子ども向け番組に感じた違和感の正体…ヒーローと悪役の見た目から考えるルッキズム~小説家・山崎ナオコーラさんに聞く

「ルッキズム(外見至上主義)」とは、容姿や身体的特徴などで人を判断し、偏見や差別をすること。容姿の美しさを競うミスコンを廃止する大学が増えていることなどでも注目されています。ルッキズムは日本の子ども向け番組などの中にもまだ残っていて、幼少期から差別的な価値観が刷り込まれてしまうのではないかという懸念もあるといいます。5才と2才、2人の子と暮らす小説家・山崎ナオコーラさんに話を聞きました。
子ども向け番組に残るルッキズムとは?
――ルッキズムについて、子育てをしている中でも気になることはありますか?
山崎さん(以下敬称略) 日本の子ども向けのアニメ番組や戦隊ヒーロー番組などでは、悪役のキャラクターが黒っぽい色で表現されたり、目を細くつり上げられていたり、歯がギザギザとがっていたりすることがまだありますね。このように、外見とキャラクター(悪者である、といった性格や設定)をひもづけるのがルッキズムです。
私の家にいる子どもは『ウルトラマン』シリーズが好きだった時期があり、あるとき、怪獣が人間の体を乗っ取るストーリー展開があり、「観るのをやめる」と子どもが言ったんですね。子どもは、人間とは異なる見た目のキャラクターなら、やっつけられたり爆発させられたりするのは悪者だからしかたがないと思っていたようでした。だけど見た目が人間になってやっとウルトラマンにやっつけられるのはかわいそう、と感じることができたのでしょう。つまり、幼いころから「悪そうな見た目の相手はやっつけてもいい」とするルッキズムが刷り込まれてしまっていたんですね。ルッキズムは人種差別や性差別にもつながっていくので、なくしていきたいと思います。
――子どもに「人を見た目で判断するのはよくない」とは言うものの、親である私たち自身も「シワが増えたな…」「太っちゃったな…」と外見のことを口にしてしまう矛盾もあると思いますが…
山崎 ルッキズムとは、たとえば、体形や顔などをからかって人権を踏みにじる行為、「“美人”は性格が悪い」などのラベリングを行う容姿差別のことです。ルッキズム批判は、差別をなくす運動です。容姿をまったく気にしないようにしようという意味合いのものではありません。
自分の顔を気にすることや、自分はおしゃれが好きだから適度なダイエットに挑戦しよう、と容姿を気にすることは、差別に当たりません。気にするな、ではなく、差別するな、が容姿差別をなくすことにつながると思います。顔のシワを気にするのも、おしゃれのために努力するのも、「私はこの容姿じゃないほうがよかったな」と思ってもいいんです。ただ「私はシワがあるから人としてダメだ…」と、自分に対してでも人権を否定してしまうのはよくないです。自分はシワがない顔になりたいけれど、今のままの自分でも存在意義はある、そしてまわりを見るとシワがあってすてきな人もいるよね、という考えを持っていることが大事だと思います。
それと、頑張らない自由も人間は持っています。容姿を気にせずに勉強を頑張りたいとか、ゲームに本気で取り組みたいとかといった考えから、見た目の努力をしない選択もありですよね。自分の見た目に対し努力をするかしないか、どちらも尊重しなければいけません。自分の外見を磨く努力をしたい人も、努力をしたくない人も、どちらも自分の個性に自信が持てる社会になるといいなと思います。
容姿や外見が気にならない社会にする必要がある
――では、子ども自身が「太っちゃった」とか「背が小さい」などと容姿を気にするようになったら?
