妊娠14週、「赤ちゃんの胃が心臓の隣ぐらいにある」と判明。重大な疾患と手さぐりで向き合う日々【先天性横隔膜ヘルニア体験談・医師監修】
2018年、妊娠14週で赤ちゃんが先天性横隔膜ヘルニアと診断された寺川由美さん(39歳)。先天性横隔膜ヘルニアとは、生まれつき横隔膜に孔(あな・病的変化などにより、臓器の壁にあいた穴のこと)があり、本来おなかの中にあるべき胃腸などが胸に入り込んでしまう疾患です。
肺の成長に影響を及ぼし、十分育たないことが問題です。2020年「先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会」を立ち上げた寺川さんに、自身の妊娠中や出産時のことを聞きました。
全2回のインタビューの前編です。
妊娠14週目のエコー検査で、先天性横隔膜ヘルニアと診断されて
――寺川さんの家族構成を教えてください。
寺川さん(以下敬称略) 夫、私、9歳の長男、6歳の二男の4人家族です。結婚したのは27歳のときです。子どもが欲しかったものの、なかなか授からなかったため不妊治療を始めました。自然妊娠が難しいとのことで、治療開始から半年くらいで体外受精に進みました。無事に長男を授かり、2015年に自然分娩で出産しました。
――2人目を妊娠したときの様子はいかがでしたか?
寺川 もう1人子どもが欲しかったので、長男の育児が落ち着いたころに不妊治療を再開しました。長男の不妊治療をしたときの凍結胚を移植し、2018年に二男を妊娠しました。
二男の妊娠後、最初にかかったクリニックがていねいに診てくれるところでした。14週のエコー検査もこまかく確認してくれたんです。そのときに「胃が心臓の隣くらいのところにある。これは本来よりもずっと上の位置だ」と指摘されました。担当の医師は私が医療従事者だと知っていたため、その場で「先天性横隔膜ヘルニアの疑いがある」と言われました。
疾患について学び、正しい知識を身につける
――先天性横隔膜ヘルニアとはどんな疾患なのでしょうか?
寺川 生まれつき横隔膜に孔があいていて、本当であればおなかの中にあるはずの胃や腸などが胸に入り込んでしまう疾患です。臓器が肺を圧迫し、肺が十分に育たないことがいちばんの問題です。生まれた直後から呼吸不全、循環不全などを起こす子も少なくありません。
私は先天性横隔膜ヘルニアが重篤で、命にかかわる疾患であることは理解していました。先天性横隔膜ヘルニアの生存率は100%ではなく、20%くらいの赤ちゃんは亡くなってしまいます。
――おなかの赤ちゃんが先天性横隔膜ヘルニアの可能性があると聞いたときはどう思いましたか?
寺川 ショックでした。まさか自分の子が先天性横隔膜ヘルニアになるとは想像もしていなかったんです。その日は泣きながら帰宅しました。生死にかかわる疾患ですし、無事に生まれても、その後どのように育っていくのかまったくわからなくて。無事に生まれてくれるのか、元気に成長できるのか不安でいっぱいでした。
そこで自分なりに疾患について調べたところ、この十数年で先天性横隔ヘルニアの医療が進んでいると学びました。また、この疾患があるお子さんを持つ人のブログもたくさん読みました。子どもたちが具体的にどのように成長し、生活しているのかを知りたかったからです。それでも当時は明るい未来を想像できず、毎日泣いて過ごしていました。
少しずつ前向きになれたのは、診察してくれた医師の先生方のおかげです。いくつかの病院を受診しましたが、担当してくださった医師はみな私に寄り添ってくれました。最新の医療がどうなっているのか、正しい知識を教えてもらったことで希望がもてるようになりました。
この疾患を抱えている子は、生まれてすぐに横隔膜にあいた孔をふさぐ手術する必要があります。その後の管理も難しいため、分娩も専門性の高い大きな病院でしか対応できません。大阪母子医療センターで出産することになりました。
羊水過多となり、35週4日で出産
――妊娠中はどんな様子でしたか?
寺川 妊娠中、特別気をつけることはありませんでした。重症で一定の基準を満たせば胎児治療という選択肢もありましたが、わが子は該当しませんでした。重症度によって生存率や合併症が違うと聞いていました。妊娠中のエコーでは、重症度を見るために赤ちゃんの肺の大きさを計測します。その結果に一喜一憂し、健診後泣きながら帰ることもありました。
おなかの赤ちゃんが先天性横隔膜ヘルニアだと、妊娠後期に羊水(ようすい)が増えてしまう場合があるそうです。
内臓が上のほうに位置するため胃腸がねじれてしまい、赤ちゃんが羊水をうまく飲みこめないためです。私も羊水が増え、様子を見ていました。すると妊娠35週くらいのときに突然破水してしまったんです。急きょの入院となり4日ほどたったころに陣痛が起き、出産となりました。
――出産の様子を教えてください。
寺川 帝王切開になるかもしれない状態でしたが、自然分娩で生まれました。35週4日で、体重は2296グラムでした。
――最初に赤ちゃんに会ったときはどんな気持ちでしたか?
寺川 生まれてすぐ挿管され、人工呼吸器につながった状態で会わせてもらいました。事前に説明は受けていたので、とにかく無事に生まれてくれてほっとしたのと、思ったより顔色は悪くないように感じて安心しました。出産前「赤ちゃんの状態は生まれてみないとわからない」と言われていたんです。名前は「晴貴」と書いて「はるき」と名づけました。
夜も寝ずに対応してくれた先生や看護師さんのこまやかなケアのおかげで、安定した状態となり、生後2日目に手術を受けることになりました。
――どのような手術でしょうか?
