NON STYLE石田。貧しかった幼少期が今の漫才や舞台演出の活力に。22歳で発症したうつ病も、先輩芸人と医師の言葉で楽になれた・・・
お笑い芸人として、また最近では舞台の演出や脚本、絵本制作なども手がける、NON STYLEの石田明さん。プライベートでは、8歳になる双子の女の子、5歳になる女の子と、3人姉妹のパパでもあります。今回は、芸人になったきっかけや、自身の子育ての経験がいかされているという舞台演出や脚本について、また、20代初めに発症したうつ病のことや父親になったことでの自身の変化について聞きました。
全2回インタビューの後編です。
絵本は余白こそおもしろい。三姉妹にはそれを見つけられる子になってほしい!
――石田さんは、小さいころはどんなお子さんだったんですか? 
石田さん(以下敬称略) 幼いころは家がとても貧しかったので、おもちゃは与えてもらえませんでした。僕の手元にあったのは、チラシの裏側と棒切れだけ。チラシの裏に絵を描いて、それをはさみで切り、棒切れに貼り付けてキャラクターをたくさん作っていました。洋服ダンスの下から2段目が僕のスペースだったので、そこに手作りのキャラクターたちをたくさん入れていたんです。引き出しを開けると、そこが僕だけの遊び場でしたね。頭の中で物語を作って、キャラクターたちを手で動かして。観客はいませんでしたけど(笑)
とにかく、考えることが好きな少年だったと思います。この経験が、漫才だったり、舞台の演出や脚本の仕事の基盤になっているのかもしれないです。
――公演中の『ノンタンのハッピーコンサート』も、演出と脚本を手がけているそうですね。どんな内容ですか?
石田 ノンタンというキャラクターって、いたずらっ子なんですよね。僕がノンタンの脚本を書くときに大切にしたいなと思っているのが、すてきな物語、感動するような物語を作るというよりは、そこらへんにあるようなささいなできごとや喜び、ちょっとした文句、みたいなものをテーマにすることです。
よくあるアニメのストーリーだと、いつもはおバカなキャラだけど、映画になるとカッコよくなったりとかあるじゃないですか。それはそれですてきだなと思うんですけど、でも、ノンタンに関していうと、そうじゃないのかなと。ノンタンって、お片づけは嫌いだし、面倒なことも嫌。とにかく楽しいことが一番が好き、みたいな。そこのベースははずしたくないなと考えているんです。
あとは、舞台をどれだけ参加型にできるかどうか、です。子どもたちは見ているだけになってしまうと、どうしても集中力が切れてきてしまうんです。お客さんは、舞台上の出演者たちとの間にうっすらとカーテンみたいな境目を感じるかもしれませんが、舞台を参加型にすることで、それを無くすことができるんです。言ってみれば、劇場自体が遊び場のような空間にできればなと思っています。
たとえば、クイズコーナーをやってみたり、夏であれば大きなちょうちょを飾ったり、冬にはでっかい雪の玉が子どもたちの頭上をゴロゴロ転がって行く演出をしたり・・・。いろいろな楽しいアイデアがあるんですよ。
こういうアイデアを出すときには、子どもたちと毎日遊んでいる経験がいかされます。『おかあさんといっしょファミリーコンサート』や『ワンワンわんだーらんど』、『しまじろうコンサート』などの親子向けのコンサートには、僕も子どもたちと一緒に行くことが多いので、それも参考にしていますね。子どもたちって、こういうタイミングですごく喜ぶんだなとか、ここは意外と飽きているなとか。
――こういった舞台ならではの魅力はどんなところにありますか?
石田 舞台って、自分でピントを合わせられるところがいいんですよ。たとえば、舞台の上で何か演目がされていて、そこをピンポイントで見てもいいんですけど、ちょっと引いて全体を見てもいいし、隣にいるお母さんを見るのでもいいんです。こうやって、自分でピントを合わせることができるのが、生の舞台のよさだと思います。テレビやYouTubeなどの映像って、もうピントが定められていたりと、意外と制限されているんですよね。
子どもたちに絵本を読んであげるときにも、物語だけを見る子になってほしくないなと思うんです。絵本は、実は余白がおもしろくて、主軸となる物語とは関係ないけど、ほかにも物語がいっぱい落ちているんですよ。わが子には、それを見つけられる子になってほしいなと思っています。
父親が敷いたレールの上を走ってきた10代。初めて好きな道だと思ったのが“お笑い”だった
――石田さんが、芸人になったきっかけは何だったのでしょうか?
石田 中学生のとき、初めてお笑いの舞台を見たのがきっかけです。姉が友だちとお笑いライブに行く予定だったんですが、友だちが行けなくなってしまって、代わりに僕が行かせてもらったんです。それが、“お笑い”との出会いでした。その舞台が、僕の中ではおもしろすぎたんです(笑)
