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「もってあと数日」と、医師に告げられた長男。母が覚悟をした瞬間【医療的ケア児】

更新

2026年4月から特別支援学校に通う、長男・煌太郎くんと二男。

内科医・和田裕紀子さん(40歳)には、6歳、3歳の男の子がいます。長男の煌太郎(こうたろう)くんは、重症心身障がい児で医療的ケアが必要です。しかしその障がいの原因は不明で、診断がついていません。
和田さんに、煌太郎くんの様子が気になり始めたときのことや症状、3歳で受けた胃ろう造設術などについて聞きました。
全2回インタビューの前編です。

妊婦健診では異常なし。2455gの髪がフサフサな男の子が誕生

生後11日。このころは、煌太郎くんに気になる様子は何もなかったそう。

和田さんが長男を授かったのは、結婚2年目、33歳のときでした。

――煌太郎くんを授かったときのことを教えてください。

和田さん(以下敬称略) 妊娠がわかったときは本当にうれしかったです。夫婦で喜び合いました。
つわりはつらかったのですが、仕事を休むほどではありませんでした。私の体質的な問題もあって、妊娠後期に妊娠糖尿病と診断されて、インスリン自己注射をしていましたが、妊娠経過は順調でした。

――出産時のことについて教えてください。

和田 息子は妊娠38週で、自然分娩で誕生しました。里帰り出産だったのですが、夜、陣痛が来て、初産なのに進むのが早くて早朝5時に元気な産声が聞こえました。予定よりも早かったので、夫は出産の立ち会いには間に合いませんでした。
出生体重は2455g、身長は47cm。生まれたときから髪がフサフサで「新生児なのに?」と驚いたことを覚えています。

生後間もなく、目が合わない、よく泣く、ミルクを飲まない…などの気になる様子が

ミルクを飲まないので、生後6カ月から経鼻胃管を挿入。

1カ月健診では順調と言われたものの、しばらくして煌太郎くんに気になる様子が見られるようになりました。

――いつごろから、どんなことが気になりましたか?

和田 生後2~3カ月ごろからです。「目が合わない」「泣くことが多い」「ミルクをあまり飲まない」という様子があり、眼球が揺れる眼振(がんしん)も見られました。
「こうちゃん」と名前を呼んで顔を見ても、目が合いません。生後3カ月ごろからはミルクをあまり飲まなくなり、50mLを飲みきるのに1時間ぐらいかかるんです。そのため体重も増えなくて・・・。泣くことも多くて、抱っこしたり、授乳したり、おむつを替えたりしても泣きやみません。
男の子を育てた経験がある、私の母と夫の母にも「男の子育児は大変だと言われることもあるけれど、こんなに大変だったかしら・・・」と言われていました。

――乳児健診で相談したりしましたか。

和田 コロナ禍で3カ月健診が延期されていました。ほかの赤ちゃんに会う機会もほぼなく、比べることはできなかったのですが、「何かおかしい…」と思ったので、保健センターに電話をして事情を話しました。すると、「発達相談があるから来てください」と。
発達相談で小児科の医師に診てもらうと「すぐに大きな病院に行ってください」と言われたんです。大学病院の紹介状をもらいました。私も夫も「やっぱり何かある・・・」と思いました。

大学病院でさまざまな検査をしたけれど、病名がわからない

表情が豊かな煌太郎くん。1歳6カ月ごろ。

和田さん夫妻は、煌太郎くんを連れてすぐに大学病院に行き、さまざまな検査を受けました。

――大学病院では、どのような検査をしたのでしょうか。

和田 血液検査や頭部MRI、髄液検査、神経伝導検査、染色体検査など、さまざまな検査をしました。しかし、診断はつきませんでした。医師からの説明は「小児は、成長に伴って疾患の特徴が出てくることがあるから、のちに病名がわかるかもしれない」というものでした。

――首すわりなどの発達はどうだったのでしょうか。

和田 生後6カ月になっても首はすわりませんでした。生後6カ月のときに、保健センターから「コロナ禍で延期されていた集団健診があるので来てください」と言われて、不安を感じながらも行きました。すると、まわりの赤ちゃんは、みんな寝返りをしたり、早い子だと少しおすわりをしたりしているんです。元気な赤ちゃんを見ていることが、とてもつらかったです。

息子は授乳量も少ないままで、吐く回数も増えたので、生後6カ月で鼻から管を通して栄養をとる経鼻胃管を挿入しました。

――ほかにどのような症状がありましたか。

和田 痛みを感じにくい末梢神経障がいもあります。生後4~5カ月ごろに予防接種をしても泣かないので、医師から「痛みを感じていないのかもしれない」と言われていました。検査をして生後7カ月ごろに診断されました。

また生後9カ月ごろ、てんかんのような症状が出始めました。右腕を突っ張って、顔を右に向けるのですが、様子がおかしいので大学病院を受診しました。本人の意思とは関係なく体が動く、不随意運動との区別が難しく医師も悩んでいましたが、1日に数十回、右手を突っ張るようになったんです。脳波検査でてんかんが疑われたため、薬を服用するようになりました。

