31歳の舞台俳優。16週で妊娠判明し、未婚で長女を出産。命の強さを感じ、向き合った日々【体験談】
日本のシングルマザーの苦境を描いたドキュメンタリー映画「取り残された人々~日本におけるシングルマザーの苦境~」は、「豊かな日本で、こんなに苦しんでいる人がいるとは知らなかった」と海外で高く評価されました。この映画に出演している俳優の千葉ミハルさんは2020年、未婚で長女を出産しました。1人で産む決意をした背景、父親である人との話し合いの内容、どんな苦境があったのかを聞きました。全2回のインタビューの前編です。
16週で妊娠判明し、未婚で出産することを決意
――千葉さんの経歴を教えてください。
千葉さん(以下敬称略) 仙台出身の35歳です。出産前は俳優として舞台に立ち、現在は育児をしながら俳優業と殺陣(たて)パフォーマーとして活動しています。2020年、31歳のときに未婚で娘を出産し、シングルマザーになりました。
俳優をめざそうと決めたのは中学生のときです。そのころ少林寺拳法を習っていて、その魅力からアクション俳優になりたいと思うようになりました。
進学を考えるタイミングで「夢をかなえるためには早い段階で挑戦したほうがいい」と、インターネットでいろいろと調べたんです。すると東京に中学卒業後、すぐに入学できる映画の専門学校があると知り、絶対ここに行こうと決めました。もちろん親からは「高校を卒業してからでも遅くない」と猛反対されました。それでも私の決意は揺るぎませんでした。門限つきの寮で生活すると説得し、上京しました。
東京で俳優として活動していましたが、出産を機に実家のある長野県に引っ越しをしました。
――シングルマザーになった経緯を教えてください。
千葉 3カ月ほど生理がない時期がありました。婦人科系の持病があるため、ホルモンバランスが崩れたのかと思っていたんです。念のため薬局で妊娠検査薬購入し検査すると、一瞬で陽性反応が出て・・・。自分の人生のなかで妊娠することをまったく想像していなくて、隕石(いんせき)が落ちてきたくらいの衝撃を受けました。
病院に行くと、すでに妊娠16週でした。エコー写真には、グレープフルーツくらいの大きさに育っている赤ちゃんが写っていたんです。
赤ちゃんが成長していたため、あきらめる選択をするには1~2週間しか時間の猶予がありませんでした。でも医師は産むのが当たり前のように「出産する病院を決めてくださいね」という感じで話を進めていました。シングルマザーとして1人で子どもを産み育てられるのかと悩みました。気持ちが定まらず、本当に苦しかったです。
父親である人には相談はしませんでした。彼も私も結婚は考えていなかったからです。妊娠がわかった時点で数カ月連絡を取っていなかったし、私が妊娠したと告げたとしても絶対に信じず、動揺するだろうと思いました。
――産もうと決意したのはなぜでしょうか?
千葉 一度はあきらめるつもりでいました。でも、なぜか自分が子どもと手をつないでいるイメージが浮かぶんです。それに16週まで育ってくれたのは奇跡だとも感じました。
妊娠に気づかなかった間、私はかなり激しい動きをする舞台に立っていました。殺陣や激しいアクションをしていたんです。当たり前のように激しい運動をして、おふろの中で寝落ちしたことも、舞台の打ち上げに朝まで参加したこともあります。
本来であれば妊娠初期は安静にしていなくてはいけない時期だと思います。気づいていなかったとはいえ、安静とは真逆の生活を送っていました。それなのにおなかの子は、ハードな日々を乗り越え、成長してくれていたんです。「この子はたくましく頑張っていたんだ」と思うと、産みたい、赤ちゃんに会いたいと思いました。とても悩んだのですが、ようやく心が定まったんです。
赤ちゃんの命を最優先に考え、実家に助けを求める決意を
――妊娠したことを家族にはどのように伝えましたか?
千葉 母には電話で伝えました。でも、なかなか言い出せなくて・・・。1時間くらい世間話をしたあと、ようやく妊娠したと伝えました。すでに16週だと伝えると母は「あんなハードな舞台に立っていたのに、赤ちゃんはよく元気に育ってくれたわね」と驚いていました。出演した舞台も見てくれていたので、私がどれだけ激しく動き回っていたのか知っていたんです。母は私を含め3人の子育てをしているうえに、流産も経験しています。「あなたの人生なんだから、あなたの好きにしたらいい」という母の言葉が私の背中を押してくれました。この言葉はその後とっても印象に残っているし、支えになりました。
父には最初、母から伝えてもらいました。父とも電話で話したのですが、かなり厳しいことを言われました。「結婚もしないで1人で産むなんて、子どもがかわいそうだ」と言われたんです。私は反論しました。「絶対にかわいそうな子にはさせない。私が守る」と伝えたところ「それくらい覚悟があって決めたことなら」と認めてもらいました。
父は普段、私の意思を尊重してくれるほうです。そのときの父は私が覚悟を持っているのか確認するため、あえて厳しいことを言ったのでしょう。妊娠をして両親を頼ろうと思ったのは、自分にとっても大きな心境の変化だったと思います。
――最初は両親には頼らないつもりだったのでしょうか?