寺川 先ほどもお話したように、この疾患は横隔膜に孔があいていて、胃や腸が胸に入り込んでしまいます。手術はおなかの皮膚を切り、臓器を元の位置に戻すものでした。もし横隔膜の孔が小さければそのまま縫い合わせて閉じます。大きい穴だった場合、きつく結んでもよくないので、人工膜というものを使い、残っている横隔膜と縫い合わせていきます。
晴貴は横隔膜の孔が大きかったので、人工膜を使った手術になりました。おなかの中にいたときの状態から、おそらく人工膜は使うことになるだろうとは言われていました。管につながれた晴貴は、少し動かすだけで血圧が不安定になってしまって・・・。不安と心配で涙がこぼれてしまいました。
「たまには休んでいいんだよ」と声をかけられつつ・・・
――退院後はどのような生活を送りましたか?
寺川 生後2日からPICU(小児集中治療室)、生後18日目からNICU(新生児集中治療室)、生後23日目から外科病棟に約3カ月半入院しました。主治医の先生が毎日病棟に来てくれて、晴貴と私と家族のことを気づかってくれました。私は通常どおり、産後5日目に後ろ髪をひかれる思いで退院しました。
退院後は毎日晴貴に会いに行きました。私の住んでいる自治体は、育休中も保育園が利用できます。だから長男を保育園に預け、15時くらいまで二男のいる大阪母子医療センターに行っていました。
当時はまったく先が見えず、搾乳室やカーテンの中でよく泣いていました。その様子を見て看護師さんが心配し「毎日体調を整えて面会に来てくれるのは、簡単そうで実はすごく大変なこと。晴貴くんのこともだけど、みんなお母さんを心配しているよ。たまには休んでもいいんだよ」と言ってくれたこともあります。
なかなか口から飲んでくれず、一喜一憂する毎日
――生まれてすぐ、鼻からチューブを入れていたとのことですが、授乳はどうしていましたか?
寺川 最初は綿棒に母乳をつけ、口のなかを湿らせる程度でした。手術後、胃まで届くチューブで母乳の注入を始めました。同時に口でも飲めるように、少しずつ練習も始めました。ところが、本当に飲まなくて・・・。飲ませようとすると、ギャン泣きしてそっくり返って嫌がるんです。そのことにすごく悩み、毎日晴貴と一緒に泣いていました。そのころは、最初に直接おっぱいをあげ、次に哺乳びんで母乳を飲ませ、それでも飲まなかった分をチューブから注入するという3段階で練習していました。
私はとても神経質になっていました。毎日授乳前後に晴貴の体重を測定し、どれだけ飲めているかチェックしていたんですが、毎回ノートに記録して「まったく飲めてない・・・。」と落ち込んでいました。
横隔膜ヘルニアのお子さんは、なかなか哺乳ができない子が一定数いるようです。人工呼吸器をつけている期間が長く、口に何かが触れるだけで嫌がってしまう場合があるようです。
生後3カ月半で退院したときは「哺乳びんで10mL飲めたらすごい」という感じでした。自宅でも口から飲ませる練習をしましたが、吐き戻すことも多くて・・・。「栄養がとれないかもしれない、体重が減ってしまう」と思いつめ、まったく余裕のない毎日でした。周囲におなじ境遇の人はいなくて相談もできません。「もしかすると、ずっと口から食べられないかもしれない」と怖くてしかたがありませんでした。口から栄養をとれるようになったのは、生後7カ月で感染症を起こし入院したのがきっかけです。
――口から食べられるようになるのに、どのような経緯があったのでしょうか?
寺川 この入院のとき、絶飲食となったのですが、空腹の感覚がわかるようになったようです。急にたくさん飲むようになりました。それまでは栄養が注入されていたため、いつも満たされていたようなんです。口から飲めるようになってから、離乳食も食べられるようになりました。
現在、晴貴は6歳になりました。毎日元気に保育園に通う、外遊びが大好きな男の子です。晴貴の疾患がわかったときは明るい未来が想像できず、毎日とても苦しかったです。こうした経験から2020年、先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会を立ち上げました。同じ疾患の子をもつ家族同士で情報交換を行ったり、悩みを打ち明けられたりする場所を設けたいと思ったんです。1人で抱えるのではなく、支えとなる場所でありたいと考えています。
【臼井規朗先生から】先天性横隔膜ヘルニアは症例によって重症度が大きく異なる病気
先天性横隔膜ヘルニアは症例によって重症度が大きく異なります。横隔膜ヘルニア以外に重症の先天異常を合併している場合や、胎児期に肺が強く圧迫を受けていた症例ではいっそう重症になります。
最近では、先天性横隔膜ヘルニアの8割程度の症例が出生前に診断されますが、胎児超音波検査や胎児MRI検査の進歩によって、生まれる前からある程度重症度が予想できるようになっています。病気が横隔膜ヘルニアだけで、重症の先天異常を合併しない場合は、9割程度の赤ちゃんが救命されるようになっています。
お話・写真提供/寺川由美さん 監修/臼井規朗先生 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
わずか妊娠14週でわが子に重篤な疾患があると診断され、不安のなかで妊娠期を過ごした寺川さん。むやみにおそれるのではなく、正しい知識を学ぶことが大切なのだと伝わりました。
インタビュー後編は、寺川さんが家族会を立ち上げた経緯について聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
寺川由美さん(てらかわゆみ)
PROFILE
2018年、妊娠14週で二男が先天性横隔膜ヘルニアを診断される。2020年「先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会」を立ち上げる。
臼井規朗先生(うすいのりあき)
PROFILE
大阪母子医療センター副院長。小児外科医。大阪大学医学部卒業。2015年「新生児先天性横隔膜ヘルニア診療ガイドライン」の作成、2021年同改訂版の作成を手がける。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。