家庭を顧みない仕事人間でした。その僕が南国フィジーへ7ヶ月間育休移住をしたお話。今でも心がチクッとする、長男の保育園エピソードなど子どものお話【第4回】
ワーク・ライフバランス社でコンサルタントとして活躍する大畑愼護さんは、第3子出産の際に1年間の育休を取得し、5歳、2歳、0歳の子どもを連れて一家5人でフィジーへ育休移住(2018年7月~2019年2月)を決行しました。そのお話を連載5回にわたって紹介します。今回は第4回となります。
連載【第3回】「番外編。新婚時代、崩壊寸前だった頃も含めて夫婦のお話」はこちら
連載【第1回】から読むはこちら
これまでの連載では移住準備からフィジーの生活について紹介してきましたが、今回はフィジーでのお子さんの様子を紹介します。順調に家を借り、現地で友人&ママ友もでき、毎日子どもと一緒に海へプールへと育休移住を満喫して大成功……という訳でもなかったようです。
笑顔が絶えない日々でも、色々あった子どもたちのお話
「周りの視線を気にせず、のびのび子育てしたい」「世界最高水準の日本の育休制度を有効活用しよう」(第1回 きっかけはふと目に入った妻のTODOリスト)として、フィジーへ育休移住を決行した大畑さん。
「家を借りたころから僕たち夫婦もフィジーの生活を満喫する余裕ができ、それが子どもにも伝わったようで本当に笑顔が絶えない毎日でした。でも、やはり色々ありました」
まずは2歳の娘の話。心配だったアトピーが悪化し帰国も視野に
「妻とは『子どもがフィジーになじまなかったら即帰国』という約束でしたが、一番の懸念は2歳の娘のアトピーでした。悪い予感は当たり、フィジー到着直後から肌の状態がどんどん悪くなっていきます。
眠れないとぐずる夜は保冷材のかわり冷凍した人参を肌にあて、なんとかしのぎました。その当時の写真を見ると、写真でもはっきりわかるくらいに悪化していました。
滞在1ヶ月を過ぎたころ『もう帰国しかない』と話していたら、急速に肌の状態が良くなっていったのです。そして2ヶ月目には、今まで見たことのないツルツル肌になったのです!」
「アトピーには海が良いと噂はありますが、確かにほぼ毎日海へ行っていました。そしてフィジーは年間を通して常夏の国。季節の変わり目がないので肌への負荷がなかったのかなと、個人的に思っています」
※アトピー性皮膚炎に関するエピソードは、大畑さん個人の体験談です。アトピー性皮膚炎の方全員に同じ効果があるとは限りません。
どこへ行ってもかわいがられた娘。絶対的な自信をつけて帰国する(笑)
「娘はスーパーでも、保育園でも『キュート、キュート』を連呼されていました。まだおしゃべりができない頃でしたが、褒められているのはわかるようで『私は絶世の美少女』という絶対的な自信をつけて帰国した感じがあります(本当の話)。
その自信を垣間見るエピソードがあります。
日本に帰国したあとのことです。僕が保育園へ娘を迎えに行くと、娘は園長と口論の真っ最中。何事かと焦ったら、娘が突然
『私にはフィジーがある!フィジーへ帰るからいいもん!』と、啖呵を切ったのです。
その時私はハッとしました。
日本の学校では、居場所がないと感じた児童は不登校になり、引きこもりになることもあります。でも娘は幼いながらも世界は広く、学校以外にもたくさんの居場所があることを知っているのです。
ちょっとニンマリしてしまった僕でした。
(そもそも園長とは仲良しなので、ちゃんと仲直りしました)」
大きな病気にもならず、とにかくのんびり過ごした赤ちゃん
「0歳2ヶ月でフィジーに渡った第3子の次男は、深刻な体調不良にもならず、すくすくと成長しました。フィジーの気温変化が少ない温暖な気候が、よかったのかもしれません。
入国時は仰向けで寝るだけだったのが、気が付けばハイハイでどこにでも駆け巡る元気な子どもに育ってくれました。毎日家族5人でわちゃわちゃと過ごしていたので、すっかり家族の一員に」
「翌年2月に帰国する際は、フィジー歴の方が長いじゃないか!日本生まれフィジー育ちのフィジー人だな!なんて冗談を言っていたのですが……。
冬の日本に帰国したら鼻水を垂らして、すぐ中耳炎に。完全に冬の厳しさに油断していました。親として猛省な出来事でした」
フィジーの大自然と異文化に触れて、たくましく成長する長男
「家族でアイランドホッピングへ行き、水深20mくらいの海でシュノーケリングをしていた時の話です。長男はライフジャケットを脱いでガシガシと泳ぎ始め、そして反動をつけて深い海の底へ向かって潜りはじめたのです。
心配しながらも見守っていたら『これ以上は息が続かない』と、判断したのでしょう。途中であきらめてふーっと上がってきたのです。
自分の能力を見極めながら大自然を相手に遊ぶ姿に、『すごい、危機管理能力が研ぎ澄まされている』と、感動しました。
あとフィジー滞在中に長男が突然、世界の絵を描いたことも印象的でした」
フィジーで過ごすことで世界は広いと知る
「フィジーがめっちゃ多くて世界の中心らしいです(笑)
日本と東京が別々だったり、イタリアがあったり(これは日本でイタリア家族と仲良しだった影響と思われる)、なかなか面白い絵です。
正確な世界地図を見せたらいいのに、と思われるかもしれませんがそこは野暮。長男は自分が見聞きしたことを脳の中で整理して、自分なりに世界はこんなところと想像力を働かせて表現したのですから。
