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百貨店の大食堂、街の洋食屋さんなどなど。昭和のころの外食の思い出は?

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レストランで手でコロッケを食べる少女
quintanilla/gettyimages

「昭和生まれの方、子どもの頃の外食の思い出を語りませんか?」という声が、口コミサイト「ウィメンズパーク」に寄せられました。昭和50〜60年代、ファストフードやファミレスがまだまだ少なかった時代。家族で外食は一大イベントでした。そして父との思い出として語る人多し!うるっとくるエピソードも寄せられました。

子どもにとってスペシャルな時間だった

「外食の思い出といえばデパートの大食堂です。母との買い物帰りよく寄りました。
銭湯の番台みたいなカウンターで食券を買って、黒と白のフリフリ衣装のウエイトレスさんが、車のお皿のお子様ランチと濃い〜グリーンのクリームソーダを運んでくれました。懐かしい思い出です」

「上野駅そばの『じゅらく』です。動物園の帰りに必ず寄ってました。
昔ながらの建物は取り壊されて現代風になったけど、ホットケーキが好きでした」

「不二家のお子様ランチです。アルミホイルに包まれたパラソルチョコを、最後に食べるのが至福の時間でした」

「私も不二家レストランです。昭和40年代、ペコちゃんサンデーが大好きでした。棒付きチョコと、生クリームにカラフルなスプレーチョコが散りばめられて、夢みたいなデザートでした。
初めてのファミレスで、ハンバーグが熱々の鉄板に乗って登場したことも衝撃的でした。
最近歳のせいか、子どもの頃の思い出話が大好きです」

「外食の思い出といえば心斎橋の不二家です。ペコちゃんと一緒に撮った写真が残っています。
KYKのへれかつ”も覚えています。最初、キャベツは四角いざく切りで、それが大好きだったのに、途中で千切りになってショックでした」

「地域柄でしょうか、モーニングです。
両親ともにフルタイムで当時は週休1日でしたから、休みの朝、ゆっくり起きて近所の喫茶店でモーニングを食べに行くのが楽しみでした。
漫画や雑誌がたくさん置いてあって、それぞれ好きなものを読みながら、厚切りのトースト、ゆで卵を食べて、親はコーヒー、私はココアを飲む。懐かしいです」

「親が年中無休の自営業で、祖父母と同居だったので、家族で外食は数えるほどしかありません。そのなかで鮮明に覚えているのが、小1のエピソードです。
私が数日高熱を出し、入院することになりました。入院準備を終えて病院へ行く途中、親戚が経営するレストランでお昼を食べることに。
病人連れて外食? とは思いますが、入院前に美味しいものを食べさせてあげたいという、親心だったのだと思います。
私は三姉妹の真ん中で、珍しい外食&両親をひとり占めという、一生に一度あるかないかの特別な出来事に大興奮!
ウキウキとハンバーグを注文したけれど、扁桃腺が腫れているので飲み込めない。悲しくて悲しくて両親に申し訳なくて。
苦い思い出ですが、スペシャルな外食の思い出です」


「小学生のときに母がパートを始めて、お給料日の週の日曜日は外食の日になりました。
近所の小さな洋食屋さんは、子どもにも大人と同じくカトラリーを並べてくれてるので、姉と一緒に事前に家で練習しました。
ナイフとフォークを使った食事は、大人の仲間入りができた気分で嬉しかったです。
デザートは銀色の足つきの器のバニラアイス。ウエハースとさくらんぼが乗ってました。
このスレッドを見て思い出して、ネットで調べたらその洋食屋さん、まだありました!
息子さんが跡を継いだようです。コロナが収まったら、家族で行きたいと思います」

思い出すのは父の笑顔

「私が小学生のとき、母がPTAで夜の集まりがありました。幼い弟は母が連れて行きますが、私は父とお留守番。
いつもは遅い父がその日だけは早く帰宅して、夕ご飯はどこで何を食べるか、ふたりで会議してました(笑)
多かったのはラーメン屋。母がラーメン嫌いで普段、行けないからです。
ワンタン麺を食べたかったのに間違えてチャーシュー麺を注文して、目の前に運ばれてきた時はショックでポロポロ泣きだして、父をオロオロさせたなぁ。
車で1時間かかる山の上のラーメン屋さんにもよく行きました。ドライブが楽しかった。
あー、お父さんに会いたくなってきた〜」

「日曜日は父と一緒に図書館へ行き、帰りにカフェに立ち寄るのが日課でした。
父はコーヒーゼリー、私はチョコレートサンデーを注文して、本を読みながらまったり食べる。
父に憧れてコーヒーゼリーを注文したら苦くて苦くて(笑) 無理して食べたけど、父が自分の分の生クリームをくれました。バレてたんでしょうね。
父は外食大好きでよく行きました。フレンチ、中華、ピザと、くどい料理がお気に入り。食生活を注意されると『食べるの我慢するくらいなら、早く死ぬ』が口癖でした。そしたら本当に50歳代で早世。
当時、私は高校生で父とは気まずい仲でしたが、なぜか父と一緒の図書館通いは続いていました。
このスレッドで、急に懐かしく父を思い出しました。食の記憶って素敵ですね」

「父は食通で、外食といえば常連扱いしてくれる高級店ばかりでした。父は得意げでしたが、そういう店は子ども向けのメニューはないので、楽しくはなかったなぁ。
私の誕生日に頼み込んで、ファミレスへ行けた時は嬉しかったです。
私が就職して久々に帰省した時に、父の好きそうなお店へ行って、私のお金で食事をしました。
すごくすごく喜んでくれて、みんなでたくさんお酒を飲みました。それが家族の外食で一番の思い出かも。
父が亡くなって7年。このスレッドを見て、ふと懐かしく思い出しました」

「私の父は外食嫌い。小さい頃の外食の記憶は、母と二人しかありません。
父との外食は結婚後です。母が急死して、思いがけず父、夫、私の三人で住むことになりました。
父のために毎食作ることに疲れてしまい、ある日『たまには外食したい』と、父に提案したら快諾。
回転寿しに行ったら父はとても楽しそうで、美味しい美味しいと満面の笑み。
その父も亡くなりました。また行きたいな」


昭和の外食は「父との思い出」と、語る人が続出。古き良き昭和の思い出話が集まりました。
早くコロナが落ち着いて、ゆっくり外食できる日が待ち遠しいです。



文/和兎 尊美


■文中のコメントは口コミサイト「ウィメンズパーク」の投稿を抜粋したものです。

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