peco、「いっぱい泣いたあとは、悲しみを乗り越えるために前を向く」“新しい家族のかたち”のこれから
2016年にタレント・ryuchellさんと結婚、2018年に長男を出産したタレントのpecoさん。「Tostalgic Clothing(トスタルジック クロージング)」デザイナー&プロデューサーとしても活躍中です。2022年のお正月に、ryuchellさんから、小さいときから同性が好きという自覚があったというカミングアウトを受け、2022年8月に夫婦関係を解消するも、同居して生活を続ける“新しい家族のかたち”を実践。2023年7月にryuchellさんが亡くなったときには、多くの人々が衝撃を受け、悲しみに暮れました。
2024年2月に発売になった初めてのエッセイ『My Life』(祥伝社)は、2022年、pecoさんが自分の言葉で伝えたいという思いから制作がスタートしました。そこにも書かれていますが、パートナーからのカミングアウトを受け入れ、“新しい家族のかたち”にたどりつけたのは、pecoさんの中に大きな覚悟が存在していたからでした。
全2回のインタビューの1回目です。
なんでも報告して、なんでも話し合える関係だったryuchell
――ryuchellさんから“本当の自分”について打ち明けられたときの気持ちを教えてください。
pecoさん(以下敬称略) ryuchellからセクシャリティに関するカミングアウトを受けたときは、めちゃくちゃびっくりしました。でも、話してくれる前の数カ月間ぐらい、ryuchellが何かに思い悩んでとても苦しそうにしていたのは感じていたので、点と点がつながった、という感覚もありました。
私とryuchellは、なんでも報告してなんでも話し合える関係性でした。だから、ryuchellが、この事実を私に伝えられなかったことは、すごくつらかったと思います。カミングアウトしてくれたときは「じゃあ、なんで私と結婚したの?」と聞きましたが、うそをつかれていた、だまされていたとはいっさい思いませんでした。
それは、ryuchellが私を本当に愛してくれていたことを実感していたからです。ryuchellからたくさんの愛をもらっていたので、「こんなにも勇気を振り絞って伝えてくれて、本当にありがとう」と、事実を受け入れることができました。
でも、私にとって何かあったときに相談したり話したりする相手はryuchellだったので、ryuchellのことをryuchellには相談できないというやるせなさはありました。私の理解者はryuchellだし、そのryuchellにこの話を聞いてほしかった、という思いはありました。
――カミングアウト後、どんなことを話し合われたのでしょうか。
peco 今後の自分たちの生活などについて、いろいろと話し合いましたが、数カ月の話し合いの内容は平行線をたどり、着地点が見つからない日々が続きました。
正直、めちゃくちゃ大変でした。長年一緒にいたので、“こう言えばこうなる、だから言わないほうがいいけど、だったらどんな言葉で伝えればいいんだろう?”と頭も使うし、そのための体力も必要です。
2人ともお互いのことがわかりすぎていたからこそ、難しいことも多々ありました。でも、こうして体当たりで向き合えたのは、出会って以来、ずーっと小さなことまで共有できていたからだと思います。
ryuchellは「夫であることがしんどくて、苦しくて、もう嫌なんだ」と言っていました。その言葉を受け入れようとは思っていましたが、よりよい関係性のために譲れないこともありました。
――それはどのようなことだったのでしょうか?
peco 家族のあり方として、男性がパパで女性がママでなくてもいい、ママとママでもいいし、パパとパパでもいいなど、形式にとらわれない考え方はもともともっていた私たちでしたし、息子にも常にそのように伝えていました。
ただ、私たちは2人だけではありません。私たちの間に生まれてきてくれた息子がいます。この尊い命を誕生させた時点、自分以外のだれかを巻き込んだ時点で、私たちには責任があると考えていました。だから、別々の生活を送ることは絶対にしたくない思っていました。息子は、ryuchellと私のことが大、大、大好きです。ryuchellが夫という立場でなくてもいいから、息子にはダダとママがいる中で育ってほしかったんです。
「なんで?って思うことがあったら、ママとダダにはなんでも聞いていいんだよ」と伝えた
――当時、まだ3歳だった息子さんには、“新しい家族のかたち”としての生活をどのように伝えたのでしょうか?
