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わが子が先天性難聴に。人気料理家SHIORIさんが受けた悲しみと夫婦で誓ったこと

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先天性難聴の赤ちゃんは1000 人に1〜2人と言われます。今から約10年前、『作ってあげたい彼ごはん』が料理本としては異例の340万部を売り上げ、以来、第一線で活躍し続ける料理家・SHIORIさん。2019年に第1子を出産した3日後、息子さんに難聴の可能性があることがわかり、その後の精密検査で「高度ないしは重度の先天性難聴」と告げられました。
「今まで生きてきた中で一番ショックでつらい宣告だった」というSHIORIさんが、その想いをつづったWebサイト「note」の記事「からあげくんの誓い」は、大きな反響を呼びました。その後も自身のSNSを通じて子どもと全力で向き合う姿に、多くの同じ環境のママから「勇気づけられた」との声が寄せられています。
先天性難聴という事実を受け止められるようになるまでの葛藤と、息子さんの難聴との向き合い方、療育の現実、そして仕事と療育の両立など、前後編の2回にわたりお届けします。

新生児聴覚スクリーニングで告げられた「再検査」

「うちの子、もしかしたら聞こえないのかもしれない」。強い胸騒ぎを覚えたのは、産後3日目のことでした。
産院で新生児聴覚スクリーニングという聴力検査を受けたところ、「反応が見られないので、大きな病院で再検査をしてください」と告げられたのです。

医師からは「再検査で異常なしとなるケースも半分くらいあるから、あまり考えすぎないように」と言われましたが、そんなことできるはずもありません。
「なんで…?どうして…?これからどうすれば…」
初めての出産を終え、幸せの絶頂にいるはずだった自分が、奈落の底に突き落とされ、心臓をわしづかみにされたような…、息をするのさえ苦しかったことを覚えています。
「もしもこの子の耳が本当に聞こえないのならば、どうか私と変わってください」
その夜は祈るような思いで、眠れるはずもないベットに横たわりました。

「大きな病院で行う精密検査は“ねむり薬”を使うため、生後3カ月を過ぎないと受けることができない」とのこと。それまでは「疑いはあるけど確定ではない」状態で、母と妹以外には打ち明けられず、悶々とする日々。音の鳴るおもちゃは見ることさえとても辛くて、どうしても手にすることができませんでした。

息子を見ていて「聞こえないのかも……」と不安になる瞬間もたくさんありました。例えば、息子の写真をたくさんスマホで撮っていたのですが、カシャッカシャッというシャッター音に全く反応しないんです。散歩中、耳をふさぎたくなる工事の音にも、顔色ひとつ変えない息子。
「どうか、まちがいであってほしい」という願いと、「やっぱり聞こえないんだ…」という思いが、毎日交互に胸をざわつかせました。

息子の先天性難聴が確定した日に夫と交わした誓い 

精密検査当日は空がきれいな、よく晴れた日でした。

再検査が行われたのは生後3カ月を過ぎてすぐのことでした。ねむり薬を飲んでベッドに寝かされた息子の耳にはヘッドホン、額には脳波の反応を見る装置が張り付けられ、私たち夫婦の目の前で検査が行われました。
ヘッドホンから流れる音は、私たちのところにも聞こえるほどの大音量。でも、モニターに映し出されている息子の脳波は、全く反応がありません。その瞬間、私たち夫婦は全てを悟りました。

最終的に下された診断は「高度ないしは重度の先天性難聴」というもの。今まで生きてきた中で一番ショックでつらい宣告に、溢れ出る涙を抑えきれませんでした。

夫はもともと明るい性格ですが、私を気遣い、帰りの車ではいつも以上に明るく振舞っていました。そして、息子に笑顔で「父ちゃん、君としーちゃんのために本気出しちゃうよ。今までの人生は練習だったんだなぁ」と。それを聞いて、私はまた涙が溢れ出ました。

