闘病中、全国から届いた15万羽の千羽鶴。母が幼少期から育んだ、池江璃花子選手の「愛される力」
高校時代から様々な日本記録を樹立してきた競泳の池江璃花子選手。2019年に発症した白血病から復帰して、東京2020オリンピック競技大会でリレー種目に出場しました。今年1月の東京都新春大会では「個人で世界と戦う姿を見せたい」と語るなど、常に前向きな姿勢は多くの人を勇気づけています。
前編『0歳で発表会、イメトレで金メダル、たくさんの語りかけ… 池江璃花子選手を強くした「本番力」の育て方』に続き、幼児教室を営む母・美由紀さんに話をお聞きしました。
~特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています~
おむつ替えで握る力を育てました
――2016年のリオデジャネイロ大会、2021年に開催された2020東京大会と、2大会連続でオリンピックに出場して目覚ましい活躍を続けている璃花子さんですが、赤ちゃんの時から身体能力が高かったのでしょうか?
美由紀 赤ちゃんについてみなさんどうしても大切な割れ物のように接しがちだと思うのですが、我が家の場合は大事に扱いすぎないことを心がけて、いつもアクティブに接していました。例えば、赤ちゃんの時はみんな、手のひらに指を近づけると反射で親の指をギュっと握りますよね。それを利用して、おむつ替えの時などに私の親指を握らせて、そのままグーっと起こしてつり上げ、そのまま座らせていました。最初はうまく親指を握れなくても、同じことを毎日10回くらい繰り返すことでだんだんできるようになっていきます。こうして、早くから握る力を育てました。これを繰り返しやっていたのは、握ることで、脳にたくさんの刺激がいって、脳の発達にいい影響を与えるといわれているからです。
ちなみに私の幼児教室では、室内に“うんてい”を設置していて、毎年「鉄棒ぶら下がり大会」を行っています。0歳の子は大人がしっかりサポートしていますが、みんな徐々に1人でできるようになっていきます。
白血病の告知。すぐに親子で前向きに動き出した
――2019年、璃花子さんが白血病を発症した当時のことを教えてください。
美由紀さん 体調不良でオーストラリアから早めに帰国すると聞いたのですが、最初は「私も立ち会わないといけないのかな?」と、さほど大ごとだとは思わずに病院に行きました。というのも、璃花子はあまり水泳の話を家ではしないし、親に相談しないで自分で考えて行動する子だったので、具合が悪いという連絡も一切なかったんです。
病院で検査を受けたお医者さんからは「白血病」であるという説明を受けました。その時は白血病イコール血液のがんというイメージしかなく、まるでドラマや映画の中の話のような気がしたのを覚えています。
でも、そこで絶望とか、気力がなくなるとか、そういうことはなかったんです。親子で「病気になってしまった。じゃあ、これからどうする?」と、一瞬で現実を受け入れました。
――すぐ気持ちを切り替えたのですね。なかなかできることではありません…。
美由紀さん 我が子のことですから、私が泣いて治るのであればいくらでも泣きますが、降りかかった困難を乗り越えるためには前に進んで治療するしかないと考えました。「翌年のオリンピックには出られるんじゃないか」という希望は持っていましたが、合併症が出たために治療が長引いたり、治療方針を変えたりと、思い返すと本当に大変な日々でした。それでも、今ある困難を乗り越えようという前向きな気持ちは失ったことがなかったです。璃花子も、弱音は一切吐きませんでした。
「こんなに幸せな病人がいるのかな」と感じた日々
――璃花子さんは懸命に治療に励んで、2019年12月に退院しました。そばで見ていた家族として、闘病の日々をどのように感じましたか。