peco 私の母とryuchellのお母さんにも話し合いに参加してもらって、夫婦関係は解消しても一緒に暮らしていく“新しい家族のかたち”としての生活を決めました。
息子には、ジェンダーフリーのさまざまな家族が描かれている『いろいろ いろんな かぞくの ほん』という絵本を読みながら説明しました。以前から、「男の子が女の子を好きにならなければならないとかはないんだよ」、「男の子として生まれたけど、男の子のことを思ってもいいんだよ」と話していました。だからか、ryuchellが男性を好きなことや、女性になりたいと思う気持ちを伝えても、それに対してはそこまで驚いた様子はありませんでした。
「子どもだからわからないだろう」というスタンスではなく、リアルに伝えようとしました。
「ダダは、小さいときから男の子が好きだなって思っていたけど、ママと出会って初めて女の人を好きになって、家族になったの。あなたも生まれてくれて本当にハッピーだった。今、ママとダダは大好き同士なんだけど、ダダは男の子が好きっていう気持ちがあって、それをママに言うとママが悲しくなっちゃうと思ったから、ダダはずっと秘密にしてくれていたの。でも、その気持ちが大きくなってきたから、すっごい勇気をふりしぼって教えてくれたんだよ」と。
そして、息子が不安にならないよう、「これからも、あなたのママとダダであること、そして大好きなファミリーであることは変わらないよ」と伝えました。
――ryuchellさんの容姿が少しずつ変わっていくことについては、息子さんはどうとらえていましたか?
peco ryuchellは、もともとメイクをしていたので、息子もそこまで気にした様子はありませんでした。「ダダは、これまでもかわいくなりたくてロングヘアにしたりおつめをきれいにしたりしていたけど、もっと女の子になりたいんだって」というようにも話していました。
ryuchellがエクステをつけて帰ってきたときは、ryuchellも息子に「どおかな~?」なんて感想を聞いていたけれど、息子は「なんかおもしろいね。でもいいんじゃない?」と笑っていたり。変化を目の当たりにして、不思議そうな空気を出したときは、「なんで?って思うことがあったら、ママとダダにはなんでも聞いていいんだよ」と伝えました。
悲しい出来事を乗り越えて前を向くんじゃなくて、“乗り越えるために”前を向く
――そんなふうに“新しい家族のかたち”としてくらして1年が過ぎたころ、ryuchellさんが急逝しました。
peco 2023年の7月、私と息子は息子のサマースクール参加のためにグアムに滞在していました。グアムで5歳の誕生日を迎える息子のためにryuchellも仕事の合間を縫ってグアムに来てくれて家族でお祝いをしたり、私とryuchellの2人で食事をしながらおたがいの報告やたわいのない話をしたりして笑い合って過ごしました。
ryuchellだけ先に帰国したあと、7月12日の夕方、マネージャーさんからの電話でryuchellの死を聞きました。「ryuchell 何してんねん」という言葉が最初に浮かびました。
――息子さんにはどのようにryuchellさんの死を伝えたのでしょうか?
peco 息子にryuchellのことを伝えるのはとても、とてもつらいことでした。グアムからはすぐに帰国しましたが、日本に着くまでは息子には事実は伝えず、帰国後に伝えました。その瞬間と、ryuchellと最後のお別れする瞬間が何よりもつらかったです。息子と2人抱き合って、いっぱいいっぱい泣きました。
でもそのあとは、もうこれからはやっていくしかないと腹をくくりました。この悲しい出来事を乗り越えられたから前を向くんじゃなくて、乗り越えるために前を向いた感じです。
――息子さんとの日々のさりげない出来事に、そこはかとなくryuchellさんを感じることもあるそうです。
peco 息子との毎日の暮らしのなかのさりげない出来事や、息子のしぐさなどにryuchellを感じることがあります。私が息子を怒ったあとに、息子がめちゃくちゃ早く切り替えて笑っているときとか、切り替えの早さがryuchellみたいで、「何わろてんねん」って言いたくなります。(笑)
あとは、なんといっても息子のやさしいところも・・・ryuchellにめちゃくちゃ似ていると思っています。
――シングルマザーになって大変だ、というようなことはありますか?
