母親たちが感じる仕事と子育ての両立に対する「葛藤」。それは、日本のかたよったケアレス・マンモデルのせいでは?【専門家】
「子どもはとってもかわいい。でも母親ってこんなに大変なの?!」子育ての責任から、そう感じる人は少なくないのではないでしょうか。日本で2022年3月に刊行されたオルナ・ドーナト著『母親になって後悔してる』(新潮社)も話題となりました。育児の負担が大きいために自らのキャリアをあきらめざるを得ない母親もいるなかで、母親が感じる後悔と、社会に求めたい変化について、家族社会学が専門の大阪大学招へい研究員 元橋利恵先生に話を聞きました。
かたよったケアレスマン・モデルの社会の中で
――最近夫婦共働きも増えて、フルタイム勤務する母親が増えていますが、保育園やベビーシッターに子どもを預けて働くことに、罪悪感をもつ人もいるようです。
元橋先生(以下敬称略) 罪悪感をもってしまう理由としては、日本社会に以前から、そして今も変わらず、女性こそ子育てを担うべきという根強い価値観があるからではないかと思います。
女性の就業率自体は70%(※1)と高いですが、そのうち子どもを育てる人にはキャリアを積んでいくイメージが当てはまりにくい状況ではないかといわれています。つまり、働いている女性は多いけれど、意思決定をする管理職の立場の女性の割合が少ないのです。国際的な女性管理職の平均割合は約33%ですが、日本は13.3%(※2)。国際的に見ても低いとわかります。
女性の場合、キャリア的に大事な時期と、子どもを産む時期が重なっています。出産して、かわいい子どもと一緒にいたいと思うのは自然なことでしょう。でも子どもと一緒にいたいと思っても、自分の仕事のために休めなかったり、休んだらキャリアアップに影響するかも、という考え方も出てきてしまいます。どっちも選びたいのに、どちらかの選択を迫られてしまうシーンが多いこと自体が、しんどさにつながっている思われます。本当は選べないこの二つの選択を選ばされ、引き裂かれるようなつらい気持ちを感じることは、とても理不尽な社会構造になっているのではないでしょうか。
――仕事もしたい、子育ても頑張りたいのにできない気持ちが罪悪感につながるのでしょうか。
元橋 母親が子どもを預けて働くことに罪悪感を持つことも、この引き裂かれる気持ちからきていると思います。今の日本社会での働き方が、男性に合わせたものになっているのも要因といえるでしょう。
「ケアレス・マン・モデル」という言葉があります。「ケアレス・マン」とは、家事・育児責任を負わない家庭責任不在の男性的な働き方を指す言葉です。
そして「ケアレス・マン・モデル」とは、ケアレス・マンが労働力の主体として考えられていることを指します。
現在の日本では労働や政治といった公的な領域が、家庭でのケアをしない人、自分の時間や力のほぼ100%を仕事だけに注げる人をメインモデルに作られていることが問題ではないでしょうか。
このような働き方が主流である社会の中に、家庭でのケアを担う人が入って、一緒に戦わなきゃいけないこと自体がすごく不利だと考えられます。
モデルがかたよりがある、社会のしくみがおかしい、という問題のはずなのに、それが注目されにくいのが現状です。女性の能力がないことにされてしまったり、あるいは、女性は仕事と育児をうまく両立しましょう、という問題にすり替えられたりするのは、とってもしんどいことだと思います。
だれもが育児・介護をしながら働くことを当たり前にすべき
――日本が変わっていくためには何が必要でしょうか?
元橋 管理職側に、家事・育児経験があり想像力がおよぶ人がいるかいないかで、かなり違うのではないかと思います。諸外国でもかつては日本と同様の問題はあったと思いますが、女性管理職を意識的に増やしたり、子育ての制度を変えたりといった対策をしてきました。そうでないと子どもがいる人が働けないからです。
育児だけでなく介護問題もですが、ケアをしながら働き続けられることが当たり前になる必要があります。父親の育児休業、介護休暇の取得は必要ですし、それも1週間など短期間ではなくて、主たる育児や介護を担う人として十分な期間取得することが当然になるまで進めることが必要です。男性の介護者も増えていますが、介護するには仕事を辞めざるを得ないような現状があることも問題だと思います。
――日本では男女の賃金格差も、問題とされています。
元橋 最近は縮小傾向にはありますが、残念ながら依然として男女の賃金格差はあり、令和3年の男性一般労働者の給与水準を100としたときの女性一般労働者の給与水準は75.2(※3)となっています。非正規雇用の職業に着くのは圧倒的に女性が多いため、育児や介護など家庭のケアは女性がやる、というしくみができてしまっています。
「後悔」という母親の声が示されたことが大切
――なぜ日本にはまだまだ「母親が育児をするのが当然」といった考え方が強いのでしょうか。
元橋 理由の一つは、女性のほうが非正規で働くことが多く仕事に融通をきかせられるために、育児や介護を女性が負担する結果になっていることが大きいでしょう。
女性は、守らなければならない子どもや、1人で動けない要介護者がいて、ケアを拒否すればその人が死ぬかもしれない状況では、自分の意志ではなく巻き込まれることがあります。女性が育児や介護を担うことが多いのは、女性の意志ではなく、社会のしくみや働き方が整っていないせいであることが多いです。
巻き込まれること自体が悪いとは思いませんが、ケア労働を担うときに、自分はこうしたい、こんなケアなら納得してできる、といった主張をしてもいいと思うのです。
『母親になって後悔してる』という本が注目されることで、母親という役割を拒否する言葉があることが世の中に提示されたことに意味があると思います。女性が「私はこうしたい」という声が示され、それが共感を生んでいることは大きな一歩と言えるでしょう。
――もし後悔を感じた場合、母親たちは声をあげたほうがいいのでしょうか?
元橋 「母親になった後悔」については、匿名性が確保された安心して話せる場がないと声を上げられないと思います。この本が話題となって、共感する人もいるでしょうが、実際、「後悔している」と口に出して言えるわけじゃないですよね。現実はまた別、となってしまうと、なかなか変わっていくことにはつながりません。「母親になった後悔」について、自分の感情が本当はどこにあるのか、だれかと話しながら考える、聴き合える安心安全な場所がつくられるといいと思います。
お話・監修/元橋利恵先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
母親になったことに後悔があっても、それを口に出すことはタブーのように感じてしまったり、自分が決めたこと、とあきらめてしまうかもしれません。社会が母親に子育ての責任を負わせていることも、母親がその役割を担うことに後悔をする要因の一つです。変わるべきは後悔を感じる母親でなく社会ではないでしょうか。
●記事の内容は2023年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
元橋利恵先生(もとはしりえ)
PROFILE
1987年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程卒業。博士(人間科学)。大阪大学大学院人間科学研究科 招へい研究員。著書に『母性の抑圧と抵抗 ケアの倫理を通して考える戦略的母性主義』(晃洋書房)がある。