そのときは、芸人になりたいというまではいかなかったですけど、単純に、こんなおもろいものが世の中にあるんだなと思いました。そこから、新聞配達のバイトをしてお金を貯めて、お笑いライブを見に行っていました。
高校を卒業したあとは、就職をして板前になったんですが、あるとき、高校の同級生2人から、「一緒に、お笑いやらへん?」と誘われたんです。「俺、おもしろいこと言ったことないけど、ええの?」と思いつつも、求められたことがうれしかったですね。それで、週末だけでしたけど、吉本のオーディションなどを受けていきました。でも、全然ダメで。その友だち2人はお笑いやることをやめてしまって、ピンになったんです。
初めての舞台は、めちゃくちゃスベったんですけど、舞台に立ったときの感覚が忘れられなくて。自分の人生、ちゃんと生きられてるなという感じがしたんです。
というのも、それまでの僕は、親父の敷いたレールの上を走ってきたんです。親父が野球をやっていたから、小中高と野球をやってきて。上の兄貴2人は途中で挫折したけど、僕だけは頑張って続けました。親父が料理人だったから、兄貴たちも料理人になったけど、僕は2人に負けたくなくて、もっと上を目指したいと懐石料理の道に入って。きっと、親父を振り向かせたくて、もっと認められたくて、そういう道を選んできたんですよね。
でも、お笑いの世界だけは、自分が純粋に好きな道でした。そこに、友人2人が導き出してくれたんです。
オーディションを受けて劇場を出た瞬間に、空気のにおいがしたんですよ。酸素ってこんなにおいするんだと思いましたし、「俺、生きてんねんな」って思いました。その感覚が忘れられなくて、現在に至る感じです。
自分の中になかったテレビの世界がプレッシャーに。22歳のとき、心が壊れてしまった
――芸人になってから、うつ病を発症されたことを公表していますが、どのような症状だったんですか?
石田 うつ病になったのは、芸人になってしばらくして、22歳ぐらいのときです。家から出られないようになってしまったんです。家を出て電車に乗れたとしても、1駅乗っているのが限界で、もう帰りたい・・・みたいな。一度駅を降りて、電車を待って、もう1駅乗ってと・・・、そんな状況が続きました。それまでは、まったくそういう気はなかったんですけどね。
当時自分の能力の低さを感じていて、そういうストレスがきっかけになっていたんじゃないかと思います。これだけおもしろい人たちがいっぱいいて、みんなこんなに前に出られるのに、自分は前に出ていけないし、しゃべらせてもらってもウケないし・・・。それで、どんどん心が壊れていって、当時は芸人としてやっていく自信がまったくなくなってしまいました。
――そこから、どうやって乗り越えていったんですか?
石田 これは、乗り越えられないんですよ。漫才は認められていって、それ自体はうれしくて喜ばしいことなんですけど。漫才が認められれば認められるほど、漫才以外の仕事がくるんですよね。テレビの番組だったり、トークだったり、いろいろなことをしなきゃいけないんです。でも僕は、子どものころから人としゃべるのが得意じゃなくて、1人で遊んでいた子なので、何かを作ることだけが好きなだけで。僕個人はおもしろくないのに、作ったものが認められたことで、なんで、このおもしろくない自分を世にさらさなきゃいけないんだよと思っていました。
しかも、小さいころに家にテレビがなかったので、テレビを見てこなかったんですよ。劇場でお笑いを見て、こんな人たちになりたいと思っていただけなのに。だから、僕のビジョンに、そもそもテレビの世界がなかったんです。
でも、少しずつ気持ちが楽になれたのは、いくつかきっかけがあって。事務所の先輩である、ブラックマヨネーズの吉田さんと話せたことも、自分にとって大きかったんです。
ある日、知らない番号から着信があったんです。それが吉田さんで、「若手で一番病んでるやつを聞いたら、お前だったから、番号教えてもらって。今度、2人で飯食わへんか?」と言われて、それで食事に行ったんです。吉田さんは当時、M-1チャンピオンになってすごく忙しくなりすぎていて、かなりのプレッシャーがあった時期だったんです。そんな吉田さんが、「ひな壇にいると、手がしびれてくるんやけど、なんやと思う?」と言ってきて。それで僕が、「それ、過呼吸の初期症状ですよ。まず最初に、軽く手がしびれてくるんですよ。吉田さん、息を吸いすぎているのかもしれないですね」と伝えました。さらに、「夜、呼吸のしかたがわからなくなるんや」と言うので、「僕の場合は、呼吸のタイミングを取るために、安心材料としてメトロノームを枕元に置いてますよ」などとアドバイスしたんです。
吉田さんは、自分よりも年下の人間の話を聞いて楽になってくれたようでしたし、僕は僕で、吉田さんみたいにめちゃくちゃおもしろい人でも気を病むこともあるんだなと思えて、なんだかすごく楽になりました。