千葉 産むか悩んでいたとき、実家に負担をかけてはいけないという気持ちもありました。15歳で役者をめざし上京した私を家族はずっと支えてきてくれました。だから妊娠して助けを求めるのは身勝手すぎる気もして・・・。
それでも、子どもの命と生活を最優先にした結果、「余計なプライドは捨て、周囲に助けを求めるのはとても大事なこと」だと考え方が変化しました。正直なところ、そのときの私の状況で実家のサポートがなかったら、子どもを産み育てるのは難しかったと思います。両親には感謝しかありません。
両親に伝えてからは東京を離れ、当時両親が住んでいた長野県に引っ越すことにしました。俳優業からも一時離れることになります。これまで精いっぱい取り組んできた仕事だったので、妊娠前だったら簡単に手放せなかったと思います。復帰できるかも未知数でした。でも当時は未練を抱いたり、将来を不安に感じたりする余裕がなかったです。引っ越しや出産準備、父親である人との交渉などに追われていました。
父親である人には認知と養育費を要求
――父親である人には、どのように連絡をしたのでしょうか?
千葉 直接会って妊娠したと伝えたのですが、本当に予想外のことだったようです。妊娠したと言うと「産むわけがないよね?」と確認されたんです。私が出産すると言うと「本当は違う人が父親ではないのか、自分をだましてお金を要求しようとしているのではないか」と疑心暗鬼になったようです。私が未婚でも産もうとする気持ちを、彼はなかなか理解できなかったのだと思います。
私は彼には子どもの認知をして、養育費を払ってほしいと考えていたんです。なぜなら、認知も養育費も、生物学的に父親である最低限の責任だと思っていて・・・。避妊は100パーセントできるわけではありません。おたがいが妊娠する行為を了承した時点で、新しい命が育まれる可能性を考え、責任を持つ覚悟が必要だと考えていたんです。
でも彼は自分が父親だと認めようとしませんでした。そこでDNA鑑定を行ったところ、99.9パーセント彼の子どもだと判定されたんです。それでも彼は認知はしたくないと言い続けていました。「結婚していない人の子どもを認知しても、だれも幸せにならない、混乱を巻き起こすだけだ」とのことでした。
私としては、彼が父親なのは事実だし、それを戸籍に記載することの何がダメなんだろうという心境でした。現実を受け止められなかった彼は音信不通になってしまいました。彼にとっても大事件だったと思うので、精神的に参ってしまったのかもしれません。
――認知や養育費についてはどうなったのでしょうか?
千葉 出産前から知り合いの弁護士に相談をしていましたが、産後再度相談をしながら彼との話し合いの場をもちました。その結果、認知はしたくないという彼の希望を受け入れることにしました。そのかわり、養育費を一括で払うという形で再交渉しました。彼もしばらく時間をあけたことでクールダウンしたようで、スムーズに話し合いができました。養育費は一括では難しいとのことで、5年かけて払ってもらうことになりました。こうした約束事については、その弁護士にお願いして書面にまとめました。また、子どもが成長して父親に会いたいと望んだら、応じてほしいという項目も入れました。
同じ選択をせまられたら、また同じ道を選ぶと思う
――出産はどんな様子でしたか?
千葉 予定日ぴったりに生まれました。おなかにいたときから「生まれたいときに生まれてね。でも予定日に会えるといいね」と話しかけていました。すると、予定日の夜23時半ころ誕生したんです。なかなかお産が進まない時間もあったのですが、途中から一気に進みました。破水もせずにいきむ間もなく誕生したので、助産師さんも驚いていました。私も出産するときは破水するのが当たり前だと思っていました。人生で一番痛い経験をしたうえに、気持ちが追いつかず「いろんな段取りがすっ飛んでない!?」とほっとしたような、拍子抜けしたような気分でした。
助産院で出産したのですが、私の出血量が多く、夜中に助産院から病院へ運ばれ、1日入院しました。生まれたばかりのわが子と離れ、すごく寂しかったのを覚えています。
現在、娘は4歳になりました。子どもを産み育てることは、本当に大変だと痛感する毎日です。それでも周囲の人たちに助けてもらいながら、仕事と子育てを両立しています。娘に会えたことは人生最大の幸せだと思います。もしまた同じ選択をせまられたら、私は同じ道を選びます。
お話・写真提供/千葉ミハルさん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
思いがけない妊娠に驚いたという千葉さんですが、子どもを産もうと決意したと話す姿は、とても毅然としつつ深い愛情に満ちていました。
インタビュー2回目は、シェアハウスでの子育てや、映画「取り残された人々~日本におけるシングルマザーの苦境~」に出演した経緯などを聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
千葉ミハルさん(ちばみはる)
PROFILE
俳優、シングルマザー。15歳で俳優の勉強のため上京。20歳から約10年演劇集団円所属、その後フリーで活動。31歳舞台や殺陣をメインに活動中妊娠がわかり、未婚の母となる。
「取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境」
シングルマザーの苦境や日本における子どもの貧困問題について、素直に疑問として映像化したことで世界各国の映画祭で数々の賞を受賞。戦後、短期間で経済の急成長を遂げ豊かになった日本だからこそ起きた「隠された貧困」がテーマ。今まで描かれたことのなかったシングルマザーの苦悩をいろいろな角度から取材し、不平等な社会的背景の原因をひも解いてゆく。
●記事の内容は2025年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。