山崎 もし「やせているほうが生きやすい」とか「背が高くなければ周囲から好かれない」といった圧力を子どもが感じているとしたら、大変なことですね。ルッキズムが影響していると思うので、社会のほうを変えていかなきゃいけないと思います。
子どもが容姿を気にしているときに言ってはいけないのは、「気にしちゃダメだよ」というアドバイスなんじゃないかな、と思います。私自身、作家デビューしたときに容姿について中傷を受けたことがありました。そのときいちばん言われたことで、かつ嫌だったのが「気にしちゃダメだよ」という言葉でした。「気にしちゃダメだよ」と言われると、自分が気にするのがいけないんだ、自分の問題なんだと思ってしまいますよね。そうじゃない。本人の問題じゃなくて、社会の問題なんです。「気にしないようにすべき」ではなくて、気にならない社会にしなきゃいけないわけです。圧力をかけている側を変えなければいけません。もし子どもに「太ってるね」と言ってくる人がいるとしたら、言ってくる人のほうの問題なのだということを話し合いたいですね。
――ばあばやじいじから、子どもの外見について「太ったんじゃないの?」などと指摘されることもありますが…。
山崎 人の外見に対して「太ったんじゃないの」というのはかなりひどい言葉です。親として「言わないでください」と伝えなきゃいけない場面だと思います。ただ、時代の限界というものがありますよね。祖父母も決して悪気があるのではなくて、彼らの時代では「太ったね」は言っていい言葉だったんですよね、きっと。だから、祖父母自身が悪いわけじゃないと理解しながら、うまく伝えられたらいいな、と思います。難しいかもしれませんが…。
容姿差別をしないために親ができることは?
――ルッキズムによってほかの人を傷つけないために、子どもたちの世代に親としてできることはどのようなことだと考えますか?
山崎 そもそも、ルッキズムの件に限らず、親が子に対してできることって意外と少ない気がしています。子どもって親だけで育てるものじゃないから。社会が変わらないとどうにもならないことがたくさんあります。それでもできることがあるとしたら…、多様な容姿の人がいることに見慣れていけるよう、サポートすることでしょうか?
私は最近、外見に症状がある方、「見た目問題」の当事者の方(脱毛症のある方やアルビノのある方など)とお話しさせていただく機会が増えたのですが、重要なのは見慣れることだという意味合いの言葉を多くの方が語っていました。
出会った相手が見慣れない容姿をしていた場合、子どもはジロジロ見てしまったり、「こういう容姿だね」と言葉にしてしまったりします。でもいろんな容姿の人がいることに慣れていたら、その人の容姿以外の個性…好きなアニメや遊びとかに興味を持って、関係を結べるようです。今は私の子ども時代と違って、いろんな容姿の方がメディアに出てくださるようになってもいますし、「見た目」の多様性に慣れる機会は増えているのかもしれませんよね。
――少しずつ社会は変わってきているのでしょうか?
山崎 とくに若い世代の方のお話を聞くとき、理解している人が増えてきていると感じます。たとえば、初対面の人に容姿の話をするのは失礼だというマナーを、若い人や子どもたちは、私たち大人よりもかなり身につけているみたいで、昔に比べたら今はすごくいい時代になっている気がします。むしろ、私たち親が、若い人や子どもから学ばなければいけないのかもしれません。おそらく、子ども世代は容姿差別はいけないという意識がもっと広まる世代になっていくと思うので、私は希望を感じています。
お話/山崎ナオコーラさん 取材・文/早川奈緒子、ひよこクラブ編集部
わが子は世界一かわいいと思いつつも「ちょっと太ったね」「背が小さいよね」といった外見に対する評価を、悪気なく口にしてしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。ルッキズムは私たちの文化に深く根を張っていますが、子どもに傷を残さないよう、子どもが誰かを傷つけないよう、親自身も今一度考え方を見直してみる必要があるかもしれません。
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山崎ナオコーラさん(やまざきなおこーら)
PROIFILE
1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。
『ミルクとコロナ』(河出書房新社)
『野ブタ。をプロデュース』の白岩玄と『人のセックスを笑うな』の山崎ナオコーラ。ともに20代で文藝賞を同時受賞して作家になり、現在二児の親でもある二人が、手紙をやりとりするように綴る、子育て考察エッセイ!