ちなみに私や妻に促されて描いたのではありません。突然、ペンを走らせたのです。
長男の頭の中を垣間見たことに感動し、これもフィジー移住で得た感性なのだと思いました」
実は大畑さんは、長男くんに関しては「日本に残ったほうが、もっと成長できたのではないか」と、思うことがあるそうです。
それは保育園での出来事があったからです。
今でも胸がチクッと痛む長男の保育園生活
「家を借りて生活が安定した頃、僕は保育園探しを始めました。子どもが異文化に触れあえる良い機会だと思ったからです。徒歩で通える園をいくつか見学し、ある園に5歳の長男と2歳の娘を通わせることにしました。
2歳の娘は前述したように、まったく問題なく過ごせたのですが、長男に関してはなかなか厳しい経験となりました。
僕はフィジーの保育園は、国民性から自由でのびのびした保育なのだろうと勝手に予想していました。ところがまったく違ったのです。
フィジーは長らくイギリスの植民地でした。公用語が英語なのはその名残りです。そしてイギリスと言えば紳士淑女の国、マナーを重んじる国です。
フィジーの教育機関は今もその影響が色濃く残り、先生の指導はまぁまぁ厳しいのです。
5歳の長男と2歳の娘が通っていた日本の保育園は、いわゆるのびのび保育園でした。毎朝、先生方は園児に『今日は何をしたい?』と、希望を聞き、身体をめいっぱい使った遊びをします。希望があれば園を出て河原へ遊びに行ったり、年数回は電車に乗って高尾山へ日帰り登山したりする園だったので、長男にとってフィジーの保育園は居心地が悪かったようです。
しかも英語が話せない長男は、先生や友だちとコミュニケーションがとれません。
通い始めてまもなく登園渋りが始まりました」
登園渋りでぶつかりあう親の想い、子の想い
「でも僕は絶対に良い経験になると思っていたので、登園の朝は『行きたくない』『行きなよ』の押し問答。長男から『僕は保育園へ行きたいなんて言っていない!!』と、言われた時は、言葉につまってしまいました。
結局、保育園は辞めることはなく、行く回数を週4から週2~3に減らし、お迎えを早めにして、その園にはニュージーランドへ一時出国するまでの約2ヶ月間通いました。
長男は皆と仲良くするために色々と作戦を考えます。ある日は飴を大量にポケットに隠し持って皆に配る、ある日は折り紙を持参して手裏剣や兜を作って見せる、またある日はライオンのごとく『ガオーガオー』と、友だちを追いかけまわして鬼ごっこを始める、などなど。
その頑張りと生きる力を見て、僕は長男を尊敬し、子どもではなくひとりの人間として接するようになりました」
帰国後は友だちのありがたみを知り、ひたすら遊びまくる日々
「頑張らせてしまったことを思い出しては、今も胸が苦しくなることがあります。
長男は『友だちって大事』としみじみ思ったのでしょう。帰国して小学校へ入学すると、友だちをたくさん作り遊びまわっています(笑)
『友だちにフィジーで暮らしていたと話したら、すげーって驚かれた』と、自慢気に話してくれたこともありました。小4の時に『日本ってどういう国なの?フィジーって貧しい国なの?』と、聞いてくることもありました。
日本と全く違うフィジーという国で過ごした日々が、彼に強く影響していることは確かです。ただ長男にとって良かったのか悪かったのか、長男がもっと成長したら答えが出るのかなと思っています」
と大畑さん。
長男さんは現在10歳、娘さんは7歳になりました。フィジーで過ごした記憶は今も残っているそうです。フィジーで撮りまくった1万6000枚の写真からフォトブックを作り、毎日のように見返しては思い出話に花を咲かせているそうです。
やがて色々あったフィジーでの育休生活も終わりを迎えます。最終回となる第5回は帰国直前のお話と帰国後の日本のお話となります。
大畑愼護(おおはた しんご)
前職では全国を駆け巡る激務をこなし、やりがいを感じながらも長時間労働の弊害を実感。そこで個人及びチームの業務内容などを見直し・改善して残業時間半減を実現します。その経験を生かして生産性の向上を提言するワーク・ライフバランス社へ転職。コンサルタントとして、企業の講演・研修を担当し多数のメディアにも出演しています。
プライベートでは3児の父。前職では激務のせいで一家離散の一歩手前でしたが、こちらも見事に立て直し、第3子誕生の際には1年間の育休をとって一家5人で南国フィジーへ育休移住を決行しました。プライベートではトライアスロンに挑戦するなど、既成概念にとらわれず仕事・家庭・自分の時間の充実を提案する型破りイクメンパパです。
取材・文/川口美彩子
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事内に掲載した写真は、大畑さんのInstagramに掲載されたものです。
●記事の内容は2023年4月の情報で、現在と異なる場合があります。
妊娠・出産にオススメのアプリ
アプリ「まいにちのたまひよ」

妊娠日数・生後日数に合わせて専門家のアドバイスを毎日お届け。同じ出産月のママ同士で情報交換したり、励ましあったりできる「ルーム」や、写真だけでは伝わらない”できごと”を簡単に記録できる「成長きろく」も大人気!
ダウンロード(無料)