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自閉スペクトラム症と知的障害がある娘。かんしゃくで大暴れしたときには、周囲の人に警察を呼ばれたことも【体験談】

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出産直後の今川さんとかりんちゃん。無事に生まれてくれてとにかくほっとしたのだとか。

発達科学コミュニケーショントレーナー・元臨床心理士の今川ホルンさん(39歳)は、小学校5年生の長女、小学校3年生の長男、3歳の二男の3人の子どもを育てる母です。今川さんの長女・かりんちゃん(仮名)は、3歳で自閉スペクトラム症、4歳で知的障害があると診断されました。かんしゃくを起こすことが多かったという長女の子育てについて、今川さんに詳しく話を聞きました。

赤ちゃんの脳室が拡大して、発達が遅いと言われ・・・

生まれつき脳室拡大があり発達が遅い可能性があると言われたかりんちゃん。今川さんはベビーマッサージなどできる限りのケアをしていたそうです。

理学療法士の夫との間に長女を妊娠したのは、今川さんが27歳のころのこと。妊娠38週のころ自然分娩で、体重2965g、身長45cmの女の子を出産しました。

「妊娠7カ月のころの妊婦健診の超音波検査で、赤ちゃんの脳室が1cmほど拡大しているかもしれない、と言われMRI検査をしました。このときは私のおなかの中にいる胎児をみるMRI検査でした。
そして38週で出産したあとにもMRI検査しました。すると可能性ではなく1cm未満の脳室拡大は確実なものであるとわかり、今後発達の遅れが出てくることがあるだろうと説明されました。
そこで、出産した大学病院の小児科・発達外来でその後の長女の発達の様子を定期的にみてもらうことになりました」(今川さん)

生まれたあとのMRI検査で医師から言われたとおり、かりんちゃんの発達は一般的な赤ちゃんの成長に比べるとゆっくりでした。

「3カ月健診ではまだ首がすわらず、その後も寝返りは9カ月、はいはいは1歳2カ月、初めて歩いたのは1歳11カ月と、定型発達の基本的な月齢からことごとく遅れていきました。1歳6カ月の乳幼児健診での母子健康手帳のチェック項目は、すべて『いいえ』に丸がついていました。言葉も出ず、歩けない状態でした。
そのころ、市の集団健診で目にするほかの子どもとは明らかに成長の様子が違う長女の様子が、とても心配でした」(今川さん)

「発達が遅いから」と幼稚園入園を断られ

1歳の誕生日は肺炎で入院していたベッドの上でお祝いしました。

今川さん夫婦が発達の遅れよりも心配だったのは、かりんちゃんの体がとても弱いことでした。

「私も夫も職業柄、発達の遅れについての知識はあったので、そのことはしかたないと思っていました。それより娘の体が弱いことのほうが心配でした。風邪をひいて熱を出すと、毎回のように肺炎で入院するほど重症化してしまうんです。何度も繰り返すので検査をしてもらったら、免疫グロブリン欠損症と、気管支狭窄症(きかんしきょうさくしょう)があるとわかりました」(今川さん)

今川さんは産後10カ月からフルタイムで職場復帰をしましたが、体の弱いかりんちゃんの育児と仕事との両立は大変だったそうです。

「娘は私の職場の病院に併設された保育所に預けました。でも、風邪が悪化し肺炎で入院となると24時間の付き添いが必要です。3歳までに10回ほど入院をするたびに、付き添い入院と仕事とを、夫と交代でシフトのように調整し、てんやわんやの毎日でした。
ただ、そんな中でも保育所の先生たちが娘の発達を理解してくれ『ママの発達の心配がぬぐえるように支援します!』と、協力してくれたことが支えになっていました。その言葉がとてもうれしくて、心強く感じていました」(今川さん)

今川さんの職場の保育所は0歳〜2歳までの子が多かったため、かりんちゃんが2歳を過ぎたころ、今川さんは自宅近くの幼稚園を探し始めました。しかし、発達の遅れを理由に入園を断られてしまいます。

「同居している義理の両親が送迎をすると言ってくれたので、幼稚園を探したんです。発達が遅れていても入園可能そうなところを探し、3カ所ほど見学に行きました。でも・・・『自分で靴をはけせんよね?』『階段を1人で上れないと幼稚園生活は無理です』『来年にしたほうがいいんじゃないですか』などと言われてしまったり、加配の先生が3学年に1人だけしかいなかったり、と幼稚園に入園するのは難しい状況でした」(今川さん)

3歳で自閉スペクトラム症、4歳で知的障害があると診断

3歳の夏、自閉スペクトラム症の診断がついたころのかりんちゃん。

結局、幼稚園には入ることがかなわず、かりんちゃんが年少の1年間は、週に3日を今川さんの職場の保育所、週に2日を自宅近くの児童発達支援センター(通所療育)に通うことにしました。今川さんはフルタイムで働きながら、夫と有給を取り合って週2回の通所療育に通わせました。

「幼稚園に入れず、年少の年齢になっても言葉が出ないことが心配で、療育に通うことにしました。私が住んでいる市では通所療育に通うための『通所受給者証』を取得するためには、医師の診断書が必要だったので、娘が0歳のときから通っている発達外来の先生に診断をお願いしたんです。この先生は、その子なりの発達の様子を重視してくれる先生で、ゆっくりだけれど少しずつ発達しているかりんの様子を見守ってくれていました。わざわざ診断をつけなくても、という考え方の先生だったのですが、通所療育を希望していることを伝えると、当時言葉がほとんど出ない、こだわりが強いことが目立っていたので『自閉スペクトラム症』の診断書を書いてくれました。

