専門家が選ぶ、楽しみながら個性についてハッと気付かされる絵本3選
絵本に登場するたくさんの個性的なキャラクターたち。では「個性」ってなんでしょう?楽しみながら個性についてハッと気付かされる絵本を、えほん教室主宰の中川たかこさんに聞きました。
中川たかこ
なかがわ創作えほん教室主宰
メリーゴーランド四日市店主増田喜昭氏に師事。
個人の創作えほん教室主宰20年目。講演会やワークショップにてえほんの読み解き方、えほんの創り方の講師として活動中。
「個性的」とは、誰にでも当てはまるほめことば
個性という言葉には少し特別な響きがあって、個性の反対語は「画一」である…ついこのように考えてしまいますが、わたしはそうは思いません。
絵本の世界の個性たっぷりな住人たち。彼らは本当に特別な個性の持ち主なのでしょうか?
何にでもなれるし、何かにならなくてもいい
「100%ORANGE」として人気のイラストレーター及川賢治さんと竹内繭子さんの絵本。
次から次へ、主人公のぼくは夢を語ります。
「ぼく、スパゲッティになりたい」
子どもがなりたいものといえばスポーツ選手や運転手さんかと思いきや、まさかの食べ物です。さらに腕時計、歯ブラシ、お弁当箱…と、どんどんなりたいものが変わっていきます。
これこそ、子どもの自由と権利だと思います。
だって、スパゲッティも腕時計も歯ブラシも、子どもたちの身近にあるもので、生活に欠かせない重要なものだから。
なりたいものがどんどん浮かぶこの男の子は、日々をとても自由に、そして充実して過ごしているのでしょう。「そんなくだらないこと言わないの」「人間なんだから腕時計にはなれませんよ」なんて、おそらく言われていない。
夢は願えば叶うといいますが、おそらく腕時計になるのはかなり難しいと思います…でも、きっとそれをばかにするような大人は彼の周りにはいないのでしょう。
子どもはみんな、心に何かを持っていると思います。でも、日常の中で大人がその夢に真剣に向き合ってくれなかったら?「どうせ子どもの言うことだ」と軽んじ続けていたらどうでしょう?きっと口に出すのをやめてしまい、もしかしたら夢そのものを諦めてしまうかもしれません。
この絵本は、大人の私たちに「夢を口に出した子どもに、真剣に向き合う大切さ」を教えてくれます。
スパゲッティになりたい男の子のように、なりたいものをどんどん口に出せる世の中にすることが、わたしたち大人のやるべきことだと思います。
個性とは、何かに秀でていることではなく、「個」を大切にすることだと考えてみるのはどうでしょうか?
誰もが持っている、誰かと心を通わせる力
平安時代からやってきたような十二単を身にまとい、床すれすれの長い髪のたかこ。話す言葉も百人一首に出てきそうな古い口語です。
話す言葉がみんなと違ったり、着ている服が現代のものでなかったり…子どもたちは、見て見ぬふりをする大人より先に「変な言葉」だと正直に言い、そしてすぐに受け入れます。
「自分と違う」ということに気づくのは、目を逸らすことより対等なことだと思うのです。
差別をしてはいけないと誰もがわかっていますが、差別は無意識に行われ、本人すら気づかないこともあります。対等でいるというのはとても難しいことだと、大人になればなるほど痛感するでしょう。わたしもその一人です。
もしかしたら「対等でいよう」と思ったその瞬間、これは差別なのではとすら思ってしまいますから…問題の根は深そうです。
たかこは大多数とは違う行動や考え方をしていますが、たかこはたかこの生き方を貫いているため、とうとうクラスメイトとぶつかってしまうのです。
この解決の仕方が爽快で、たかこならではの大胆な着物さばきを見せてくれます。ぜひ、十二単が舞う美しく大胆な見開きを、絵本で楽しんでくださいね!
これこそ、個性で、彼女だったからこそできた解決方法。
お話では着物で比喩表現されていますが、ひとりひとりが持っている「誰かと心を通わせることができる力」だと思います。
個と個がいれば、ぶつかることもあるでしょう。でも、個と個がいれば、心を通わせることもできるのです。
自分というものを変える勇気はあるか
これは、ひらがなの国のお話。
「あ行」から「わ行」まであるひらがなの中の、「や行」で起きた珍事です。
や行の町の道端に、「、、(濁点)」がポツンと置き去りにされていました。
濁点は、ひらがなにくっついて意味を成しますので、濁点だけが一人(?)で道端にいるなんてことはここ1000年に一度もなかったことだと大騒ぎになります。
この濁点は「わたしは“ぜつぼう”に付いていた濁点でした」とや行の住人たちに身の上話を始めました。
主人である“ぜつぼう”を絶望させているのは自分なのではないか…濁点さえなければ“せつぼう(切望)”という悪くない言葉でいられたのにと、濁点は思い悩み、どうかわたしをその辺の道端に捨ててくれと頼んだというのです。
この絵本のイラストは柚木沙弥郎さんで、その絵の洒落の利き方たるや、まさか、大きな「おせわ」をこんなふてぶてしく表現できるとは…!思わず笑ってしまいますし、自己肯定感の低い「、、」は、いかにも小さく恐縮している様がにじみ出ています。
文字の擬人化に、こんなにも「そうそう!そんな感じだよね!」とうなずける貴重な経験ができますので、ぜひとも絵本を開いて欲しいです。
さて、濁点くんは小さいながらも誰かの生き方に意味を持たせることができる、立派な個性を持っています。誰かと誰かが関わることで、別の意味が出てくる…と考えるとそれはまるで人間関係のようです。
「ぜつぼう」が「せつぼう」になるように、関わり方によって、互いの生き方まで変えられる。
一歩、踏み出す勇気と変わる勇気。
それは「自分はこうだから、こうであるべきだから」と自分に執着するのではなく、自分のあり方を自分で変える勇気。
ラストの「、、」が、どのような運命をたどったのか。見事な言葉のえらびかたに、鳥肌が立ちますよ!そしてこのラストシーンを誰かと共有したいと思うでしょう。
個性は特別なものを指すのではなく、全ての人が持っているものと認め合えたら、優しい世の中になるんじゃないかなあ、といつも思っています。同じものは何一つない、変わらないものもない。だから違っていても大丈夫だと、柔軟に受け止めていきたいものですね。