産後の里帰り先は修羅場…。実の両親による干渉と、ヒステリーな私との衝突!
3人の子どもたちと格闘しながら、在宅ライターをしている“あしださき”です。私は26歳のとき、里帰りで第1子を出産。そこからさらに産後1ヶ月まで、実家で過ごしていました。
実の親だから許せない! 干渉される第1子の産後
実母に手伝ってもらいながら、初めての育児に悪戦苦闘していた産後1ヶ月間のことを振り返るってみると、今では懐かしい思い出。
しかし当時は、育児に関してまだ何の経験値もない新米ママの私が、「親から干渉された!」と怒り心頭、ひとりで大騒ぎをしていたこともありました。今思うとバカバカしい思い出ですが、里帰り先の実家で、実の親と衝突することもしばしば…。
私は「子育てに口を出さないで!」とカリカリ・イライラ。一方両親は、日々追い詰められていく私を見かねて、自分たちの知っている“20年以上昔の知識”を引っ張り出して応援しようとしていたのでしょう。
寝ない新生児と、マニュアル遵守の新米ママの修羅場
退院して実家に戻ると、赤ちゃんは全く寝てくれませんでした。育児書には“新生児期は、ほぼ寝ている”とあるのになぜ? 私は初めての育児に自信が持てず、何事もマニュアルに沿って正確に、必死でやればいつか成果が出るものだと信じていました。
例えば、「市販のおしりふきはかぶれてしまうから、使わない」と産院で言われるとそれにこだわり、毎回手間をかけて脱脂綿をぬるま湯に浸して使っていました。
また“母乳育児が一番”という説を鵜呑みにし、赤ちゃんが上手におっぱいを吸えずに泣いていても、「ミルクだけには頼ってはいけない」と、こだわっていました。当然、昼も夜もおなかがすいて泣いてばかりのわが子。次第に私は、精神的に追い込まれていきました。
母の優しさを干渉と勘違い。ヒステリーを起こしてしまう
そんなある日、母は夜中に泣き止まない赤ちゃんにミルクを作って持ってきてくれました。しかしそれを見て、私はヒステリックに叫びました。「母乳不足って決めつけないで!」と。私のやり方に干渉されたことが許せなかったのです。
母はそんな私に冷静に、「哺乳瓶はよく吸えるようにできているから、赤ちゃんは楽にたくさん飲むことができるよ。おなかが満たされたら、少し長く眠ってくれるかも。そうしてあなたが休まないとね」と言って、黙って赤ちゃんを抱えて、ミルクを飲ませてくれました。
このミルクが良かったのか、赤ちゃんはその晩ぐっすりと眠ってくれました。私も久しぶりに2時間以上まとまった睡眠をとることができ、とても助かったのです。
父にとっては何気ない一言。それに私の怒りが爆発!
しかし、まだまだ新米ママのヒステリーは続きました。父が私に何気なく「赤ちゃんはロボットみたいに正確じゃないから、授乳時間にそんなに神経質にならないほうがいいよ」と言ったときも、私は大爆発してしまいました。
「そんなの分かっている!」、「いちいち口出ししてこないで!」と、烈火のごとく怒り狂い、さすがに父もあきれていたようです。とにかく、両親の干渉がどうしても受け入れられない自分。そのとき、いかに気持ちの余裕がなかったかがわかります。
そんな私が、どうやってその後自宅で育児をしていたか、実はよく覚えていません。すべてが大変すぎて、もはや記憶に残っていないのです。
私は第1子を出産した3年後に1人、さらに4年後また1人子どもを生みました。すると第1子であれだけ几帳面に、マニュアルを守って頑張っていたのは「あまり意味がなかった」と、次第に気づいていくことになりました。当時、私が「干渉だ!」と思っていた両親の発言は、“まっとうなアドバイス”でした。子どもたちが成長するにつれ、時には押し付けがましい意見を両親から言われる場面も出てきます。今ではそんなおせっかいも干渉とは思わず、「一理ある」と受け流す術も身につけました。いつも助けてくれる両親に、感謝の気持ちでいっぱいです。
[あしださき * プロフィール]
高校の担任からも「楽観的な性格」と評され、とにかく楽観思考の3児の母です。物事はあまり複雑に考えず、元気なわが子に会えればそれが安産だと思うタチ。主にママ業、時々在宅ライターを兼務中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。