この日、帰りに立ち寄った公園で初めて夫の涙を見ました。それまでは私が泣いていたから我慢していたのだと思います。間違いだと信じてみたり、受け入れる心の準備をしたり、3カ月間片時も頭から離れずずっと心につっかえていたものが取れ、「泣くのは今日でおしまい」とばかりに2人で声を出して泣きました。

診断を待っていた3カ月間は、これまでに経験したことのないつらい時間でした。それでも息子が生まれたことで、家族3人で過ごす時間にかけがえのない幸せを感じたのも事実です。
「この子のために私たちにできる最善を尽くそう。そしてウルトラハッピーボーイに育ててあげよう。私たちなら大丈夫」
泣きはらし、くしゃくしゃの笑顔の夫と誓いました。
「最愛の2人が目の前で笑ってくれている。このチームに巡り合えた幸せに感謝しよう」
心からそう思えた、よく晴れた冬の午後でした。

先天性難聴という事実はショックでしたが、確定したことで、先が真っ暗だったトンネルに少しの光が差した気がして……この時ようやく前を向く決心がついた気がします。

子どもにより多くの可能性を残すために選んだ補聴器&人工内耳

補聴器にだいぶ慣れてきた頃。

子どもの難聴がわかった時、次に親は、どのようなコミュニケーション法をとるか決めなければなりません。補聴器や人工内耳を取り入れ聴覚を活用していく方法や、難聴のありのままを受け入れて手話を第一言語とする方法など、選択肢はいくつかあります。

親が全力で子どものことを考え導き出した答えならば、どの選択も正しいし、全力で肯定されるべきものだと私は思います。
私たち夫婦もよく話し合いました。そのうえで、私たちは聴覚を活用する道を選ぶことにしました。将来、息子にできるだけ多くの選択肢を残したいと考えたからです。

再検査の時、医師から「今は医療の進歩により、難聴は補聴器や人工内耳を使ってかなり克服できます。多くの子どもたちが音や言葉を習得して、健聴者と同様に活躍していますよ」という話を聞きました。
ただし、補聴器や人工内耳よる聴覚活用は「早期発見・早期療育」がとても重要とのこと。もちろん、子どもが大きくなってからでも人工内耳を取り付けることは可能ですが、聴力の獲得や言葉の習得は、早ければ早いほどその効果は大きいと言われています。

幸い、息子は生後3日で難聴の疑いがわかった早期発見です。ならば、医療と息子の成長の力を信じて進もうと決心しました。

息子が大きくなって「手話を学びたい」と言った時は、全力でサポートし、一緒に取り組もうと思っています。手話だけでなく、子どもがやりたいことは何でも応援してあげたい。だから息子にも、難聴というハンデがあるからと諦めるのではなく、やりたいことに果敢にチャレンジしてほしいと願っています。

写真提供/SHIORI 取材・文/かきの木のりみ

補聴器や人工内耳を使った聴覚活用は早期療育が大切とはいえ、生後3カ月の赤ちゃんの場合、体が未熟なため、補聴器などをつけることはできません。SHIORIさんの息子さんが補聴器をつけられるようになったのも、5カ月を過ぎてからでした。「やっと具体的に一歩前進したという気持ちになって、この時からさらに前向きになれました」とSHIORIさん。
次回は、初めての補聴器装用と人工内耳への移行、SHIORIさんの仕事と療育の両立などについてお届けします。

SHIORIさん 料理家

1984年生まれ。22歳で料理家デビュー。レシピ本『作ってあげたい彼ごはん』をはじめ、著書累計部数は400万部を超える。
フランス・イタリア・タイ・ベトナム・台湾・香港・ポルトガル・スペインでの料理修行経験があり、和食にとどまらず世界各国の家庭料理を得意とする。
中目黒にある100%veganのファラフェルスタンド「Ballon」オーナー。代官山のアトリエで料理教室『L'atelier de SHIORI』を6年間主宰した後、2020年夏からレッスンの場をオンラインへ移行。現在、8,000名以上の受講生を抱える人気レッスンになっている。
https://online.atelier-shiori.com/about

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