peco そのように声をかけていただくことがありますが、私はその感覚がまったくありません。そもそも、私が息子を育てているという感覚があまりなくて、私が息子に育てられているという感覚が強いからなのかもしれませんが、母や友人、マネージャーさんなど助けてくださる方もたくさんいます。親が1人になったという大変さは、ありがたいことに今はとくにありません。息子も大好きな親友のぺえ(タレント)も、「できることがあったらなんでもするよ」と言ってくれているんです。寄りかかりたいなって思うときにガンガン肩をかしてくれる人がいるという安心感があるだけで、精神的にも助けられています。
ryuchellと家族になれたことは、すごく貴重ですてきなこと
――著書に、「ryuchellさんが亡くなったという言葉は現実味がわかない」という言葉がありました。
peco ryuchellと私は別々のところで生まれ、出会うまでの18年間はそれぞれ生きてきた環境も違います。だから、考えが違うのは当たり前。とはいえ、家族としてできるだけ同じ方向を向くために、100%というのはかなわなくても、70%くらいで折り合いをつける努力は大切だったし、大変な日々でした。
でも、息子が成長していく中で、ryuchellみたいな人が家族にいてくれたことはすごく貴重ですてきなことで、一緒に生活していると、息子もどんどんアップデートされていくのを感じています。たとえば、買い物中に1体はワンピース、もう1体はパンツスーツを着たマネキンが並んでいるのを息子が見て、「ワンピースを着てるのが女の子だね」と言ったあと、すぐに「あ、でも男の子が着てもいいんだよね」と言ったんです。「男の子がプリンセスでもいいよね」と話してくれる日もあって、そういった言葉を耳にすると、ryuchellがいてくれたからこそ息子がこういう考え方にたどりつけたんだと改めて思っています。そして今でもryuchellの存在を感じています。
息子は、ここにはダダはいないってことは理解していて、夜空の星を見ると『あ、ダダだ!』と言ってます。絶対に、いつも自分のことを見てくれていると思っているようです。
お話・写真提供/pecoさん 取材・文/三宅桃子、たまひよONLINE編集部
「まっ、いいか。大丈夫なんじゃない」とよく言う息子さんは、めちゃくちゃポジティブで、人を笑わせるのが大好きな明るい性格だとpecoさんは言います。「今日はこんなことができたよ~」と2人でryuchellさんの仏前に報告することも多いそうです。
peco(ぺこ) Profile
1995年6月30日、大阪府生まれ。上京後、原宿系ファッションのカリスマ読者として絶大な人気を集め、タレント・ryuchellさんと多くの雑誌やバラエティ番組でカップル出演し、脚光を浴びる。2016年にryuchellさんと結婚、2018年に第1子を出産。2022年、ryuchellさんからのカミングアウトを受け夫婦関係を解消。2023年、アパレルブランド「Tostalgic Clothing(トスタルジック クロージング)」デザイナー&プロデューサーに就任。タレントとして活躍中。2024年2月に初めてのエッセイ『My Life』を発売。ファッションやライフスタイル、育児などを投稿しているインスタグラム(pecotecooo)やYouTube(Peco channel)も大人気。
●記事の内容は2024年2月20日の情報で、現在と異なる場合があります。
『My Life』
大好きなファッションや家族、子育てについて、そしてryuchellさんとの出会いから結婚、婚姻関係解消までの軌跡、気持ち、葛藤、そして新しい家族のかたちについてリアルな言葉でつづったエッセイ。2022年から製作をスタートさせ、出版に向けて準備が進んでいたときにryuchellさんが急逝。出版するか否かを悩んだ末、ryuchellさんが家族と向き合ってくれた証、息子を愛しているという証として出版を決意。pecoさんの、強く、しなやかで、豊かな人間力が感じられる1冊。peco著/1650円(祥伝社)