大好きで、とても楽しみにしています。今はまだトレーニングというより音遊びをしている状態。でも、息子が楽しそうに音と触れ合っているのを見ると、心からうれしくなります。
療育までは車で往復2時間、電車だと往復で3時間かかります。電車ではグズって騒ぐことも多く、朝の満員時など心が折れることもしばしば。それでも日々の地道な訓練が息子の未来をつくると思うと、頑張るしかありません。
息子の同級生は、どんどん言葉を話し始めています。実際に見聞きすると、比べちゃいけないとわかっていても、不安や焦る気持ちがむくむくと……。
そういう時には、療育の先生がかけてくださった「周りと比べないで、少し前の息子さんと比べてあげてください」という言葉を思い出すようにしています。
実際、少し前の息子と比べてみると、あれができるようになった、これもできるようになったということに気づかされます。ゆっくりでも息子は確実に成長し、前進しているんです。わが子の成長をきちんと見つめることができれば、不安や焦りは、感謝と喜びに変わっていくことを実感しました。
息子が難聴であることで、私は大切なアトリエを手放して働き方を変えるなど、できなくなったことは確かにあります。でも、その中でもできることは必ずあるんですよね。今できることに目を向け、一生懸命やった結果、オンラインレッスンでは多くの生徒さんが集まってくれて、新たな道が開けました。
この先もまた、何度もこういう場面が出てくると思います。でも、常に「できないことを嘆くのではなく、今できることを一生懸命やる」のマインドで、自分らしく進んでいきたいと思っています。
写真提供/SHIORI 取材・文/かきの木のりみ
「療育は体力的にも精神的にもハード。特に精神的負担はとても大きく、1人で背負うのは本当に大変です」とSHIORIさん。だからこそ、先天性難聴のことや療育のことを、多くの人に知ってもらいたいと言います。
難聴への理解が広がれば、今より周囲に相談したり頼ったりしやすくなるかもしれません。難聴の子どももいろいろな人と触れ合う機会が増え、より多くの刺激をもらえます。それが引いては、難聴の子どもたちの未来を広げることにつながるのかもしれません。
SHIORIさん 料理家
1984年生まれ。22歳で料理家デビュー。レシピ本『作ってあげたい彼ごはん』をはじめ、著書累計部数は400万部を超える。
フランス・イタリア・タイ・ベトナム・台湾・香港・ポルトガル・スペインでの料理修行経験があり、和食にとどまらず世界各国の家庭料理を得意とする。
中目黒にある100%veganのファラフェルスタンド「Ballon」オーナー。代官山のアトリエで料理教室『L'atelier de SHIORI』を6年間主宰した後、2020年夏からレッスンの場をオンラインへ移行。現在、8,000名以上の受講生を抱える人気レッスンになっている。
https://online.atelier-shiori.com/about