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超希少疾患「バイン症候群」のわが子。ずっと聞きたくて聞けなかった「この子、ほかの子に追いつく可能性はありますか?」【体験談】

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2020年1月製薬会社で働く鈴木歌織さん(当時38歳)のもとに2人目となる女の子が誕生しました。希(のぞみ)ちゃんと名づけられたその女の子は、2歳のときに「HNRNPH2疾患」、通称「バイン症候群」と診断されます。超希少疾患で、当時は日本にほかの患者がいるかもわからない状況だった歌織さん。
現在は仕事をする一方で「HNRNP疾患」の患者会を主催し、インスタでの発信や学会への出展など奔走する毎日です。今回は希ちゃんが生まれてから診断に至るまでの経緯やそのときどきの歌織さんの気持ちについてお話を聞きました。全2回で構成するインタビューの第1回目です。

2人目として生まれた希ちゃん。静かによく寝る子で…

「出産はコロナ禍に入る直前。超スピードの安産でした!」(歌織さん)

――希ちゃんは2人目のお子さんですね。妊娠したときは、どのようなタイミングでしたか?

歌織さん(以下敬称略) そろそろ2人目が欲しいなと考えていたタイミングで、のんちゃん(希ちゃん)がおなかに来てくれました。当時はちょうど夫の転勤が決まってすぐのころ。横浜に住んでいたのが、大阪に異動することになったんです。私は夫と別の会社で勤めているのですが、勤務先にお願いして、追っかけ転勤をさせてもらうことに。

先に夫が転勤したので、体調の優れない妊婦の体で上の子のワンオペ育児をしたり、遠距離保活をしたりと苦労しましたが、保育事情のよい自治体に引っ越しが決まり、さらにその自治体は障害児保育もウェルカムだったので、結果的にはよかったかなと思います。
もちろん、当時はのんちゃんが生まれていなかったので、すべてはたまたまそうなっただけなのですが。

――のんちゃんの妊娠中や出産時に何か気になることはありましたか?

歌織 なかったです。出産も異常なく、2時間くらいの超スピード出産でした。ただ、今思い返すと、妊娠後期にのんちゃんの体重がギリギリだと指摘を受けたことはありました。結局はギリギリだけど、正常値の範囲内で。生まれたときも2500gちょっとと小さめで生まれてきたものの、低出生体重児でもなく、とくに心配な点は見当たらず、その後の1カ月健診は何事もなくクリアしました。

――新生児のときののんちゃんはどんな赤ちゃんでしたか?

歌織 静かにずっと寝ている子で、兄と全然違うなと思っていました。上の子は3300gくらいと大きく生まれ、声も大きく、よく泣いて、あまり寝ない子だったんです。
実はのんちゃんは1歳過ぎから睡眠障害が起きて、夜泣きをするようになったのですが、赤ちゃんのころはなかなか起きないから無理やり起こして、授乳していたくらいでした。
ただ、当時は個人差の範囲だと思っていましたね。実際、上と下は今も性格が大きく違って、現在も上の子は活発で、のんちゃんは穏やかです。

生後5カ月になっても、首がすわらず、受診することに…

「のんちゃんの首がすわった生後8カ月のころ。当時はここまで時間がかかるとは思ってもいませんでした」(歌織さん)

――心配ごとが出てきたのはいつのことでしょう?

歌織 今、お話したように生まれてしばらくは発達を気にしなかったのですが、4カ月健診のときに首がまだすわっておらず、健診の医師から指摘を受けました。
当時、コロナ禍による緊急事態宣言などの影響で健診が開かれるのが遅れ、のんちゃんはすでに生後5カ月になっていました。だけど、まだ首がすわらない状態だったんです。もちろん、そのことは私も気がかりだったのですが、まったくすわっていなかったわけではなく、すわりかけという感じだったので、健診前に小児科で予防接種を受けたときも「健診で指摘されるかもしれないけど、ほとんどすわりかけているから大丈夫だよ」と言われていました。実はそのあと、完全に首がすわるのは8カ月になってからだったのですが…。そんなこと、当時は思いもよらず…。

健診の場では首のこと以外にも、股関節(こかんせつ)脱臼の疑いと全体的に筋緊張が低下していて、体がぐにゃぐにゃしていることも指摘を受け、紹介状を書いてもらうことになりました。

――そうして受診することになったのですね。

歌織 はい。翌日、紹介状を持って夫とのんちゃんと3人で総合病院を受診しました。そのときに先生から「ひと通り検査をしてみましょう」と提案を受けました。そうして採血し、その後も何回かに分けて、いろいろと調べることに。染色体検査やMRIの撮影、治療薬が出たばかりのSMA(脊髄性筋萎縮症)などの検査もしましたが、どれも異常が見当たらなかったのです。

それからも体重が順調に増えずにその病院で定期的に診てもらっていたのですが、だんだん追いついてくると、経過観察だけになって卒業に。7カ月くらいのときに児童発達支援センターの紹介を受け、週1回リハビリも受けるようになりましたが、何か原因となる病気がわかるわけでもなく…。モヤモヤした時期を過ごしました。

ずっと聞きたくて聞けなかった「この子、ほかの子に追いつく可能性はありますか?」

現在、4歳ののんちゃん。最近、すべり台を滑るのが一人でできるようになりました!

――進展があったのは、どれくらいの時期でしょうか?

