“内診グリグリ”のあとに少量の破水。生理痛のような痛みのまま膠着状態に…
一人娘を育てながら仕事もこなす兼業ライターのまきです。39歳で結婚し、初めての出産は41歳のときでした。
ホテル暮らしのような快適入院生活
予定日を2日過ぎての水曜日の健診。滋賀の自宅から奈良の帰省先まで来てくれた夫と病院へ。先生に「まだまだかかりそうだね。でもおまじないをしとくよ」と言われて『内診グリグリ』してもらって終了。帰宅前に寄ったカフェでランチ。さあ帰ろうと立ち上がった瞬間にどうやら破水。病院に連絡し、来た道を戻りました。少量だけど破水しているので入院することに。看護師さんに「破水したら赤ちゃんが動き出すから」と言われたのに何の変化もなく、本を読んだりテレビを見たり、食事は上げ膳据え膳でホテル暮らしのようでした。数日経っても変化がないので促進剤を投与されましたが、生理痛のような痛みと心配だけがありました。
結局のところ、陣痛はいつから始まっていたのでしょうか
この膠着状態にやっと動きが出てきたのは3日後の土曜日。夫がまた滋賀からやってきてくれたのをきっかけに、赤ちゃんが動き出したようです。子宮口も開き始めました。それでもペースが合わず、ただただひどくなる生理痛のような痛みに耐えるだけでした。母や妹に見送られ、夫に付き添われて陣痛室に向かったのは夜9時を過ぎてからです。分娩台に上がってからも微弱陣痛。「いきみたい」という状態にならず、ひとりのほうがリラックスできるからと助産師さんも別室に行ってしまったのですが、微弱陣痛は、その後2時間くらい続いたのです。初めてのことで自分の状態がわからずとても不安でした。立ち会いの夫が入室してからも変化がなく、暗い部屋で苦しんでいましたが、そうこうしているうちに、陣痛は強くなっていき、いよいよ、「いきんで!!」という状態に。そこから産まれるまで、果たしてどのくらいの時間がかかったのかは、覚えていません。ただただ、(私、ものすごい汗をかいている。お産にながく時間がかかっているけれど、赤ちゃん大丈夫かな)と思っていたことを覚えています。
産後はすべての痛みから解放されると思っていたのに
午前1時ようやく出産。娘の姿を見たときにはホッとしました。赤ちゃんとのんびり生活をと思っていたのに、早速襲われる後陣痛や胸の痛み。母乳は分泌されているのに乳管が開いておらず、娘の吸う力も弱く、私の胸はゴツゴツと張ってきて痛い。看護師さんに相談しても「冷やすしかないから」と保冷剤を渡されるだけ。そんな状態で退院したので不安でしかたがありませんでした。娘は寝てもすぐ起きてしまう。今から思うと、娘も空腹だったのかもしれません。ほぼ眠れない状態で過ごした実家での産後1ヶ月。自宅に戻ってからも痛い胸。乳腺炎が怖くて、母が居てくれる1週間の間に助産師さんのケアを受けることにしました。
私と赤ちゃんのペースが安定したのは産後2か月
マッサージを受けて、ガチガチに張っていた胸が少し柔らかくなりました。産後の助産師訪問を希望していたので、2ヶ月経った頃に市の助産師さんが訪問してくれました。マッサージをお願いした助産師さんだったので顔を見てほっと安心。娘の体重は生まれてから750グラムしか増えておらず、粉ミルクを足すようにアドバイスされました。私も相変わらずの胸の痛みと寝不足でしたが、その2週間後に再訪問を受けた時には体重は300グラム増えており、私の胸の痛みもなくなっていました。近くの民生員さんも訪問してくださり、私の不安な様子を感じてか、その後も何度か訪問してくださいました。不安な時だったのでちょっとしたことがとてもありがたくて心強いものでした。
産前・出産時・産後とも、痛みの記憶が強烈です。それでも娘の様子もちゃんと覚えているものですね。妊娠中はいろいろ調べましたが、出産、産後、育児に対する知識がほとんどなかったので不安でした。出産にまつわるあれこれは、人それぞれで本当にいろんなパターンがあると実感しました。
[まき * プロフィール]
39歳で結婚。もう望めないだろうなぁと思っていたのにありがたくも40歳で妊娠。41歳で無事に出産し、娘が1歳半を迎えたころに職場復帰。次々にやってくる生活の変化をヨレヨレになりながら楽しんでいます。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。
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