その後、県に障害者手帳・療育手帳を発行してもらうため、娘が4歳のころに児童相談所で小児精神科医の検査を受けました。その結果、娘の知能指数(IQ)は50未満でした。IQは、同年齢の中で平均に当たる数値が100となっています。4歳でIQが50というと2歳前くらいの知能ということ。娘は中程度の知的障害と認定されました」(今川さん)

臨床心理士だった今川さんは、普段は知能検査を実施する側でしたが、いざ、わが子が知的障害と診断されたことはとてもショックだったと言います。

「当時の娘は、相手の話す内容を理解しても言葉が出ない状況でした。検査では『ペンは何をするもの?』と聞かれて『書くもの』と答えられれば点数がつきます。娘はジェスチャーで書く動作をしながらも、出る言葉は『んー!んー!』という具合。言葉が出ないから、点数がつかなかったんです。年齢の半分も知能が遅れていると数字ではっきりとわかったことが、自分で予想していた以上にショックでした」(今川さん)

自閉スペクトラム症の診断を受け、かりんちゃんは年中から公立保育所の障害児保育に通うことに。しかし、その保育所に入園するために、今川さんが仕事を辞めなければならなくなってしまいました。

「障害児保育の預かり時間は8時30分から16時30分でいっさい延長はできないとのことでした。私の職場は通勤に1時間20分かかるところにあり、退勤は17時30分。どうしても送り迎えができません。しかたなく、正社員の仕事は辞め、自宅近くの療育施設の臨床心理士としてパートを始めることにしました。私は、当時の勤務先で定年まで働きたいと考えていたし、夫ともそのつもりで人生プランを相談していたので、とても残念でした」(今川さん)

かんしゃくがひどく、警察を呼ばれてしまったことも

3歳前からかんしゃくがひどくなったかりんちゃん。ところ構わず寝転がって暴れてしまうことも。

かりんちゃんが3〜4歳のころは、言葉がなかなか出ないことに加え、コミュニケーションが取りづらいことやかんしゃくが多いことで、今川さんは子育てに困難を感じていたと言います。

「ものと場所が一致しないと嫌だ!というこだわりが強い時期がありました。スーパーで牛乳を買おうとしても、『ここに並んでる牛乳を取っちゃダメ!』と怒り出すから買えないんです。スーパーに行って泣かせるだけで何も買えずに帰ってきた、ということがたびたびありました。

忘れられないのは娘が4歳の春、少し遠出して2人で桜を見に出かけたときのこと。初めての場所や人ごみに戸惑ったのか、娘があるおうちの金魚鉢の前でかんしゃくを起こし、大の字にひっくり返って泣き始めました。優しく声をかけても、怒ってもどうにもならず、抱っこをして連れて帰ろうにも大暴れ。40分ほど格闘したでしょうか・・・私も途方にくれてしまい、ぼーっとしていたら、いつの間にか警察官がそばに来ていて声をかけられました。『どうかしましたか、大丈夫ですか』のような声かけだったと思います。きっとその近所のどなたかが心配して警察に連絡してくれたんでしょう。娘の障害者手帳を見せると『ああそういうことですか』と帰っていかれましたが、悲しさとむなしさを強く感じたことが今でも忘れられません。その日はどうやってその場所から娘を連れ帰ったのか、よく覚えていません」(今川さん)

小学校1年生に上がっても、今川さんはかりんちゃんの子育てに悩み続ける日々が続きました。しかし、そんな親子関係が変わるきっかけとなったのが、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛・一斉休校だったのだそうです。

「外出自粛期間に親子のコミュニケーションが少しずつ増えたことで、娘のかんしゃくが減り始め、言葉が増え始めました。それを機にそれまで悩んでいた子育てがどんどん楽しくなっていったんです。

そんな自分の経験から、自閉スペクトラム症の子どもの成長には、親の声かけがとても大切だとわかりました。そこで、お家で療育をするためのトレーナーになる勉強をし、現在は自閉スペクトラム症を持つ親のサポートをする活動をしています。

今では、小学校5年生になった娘。1年生のときにはほとんど話せなかったのに、日常会話はできるほどに成長してくれました」(今川さん)

お話・写真提供/今川ホルンさん 監修/パステル総研 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

働きながら子どもの入院のケアや、療育手帳発行のための手続きなど、かりんちゃんが4歳くらいまでは大忙しの毎日だったそうです。今川さんは「今は『大変だった』と笑って話せるけれど、当時はつらい胸の内を話せる相手がいなかったことが苦しかった」と話してくれました。

※通所受給者証、療育手帳・障害者手帳の発行の方法や、発達検査を行う機関は自治体によって異なります。

今川ホルンさん(いまかわほるん)

PROFILE
発達科学コミュニケーション マスタートレーナー。元臨床心理士。おうち療育でことばが苦手な自閉っ子の会話力をどんどん伸ばす専門家。臨床心理士としての経験と自身の長女との経験を生かし、おうちで脳を育てるコミュニケーションを教えている。

今川ホルンInstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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