医者にも「何十年前に1度見たきり」と言われるほど珍しい一卵性の三つ子を妊娠。33週で破水し、緊急帝王切開をすることに…!【多胎の妊娠・出産体験談】
2年の妊活期間を経て、昨年の春に子どもを出産し、ママとなったあやかさん。おなかの中にやって来たのは、女の子の三つ子!多胎の中でも極めて珍しい、一卵性の三つ子でした。最初に知ったときはとても驚いたというあやかさん。今回は壮絶だったつわりの体験や緊急帝王切開することになった出産について、詳しくお話を聞きました。全2回のインタビューの前編です。
子宮内に戻した1つの受精卵が3つに!
――三つ子妊娠がわかったときのことを教えてください。
あやかさん(以下敬称略) 2年ほど不妊治療を続けたところで、妊娠がわかりました。最初の診察では「双子ですね」とお医者さんに言われていたんです。戻したのは1つの受精卵だったので、まさかの多胎妊娠にびっくり。でも、とてもうれしかったですね。ただそのときは、「バニシングツイン(途中で1人がいなくなってしまう現象)の可能性もあるので、次の診察でまた確認しましょう」と言われました。
実は、以前1度流産を経験していて、1つの命が生まれてくることが、どれだけ尊く奇跡的なものか、痛いほどわかっていたんです。だからこそ、そのときは必要以上に期待をしないし、不安にもなりすぎないように気持ちを保っていました。
――その双子だと思っていた子たちが実は三つ子だったんですね?
あやか そうなんです。次の診察で「もう1人、後ろにいますね」と言われて…。「え?1個しか戻してないのにそんなことあるんですか?」と。2人になるのはまだしも、3人になるなんて信じられなくて。びっくりしすぎて笑えましたし、これはちょっと頑張るしかないな!という気持ちになりました。
――すごく前向きですてきですね!不安はなかったですか?
あやか もちろんありました。だけど、一卵性の三つ子ってとにかく珍しく、私のかかったお医者さんでも「何十年前に1度見たきり」というくらいまれなことのようで。最初は不安も大きかったですが、ネットで調べても、答えは載っていないんだろうなと。
そのあとも、出生前検査的なものを受けたほうがいいのかな?なんて少し思っていたのですが、そもそも一卵性の三つ子の場合は対応が難しいとのことで、いったん、あらゆる不安は横に置いておいて、どうなったとしても3人を産んで育てようと決意しました。
重度妊娠悪阻で入院。仕事は妊娠初期から休職することに
――つわりはいかがでしたか?
あやか 重かったです。不妊治療の先生に「多胎だとつわりが重度になる人が多い」と言われており、「3人だと3倍かもね」なんて冗談も話されていたんです。そのときはさすがにそれはないでしょうと思って笑っていたんですが、妊娠7週からつわりがスタートし、11週のときには重度の妊娠悪阻(にんしんおそ)で入院することになりました。
――どういった症状がありましたか?
あやか 体を起こすと、気持ち悪くなって吐いていました。なので、ずっと横になって寝たきりで。すぐに体重が6kgほど減りました。
――つわりの症状はいつくらいに治りましたか?
あやか 私の場合、結局、妊娠中につわりが落ち着くことはなかったんです。1〜2週間で退院して、水分を取ったり、軽く食べたりはできるようになって、そこをピークに悪くはなっていないんですが、全期間を通してずっと吐いているような状況で、自宅安静をしていました。
――それは大変でしたね。仕事はどうされていましたか?
あやか 妊娠初期から休職することになりました。創業から6年目(当時)を迎える東京のスタートアップ企業で働いていて、不妊治療をしていることも代表に話していたんです。それもあって、将来的に妊娠したら、産休・育休などで休みに入る可能性があることは事前に伝えていました。しかし、想定よりあまりにも早くお休みに入らないといけなくなったので、つらかったですね。ただ、そのような突然いなくなる状況にも関わらず、代表をはじめ、会社のメンバーにはすごく寄り添って応援してもらえて。とても救いになりました。
妊娠7カ月で子宮頸管が短くなり、入院!
――三つ子だとつわり以外のトラブルも大変だったと思うのですが、いかがでしたか?
あやか 妊娠5カ月くらいのときには、単胎妊娠の臨月くらいのおなかをしていたんですが、そのころから、腰や関節がとても痛くなり、徐々に夜に寝られないトラブルが出てきました。
――どのように対応していましたか?
あやか ただただ動かないようにしていましたね。たまにごはんを作っていましたが、多くは夫に任せていました。
――誰かにサポートをお願いすることはありましたか?