歌織 ちょうど検査をして1年後くらいのことです。斜視の疑いがあり、別の総合病院の小児眼科の先生にかかったんです。そのとき、先生から「生まれたときからこうだったんじゃない?」と言われたのです。私としてはそれまでの間、だれものんちゃんの病気を診断する気配がないので、新たな視点が来るかも?という気持ちもあり、「この子、すごく発達が遅れていて、そのことと関係ありますか?」と聞くと、「お母さん、そんなに心配なら、一度、小児科専門の大きな病院で診てもらったらどうだろう?」と言われたんですね。もう確かにとしか言いようがない、まっとうな答えでした。

同じころ、かかりつけである児童発達支援センターの医師に「この子、ほかの子に追いつく可能性はありますか?」と聞きました。「このまままったく歩けないんですか? 話せないんですか?」って。ちょうど上が小学1年生になったこともあって「地域の小学校に行くことはできますか?」とも聞きましたね。これらの質問はずっと聞いてみたかったけど、聞くのが怖くてできなかった質問で…。

それ以前も似たようなことを伝えたことはあったのですが、私がダイレクトに聞かなかったせいか、先生も「この子の成長を見守るしかないですよね」のような、ふわっとした回答だったんです。

でもそのときは私が明確な質問を投げかけたので、先生からも「それは難しいでしょう」と、はっきりとした回答がありました。そこで「それなら先生、経過観察を続けるのではなくて、ほかの専門的な病院に送ってください。紹介状をお願いします」と。

そうして紹介されたのが今かかっている大阪母子医療センター・遺伝診療科の岡本伸彦先生でした。

岡本先生は日本全国で診断がつかずに困っている患者さんの遺伝子を幅広く調べる「IRUD」というプロジェクトに参加されている先生だったのです。受診し、本人と両親の採血や、脳波の検査、脳のMRIなどもとって。ただ、遺伝子解析を進めるのにはすごく時間がかかるようで、診断がおりたのは、およそ1年後の2歳の終わりごろでした。

日本に同じ患者がいるかどうかもわからない超希少疾患という診断が

診断後すぐの心細い状況の中、歌織さんは同じ病気の海外の患者会をインスタで発見。昨年の夏、アメリカのフロリダで皆さんと初めて会うことが叶ったそうです。

――診断はどのようなものだったのでしょう?

歌織 「HNRNP」という遺伝子の中の「HNRNPH2」という遺伝子が変異したことで引き起こされる疾患だということですね。2016年に初めて論文が発表され、報告した医師の名前を取って「バイン症候群」とも言われていると。その場で英語の論文を渡されたのですが、6人ほどの女性の症例が写真つきで載っていました。

先生の診察のあとには、認定遺伝カウンセラーである西村夕美子さんから論文の内容をまとめた日本語の資料もいただいて、詳しく説明を受けましたが、それらの場を通してわかったことは、症例は女性に多いこと、遺伝するのはまれで、遺伝子が突然変異して起こること、実際私たちの場合もそうだったこと、日本にどのくらいいるかもわからないこと、1人かもしれないことや指定難病ではないこと。症状としては発達が遅れたり、てんかんなどがあったりすることですね。

――診断されたときは、どのようなお気持ちでしたか?

歌織 私自身は「これで調べられる」と思ったことを覚えています。自分が製薬会社で働いているという職業的バックグラウンドもあって、英語の論文を調べて読むこともあるので、いただいた論文も帰ってゆっくり読もうと。

家族は…、実は昨日、この取材を受けるために、当時の診断がおりたときの気持ちを夫に聞いてみたんです。すると夫は「結局よくわからなかった」と言っていましたね。

私は現在国内のバイン症候群以外のHNRNP疾患も含めた患者会を主催していて、その患者会でも「診断がついたあとの気持ち」を聞いているのですが、どちらかというとネガティブな回答が多いんです。「予想以上に希少疾患でショックだった」とか、「なぜうちの子が…」とか。情報も少ないし、日本人にいるかどうかもわからないので孤独を感じるんです。診断のことをまわりに言っても、興味を持ってもらえないという意見もあります。

ただ、思うのは、私も夫も当患者会の方たちも、どうしてこの症状が起きているのか?という、原因がわからないことに対するモヤモヤは、診断によってなにかしら晴れたはずだということ。なので、診断を受けることは大きな意味があると私自身は考えています。

小児科医/岡本伸彦先生からメッセージ

医学は進歩していますが、原因や治療方法のわからない疾患は多く存在します。2015年から日本医療開発機構は未診断疾患イニシアチブ Initiative on Rare and Undiagnosed Diseases(IRUD)という全国的な研究を始めました。通常の検査で診断に至ることが困難な患者さんを新しい遺伝子解析方法を用いて診断を検討するものです。確定診断から新しい疾患概念が判明したり、治療の糸口がわかる場合もあります。HNRNP関連疾患はまだ新しい疾患ですが、国内でも存在が判明しました。鈴木さんの熱心な活動で、患者のつながりができました。みんなで前に進むことは大きな意義があると考えます。

お話・写真提供/鈴木歌織さん 取材協力/岡本伸彦先生(大阪母子医療センター遺伝診療科主任部長) 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

「この子がほかの子に追いつく可能性はありますか?」の質問は当時、聞きたくても聞けない怖い質問だったと歌織さん。ただ、その結果、大きく道が開けて「あのとき、聞いて本当によかった」と振り返ります。きっとそこにはたくさんの勇気が必要だったでしょう。
診断がおりたあとは、アメリカの患者会とのつながり、日本の患者会の設立へとさらに大きな実を確実に結んでいきます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

鈴木歌織さん(すずきかおり)

PROFILE
第ニ子の希ちゃんが2歳のときに超希少疾患の「HNRNPH2疾患(通称 バイン症候群)」と診断されたことを機に、「HNRNP疾患患者家族会」を立ち上げ、活動している。製薬会社勤務のワーキングマザーでもある。

歌織さんのInstagram

HNRNP疾患患者家族会HP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2024年8月現在のものです。

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