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「目の前に幕がドーンと落ちてきた…」治ったと思ったわが子の白血病が再々発。家族の歩んだ日々

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3歳3カ月の時に白血病を発症した酒井光樹(みつき)くん。抗がん剤治療を乗り越えて順調に回復し、退院日も決まった矢先、「再発」が発覚しました。再入院して臍帯血移植を受け、今度こそと思っていたのに……。
前編では白血病の発症と再発、その中で直面した小児がんの辛い治療と家族の厳しい状況について聞きました。後半では、移植までしたのにまたもや襲って来た白血病の再再発と、自宅での訪問介護という選択、その中での光樹くんの様子を聞きました。「小児がんと家族を知る」第3回。

元気に保育園に通っていた中での白血病「再々発」

酒井光樹くんが臍帯血移植を受けた日から丸1年目の7月3日が、検査のための外来診察日でした。光樹くんは5歳7カ月になり、毎日元気に保育園に通っていました。この1年、体調が悪そうな様子すら見せたことがなかったので、ママ・正代さんはまったく心配していなかったと言います。
ところが、採血を終えて診察室に入った時、医師の表情が妙に暗く、強い違和感を覚えたそうです。

「『最近どうですか? 』と聞かれ『保育園にも慣れて毎日ハツラツとしています』と答えたところ、少しの間があって『血小板の数値が下がってきています』と。詳しい検査が必要だけれど、再々発した可能性が高いと告げられました。
最初に白血病と言われた時もショックでしたし、再発もショックでした。でも、この時はそれらとは比較にならないほど大きなショックで、本当に目の前に幕がドーンと落ちてきたような衝撃を受けました。正式な検査結果が出る1週間後までは、生きた心地がしませんでした」(正代さん)

検査の結果は「芽球(がん細胞)が95%」というもの。再々発は決定的でした。
「あんなに頑張ってきた光樹に、また告げなければいけない。この幸せな生活が崩れてしまう。2歳になった直哉をどうしよう……」と、さまざまな不安で押しつぶされそうになったと正代さん。

「でも、光樹は『いいよ、また治療すれば治るんでしょ』とあっさり了解してくれました。しかも『今度は病院の学童用の部屋に入る』と自分から言うんです。学童用の病室はお母さんたちは泊まり込まず、面会時間に通う形になります。
『僕はもう1人で泊まれるから、ママは直哉と一緒にいてあげて』と、まだ5歳なのに弟を気遣うんです。いつの間にか強くなった我が子に励まされ、親がしっかりしなければ!と思わせられました」(正代さん)

いっそう過酷になった治療の日々。状況は悪化へ……

光樹くんが入った学童の部屋には、中学3年生までの8人の子どもがいて、そのうち光樹くんを含む6人が小児がんでした。みんなで和気あいあいと助け合う雰囲気があり、光樹くんもすぐになじむことができました。
それでも、やはり寂しかったのでしょう。「1人で大丈夫」と強がった光樹くんでしたが、正代さんが病院を出て家に着く頃になると病院の公衆電話から連絡してきて、泣きそうな声で「明日も来てね」と言うのが日課になったそうです。

一方、治療の内容はより厳しいものとなりました。

「いろいろな治療をし、臍帯血移植までしたのに出てきた光樹の白血病細胞は、かなり手強く、もう効果のある薬がないかもしれないと告げられました。移植からまだ1年なので、免疫機能も完全には回復しておらず、抗がん剤で受けるダメージが深刻になる可能性があるとも。もし薬の効果が見られたら、今度は骨髄移植を目指しましょうと言われました。
それでも、何があっても絶対治すという気持ちでした、前向きな光樹のためにも、治して一緒に帰れることを信じました」(正代さん)

治療が始まるとすぐに肺炎を起こし、重篤な状態になってしまった光樹くん。一時は錯乱状態にもなりましたが、それがおさまると今度は一転、病状は回復へ。入院1カ月目の検査で、がん細胞がほぼ0という奇跡のような結果が出ました。
しかし、その喜びは一瞬で消えてしまいました。急激に抗がん剤が効かなくなり、再びがん細胞の数が増えていったのです。

「検査の数字はどんどん悪くなりましたが、光樹は治療の合間を縫って、主治医の協力のもと、病院から保育園の行事の芋ほり遠足や消防署見学、11月生まれの誕生会などに元気に参加していました。そんな様子を見ていると、検査結果だけが1人歩きしているようで、何を信じたらいいのかわかりませんでした」(正代さん)

余命3カ月の宣告。でも、命をあきらめられない!

そんな中、骨髄移植のドナーが見つかり、移植日が翌年2月27日 に決まりました。正代さんは「なんとかその移植に賭けられれば」と希望を持ち続けましたが、検査でがん細胞が90%に達していることがわかり、移植を断念せざるを得ませんでした。

「薬の効果がまったく見られない今の状態では、これ以上の治療も命を縮める恐れがあるのでできないと言われ、余命3カ月と告げられました。理屈ではわかっていても、今まで頑張って耐えてきたわが子の命をあきらめることはできません」(正代さん)

正代さんはセカンドオピニオンを求め「公益財団法人がんの子どもを守る会」に相談しました。すぐに専門医を紹介してもらって訪ねたものの、その医師もこれ以上の治療継続には否定的でした。

「ただ、そのお医者さんから『お子さんもご家族もよくここまで頑張ってこられましたね。これだけ頑張ってきたんだから、少しお休みしてみてもいいのではないですか』と言われたんです。『医学は日々進歩していますから、お休みしている間に新薬ができるかも知れない。攻めるばかりではダメじゃないかな』と。その言葉がとても胸に響きました」(正代さん)