あやか いいえ。私の実家は遠方かつ両親も働いていて頼れない状況ですし、夫の両親も他界しているので、2人きりで乗りきりました。
――頑張ったんですね。入院はいつから?
あやか 7カ月ころです。それまでも週1ぐらいのペースで通院はしていて、できるだけ自宅で過ごせるように配慮してもらいながら、様子をこまかく見ていただいていたのですが、あるときの診察で子宮頸管(しきゅうけいかん)が結構短くなっていて。「今すぐ管理入院をしましょう!」と。
入院中は子宮収縮を抑える薬の点滴の副作用がきつかったですね。激しい動悸(どうき)がしましたし、針を刺しているところが、痛くって。いつも保冷剤で冷やしていました。
――入院中、心の支えになったものはありますか?
あやか 夫の存在です。頻繁に面会に来てくれました。いつも差し入れをしてくれていたので、それがとても楽しみで。また、入院中に夫と交換ノートもしていました。
――交換ノート! LINEなどデジタルでやり取りできる時代に、アナログなやり取りがとてもすてきですね。
あやか おつき合いを始めた大学生のときに書いていた交換ノートを、久しぶりに引っ張り出して、持って来てくれたんです。そこに今日は赤ちゃんが何グラムになったよみたいな話を記録して、渡していましたね。
33週で破水。緊急帝王切開で急きょ、赤ちゃんを出産することに…!
――出産はいつだったんですか?
あやか 33週ちょうどの日でした。夜中の0時ごろ、シーツがびしょびしょになって目が覚めたんです。「もしかして破水?」と急いでナースコールを押しました。診てもらうとやっぱり破水で、すぐに「緊急帝王切開をしましょう」と。
でも、やっぱりおなかに3人いるのでリスクが高くて、NICUの先生が1人につき1人、執刀医も2人必要ということで、その体制が整うまで待つことになり、朝の9時まで待機に。その待っている間に陣痛が始まってしまい、朝まで耐えました。あの時間は本当につらかったですね。
――大変でしたね。もともと帝王切開だから、陣痛を味わうとは思ってなかったですよね。
あやか まさかでしたね。しかもそうしているうちに子宮口が9センチまで開いてしまいました。私自身は痛すぎて記憶が朧(おぼろ)げなのですが、あとから聞いた話では先生が「このまま下から1人産みますか?」と提案していたそうなんです。先生的にはそのほうが安全なのでは?と判断したそうですが、その場にいたほかの医療スタッフから猛反対にあったそうで…。1人は下からで、2人帝王切開って、いくらなんでもフルコース過ぎますよね(笑)。
――それは大変すぎますね!結局、朝の9時まで耐え抜いたんですか?
あやか やっぱりどうしても耐えられなさそうと、30分前倒しになりました。夫にもすぐ来てもらうように伝えて、夫が到着したギリギリのところで、すぐ手術室に入りましたね。
そこからはあっという間でした。もともとはバースプランも書いて提出していたんですけど、やっぱり緊急だったので、先生が急に「ごめんなさい!BGMにディズニーの音楽をかけたいと書かれていましたけど、今ちょうどaikoしかなくて、aikoでもいいですか?」と。そんなふうにバタバタで!でもすごく和やかな雰囲気でしたね。
生まれる順番も、もともと先生からここにいる子が長女、この位置の子が二女、この子が三女になるよ、この1・2・3の順番で出すよと事前に言われていたのですが、それも当日は「出しやすい順に出します!」と。なので、事前に聞いていた順番とは、異なりました。
――番狂わせがあったんですね。だけど、無事に生まれてよかった!対面したときはどのような気持ちでしたか?
あやか 「やっと会えたね!」という気持ちでしたね。スタッフの方が1人ずつ私の顔のすぐ近くまで近づけて見せてくれたんですが、とてもかわいい!と、いとしさがあふれました。
お話・写真提供/あやかさん 取材・文/江原めぐみ、たまひよONLINE編集部
妊娠中、パパとの交換ノートが心の支えになっていたというあやかさん。YouTubeにアップされているご家族の動画からも、パパの深い愛情が伝わってきます。そんな温かなご夫婦のもとに生まれてきた三つ子ちゃんたちは、本当に幸せですね。
後編では、三つ子育児が始まってからの日々についてご紹介します。お楽しみに!
あやかさん
PROFILE
女の子の一卵性三つ子とパパと飼い犬の5人+1匹で暮らす。現在は、パパの転勤先の地方在住。東京にあるスタートアップ企業の執行役員で、週4のリモートと週1の新幹線出社をこなしているワーキングママ。大学時代からおつき合いしていたパパが趣味で動画撮影をしており、You Tubeではファミリーの日常をVlogとして公開中!
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●掲載している情報は2025年7月現在のものです。