――病院にも通ったんですか?
石田 心療内科に通っていました。そこで出会った先生のひと言も大きかったですね。「石田さん、最近、自分に期待しすぎていないですか?もともと、石田さんって、どんな人やったんですか?」と言われたので、「だれともしゃべらず、笑いも取れない人でした」と答えました。すると、「でしょ?でも今、石田さんは、人前に出て人を笑わせてるんでしょ?何をこれ以上、自分に期待することがあるんですか?もう十分じゃないですか?」と言ってくれたんです。それを聞いて、「え〜、そうなのか」と思いました。
それから、治療のひとつで、写真を撮ってくるというのもやっていました。最初に診察を受けたときに、「なんでもいいので、写真を撮ってきてください」と言われたんです。それで、次に行ったときに、「これはどういう写真ですか」と先生に聞かれるので、それについて説明をするというのを、ずっと続けていったんです。
先生に写真の説明をするうちに、自然と、自分らしく相手を楽しませるようなしゃべりができるようになっていったようでした。そこで先生に、「石田さんは今、これらの写真について1時間も話をしてくれました。これだけしゃべれるのだから、今の芸人の仕事が向いていないということはないです。あとは、自分に期待をしすぎないことだけです」と言われて、だいぶ気持ちが楽になりました。
3人の子どもたちを育てて知ったのは、「やろうと思うこと」が大事ということ
――石田さんが父親になったことで、考え方や生き方で、変わったなと思うところはありますか?
石田 許せることが増えたなと思います。どんなあかんやつでも、どんな仕事せえへんやつでも、いっぱいクリアしてきたから、今があるなと思うんです。子どもたちを見ていると、寝返りすらできなかった、はいはいすらできなかったのに、少しずつクリアして、今の子どもたちになっているのですよね。だから、今はクリアできていないだけなんだと、思えるようになったんです。
それで、できなかったこと自体は何とも思わなくなりましたが、やろうとしないということに関しては、やらへんとできないんだよとも思うようにもなったんです。
たとえば、最近僕、ルービックキューブを始めたんです。6面そろえられると思ってなかったからやってなかったんですけど、あれって、そろえられると思った人だけができてるんですよ。それで、6面そろえてみようと思って、YouTubeで解説動画を見てやってみたら、2時間でそろえられたんですよ!
こういう考え方になったのは、子どもたちの様子を見てきたからです。子どもたちが自転車に乗るのも、あきらめた瞬間にできなくなるけど、できると思った瞬間に、乗れるようになるんですよ。だから、子育てでも、何をやるのにも、「やってみようと思う」ことを大事にしています。
お話・写真提供/石田明さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部
20代でうつ病を発症し、芸人という仕事への自信を完全に失っていたという石田さん。芸人の先輩と悩みを共有し合ったり、心療内科の先生からの言葉をもらうことで、少しずつ気持ちが楽になっていったと言います。
舞台の演出や脚本の仕事では、子どもたちとの遊びやさまざまな経験の中からもヒントを得ているのだそう。何事も「やろうと思うこと」が大切だということを子どもたちから学んだという石田さんの、今後の活躍が楽しみです。
石田明さん(いしだあきら)
PROFILE
1980年、大阪府生まれ。2000年、中学・高校の同級生だった井上裕介さんとお笑いコンビ「NON STYLE」を結成。2008年に「M-1グランプリ」で優勝を果たす。バラエティ番組などで出演する一方で、最近では俳優や舞台の脚本、演出の分野、絵本制作などでも活躍している。2012年、12歳年下の一般人女性と結婚し、2017年に双子の女の子、2020年に第3子となる女の子が誕生。現在公演中の『ノンタンのわくわくピクニック』の脚本・演出を手がけている。
●記事の内容は2025年9月の情報で、現在と異なる場合があります。


SHOP
内祝い
    
    
    
    
    
    
    
    
                                
                                
                                
                                
                                
                                
                                
    
    
    
    
            