美由紀さん 本人も本当に大変だったと思いますが、病気を通じて、これだけの多くの方々が応援してくださっているのかと驚きました。全国から15万羽の千羽鶴が集まって、お手紙やメッセージなどもたくさんいただきました。思いの力って目には見えないけれど、人の背中を押すパワーになると実感しています。璃花子がこうしてまた活躍できているのは本人の強い意志もありますが、周りの方々のたくさんの応援があったからこそだと思います。たくさんの方に支えられたことで、「こんなに幸せな病人がいるのかな」とも感じました。
もともと璃花子が水泳を始めたのは、「人間力を育てるため」だったんです。いろいろな人と関わりながら、スポーツを通じて人間力を高めてほしいと思っていました。何があっても一生懸命努力する、最後までやり遂げる、仲間を大切にしながら切磋琢磨する、強い心を持つなどです。ですから、もし水泳のタイムがいいからと鼻にかけたり、傲慢に振る舞うようになってしまった時は、どんなに結果を残せていたとしてもすぐに止めさせると伝えていました。でも、「心を育てていく」ということがベースにあれば、こんなにみなさんに応援される人になるんだと改めて感じました。
――その後に復帰して代表入りし、東京2020オリンピックで競泳女子400メートルリレーに出場しました。
美由紀さん 病気の治療をしていた時、璃花子にとってはまず水泳に戻れるかどうかが最も大きな目標でした。療養期間のうちに体が痩せて、テクニックもパワーも落ちたけれど、それでも水泳の世界に戻れたということは私にとっても非常に嬉しいことでした。それだけでなく、東京オリンピックの選考会を兼ねた日本選手権では再び日本一になれました。
東京オリンピックでの結果は悔しいものでしたが、その悔しさが璃花子にとっては今後のパワーになったのではないかと思います。そばで見ていても「病気だったのだからしょうがないや」ではなく、「絶対また表彰台に立とう」という収穫があったと感じられる大会でした。
勉強や才能よりも、人に愛されることが大事
――「人間力を育てるために水泳を始めた」とのことでしたが、璃花子さんは普段から周りの人たちへの気遣いがすばらしいですね。
美由紀さん 先日出版した著書(「あきらめない『強い心』をもつために」)に詳しく書いているのですが、家庭はこの世でいちばん小さな社会だと思っており、我が家では、お手伝いという仕事を物心つく頃から責任をもってやらせていました。そのせいか璃花子は学校でも、誰か困っている人がいたら自然にパっと動いて声をかけられる子になりました。昔は自宅にランドセルを忘れて登校するおっちょこちょいなことが何度もありましたが(笑)、親が届けることはせず、自分がしたことの結果を身をもって経験させるようにしました。何でも親がやってあげたら、子どもの責任感は育ちませんからね。
私の幼児教室でも、親御さんには「人に愛される子になることを大事にしましょう」とお伝えしています。たとえ1番になれなくても、人の役に立ち、たくさんの人にその人間性を愛され、必要とされることが幸せであると私は思います。勉強ができるとか、何かの能力が秀でているということよりも、子どもが幸せになる上でも心を育てていくことが大事です。そういう意味でも、たまひよ時代はすごく大切な時期。コロナ禍が長引き、子育て中のご家庭には大変な状況が続きますが、みなさんが心おだやかに子育てできるように心から応援しています。
池江美由紀さん(プロフィール)
3人(長女、長男、次女)の子育てをしながら、幼児教室の講師兼経営者を務める。次女が小学校に上がるころに離婚し、ひとり親で3人を育てる。1995年、子どものための能力開発教室を開校。約30年間、子どもたちの指導に携わってきた。現在も講師として教室のクラスを受けもち、子どもの才能を引き出し、本番力、人間力、何があってもあきらめない強い心を育む指導をしている。同時に、教室に通う子どもの親の子育て相談や指導を数多く行う。また、長年の経験に基づいた講演活動も行う。東京経営短期大学こども教育学科特別講師。EQWELチャイルドアカデミー本八幡教室代表・講師。著書に『あきらめない「強い心」をもつために』(アスコム刊)がある。公式サイト https://ikee-miyuki.com/
(取材・文 武田純子)