3歳で胃ろう造設術。CVポートの感染によって生死をさまよったことも

危険な状態を何度も乗り越えてきた煌太郎くん。

煌太郎くんは、以前からえん下障がいがありましたが、3歳になる少し前から、経口摂取ができなくなりました。

――3歳で胃ろう造設術を受けたそうですが・・・。

和田 3歳になる少し前から、経口摂取ができなくなってしまったんです。当時は、離乳の中期食ぐらいのメニューだったのですが、食べても鼻から出てきてしまって・・・。
医師からの提案もあり、胃ろう造設術を受けることにしました。経過は順調でした。

また、そのころはてんかん発作を抑える薬をいろいろ試していた時期でしたが、入院中に感染症になり40度以上の熱が出て、てんかん発作が5分以上続く重積発作が起きてICU(集中治療室)に運ばれたこともあります。ICUで使い始めた薬が合っていたようで、その後、てんかん発作はかなり落ちつきました。

――退院後は、在宅医療を続けられたのでしょうか。

和田 しばらくすると、吸収不良を起こすようになってしまって・・・。吸収不良は以前から少し見られていた症状です。経過観察のために6月に入院したのですが、翌日に、嘔吐したものを誤えんしてしまって窒息したんです。医師から気管に穴を開けて呼吸管理を行う、気管切開をすすめられて手術をしました。当初は7月に退院する予定でしたが、退院できたのは9月です。

――その後は、順調だったのでしょうか。

和田 退院から3日後、40度の高熱が出て、再び入院しました。入院した翌日に、急激に呼吸状態が悪化して、ICUに移りました。体に埋め込んでいた点滴用の器具(CVポート)から感染が起こり、全身に広がる重い感染症(敗血症)で、急性呼吸窮迫症候群(きゅうせいこきゅうきゅうはくしょうこうぐん)と診断され、命にかかわる危険な状態でした。

感染源となっていた器具を取り除き、抗生剤などを使用しすれば回復する見込みでしたが、2週間たっても状態は良くならず、むしろ悪化。医師からは「状況が厳しいので、会える人に会わせてあげてください」と言われました。個室に移り、今まで面会ができなかった1歳になったばかりの二男も来て、家族の時間を過ごしたりしていました。

それから数日後、病院から「すぐに来てください」と連絡があり、急いで駆けつけると、顔色が真っ白になった長男がいました。医師からの説明は「もってあと数日」というもので、私も夫も、そのときは覚悟を決めました。
しかし、ゆっくりと持ち直してくれました。

とはいえ、ICUでできる治療はすべて尽くされ、これ以上は難しい状況でした。家族で過ごす時間をできるだけ大切にできるよう、小児科の病棟へ移ることになりました。
それから約9カ月の入院を経て、長男は奇跡的に退院することができました。本当に奇跡だったと思っています。その後、在宅医療を続けながら、少しずつ回復に向かっていったんです。

子どもたちのことはもちろん大切だけど、医師の仕事も続けたい

二男は、煌太郎くんのことが大好き。

和田さんは内科医。2人の子どもを育てながら、現在は医療機関で週1回、半日診察をしています。

――和田さんの仕事について教えてください。

和田 土曜日の午前中は内科医として医療機関で勤務し、在宅では健康診断のX線写真を読み取る仕事をしています。また、仲間と法人を立ち上げ、医療的ケアや障がいのある子どもと家族、支える人たちをつなぐサイトの運営を考えていたり、自身の経験を伝える講演活動にも取り組んでいます。現在は認定NPO法人AYAの活動にも関わっています。

長男は2026年4月から特別支援学校に週3回通っていて、私も付き添っています。また週1回は通所で運動発達を促す訓練を受けていて、その合間を縫うように仕事を続けています。

ずっと働いていた総合病院を辞めるとき、先輩の医師から「ほそぼそでもいいから、医師の仕事を続けたほうがいい。いつか現場に戻れる日が来るから・・・」と、かけられた言葉が支えになっています。
私の専門は呼吸器内科なのですで、呼吸器や肺の病気、アレルギー疾患など幅広く診ています。さまざまな症状に対応しながら、患者さんに寄り添える医師になりたいと思い、この分野を選びました。

息子たちとともに生きていくためにも、自分自身のことも大切にしていきたいと考えています。

お話・写真提供/和田裕紀子さん 協力/認定NPO法人AYA 取材・文/麻生珠恵 編集・構成/仲村教子(entente)、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

さまざまな検査をしても診断がつかず、煌太郎くんは「IRUD(未診断疾患イニシアチブ)」による遺伝子解析を受けることに。その結果、わかったこととは…。
インタビュー後編では、IRUDの検査結果や、和田さんが始めた情報発信、さらに病気や障がいを理由にあきらめていた“体験”を子どもたちに届ける、認定NPO法人AYAの活動について聞きます。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

認定NPO法人AYAのサイト

和田裕紀子さん(わだゆきこ)

PROFILE
金沢大学医学部医学科卒業。呼吸器内科医として総合病院に勤務し、緩和医療チームにも所属。医療的ケアが必要な長男のケアのため離職し、働き方を模索。子育ての中で感じたことをSNSで発信し始める。現在は仲間たちと立ち上げた特定非営利活動法人amuの代表として、医療的ケアや障がいとともにある子どもと家族、そして支える人たちを支援する活動に取り組んでいる。

和田裕紀子さんのinstagram

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2026年7月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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