セカンドオピニオンを受ける前から「もし本当に治療がダメなら、なんとか家に帰らせてあげたい」と考えていたという正代さん。しかし、光樹くんは抗生剤の点滴が1日2回、血小板や赤血球の輸血が週に3〜4回必要なため、普通の訪問看護では対応できません。
再びがんの子どもを守る会に相談しそのことを伝えたところ、別の病院を紹介してくれました。そして、現在入院している病院と新たな病院が連携しながら訪問看護を行い、光樹くんを診てくれることになったのです。

在宅治療で得た家族4人の楽しい日々と、突然の旅立ち

訪問看護を受けながら在宅で過ごす光樹くん。

光樹くんには「肺にカビができてしばらく治療はお休みだからおうちに帰ろう」と伝え、急きょ退院することになりました。

「光樹の病状は、データ的にはよくありませんでしたが、見た目は元気で食欲もあり、一緒に買い物に行くこともできました。食べたいおかずをリクエストできるのがうれしくてしょうがないようで、毎日『おいしい、おいしい』とよく食べて くれました。
家族そろって家で過ごす時間は、毎日が楽しくて楽しくて……。医療で治せないなら家族の力で守る、治らないまでもいつまでもこの状態でい続ける、それができる!と信じたい気持ちでいっぱいでした」(正代さん)

3月の終わりに、保育園が光樹くんだけの卒園式をやってくれて、4月には小学校にも入学。足が弱って歩けなくなり、正代さんが送り迎えをしなければいけなくなったかと思うと、逆に驚くほど調子が良くなる時期もありました。
特に7月は丸1カ月も入院せずに、友達と遊んだり、映画を見に行ったり。夏休み中は、入退院を繰り返しながらも、小児がんの子どもたちのキャンプに参加したり、家族で泊まりがけで釣りにも行きました。

「それまでずっと非日常を生きてきたので、光樹と直哉が一緒に遊んだり兄弟ゲンカする自然な様子を見るだけで、ホッとするし幸せでした。検査の数字も良くなって来た時期で、夜に枕を並べて4人で寝られる幸せが、ずっと続くと信じていました」(正代さん)

ところが明日から2学期という8月31日、光樹くんが熱を出してそのまま入院することに。初めて全身に痛みが出たためモルヒネを使用したものの、うつらうつらしながら痛い痛いとうめく光樹くん。状態はどんどん悪くなり、点滴台が2台、3台と増えていきました。

「今までも光樹は何度も熱を出したり肺炎を起こして入院し、覚悟したほうが良いと言われたのを持ち直して帰ってきました。でも、この時は初めて『今回は厳しいかもしれない』という思いが湧きました」(正代さん)

そんな中でも、夜中にふっと痛みが引いて楽になる時間があるらしく、その時は起き上がって正代さんと一緒に遊んだり話をした光樹くん。しかし、9月8日の夜中に急に苦しみ出し、翌朝、昏睡状態に。心臓の周りに溜まった水を抜く処置をしている時、光樹くんは突然、旅立ってしまいました。

子どもと共に過ごす日常は1日1日が宝箱だった

光樹くんが旅立った時、正代さんの体重は37〜38キロと、普段より7〜8キロも痩せていました。その後も3年近く、心身ともに不安定な状態が続いたそうです。

「何がどうなって、どうして今、光樹をこの手に抱けないのか。本当にわからなくて、ただただ泣いている時もありました。体の一部がなくなったようでうまく動けない感覚でした。
まだまだ一緒に過ごせると思っていたのに……。弟は大好きなお兄ちゃんとまだまだ遊びたかったし、パパは光樹と釣りに行く夢を持っていたのに。私はまだまだ食べたいものをたくさん作ってあげて『ママ、おいしいよ。また作ってね』と言われたかったのに……。そんな思いが溢れるばかりでした」(正代さん)

気持ちをうまくコントロールできず、直哉くんにとてもかわいそうな思いもさせてしまったと、正代さんは振り返ります。直哉はとても幼かったために光樹のことを覚えていませんが、それでも光樹くんを『にいに』と呼び、正代さんが語る光樹くんの話をうれしそうに聞いてくれるそうです。

「光樹はたった6歳9カ月の人生で、その半分が闘病でした。今、子育てを頑張っている方々には、ぜひ子どもと共に生きることの素晴らしさを味わっていただきたいです。叱ったり怒ったり一緒に笑ったり、そういう日常を、ぜひ楽しんでほしいです。私にとってはそんな1日1日が宝箱みたいなものでしたから。

そして、光樹は治ることはできなかったけれど、同じときに闘病していた入院仲間や多くの子どもたちが辛い治療に耐え、小児がんを克服して学校に復学したり、社会に出たりしています。今、これを読んでくださっている方のお子さんと同じクラスに、同じ会社に、そういう子達がいるかもしれません。もしかしたらお子さんが将来、恋人としてそういう人を連れてくることもあるかもしれません。
そうした小児がんサバイバーの方々に対して、偏見を持たずに、ぜひ温かく見守ってあげてください。そして、ちょっと手を差し伸べたりしていただけると、うれしいです」(正代さん)

写真提供/酒井正代 取材協力/公益社団法人 がんの子どもを守る会 取材・文/かきの木のりみ

光樹くんが旅立ったのは平成16年9月のこと。弟の直哉くんは、現在は20歳になったそうです。
「生きていればいろいろな人に出会い、おしゃべりすることができるけど、光樹はそれができません。代わりに私が、光樹が生きていたことを伝えることができれば」との思いから、今回、光樹くんのことを語ってくれました。
そして万が一、わが子が小児がんと診断されたら、自分たちだけで頑張らず、いろいろな人の力を得て闘うことが必要だと正代さん。そのためには医療現場だけでなく、私たち周囲の理解も強く求められていると感じます。

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